12/31/2011

NYダウ+5.53%はドル安効果によるもの

米国株式市場が好調の内に一年を終えた、としているが、その数字は安くなったドル換算のものだ(米国だからドルで当然だが)。
 日本の東証では17%下落といっているが、円高になった円での数値だから、ドル換算ではそんなに落ちていない。双方ともに相手国の通貨で計算してみたらよい。

12/30/2011

離党者が出ても問題ない(と考えている民主党)

民主党内で消費増税に反対して衆議院議員の離党が続出している。
 いいのではないか。民主党の衆議院議員は全衆議院議員の2/3弱、再議決の2/3はなく、議決の過半数を遙かに超えている。だから、少しぐらい欠けても執行部には痛みにならない。むしろ、多数の議員がいると、比較的少ない政府内、党内のポストを与えるのに苦労する。
 小選挙制度だと政権交代がしやすいと言うけれど、議員数増減が激しすぎるのも問題だ

12/27/2011

バラックで復旧、そのあと復興でよい

バラックとは言い過ぎだが、都市計画で言う軽易な「木造2階建て以下」でとりあえずは復旧したらどうか。そのあとの復興に際しては、必要であれば、そのバラックから永久構造物に 建て替え ・移転すればよい。
 復旧には単に住むところ(仮設住宅)だけ確保すればよいというものではない。被災前の生業が伴わなければ、被災地を離れざるを得ない。生業になる産業の復旧に、防災都市計画ができるまで何年も待たせることは無理だ。
 第二次世界大戦で日本は全国土が壊滅的な被害を受けた。その後すぐにバラック復旧が始まり、人々の生活が少しずつ立ち直っていった。産業が復興するにつれ余裕ができた段階で、次なる新しいまちづくりへと進んだのである。一見二度手間のようだが、これで結果的によかったのではないか?

12/26/2011

前原会長は旧河川局と同レベル

民主党の政府予算案を含む政策決定には党側の意見集約の過程で政調会長(前原氏)の了解を得てはじめて内閣にあげられる仕組みだ。ところが、八ツ場ダム建設に関しては、政府・党三役会議の議論で前原政調会長の反対にもかかわらず、前田国交大臣の方針どおり継続が決まった。
 なんのことはない、民主党の最終決定者たる野田代表(首相)が決めたのだ。そうでなければ、代表の意味がない。党側の政策決定最高責任者は政調会長ではない。
 前原政調会長はこの土日にその「敗退」の理由として、国交省旧河川局(現水管理・国土保全局)とのチキンレースに負けたとしている。「チキンレース」とはビックリする比喩を用いたものだ。政治主導というからには自分に従うべき官僚とレースなどすべきではない。

12/25/2011

復興債特別会計に2.7兆円を隠す「離れですき焼き」より悪質

平成24年度予算政府案が閣議決定された。新規国債発行を前年並みの44.2兆円に抑えた、としているが、この発行限度の考えはそもそもは小泉内閣時の当初予算の30兆円に麻生政権時に経済対策として補正予算を積み上げた44兆円余りをうまく踏襲してしまっているので当初予算としてはおかしなものだ
 さらにおかしさを重ねているのは、交付国債2.6兆円と復興債2.7兆円(特別会計)に国債発行を隠していることは国民全てが知っているので、裸の王様状態に民主党政権はなってしまった。
 交付国債は、基礎年金の国庫負担を50%に上げる埋蔵金などの財源が枯渇するので、年金積立金から一時的に借りるものだ。年金積立金は年金賦課金を将来の支給のため積み立てるものだから、これを一時的に減らしてもいつかは返さなければならなく、国債発行限度はいまはクリアしたにすぎない。
 復興債は特別会計処理だそうだが、これも含めて国の借金という。自民党時代から特別会計制度を非難してきた人たちは今回の(特)別に会計するという趣旨に反対するのだろうか?特別会計はその趣旨通りだが、その悪用になっているのが争点だ。

12/22/2011

北朝鮮の崩壊が待たれる

金正日の急死により金正恩体制が急遽スタートすることになった。「だれも望まない北朝鮮の崩壊」論調が多いが、現体制が続く限り、たぶん、北朝鮮国民の悲惨さは続き、日本人拉致被害者は帰ってこないだろう。北朝鮮が崩壊しその国名に恥じない新しい民主主義体制になることがすべてを良い方向に解決する。
 周辺諸国は自国の都合だけで考えてはならない。

12/21/2011

予想される橋下新党は保守

橋下徹氏の大阪維新の会の政治方向は自公などと同じ保守(隠れ保守?)であることが見え見えになった。大阪市長就任二日目の東京での国会政党の党首・グループ代表などとの面会のやりとりでわかる。予想される橋下新党に対決するのは公務員労働組合の主張を代弁する社共と民主党の一部だろう。その他の民主党とほかの政党は数多く分かれてはいるが、すべては、大自民党からの保守の流れをくんでいる。
 みんなの党も同じ保守だ。

12/20/2011

北朝鮮=中国、を前提に

金正日総書記が死去して北朝鮮がどうなるか、の心配をしているが、同国は事実上中国の保護国と化しているので、それは中国が同国をどうしようとしているか、と同じことだ。
 心配するなら、もっと大きい心配国の中国を先に心配したらよい。

12/18/2011

基礎年金だけを公的年金に

昨日の主張と少し違うが、公的年金はいまの基礎年金だけにしたらどうか。もともと年金は軍人遺族・傷痍年金として始まった。後顧の憂いがあっては戦えないからだ。それが公務員全体に広がり、共済年金となった。一方の大会社は社員の福利厚生を退職後にまで拡げる年金制度を始め、それが厚生年金に広がった。以上の組織に加わらない、個人事業主なども加え、国民皆保険としたのである。だから、国民年金の給付水準すなわち基礎年金がその皆保険レベルといってよいのではないか。共済と厚生の年金からも基礎年金に供出され基礎年金は年金機構が一括して扱うことになっている。
 共済と厚生年金の上乗せ部分はその組織独自の年金制度(公的年金から外す)として考えれば分かりやすい。
 基礎年金の低いレベルの支給では暮らせない、という声を聞くが、年金は老後の生活の足しになる、と考えるべきで、必要全生活費のある部分は蓄えをもって補うのが当然だろう。

12/17/2011

基礎年金に国費投入をやめろ

国民年金の保険料未払いが問題になって久しい。対するに、将来無年金になったらどうするのかと政府は説得する。年金の将来に不安があるという若者には払った以上に戻ってくると説明する。基礎年金には1/3国費が入ってこれが1/2にまでなるからだ。
 文痴が問題とするのはこの国費投入の是非だ。皆が負担した税金から、無年金者にはその国費が戻ってこない。無年金の自由はあると思う。自分の努力で老後の資金を貯めておくというむしろ立派な考えもあるからだ。その人たちに不公平だと言っている。

12/16/2011

「予断なく」進めるとしたことがマニフェスト違反のもと(八ツ場ダム)

八ツ場ダム建設継続問題が民主党内でもめている。そもそもは現在の前原政調会長が国交相の時に決めた検証スキームで「予断なく」進めることになって、二年後の現在ようやくその結論が出る段階になった。今月中にも前原氏から三代目の前田国交相が最終判断をすることになる。
 その結論が建設継続になりそうなので、民主党内では2009年のマニフェスト違反だ、と騒いでいる。しかし、二年前に「予断なく」進めることになったとき、結論が建設継続になることもあり得るようになったわけだから、マニフェストから大きく外れた、ということを民主党の反対派の議員は「不覚にも」ご存じないらしい。
 今頃、国交省事務方の結論である技術的な問題を民主党政治家が云々するのは、技術は専門家からなる有識者会議に委ねたことに反する。その専門家の人選は前原氏その人がしたものだ。

12/15/2011

国の借金は経済運営の手段

以下、なんべんでも書く。
 国の借金は個人の家庭の借金とは違う。国は借金をする(借金を一部返す)ことで経済運営の機能を持つ。いま、借金の700兆円をできる限り、できれば全額を、返されたら日本経済がめちゃくちゃになる。マクロ経済の状況に応じて、借金(債務)の量を調整しているからだ。
 国の資産があるからそれを売却して債務残高を減らせ、という個人レベル金銭感覚でいう「正論」がある。また、公務員給与を減らしてそれを償還財源へ、または、増税規模を減らせ、という議論がある。これらはすべて日本経済のマクロの動きに影響する。デフレを昂進しかねないのだ。
 もちろん長い目で見て、国家予算はプライマリーバランスが取られていなければならない。つまり赤字国債発行が常態となってはいけないが、目下のデフレ脱却が第一目標だ。

12/13/2011

無収入者が年金保険金を払ったとする虚構

家庭の主婦は年金では第三号被保険者の扱いだ。第二号被保険者の夫が厚生年金とか共済年金で夫婦分の掛け金を払っている、という考え。
 これは、日本の年金の賦課方式からいったらおかしいのではないか?第一号被保険者の国民年金にしても収入のあるなしにかかわらず、一律に賦課する。(学生も)個人事業主の専業主婦へも。収入のない人から保険金を集めるのでは「賦課方式」にならない。主婦のほうもその常識に従って年金を理解しているから、夫の退職あるいは転職に際して三号から一号に変わったという意識を持てない。
 離婚をすることもあり得るとし、年金は個人のもの、とする考えが行きすぎている。一階の基礎年金部分は全国民対象とし、二階三階部分は離婚の際の財産分与の対象とすればよい。

12/12/2011

COP17でCO2削減議論の冷静化が期待

南アフリカダーバンでのCOP17が閉幕した。今回のトピックは京都議定書の事実上の破約である。そのCOP3の当初からして、米国の参加が危ぶまれていて、20年たったいまはEUと日本だけの全世界の25%しか対象としていないので、意味のないものになっていた。
 日本の環境省もその決断をされたことはご同慶の至りだ。当初の「チーム-6%」の勢いが反面教師として懐かしいくらいだ。
 二酸化炭素の人為的排出による地球温暖化理論には科学的な裏付けがついたとは言えない。百歩譲って、二酸化炭素の全地球的排出削減が必要としても、中国、インド等の発展途上国の排出枠を先進国とのバランスでどのように扱うかの理屈ができていない。そして、排出減少を量的に担保する唯一といってよい施策は原子力発電なのだ。鳩山元首相は二年前、国連で25%減を公約したが、その担保も原発シェアを50%にまでする、ということだった。
 原発代替としての新エネルギー源の今後期待されるオイルシェールとかメタンハイドレートは、石油石炭に比べ炭素の含有量は少ないものの、化石燃料の二酸化炭素排出の原因物質であることに違いはない。再生可能エネルギーとして今後伸びが期待できる太陽光発電、風力発電、地熱発電も量的に原発を代替するまでにはとうてい至らないだろう。
 今後の冷静な議論が求められる。それでも遅くはないだろう。

12/07/2011

東電が発送電分離に動いた

東電が賠償金支払いの原資確保のために一部の火力発電所の売却を検討している。47NEWS12/7

東京電力が福島第1原発事故の賠償費用を捻出するため、既存の火力発電所の一部を売却する方向で検討していることが7日、分かった。既に建設中の場合を除き、新規着工は原則見送る方針だ。今後10年間の経費削減額は従来計画より約1千億円上積みする。リストラ実施のペースや経営改革の具体策を示すため原子力損害賠償支援機構と共同で策定中の工程表に盛り込む。週内にも発表する。既存の火力発電所の売却では、他社と共同出資している場合などを検討対象とする。自社の発電量の低下は、発電設備を持つ工場など新規の電力卸売事業者からの購入を増やすことで補う。

 他社と共同出資している共同火力を検討対象としているようだが、その電力は引き続き東電が送電配電することになるだろう。発送電分離が一部増加することになる。文痴は5/14に発電所を売って補償金にすればよいと書いた。

12/03/2011

大阪市を東京市(二十三区部分)とおなじ直轄市に

大阪W選挙が大阪維新の会の圧勝に終わって一週間が経った。その唱える大阪都構想でわからないことが多い。
 まずは政令市の大阪市(堺市)を特別区に分割する理由の「基礎自治体の適正規模(を超えている)」問題だが、そうであれば、単純に大阪市などを分割して大阪府の下の普通の市にするだけではダメなのか?政令市制度を廃止するのだ。
 東京都は二十三区(特別区で市と同じ基礎自治体になっている)の上で広域行政を担っているだけでなく、二十三区部分では政令市の役割も持っている不思議な存在だ。東京都と都下の市町村との普通の県市関係とは違う。
 文痴の提案だが、政令市は都道府県の区域から外し、間の広域行政の中間自治体を廃し、国に直接結びつく「直轄市」のようなシステムにしたらどうだろうか。三重のシステムから二重になるわけだ。韓国(ソウル市など)とか中国(北京市など)はそうなっていると聞く。地方自治体の二重行政問題は解決する。

12/02/2011

国債の新規発行恐怖症(四次補正)

二兆円規模の第四次補正予算を政府は考えている。それができる理由の一つとして、剰余金の活用によって新規国債の発行が不要だから、というものがある。「国債残高増加恐怖症」ではないか。
 二兆円の金があれば、通常なら、700兆円にものぼる国債の償還にあてられるはずだ。700兆円を698兆円に減らすことができないのと、700兆円を702兆円に増やしてしまうのは、同じことだ。「朝三暮四」という猿をからかう故事があるが、この猿にも劣るのではないか?

12/01/2011

本音は外に出したら台無しになる(沖縄記者懇)

沖縄防衛局長が更迭された。その原因となった失言はオフレコの記者懇談で出たものだ。
 地元マスコミと全国マスコミの在沖記者が局長を囲んでの懇親会で出た話は、酒席だったこともあり、本音を出すものだったろう。一部沖縄を侮辱するという内容を含んだ失言がその場では看過されたのは、地元の記者あるいは沖縄通(局長も含む)のものにとって「何でもない」ものだったのだろう。問題だったのは話の進め方で、「犯す前に」という喩えは良くない。しかし、酒席ではよくあることだ。
 白昼、出るところに出たら問題となる発言を、その懇談の仲間内が出してしまえば、人類共通の「実は」の話が不可能となってしまう。出し抜いた地元一社の記者が明るみにしなければすんだ話だ。

11/28/2011

大阪都構想がでてくる理由(政令市、中核市)

市町村には序列がある。村が町に、町が市になるのは人口要件だけで、呼称が変更になるだけだ。市のなかにも序列があり、人口が増えるにつれ中核市、政令市となる。これがやっかいで、都道府県の権限の一部を委譲されることになる。委譲されたら、その部分では県市対等となり、二重行政になることは必定だ。以上を規定する地方自治法に大阪都構想になるすべての真因がある。

1mSv除染は現状回復責任論から

政府の福島第一原発冷温停止後の方針は以下の通りと推察(期待を込めて)される。
 現在設定中の20km同心円内の警戒区域(法律によって立ち入り禁止)は再事故・飛散に備えてのものなので、冷温停止(再事故の恐れがなくなる)後には、距離でもって区域を設定するのでなく、実際の残留放射性物質の危険度によって判断するまだら状になるのではないか?また、その許容シーベルト値も現在の科学的知見に沿って十分安全と見なされるものとなり、それ以下の区域への帰宅は避難者の自由意志に任せるようになるだろう。そのシーベル値は広島長崎での60年間の観察から100mSv/年となろう。
 なお、現在、国・東電の責任で除染をする基準は1mSv/年となっているが、これは、事故前の状態にできるだけ近づける、という責任論からと思われる。

11/24/2011

仕分けより国会での論議

四日間の提言型政策仕分けなるものが終わった。過去三回の事業仕分けの発展形らしいが、事業のほうで種が無くなり、注目を浴びにくくなったので、目先を変えたようだ。会計検査でも事業の不正が見つからなくなると、事業計画のほうへと切り込んでいったのと似ている。(行政刷新会議という)組織が一旦生まれると、その仕事探しが仕事となる。
 仕分けは一見、直接民主主義的に見える。しかし仕分けの委員はどうして決めるのだろう?与党民主党の人選によらざるを得ないから、その意味では偏っている(人選にやらせあり)と言わざるを得ない。偏りの無いのは国政選挙で選ばれた国会議員の分布だ。国会議員も仕分け会場で有能さを発揮している。だから、国会の衆参の当該問題の委員会で議論(仕分け)をするのが一番合理的だ。もともとそうなっているのを、屋上屋を重ねるからおかしくなる。

11/21/2011

GMはまかされて仕事ができる(巨人軍内紛)

巨人軍で叛旗をひるがえした清武氏のポストはGM(ゼネラルマネージャー)だという。チームの勝敗に責任を持つ監督に代わってチーム編成の全責任を負うという。だったら、親会社読売新聞の渡辺会長・主筆は清武GMにすべて任せたらどうか?監督の原氏が清武GMに不満を言っているわけではない。
 もし、巨人軍の成績が不満足なものに終わっているという判断をするなら、いまそうなったように、清武GMを解任すればよい。裁判沙汰になりそうなので、双方が対立主張していることでどちらのほうを信用するかは即断できないが、以上のGMの職務の扱い方については明らかだろう。

11/18/2011

送りつけ抗議にどう対処する?(福島の汚染土)

福島県民を名のる匿名人物から環境省本省に送られた放射性物質汚染の疑いのある土を環境省職員が勝手に廃棄処分したとして、細野大臣以下当事者に至るまで各種「懲戒処分」がされることとなった。
 細野大臣は福島県民に対して過敏になっているのではないか?東京の中央官庁に匿名で送りつけることは非常識だし、もし抗議の意味なら、それなりの広聴窓口もあるし、マスコミも取り上げるはずだ。
 除染の体制が不満足かどうかという話とは別に考えなければならない。

11/12/2011

TPPは対中国包囲網

TPP参加の是非に日本国内は大騒ぎだが、米国のねらいは環太平洋諸国の純粋な経済交流をねらうこの本来のものの他、対中国の包囲構想があるのではないか?
 昔はGATTというのがありそれが現在はWTOになっている。これら従来の枠組みの多国間ではまとまらないので、二国間(バイ)でFTA(自由貿易協定)を進めるようなことになっている。EPA(経済連携協定)はそれを貿易以外にも経済交流全般に拡げたものだ。その環太平洋諸国マルチ(三カ国以上)版がTPP(環太平洋経済連携協定)だ。
 中国は市場経済体制をとっているが、社会の体制は共産党一党独裁主義だ。だから、貿易協定の関税などの引き下げにまでは応じられるが、経済活動全般までを対象とするEPA・TPP的なものに参加して、自由主義国の制度とのすりあわせをすることには耐えられないかもしれない。だから、対中国の米国による嫌がらせなのだろうか?

11/11/2011

玉虫色にもならない

今夜の野田首相のハワイAPECに向けた記者会見での「TPPの参加に向けて関係諸国と協議」の表現は「参加」とは一つ手前だが実質的に変わらないと思うが、慎重派がなぜ満足したのか?出来レース臭い。慎重派がずっと芝居をしていたのだと。

TPPに参加して米国を論破しよう

 野田首相が昨日、TPPへの対応決定を本日に延ばした。国会議員の中にはそれぞれの支持母体の利益を代表する部分意見で反対・賛成を言っているわけだから、国全体の意見を集約する立場の首相は是非その観点で結論を明確にしてほしい。玉虫色(各論併記)ではそういうことにはならない。
 反対派の意見の根拠は、最終的な自由化(国境バリア撤廃)には反対しないが、国内産業の対応のために時間が必要で、拙速なことはしてくれるな、ということだろう。
 TPPもFTA,EPAもさらには全世界的なWTOの枠組みもすべて経済活動のグローバル化への手段ということになる。そのグローバル化というのは賛成するとか反対するとかということではなく、必然的にグローバル化が進むがそれに対応するためにはどうしたらよいか、ということだと思う。経済も文化も世界的に融合が進むなかで、それに逆行する「鎖国」はとりえない。ただし、アメリカ方式のグローバル化には反対する、というのはあるのではないか。TPP交渉に参加して米国方式のグローバル化を打ち負かす議論をしてほしい。逆に負けそうだから参加しない、というのでは日本(やまと)魂が泣くというものだ。

11/10/2011

古閑美保は相撲でいえば横綱

 昨夜11/9の報道ステーションで女子プロゴルファー古閑美保のインタビューを見た。29才のいま、引退することについて、なぜ「もったいない」と言われるのかわからないという。左手首の痛みが原因でゴルフのレベルが維持できず、トップを狙えなくなった。二位三位では勝負師としての満足が得られないから、プレーを続ける意味がないという。
 まだまだ若くそれも女性なのに、「勝負師」の意味がよくわかっている。相撲でいえば、横綱になって、優勝から遠ざかれば、引退となるのと似ている。二位三位ねらいの大関以下に転落して続けるのは禁止されている。

11/09/2011

インフラは国力、という南アは先進国入り

 南アフリカ共和国に観光旅行してきた。外務省の渡航危険情報が出ている都市(ケープタウンなど)を団体で散策したが、とくに危険なことには遭わず、その雰囲気もなかった。しかし、高級住宅街では住居の塀は高く、そのうえ高圧電流の鉄条網で防御されていたので、外務省の情報は正しいのだろう。
 それよりも南アが一番誤解されているのは、「後進国」ではないか?との評価だ。逆に全くの先進国であり、文痴の専門の道路でも、ハイウェイ網はすばらしく、日本の比較して貧弱な道路網は南アに比べて十数年遅れているのではないかと逆に感じた。国土が日本の三倍と広く、人口が五千万弱でほとんどが都市の周辺に居住。道路用地の土地利用が砂漠などの荒れ地であるなどの利点はある。それにしても国力を上げるためのインフラにかける熱意が違う、と感ぜずにはおれなかった。アパルトヘイトで世界から断絶された歴史がそうさせたのか?

10/31/2011

ベトナムがよくて日本が駄目な理由(原発)

 ベトナムに日本から原発の輸出を継続することが確認された。
 福島の事故後、ベトナム政府はそれでも日本の原発技術を導入するつもりだ。事故後だと、その教訓を入れて、安全性が増す。それに事故を起こした古い形式のものと違い、最新のものを導入する。
 その最新式をベトナムは受け入れて、日本では凍結となる。違いは日本国民の原発技術不信にしかないことは明らかだ。

氾濫した洪水は水深が浅いので伝播が遅い(バンコク)

 タイ・バンコクの北方、チャオプラヤ川の上流のアユタヤなどで氾濫した洪水がなかなか下流のバンコクまでやってこないのはなぜか?
 洪水を安全に海にまで流すのは河川の役割だ。そのチャオプラヤ川はそれでも超緩流なので、なかなか洪水が引かない。チャオプラヤ川の巾は数百メートル、深さは数メートルあるので、洪水流下能力は比較的大きい。それに比べ、北方で河川外に氾濫した洪水流は深さが数十センチしかないので、すごく遅い流れとなる。それで、バンコク市にまで洪水が来るのに時間がかかる、(バンコク市にとっては)幸いなことに。
 以上のことは氾濫流解析によって洪水流の伝播が予測可能だ。
 なお、昭和22年のカスリン台風水害の利根川中流部を破堤させた氾濫流は一週間かかって東京江戸川区に達し東京湾に抜けた。この間の土地の勾配はバンコク周辺より百倍も急だ(見た目は平らだが)。

10/30/2011

APECにどう対応するか決め時だ

 11/12のAPECにいま民主党内でもめているTPP参加の方針を持って行くと、野田首相は決断しているみたいだ。
 よいのではないか。日本国の首相で民主党の代表たる野田氏の決断は重い。もし反対なら、与野党、国会で内閣不信任すればよいし、民主党では代表を解任すればよい。もし、反対派が少数だと思えば、山田元農水相のように離党すればよい。脅かしは止めて、自分の信念に基づいて行動するのが政治家だ。

10/26/2011

伊波前市長が反対でないなら普天間近接小学校の移転を

 沖縄について問題発言をしたとされ免職になった米国日本部ケビン・メア元部長、その著書「決断できない日本」に名指しで「普天間飛行場に近接する小学校の移転に反対した」と書かれたとして、宜野湾市伊波洋一前市長が虚偽記載による名誉毀損で告訴した。
 名護市の辺野古に普天間の飛行場を移転する案は実行が難しい。となれば、代替候補地が決まるまでの間、普天間飛行場の危険性を少しでも除去するのが現実的だ。そのためにはかつての施策だったこの小学校などの移転を再び検討しなければならない。当時の小学校移転に地元の革新派市長だった伊波氏が反対でないことがわかったので、基地周辺の危険対象施設の移転など危険性除去の施策を再び進めたらどうだろうか?

10/25/2011

バンコク上流のアユタヤが洪水では不利

 今週末10/28にタイ湾が大潮を迎えることから、洪水がいっこうに引かないバンコク周辺は厳戒態勢になっている。
 しかし、大潮というのは満潮高が最大となる一方、干潮も一番低くなる。このときがチャオプラヤ川の洪水流下条件を改善するのだ。チャオプラヤ川下流域の平野は低平地でかつ勾配がない。唯一に近い排水手段は大河チャオプラヤ川の排水能力だ。
 バンコク首都市街地は郊外農地(現在は都市利用がなされている)に比べ微高地になっているのだろう。だから、昔から周辺と比較して洪水の被害を受けることが少なく、首都に選ばれたのだろうと思われる。その中心をチャオプラヤ川が貫流して、両側の都市がその流路を絞っている格好になっている。これでは上流のアユタヤ付近の洪水が収まらないはずだ。そのような場所を東洋のデトロイトに選んだ間違いか?

10/23/2011

すべては増税環境を構築(財務省)

 三次補正の財源として復興債を発行するところまでは一致している。しかし、その国債の償還期間と特別会計として区分管理するかで議論になっている。野田内閣・民主党は償還期間について10年の比較的短期とする理由として、現役世代で負担し、つけを後代にまわさないことを主張している(公明党に配慮し15年にまで降りている)。
 自民党が主張するように建設国債なみの60年償還とし、その復旧インフラを使用する後代にむしろつけをまわすべきだ。
 野田内閣=財務省の意図は増税環境を構築するために遠大に図っているとしか思えない。本命は社会保障財源を確保するための消費税率10%への増税だ。そのために、国民誰もが反対できない復興財源を持ち出し、それによって増税慣れさせようとしているのではないか?朝霞の公務員宿舎建設の凍結も同じシナリオからと思われる。
 消費税率の10%への増税案は自民党のもともとの政策だ。それを菅内閣の参議院選挙政策としては真似したに過ぎない。だから、立法府での多数の意見なので、あとは国民に対し如何に真摯に説明できるかだろう。

10/19/2011

平野復興相は「馬鹿」を能なしの意味で使っていない

 平野復興相の「津波被害者は逃げなかった馬鹿」発言でマスコミが二匹目のドジョウをねらっている。一匹目の鉢呂前経産省の場合もそうだったが、今回も、日本語の多様な使われ方を気づかない(マスコミの未熟)問題ではないか。
 「○○の馬鹿、なぜ死んじゃったんだ!!」○○は親友で、その人が死んでしまったことを、残された自分の身になって見ろ、と故人に「馬鹿」という言葉はよく使われる。

10/17/2011

5兆円の補償額は原発年販売額5.4兆円より少ない

 今回の福島第一原発の事故の後始末には巨額の費用がかかる。事故原子炉そのものの後始末の費用と事故に伴う周辺地区への補償などだ。一説には5兆円規模だと言われている。これをもって、原子力発電のコストは安くはない、という議論が高まっている。
 もともと原発は初期投資は比較的高いが、燃料費が安いので、耐用年限を平均すると10円/kwh程度と言われている。再生可能エネルギーによる発電の太陽光の40円以上/kwhと比べると歴然としている。この10円に5兆円を加えるとどうなるか?
 一年間の全国電力使用量は9,000億kwh(2010年実績)である。原発のシェアは30%として、2,700億kwhが原発発電量となる。5兆円を一年間だけで償還するとすると、50,000億円/2,700億kwh=18.5円/kwhとなり、これだけでは太陽光発電との差額40-10=30円/kwhを超えることはない。2,700億kwhの販売額は20円/kwhの単価として5.4兆円と巨額だから、5兆円はその1年分以下でまかなえる。以上を東電だけでなく、全国合計で比較するのは、たまたま、東電原発の事故だったが、九電力どこでも考えられるので、共済制度にふさわしいからだ(今回は間に合わなかった)。
 このような事故は毎年起きるわけではない。事故の引き金となった大津波だったら、千年に一度の事故だから、その考えなら、年あたり50億円、発電単価で言えば、0.0185円/kwhのみのアップとなる。100年に一度の大地震の考え、あるいは、原発の最初の稼働(1963年)以来の約50年に一回起きたとすれば、毎年それぞれ500億円、1,000億円の負担で済むことになる。

10/16/2011

年金は保険であることを忘れた議論

 年金(厚生年金)の支給開始年齢の例えば68歳への繰り延べが議論の対象に上っただけで大騒ぎになっている。
 そもそも、何のために老齢年金というものがあるのかの議論が足りない。年金とか保険とかは皆で出し合って必要な人に支給する仕組みだ。国費で補填するといっても、元は税金だ。だから、誰もが迎える老後に備える資金は個人で若いうちから積み立てるのが基本なのだ。しかし、何歳まで生きるかわからないから、積み立てる総額のメドがつかない。長生きするのはよいが、そのときに資金が潰えたら困る。その意味で、思いがけずに生きた後の資金は年金で保障します、というのが年金の基本的な考えだ。
 介護保険とか医療保険とかは人の健康状態によって必要額が異なるから、皆で出し合う「保険」となっている。
 だから、老齢年金も平均寿命以上に長生きした人の思いがけない必要資金のために支給する制度にすべきだ。たとえば、85歳以上の長命者には国で全生活費を支給する制度だけでよいのではないか?もちろんだが、年金制度の発端となった軍人が戦死傷したものを(傷害、遺族)年金で養うようなものは社会的に必要だ。この年金制度をあまねく一般化したことに間違いがあったのではないか?

10/14/2011

世田谷ホットスポットは見つけたのが騒ぎのもと

 世田谷のホットスポットは原発事故由来でなく、区道沿いの民家の床下に「長い間」放置されていた放射性同位体ラジウム226から出た放射線だということがわかった。3.35マイクロシーベルト/時の線量が「長い間」出続けていたことになる。今回の原発騒ぎがなければ、この先ずっと出続けていたことだろう。小中学生の通学路であることから、原因不明の世田谷ガンの流行の元になるのだったろうか?
 それとも何もなく平和な世田谷か?文痴はこちらのほうだと思う。見つけたのが騒ぎのもとだと。

10/13/2011

世田谷ホットスポット大騒ぎ

 東京世田谷区弦巻の通学路で放射線量のホットスポットが見つかった。いろいろな測定値が発表されているが、3.35マイクロSv/時というのが一番高い。通学の小中学生はその区道を迂回するよう指導を受けている。
 たいしたことはない。区道はある巾があるだろうから、ホットスポットの側の反対側を歩けば、距離の二乗に反比例して被曝量は減少する。また、通る時間はせいぜい五秒だろう。一時間に平均したら、3.35/12/60=0.005マイクロシーベルトにしかならない。東京のバックグラウンドの1/10以下だ。その区道の場所にテントを張って住むことになれば別だが。
 文痴は11マイクロシーベルト/時(=100ミリシーベルト/年)まで大丈夫と主張している。放射線過敏列島、11μSvまで大丈夫

10/12/2011

何も決まらない国・ニッポン

 日本は国家意志が決められない国にまたなってしまったのか。戦前、議会制民主主義が機能しなくなり、軍部が独走、それも陸軍海軍が対立し、対戦国の米国にしてみれば、何が日本国の意志かわからない不思議な状態だった。ナチスのドイツと違って、東条英機の独裁ではなかった。
 戦後何十年もたった今日、同じ状況になっている。TPPに参加するのかしないのか。普天間基地の移転先はどうするのか。諫早湾の開門調査では司法の決定に従わない。民主主義で何でも分権はよいが、その結果、何にも決まらないのでは困る。

10/09/2011

風評被害を糺すのがサンマ漁関係者のすべきこと

 北海道の漁業関係者がサンマ漁について規制強化を提案している。福島原発事故地点から100kmはサンマ禁漁としているものを、もっと範囲を広げ、金華山のライン以南を全て禁漁にせよと。たとえ、サンマの放射性物質のベクレル値が規制値以下だとしても、売れなくなるからだそうだ。
 これは消費者の風評による購買忌避の以前に、その誤解を解くという選択と逆に、自主規制で出荷制限をするようなものだ。たぶん、サンマ全体のイメージが損なわれることによる、価格低下を恐れているのだと思う。これでは風評被害を糺していこうという生産者の正しい態度とは言えない。

10/07/2011

小沢氏は国会喚問を早くすませ政治活動を

 小沢一郎民主党元代表への検察審査会の強制起訴と国会での証人喚問要求で政界が大揺れになって、すでに二年以上が過ぎた。代表時代に問題化し、代表辞任、鳩山由紀夫氏が代表になって、2009年の政権交代になった。
 結論がどうなるかはともかくとして、早く決着をつけたらどうか?政治家小沢一郎としても、灰色のままでは思い切った政治活動は出来ない。三権分立だから司法手続きと立法(国会喚問)は同時に出来ないと、小沢氏は記者会見で強弁したが、司法立法がお互いに干渉しなければ分立は守られる。強制起訴がおかしいから、裁判そのものをやめろ、と主張するが、そのことも含めた裁判なのではないか。

10/04/2011

ポピュリズムの舞台裏が丸見え(朝霞宿舎凍結)

 朝霞の公務員宿舎建設の方針が二転三転し、ようやく、野田内閣として建設凍結が決まった。公務員宿舎の需給関係をよく調べて方針を確固としたものにしてほしいが、今回のドタバタ劇は復興増税をいかにスムーズに国民の理解を得られるものにできるか、という財務省の思惑から来ているのは、国民にすべてお見通しだった。野田内閣=財務省は国民の前では裸の王様だ。
 正面から正論で、復興増税の必要性を説明したらどうか?野党の自公も増税そのものには反対ではない。

10/02/2011

消費税率アップの雰囲気作りに復興税を利用している

 税と社会保障の議論に正面切って反対の国民はいないはずだ。現在の社会保障の水準を維持するだけでも、保障対象の人口が高齢化により増えるのだから、消費税などにより広く負担を求めなければやっていけない。
 野田内閣(=財務省)はこの消費税率アップができるかどうか疑心を持っているのではないか。だから、誰もが反対できない震災復興への国民負担(復興税)を、まずは「増税ムード」の導入に使っているとしか思えない。いまは基幹税(所得税)に一定の割り増しを10年程度かけるという政府与党の案となっているが、野党との議論のなかで、この10年が建設国債で決められている60年に近づくことは容易に想定される。「増税ムード」の醸成には少しでも税率アップ(割増率)が実現できればよいからだ。

9/30/2011

自衛隊が北方四島を奪還すればよかった

 ロシアが北方四島の軍事力を強化している。領土紛争相手国のすることで、相手国が日本の何を恐れているのかがわかる。電撃的に北方四島に自衛隊が軍事侵攻してしまえば、局地では軍事バランスがロシア側に不利な状態では、領土奪還は成功するだろう。その既成事実の前に、日本に対して全面戦争を始めるわけにはいかない。世界が許さない。北方四島はロシアですらも日本の固有領土だと認めている。日本にとってはそれからは専守防衛になる。
 同様のことは韓国との紛争になっている竹島問題にも言える。韓国は、竹島が隠岐の島からの距離が韓国本土からよりも少し近いことを恐れ、より近い鬱陵島に海軍基地を建設するという。これも自衛隊による電撃侵攻を恐れているのだろう。
 竹島を実効支配してしまえば、紛争相手国・韓国のすべきことは国際司法裁判所に提訴することになる。日本は受けて立つ、と言っているので、裁判が進むことになろう。いまのままでは、千年にらみあうだけだ。

9/28/2011

土砂ダムの危険性を個々に評価すべき

 台風12号豪雨で自然形成された「土砂ダム」(中越地震後は「天然ダム」と言っていた)の破壊に伴う危険度は以下のように判断すべき。
①ダム上流の流域面積が大きいか?これは土砂ダムを越流するときの流量が大きくなるので、それだけ、ダムを破壊する力が大きくなるから。
②ダムに貯まった水量が多いか?これはダムが決壊したときに下流を襲う土石流の量に比例する。(ダム湖の水深測量が必要)
今回の和歌山、奈良両県の場合、①は最上流なので小さい。②は最上流なので河床勾配が急で貯まる水量も少ないだろう。したがって、中越地震後の山古志村(現長岡市)の比較的緩やかな地形での「天然ダム」と比べて破壊に伴う危険性は少ないであろう。だからと言って、対策を全くとらないことにはならないが、危険性の評価は避難体制、緊急工事の方法・工期などに影響する。

9/26/2011

東電は給与は公務員並み(枝野大臣)ばかりか独法に

 「東電社員の給与は高すぎるので、国家公務員並みに」との考えを枝野経産相が示した。
 東電は公益企業的な業務を地域独占で実施している。だから、株式会社の形態をとれるわけがない。だが、民営化が単純によい、という時代に「偽」民営化の擬似株式会社になったものと思われる。
 株式会社だったら売り上げから経費を差し引いた自らの利潤を前者を増やし後者を削減して最大化し、そこから配当と給与に配分することが経営になる。ところが東電はじめ電力会社は総括原価を経産省に認められたらそれにある割合の利潤を加えて売り上げすなわち電力料金を決めてよいことになっている。これではとうてい株式会社の経営とはいえない。
 原発の国営化の議論があったが、これはリスクが大きすぎる、という観点からだったが、公益企業は株式会社になり得ない。国営かそれともせいぜい独立行政法人にして(株主はなく)職員給与は制限された範囲で、というのが正しいのではないか?

長崎佐賀両県の争い、諫早水門開門調査は裁判所の決定に従え

 諫早湾干拓水門の開門調査に対して国(農水省)は制限開門方式で実施すると発表した。それに対し、農民側の長崎県は反対を唱えている。漁民側の佐賀県も制限開門には不満で、全面開門を要求している。
 県同士、農民漁民の間で、対立し妥協が図れない。こういうときに裁判所の判断があるのだろう。佐賀地裁に続き福岡高裁も全面開門調査を命じているのだから、日本国民である限り、それに従うべきだ。法治国家の国民だ。

9/25/2011

地上占拠型の太陽光・風力発電は風景を変えるので不適当

 再生可能エネルギーによる発電で原発の代替をしようということになっているが、欧州ではいざ知らず、狭い国土の日本では無理ではないか?国土の三割弱しかない平地の都市と農地には太陽光パネルなどを配置するスペースは余りない。山手線の内側の広大な面積にパネルを敷き詰めたとしても原発一基の100万kwにしかならないという。
 太陽光発電と風力発電は地上を占拠して発電するシステムだ。だから、もともとそこにあった農地なり、森林などの自然を置き換える格好になる。再生可能エネのもうひとつの地熱発電は土地占拠型ではないし地下に設置することも可能なので、地上の風景を大きく変えることなく設置できる。
 孫正義氏は休耕田を活用すれば可能と言っている。でも、休耕田は農政の失敗によりやむを得ず一時的にそうなっているのであって、農村にとっては将来農業の可能性のある土地なので、そこを永久にパネルで敷き詰めるのはどうなのか?同様に風力発電も狭い日本では立地は限られる。
 だから、原発が仮になくなったとしても、穴を埋めるのは再生可能エネルギーなら地熱と小水力、大部分は石炭火力と今後有望なオイルシェールとメタンハイドレートも燃料となる天然ガス発電とになるのではないか?もちろん日本で可能なレベルでの太陽光・風力発電は進めるべきだ。

9/22/2011

埋蔵金を使うのと国債発行は同じこと

 文痴は以下のことは前から言っている。
 日本国の公的債務の大きさを考えるときは債務から資産を差し引いた純債務を用いることは当然だ。だから、この資産を埋蔵金とか税外収入としてプラスの財源として活用し、その分、国債の発行を抑えられるとするのは意味がない。純債務が増えるのにはマイナス(国債残高)が増えるのとプラス(資産)が減るのとに違いはない。考えるべきは、借金をするのと資産を取り崩すのとどちらが有利かだ。超低金利のいま、借金する方が有利なのは家庭の主婦でもわかる。

9/21/2011

TPP参加拒否は社民党的「蟻の一穴」

 世界経済は前世紀末ごろから一体化(グローバル化)して久しい。北朝鮮とかミャンマーのように鎖国的に経済を運営できるのはそれだけ貧しさを甘受しているからだ。
 折しも、反グローバル化の動きで、食糧安保という古めかしい戦略がでてきたのはTPP(環太平洋経済協定)に反対する理屈らしい。世界が政治的には国に分かれているからには安全保障は必要かもしれない。しかしそれが、軍事的なものでなく、経済的安全保障を意味するのだったら、そもそも無効でないか?一国の鎖国的経済が不可能になったからには、国同士は経済的に相互依存しなければやっていけない。食料だけは経済の枠から別、ということはあり得ない。TPPのように、徐々にではあるが自由貿易を広げていく流れというのであれば、逆らえるものではない。もちろん条件を巡っての交渉というものはある。
 それにしても、TPPに参加し加盟国同士の議論に入らない、というのは変だ。議論の結果によっては加盟国の最終判断が出来るはずだ。「蟻の一穴」(巨大な堤防も蟻のひと穴から決壊する)の社民党議論か?

9/17/2011

復興増税するなら直接税割り増し方式になる

 文痴はデフレのいま増税には反対だ、と最初に申しあげておく。
 第三次までの復興補正予算の財源にそのための財源として増税が考えられている(もちろんいったんは国債を発行してそれに充てるが、その償還財源として)。野田内閣=財務省は数種類の増税方式案を提示している。そのなかには消費税を含む案もあるが、結局は直接税(所得税、法人税)に割り増す方式になるのではないか?この方式はまずは手続きが簡単だ。いままでの税金に単にたとえば1.05(5%の場合)を掛け算するだけだ。消費税率をアップするのは手続きだけでも容易ではない。
 さらに、消費税は「税と社会保障」論議で必要な「恒久的」財源として別にとっておく必要がある。いま、復興財源で税率を上げて(これは必要期間が過ぎたらもとに戻す)、あわせて、(次の総選挙後に)恒久的に税率アップさせると、区別の付かない状態になり、国民の理解を得ることも難しくなる。

9/14/2011

復興国債は60年償還で

 文痴は増税が必要な懸案を三つに分けて考えた。国債増発は日本国民の投資の対象として不可欠
①復興財源②引き続きのデフレ対策財源③今後の社会保障をまかなう税だ。
 そのうちの復興財源について民主党政府(財務省)は現役世代で負担すべきとしている。つけを子孫に回すべきではないと。当面、復興国債でまかなうとしても、この分の償還財源はすぐにでも増税をしてそれにあてると。
 理屈から言うと、1,000年に一度の大災害だから、たまたまその時期に当たった現役世代がすべてその費用をまかなうのには大変な不公平が生ずる。仮に規則的にこの大災害が襲ってくるとすれば(統計学的には違うが、考えを単純にして)、これからの950年くらいの間の世代は災害を受けることなく(復旧費用を負担することなく)生活を送ることが出来る。だからといって1,000年償還の国債はないので、通常の建設国債の60年償還でよいのではないか?土木施設の寿命は平均60年だと言われている。それを過ぎれば、更新投資が必要だから、価値はゼロとなったと見なせる。

9/12/2011

福島県民は仕返しをされる(死の町でよいのに)

 「まさに死の町という形でございました」(鉢呂前経産相の言葉通り)で何が問題なのだろう。「死の町」は比喩だということがわからないのでは日本人とは言えない。佐藤福島県知事はこれを「言語道断」と決めつけた。福島県民の代表として。
 こんな日本全国から見て腫れ物になるようなことをしたら、きっと隠れた仕返しをされる。現に、福島産の食糧はベクレル値が基準以内でも不買されている。「風評」という仕返しを。

9/10/2011

失言に二種あり(鉢呂経産相)

 野田内閣新任の鉢呂経産相が「失言」を繰り返しているという。それら二つ対極的な発言を記す。
 事故原発20km圏内の感想で「(まるで)死の町(のよう)だ」というのは極めて日本語的表現なのではないか?( )内を略しても同意味にとりうるのが日本人だ。比喩を理解しない人が増えたのかもしれない。その人たちのことまで考えて、慎重かつおびえた表現にしたら日本語でなくなる。
  「放射能が移る(伝染する)」というのは記者相手の冗談だったかもしれないが、正しい知識を普及させる先頭に立つべき役所の長とも思えない愚かしい発言だ。

9/08/2011

子どもの健康のためには東北がどうなってもよい(武田邦彦教授)

 かねてより放射線の健康問題に多言してきた中部大学武田邦彦教授がTV放送で子どもの質問に「東北の野菜は食べないほうがよく、農民も作るのはやめたらどうか」とのビックリ回答をした。
 こういうのを風評そして風評幇助というのだろう。東北を十把一絡げに危ないと決めつけている。科学者の態度とも思えない。
 すべきは、野菜は残留放射性物質を(抽出)調査し、基準以内のものはむしろ積極的に購入することを勧める。東北の被災者が一番困っていることは、仮設の住居ではなく、収入を得る職業が不足していることだ。日本全体のデフレ不況の元では、雇用確保はもともと困難だが、東北をねらい打ちしてその生産物を「ボイコット」させるような、東北経済を痛めつけることは許し難い。義援金を贈ったら、その分だけは食いつなぐことは出来るが、職業を与えればずっと支援したことになる。東北のものを購入することが最大の支援となるのである。
 武田先生は環境学の欺瞞部分を暴く本当の科学者として評価されてきた。今回、妊婦・子どもの健康のみに着目して、非科学的な「絶対安全策」を扇動するようになったのは、残念だ。

9/07/2011

除染に下水道システムは最適

 下水処理場(上水も同じ)の汚泥に放射性のセシウムなどが濃縮され、処分基準以上のベクレル値となって最終処分の方法が定まらないという。
 まずは、地域に残存する放射性物質を除染する必要があるが、その最適方法をそのまま期せずしてやっているのではないか。広く薄くばらまかれた放射性物質はとりあえずは一個所に集めて、そこで処理することが効率的だ。そこが下水処理場になっている、というわけだ。
 集まった放射性セシウム「濃縮」汚泥あるいは焼却灰は量が少なくなっているので、最終処分(埋め立てるしかない)に好都合だ。さらには、金属精錬などの技術を応用して、セシウムだけを分離することができれば、さらに少量化することが出来る。
 福島原発事故由来のセシウムすべてで何トンになるか。いずれにせよ、例えば石炭火力の燃えがらなどに比べれば比較にならないくらい少ないはずだ。廃棄物の「量」で比べれば、原発は優位な方法といえないだろうか?

9/05/2011

最高顧問にして黙らせる(民主党首相経験者)

 鳩山、菅の元前首相を民主党は最高顧問にしようとしている。まず、「最高」というのは最上級形容語だから、二人いるのはまずい(岡田前幹事長も最高顧問らしい)。党側の意図としては祭り上げてうるさいことを言わせない、ということだ。
 それにしても鳩山由紀夫氏は次期選挙には出ないはずだったのでは?それとも落選予測?衆議院議員で残らなくても、小泉氏とか最近は細川氏がうるさい。

9/04/2011

期待率六割が支持率につながるには(野田内閣)

 野田内閣の発足時の支持率が六割を超えた。内閣の仕事の評価が支持につながるから、発足時の今は「期待率」のほうだろう。
 期待率として似たようなもので、オバマ大統領の過年のノーベル平和賞受賞がある。核なき世界を実現したのではなく実現して欲しい、将来の仕事に対して授賞した。また、最近のなでしこジャパン女子サッカーチームへの国民栄誉賞も同じだ。これからのオリンピックでの世界一(金メダル)も期待しての授賞だ。
 内閣支持率に話を戻すと、内閣は支持率のおおまかな高低は気にすべきだろう。国民から信頼されない内閣だったら信頼をもととする行政行為は出来ない。ただし、支持率を無理に向上操作するパフォーマンスは国民の目に誤魔化しと写り逆効果だ。地道に国民の広範な支持を得ていく政治を目指すのは、間接民主主義に首相公選制の利点を加味していく上で、不可欠と思える。前鳩山、菅内閣の失敗を見てそう思った。

9/01/2011

民主党には各党の出張所がある

 菅直人前首相が各党への退任挨拶で、社民党の福島党首に会ったときの話(毎日新聞9/30)。福島瑞穂氏は「お疲れさま!脱原発いっしょにやりましょう。大歓迎でいつでも(社民党)党首に」と迎えたそうな。
民主党の中には社民党出張所(所長は菅直人氏)があるかのごとくだ。自民党出張所もあるかも。公明共産はないだろう。
 もっとも、菅直人氏は「これ以上いると危なくなる」と後ずさりしたそうな。主義主張より民主党への寄らば大樹なのか?

8/31/2011

民主内閣は大臣を(粗製ではなく)濫造せよ

 二大政党になって、民主党は初めて政権を担うことになり二年になる。しかし、内閣の構成員となる大臣などの人材が少ない、と言われている。当たり前だ。いままで野党だったのだから、自民党からの離党組以外に大臣経験はゼロだ。だから、この際、大臣、副大臣、政務官の内閣ポストに多くの議員を経験させるべきだろう。代表選に立候補した馬淵氏のように国交相をい間でも経験して大化けしたものもいる。小泉内閣の時のように一内閣一大臣といわず、ことある毎に何回でも交代させたらよい。
 粗製ではなく濫造気味でもよいではないか。

8/30/2011

野田内閣で菅直人環境相、鳩山由紀夫沖縄担当相はどうか?

 退陣した菅直人前首相は今後どのような政治的役割を果たしていくのだろうか?本人はバイオエネルギーの普及に興味があるそうだ。環境大臣としてもとの部下・野田首相に仕えるのもよいかもしれない。上に立って失敗したので、下積みの雑巾がけからもう一度、ということだ。環境省は原子力安全庁を外局として持つことになるので、その担当相として自分が招いた混乱の後始末にもなる。
 首相経験者は議員を辞めるべきだとしていた鳩山元首相は、辞めないのなら、沖縄担当相で迷惑をかけた沖縄の面倒を見る、というのはどうか。
 民主党は世代交代した、というが、両首相経験者は60才台、まだまだいける。

8/29/2011

プルサーマルに一般人の意見は不要

 北海道電力の泊原発3号機でプルサーマル燃料を使うかどうかの公聴会で賛成意見の「やらせ」があったとして、北電はプルサーマル燃料の使用を延期すると発表した。
 この北電の判断に異議を唱えるつもりはないが、そもそも公聴会なるものには違和感を覚える。プルサーマル発電の是非のようなきわめて科学的に高度の問題に一般人の意見を求めたら、その筋の反対派市民(この人たちも誰かから指示されて反対している・・・これも一種のやらせ)の意見一色になるのは当たり前だ。科学的に理解して賛成意見を寄せる普通の市民なんて居はしない。一般人の意見を参考に判断をする、ということがそもそも間違いだ。

野田代表で民主党がまとまる、それが唯一の成果

 野田佳彦氏が民主党代表に選出された。後付で言うようだが、野田氏で民主党にとっては一番よかったのではないか。日本の政治の動きで一番の隘路は民主党内のまとまりのなさだった。それが野田代表のもとではまとまるかもしれない。自公の野党にとっても迷惑な話だった。相手がまとまらないのに政党間協議が出来るはずがない。
 野田新代表(新総理)はあと二年間解散しないと言っているから、自民党にとっては都合が悪い。でも、この間、ちゃんとした与野党協議で日本のために最適の政策を結論としてくれれば、どちらでもよい。

8/26/2011

化石燃料に頼る危うい日本が続く

 猛暑残暑の時もほぼ過ぎたようだ。東電管内の電力供給危機夏の陣もそろそろ終わりを迎える。この間、厳しさの指標である使用率(使用電力/供給電力)はおおむね80%台までですんだ。98%とかの計画停電を要請するところまでは行かなかった。
 工場、家庭、オフィスなどの節電が徹底されたからだろう。昨年のピーク6,000万kwまでとくらべるとはるかに少ない需要に留まった。しかしなんと言っても、東電の休止火力の再開などの努力により、原発が柏崎の一部号機を除きすべて止まるなか、供給電力を5,000万kw以上に復旧できたのが大きい。
 しかしこれで目出度し目出度しだろうか?休止火力の再開とガスタービン発電には石油と天然ガスの輸入の積み増しが必要だ。化石燃料輸入大国の日本が積み増しをするとなると、価格は高騰するし、その分の電力料金増が予想される(これは素直に料金転嫁してよい)。資源小国である日本が原子力発電を目指したのは、単に発電単価が安いことだけではなく、輸入資源になるべく頼らないという、安全保障政策だったはずだ。それを忘れて、この夏を乗り切ったので万歳、とはいかない。

8/24/2011

被災地の(再度)災害対策のみでよいか

 政府は災害対策のための道路網計画として日本海沿岸東北道の早期完成を目指すことにしている。これは、今回の被災地で災害復旧などに役立った三陸道を早期につなぐということと類似の動きだ。
 この動きに反対するものではないが、大津波などの大災害が近々に想定されるのは東南海~南海地震の被災予想地域である南西日本で、ここも同様に未整備の道路ネットワークの事業進捗が求められている。
 実際の被害地域にだけ注目する傾向になっているのは困ったものだ。
 被災地経済を活性化させる理由であれば構わないが。

8/23/2011

高線量の土地でも除染し警戒区域解除を

 政府は福島第一原発20km圏内でも異常に放射線量が高い地域は長期間にわたり警戒区域を解除できないと発表した。
 警戒区域を解除して住民の帰宅が出来るには、事故の原子炉からの今後の爆発などによる飛散の恐れがない(冷温停止状態になる)ことと、基準の線量以下に除染が完了することの二つの条件が満たされることが必要だ。前者の条件はやっと満たされる見通しとなったのだろう。後者の除染作業に現場の線量の大小は無関係ではないか?異常に高い線量の土地でも、除染作業の方法に違いはない。表土を除去するとか、水洗が主となるからだ。
 再度直接の飛散の恐れがある原発敷地境界すぐの土地を除いて、警戒区域はすべて除染作業を徹底して解除すべきだ。

8/22/2011

全国の原発で避難訓練を

 万一の原発事故を想定した避難などの訓練が必要でないか?今回の福島第一原発の地震津波による被災、放射性物質飛散に際して、近隣住民の避難が交通渋滞によりスムーズでなかったこと、SPEEDIによる飛散予測結果が避難に活かされなく、かえって高濃度の方向に避難した場合もあった。圧力容器内の高圧を逃して容器を守るためのベント作業がスムーズにはおこなえなかった。緊急時炉心冷却装置が十分には働かなかった。これらは日頃の訓練により改善されるものである。
 原発は住民に「絶対安全」と説明し、管理者もそのように思いこんだからではないのか?絶対安全なら避難訓練をする必要はない。
 福島第一以外の全国各原発ではすぐにでも非常時の訓練を計画し、実行に移すべきだ。万が一の事故の場合でも避難などにより人命が万全になれば、それはそれで原発運転を続ける安心をもたらすものとなろう。

8/18/2011

国債増発は日本国民の投資の対象として不可欠

 民主党の代表選での大テーマとして増税問題がある。議論としては復興財源、引き続きのデフレ対策の財源、税と社会保障議論へ裏付けとなる税の3種類の観点があるようだ。
 復興財源は巨額にならざるを得ないので、そのための国債を発行して、中期的には償還のための増税を検討しなければならない。これについては論点が共通となっている。
 年々社会保障のための費用が当然増となるので、保障のレベルを下げるのでなければ、中長期的には消費税を中心とした増税が必要だ。これを国債に頼るのは、赤字国債の代表例みたいなもので、長期的には許されない。復興財源の話と同時期となったので、誤解を生みやすい。
 問題はデフレ対策のための財源のほうだ。増税してまかなえば、デフレ対策の総需要の公的確保の一方で同額、民間からの需要減退となってしまう。アクセル(デフレ対策)とブレーキ(増税)を同時に踏むことになる。国債を発行して、景気がよくなれば、国債残高を減らすべく、時間差で償還していくだけだ。
 国債残高が一千兆円を窺うところまでになれば、円の信認に悪影響を及ぼし、ひいては、国民からあるいは諸外国から日本経済の信用度が低下する結果、暴落(利率の上昇)の恐れがあるので、採用できないとの意見がある。欧州などと比べ、いまは低率の間接税に増税余地があるのだから、国債発行よりも、増税のほうを考えるべきだと。以上の二つの論点でデフレ対策財源の議論は結論のでない相談をするような堂々巡りの状況になっている。
 文痴は違うと思う。GDPの倍近くになる国債残高がそのことだけを持って発行しすぎと考えるべきではない。現在の国債市況で十分価値を保っている(利率を上げる必要がない)ことを考慮すべきだ。また、銀行なども投資対象が見つからないデフレ状況なのだから、国民から預かった資金を国債購入に充てることは、その1,200兆円といわれる投資対象としても国債は必要なのだ。

8/11/2011

いっそ呼称は太平洋に、日本列島は不沈空母だ

 文痴は2009.11.11に西海(黄海)がよくて東海(日本海)はなぜダメで、韓国のマスコミも、既に使用している西海(黄海)の呼称と同様、東海(日本海)の呼称までは認めるべきだ、と主張した。対中国と対日本とではなぜ違うのかと。ところが、その文痴の主張と同じ呼称を韓国は最近言っているらしい。ただし、国際的な呼称として「併記」する案を。その案が米英などにより、「日本海」の単一呼称にすべきだ、と拒否されている。
 理由の一つに韓国は公海の名称に個別の国名を採用すべきでないとしている。そうするとEast(South) China Sea(東・南シナ海)もメキシコ湾もダメなのだろうか?いっそ、太平洋にしたらどうか?ロシアのウラジオストック艦隊は太平洋艦隊と言うそうだ。その太平洋には不沈空母の日本列島が浮かんでいるという構図だ。だから、その向こうも手前も太平洋だ、というわけ。
 以上はギャグですよ。海域呼称などの地名はその具体性個別性がないと不便ですから。

8/10/2011

猛暑のいま節電の工夫を

 今週から夏本番となった。先週までは冷夏かと逆の心配をしたものだ。いままで、東電の節電要請に従ってきたが、猛暑ではなかったので、いわば節電の練習みたいなもので、実際の電力需給がタイトでなかったので、それに役立っていたわけではない。今週来週の本番に節電できなければ、なんのための練習だったかわからない。長い節電生活に飽きがきている頃だが、いまこそ真剣勝負の時だ。
 冷房は十分利かせて生活してもよい。いまこそ熱中症などに冷房は必要だ。ただし、家族全員が一部屋に集まり、その部屋だけ冷房をする、とかの工夫は必要だ。夜は熟睡のために十分使っても電力需給には無関係だ。

8/09/2011

旧宗主国の苦しみ(ロンドン暴動)

 ロンドンで警察官による黒人タクシー運転手射殺に端を発した暴動が収まらない。
 フランスでの移民による暴動も記憶に新しい。たぶん、両国共に旧植民地からの移民の宗教の違いなど文化的摩擦が深因なのではないか?文化的に統一感がないと国としての成り立ちが危うくなる。移民政策についてはよほど慎重に考えないと危ない。1,000万人移民受け入れなど慎重に考えるべきことだ。ましてや、鳩山前首相の発言「日本列島は日本人だけのものではない」は論外だ。

8/05/2011

メガソーラーは東電と同じく商売のモラルを失う

 再生可能エネルギー促進法が国会で可決されようとしている。固定価格である程度の年限、全量買い取るものだ。いままでの家庭用の太陽光発電の余剰を買い取るものとは違い、メガソーラー発電所で全量売電するのも可能となる。孫正義氏のソフトバンクとか国際航業HDなどが名乗りを上げている。
 よく考えてみると、固定価格である年限全量買い取る、というのは民間企業ではあり得ない商売だ。ある商品を販路にのせれば、価格と販売量は保障されている、というのはない。
 価格と年限は政令で決めることになっているが、このなかに自然エネルギー発電のときどきの市場価格を加味できるように、年限は短く、価格はそのときの市場価格に連動するようにしなければ、保障を受ける結果、民間企業としてのモラルも失ってしまうであろう。
 収益を保障されるのでは、いまの地域独占電力会社と同じだ。

8/03/2011

国際法がわからない中韓両国

 日本の三国会議員が韓国鬱陵島にある独島(竹島)博物館の見学に行きたいとして、ソウルの金浦空港に着いたままで入国拒否を通告された。理由は一部の韓国民の抗議で、安全を確保できない、とするものだ。
 光州事件などで自国民を大量に迫害した実力ある韓国警察あるいは軍隊だ。外国要人の警護などたやすいことだ。たぶん、自国の痛いところをあからさまにしなければならないことが嫌なだけだ。「痛いところ」とは、独島領有のPR施設の見学の自国に有利になることまで不合理に反対する頑なな一部の勢力がいること、などであろう。外国人の国内旅行の自由への外交の相互主義原則にあきらかに反するので世界の笑いものになるだけだ。
 中国も日本の瀋陽総領事館に立ち入って北朝鮮難民を捕まえるなど、領事関係のウィーン条約に明白に違反した。国際法がわからない東アジア各国だ。

8/01/2011

低線量では差異がない(日本とイタリア)

 昨夜の8chのMrサンデーでまたホットスポット特集をやっていた。文痴は以前にも同番組の6/7の同様特集について紹介した。100mSv以下は全て根拠無し
 昨夜のものは海外との比較だ。イタリアはローマ時代から花崗岩材で道路の舗装がなされている。花崗岩は自然に放射線を出す物質で、そのおかげで、ローマ市内でもバックグラウンドの線量は高い。日本での同量は0.19マイクロシーベルト/時と言われているが、その二倍はある。そのローマの普通の家庭を訪問してインタビューしたところ、家族のみんなが問題中の日本より高いということに最初は驚いたが、やがて、日本の皆様も心配することはない、と請け合った。
 何しろ生活実感から大丈夫ということがわかっているし、花崗岩による舗装はローマ帝国時代からのもので、2,000年の歴史が安全性を証明しているのだ。疫学的にイタリア人にガン発症率が高いというデータはない。

7/31/2011

電力会社の株式会社化は国の隠れ借金

 東電など地域独占の10電力会社は株式会社となって、株を公開している純粋の民間会社だ。しかし、独占企業で、電気料金は原価に利益を上乗せして国から認可されるので、経営努力によって利潤を積み上げる(場合によっては損失を被る)民間会社の本質とは全く違うものになっている。
 政府が株主の特殊会社と運営方法に違いはない。一方、国鉄はJRとなって六つの会社に分割民営化された。そのうち三つは政府株を放出、完全民営化されている。地域分割されたことが本質ではなく、もともと国鉄は同じ鉄道の民鉄との競合があり、また、飛行機、高速バスなどとも競争関係にある。そもそも独占企業でないから出来たことではないか?
 電力は二次エネルギーのうち都市ガスあるいは自家発電とは競合関係にあるが、圧倒的に独占分野になっている。
 このようなインチキ民営の株式会社擬装はやめて欲しい。実質、特殊会社と違いないなら、そのように戻すべきだし、株主の国に配当をするなど不要なので、株式会社にすることなく、(かつて評判の悪かった)公社でもよいのではないか?原子力発電所だけを国営にするという話もある。
 株式会社化して、資本金、社債という形で民間資金を集めたかったのだろう。それらは本当は公的債務のはずなのだが。

7/27/2011

世界のために原子力技術の保持を

 日本が脱原発(依存)再生可能エネルギーへの転換を目指し、計画的に原発から撤退すると言っても、過渡的には主として天然ガスなどの従来からの化石燃料に頼らざるを得ない。新興国の中国インドなどで同じことをされたら、化石燃料はいくらあっても足りず、その前に価格高騰が予想される。
 だから、世界的には原子力発電はこの先さらに必要になるのである。そのとき、日本の原子力技術はどのような役割を果たすのだろうか?高速鉄道事故に見られるように中国などの独自の技術では原発事故は必至なのではないか?テロの危険もある。
 日本はその時代の高度の原子力技術の担い手とならなければならない。幸いにも東芝、日立、三菱は世界的に高い技術力でもって商戦を勝ち抜いている。ベトナムそしてトルコなどでこれから。
 国内でも原発を新設するかは議論があるが、既存の原発を安全な期間だけ運営していかなければならない。その後の廃炉期間もある。その技術を保持する上でも、海外の仕事に積極的に対応することは必要だ。

7/26/2011

日本以外は事故復旧を急ぐ(中国、スイス)

 中国の温州付近の高速鉄道追突脱線死亡事故のわずか1.5日後には事故原因調査も終わらずに現場付近を復旧開通させた、と非難の声が中国国内からも上がっているという。
 似たような事例として、昨年7月のスイス氷河特急脱線事故(日本人一人死亡)があり、これもわずか二日後には開通している。夏のシーズンだから一刻も早く再運行させたかったのだろう。事故原因もカーブ区間でのスピード超過であることは明らかだった。
 日本の例えばJR西日本福知山線の2005年の事故の場合は約8週後に開通している。その期間は事故原因調査に十分だったとしても、必要だったかどうか、たぶん遺族の感情から短縮出来なかったのだろう。その意味では、日本の例が世界に突出しているのではないだろうか?
 それにしても中国の場合、今のところの情報では、事故原因調査をする意志があるのか疑問だ。

7/25/2011

民主党は自らの代表も選べない政党

 菅首相を辞めさせることが出来るのは、議院内閣制だから、多数与党民主党の議員ということになる。それにはまずは、民主党代表を罷免することだ。そのあと、衆議院内での多数で首相を辞めさせる(総辞職)ことになる。あるいは、そのとき解散で対抗するかは、首相・菅直人の判断だ。
 昨年、鳩山前首相・代表が自ら辞任したあとの新代表・新首相に菅直人氏を選出したのは民主党議員だ。だから、今回辞めさせるのも民主党党内の仕事だ。菅直人氏のあとにだれがまずは新代表になるのか、立候補ないしはその意向表明が誰からも出ない(小沢鋭仁前環境相のみ)のはおかしいのではないか?辞めさせるのであれば、替わりになる人が複数出て、つじつまが合う。
 それをいまになって、菅直人氏の政治姿勢を云々して首相不適任だとするのは、民主党議員の多数の「首相を選ぶ眼力のなさ」を恥ずべきだ。
 野党自公は一度不信任案を否決されたのだから、もう二度とすることはないのではないか?健全野党として、参院の多数を頼みとして、法案修正に努めるべきだ。

7/24/2011

新幹線はシステムで走る(中国高鉄の事故)

 文痴は新幹線模倣車両だけで新幹線ができた(中国) で中国高速鉄道の謎を提起した。新幹線はシステムでないと運行できない、との日本のJRの主張に疑問を呈したのだ。
 しかし、今回の温州付近の中国高鉄同士の追突事故はシステムの不都合によるものだった。当局は落雷によりシステムに不都合が生じた、と発表しているが、そのような自然現象にもシステムが万全でなければ、高速鉄道の運行はできない。
 自動車はなぜ速く走れるか。その理由は優れたブレーキが備わっているからだ。いざというときに安全に止まることができれば、速く走るのはそんなに難しいことではない。日本などの車両を模倣すればそれはできる。安全に止まるには、信号などの運行システムが必要だ。それは中国独自の技術でつぎはぎをしたものだったという。だから、台湾みたいにすべてをJR東海に任せる、というのが賢明だったのではないか?(ハード部分では欧州連合の技術も部分的に入っているが)

7/15/2011

ベトナムに輸出できるのだったら日本でも(最新原発)

 ベトナムへは厳しい国際商戦の結果、日本の企業連合が原発の建設を受注した。民主党政権の後押しがあったからこそだが、福島の事故後も、ベトナムでの受注は問題ないという。
 ベトナムの国内で安全な同じものがなぜ日本では危険となるのか?ベトナムの国民(だけ)が日本の原発の安全性に信頼を置いているからか?日本も国民が明日直ちに信頼すると言えば、同じことになるのか?
 どうも、技術的に検証を加えた結果で日本での脱原発政策を進めている、とは思えない。

ちゃぶ台返し民主政権(玄海原発と辺野古移転)

 玄海原発の再稼働問題と沖縄の辺野古への基地移転問題とは、同じ民主党的体質があらわれた失敗結果だ。
 九電がやらせ質問をさせ、海江田経産相の安全宣言に玄海町長と佐賀県知事が住民代表として同意する積み木細工のような「セレモニー」の最中に「ちゃぶ台返し」的に菅首相はすべてをダメにした。
 自民党時代に沖縄県知事と名護市長とのあいだで、普天間基地の辺野古への移設を、他のグアム移転とか他府県へ訓練移転をするとかの負担軽減策を積み上げた、これも繊細な積み木細工を、ときの鳩山首相は「最低でも県外」との安易な正論を叫び、ダメにした。
 政治的困難な妥協策をだましだまし実施しなければ、ものごとは進まない。このような政治力が民主党政権には決定的に欠けている。

7/14/2011

玄海原発地元両首長に安全性確認は不可能

 九電の玄海原発定期検査後の再稼働になぜ地元町長と知事の同意が必要なのか?原発の監督は経産省で安全確認も(いまは)同省原子力安全・保安院の所掌だ。安全性を確認する技術的情報もそれら国の機関にしかない。地方公共団体はそれらの説明を受けることは必要だが、安全性を確認する能力はない。
 所詮は住民の代表たる両首長に「確認」してもらって、住民の納得を得た、というセレモニーにしかすぎない。ストレステストをやれば住民の納得を得られやすくなるか、というとそんなことはない。あくまでも、国民の代表として国の機関とそのトップの政治家が技術的判断を任されている、という自覚が必要だ。住民の代表たる首長を安全性確認の代表証明者として扱い、それへの説明で確認を得られる、という方式はいい加減にやめたらどうか?

自然エネルギー発電は地産地消に不適

 エネルギーの地産地消ということが叫ばれている。農産物を中央の市場に出さずに産地でできるだけ消費しようという地産地消に類似しての考えらしい。
 とくに自然エネルギーによる発電は太陽光、風力など地方部におけるものが中心となる。その電気を大送電線網で大消費地に送るのではなく、その地域で消費できれば、送電線の建設も送電ロスも少なくて済む。送電ロスというのは馬鹿にならない。ロスがないように大電圧に変電し、消費地でまた変電し直すという手間をかけている。だから、送配電を不要にする、都市内各家庭へコージェネレーション(熱電併給)システムを活用した燃料電池などを設置するという究極の地産地消に合理性が生まれている。
 ただ、自然エネルギーはお天気任せのところがある。それを地産地消でなく全国展開で運用すれば、ある地域は曇りでもほかには晴れたところがあるだろうし、風も強弱が点在するので、平均化できる。だから、自然エネルギーだからこそ全国的に供給調整するための送電線網は必要なのだろう。
 運べないエネルギーの熱とかは地産地消にしかならない。ゴミ焼却場にはすぐ脇に温水プールがあるように。

7/12/2011

全頭検査シンドローム(放射能牛)

 日本という国は一旦怪しいとなると徹底的に検査しないと治まらない。
 古くはBSEの疑いのある米国産牛肉の全頭検査だ。抽出検査でもある程度のことはわかるのだが、全数検査で時間も費用もかけ放題で、米国からは科学的でないと指摘を受ける始末。
 今回は、放射性セシウムがエサ経由で牛肉から検出された。これは生牛では検出できず、食肉全部を検査するのは莫大な手間がかかると、厚生労働省は頭をかかえる。いずれも、絶対食べてはならないという、急性毒ではない。累積摂取量が問題となるので、他の野菜、魚類と同じく抽出調査で十分だ。共通する「牛肉」というのが国民的神経を逆なでするのだろうか?ユッケの大腸菌で死亡した例もあった。これは急性のものだ。

7/10/2011

絶対の安全性(安全神話)を求め続ける一部国民

 原発は絶対安全だ(安全ということで作られて運転されている)、ということではないことが今回の事故でわかった。電力会社(経産省原子力安全・保安院)は原発立地に際して地元に「少しの危険性はある」との真実は説明しづらかったのだろう。説明を誤魔化しているうちに安全神話ができてしまったのが真相だと思う。
 だから、菅首相のストレステストを行ってみても絶対安全にはならない。福島第一原発の事故が起きたからと言って、他の原発の安全性(危険性)の程度が変わったわけではない。変わらぬ危険性について細かくわかったと言うだけだ。安全性を少しでも増すことは常に必要だ。福島の事故の教訓はそれに活かされ、とりあえず完了した緊急改善策で少しは安全性を増したのだから、運転は再開してよいのではないか?従前よりは事態はよくなっているのだから。
 原発の各リスク(電源として機能しないリスクも含め)を評価しながら行動しないと、全体としてのリスクはかえって増してしまうことが、一般国民の一部にはわからない。原発の安全性も絶対ではなく、相対リスクの一つだ。

7/09/2011

菅直人人民戦線内閣で反原発へ

 人民戦線内閣というものがあった。政治的に少数の勢力はとりあえずは考えの近い多数派の連合政権に加わる。自己の政治主張はとりあえずは隠しておき、多数の人民が加わる政権(人民戦線内閣)内部で力を蓄えた後、革命的に政権を奪取するというわけだ。
 菅直人と言う政治家は「反原発」の考えなのではないか?その考えの勢力はとりあえずは少数派だから、「脱原発」の民主党の中に隠れる。いま、首相の座を獲得したので、その本性をあらわし、「反原発」の施策である、全原発停止に向け、ものごとを進めているのだ。菅内閣はどんなに支持率が低くなっても、20%程度で底止まりだ。その支持者が「反原発」勢力の基本数だ。原発即運転停止で、日本経済を破壊してもかまわない(破壊するのが目的)としている勢力だ。

7/08/2011

産業用では節電は即、生産量減

 節電をすれば原発に頼らなくてよい、というが、節電の余地があるのは家庭用とオフィス用だけだ。残る産業用は節電は既にギリギリ実施している。生産性を上げるために原価をギリギリ削減しないと世界での競争に勝てない。電気使用量はその原価の主要部分だから、すでに削減の対象となり、ギリギリの使用量になっている。これ以上削減するのであれば、比例して生産量の削減に繋がるであろう。

7/07/2011

最後は一人、菅首相

 組織の仕事というのは、上司が部下に指示を出しある仕事をさせ、その結果、対外的にある約束が結ばれたら、上司は部下と一体となってその約束に拘束される。そうでなければ組織対組織の関係が成り立たない。指示を出しながら部下の仕事を途中で否定する、いわゆるはしごを外すことをすれば、その上司の下で仕事をする部下は皆無となるであろう。
 菅首相の部下である海江田経産相の場合がそうだ。菅首相はそのようにして部下を次々と失って、最後はひとりぽっちとなるのではないか?

7/06/2011

いつも節電節水では困る

 節電の夏、電力需要のピーク時に節電が必要となっている。平日ピークの昼~夕方に節電をすればよいのであって、その他の時間帯はある程度は自由に使ってよい。それを毎日毎時節約されたら、東電の収入が減ってしまい、ピーク時に備えた発電能力増強投資もできなくなってしまうかもしれない。
 似たようなことで、節水がある。日頃から節水をされると、水道局の収入が減ってしまう。降雨が少なくなる渇水時に備え、ダムなどの貯留施設を建設しなければならないが、その投資資金にも欠乏してしまうことになる。ダムを造ったとしても渇水はある程度は起こる。そのときこそ節水してもらわなければならない。
 貯めることが出来ない電気、貯める限度がある水、それらのピーク需要を抑えるという意味での節電節水を理解しない人がいる。

7/03/2011

原発は温排水を熱希釈しないで低温度差発電で効率倍増を

 原発の発電効率は30%程度と低い。天然ガスを燃料とするコンバインドサイクル発電は全体で60%にまでに迫る。まずは燃焼ガスでタービンをまわし、その排熱で水蒸気を作り、さらに発電することにより、全体効率を高くすることができる。
 原発はその温排水が排出先の海域の生態系に影響を与えるという。海水温より8℃も高い大量の温排水が出るからだ。
 海洋温度差発電は実用化されているが、10℃くらいの深層水と熱帯の海では40℃にもなる表層水との温度差30℃を利用する。原発排水では温度差が8℃ではあるが、海域に影響を与えないように大量の海水を取り入れ、「熱を希釈して」いると聞く。このもともとの高温排水を利用できれば原発の熱効率は倍増するであろう。小水力発電と同じく、今まで捨てていたエネルギーを科学の力で取り出すのである。
 原発一機あたり倍の電力を生み出すことができれば、必要な機数は半分で済むことになる。いままで、この効率化に取り組んでこなかったのは、原発新設の足かせになると内心思っていたのではないか?

老朽原発を廃止し新設原発を

 事故の起きた東電福島第一原発は日本で原発が開始されたときに設置され30年以上稼働してきたものだ。長い間使ったから必ずしも危険というわけではないが、既存不適格ということもある。現在の安全基準でチェックした場合、最善の内容にはなっていない、ということもあるだろう。
 国営で原子力発電技術の更なる開発と運営をやるべきだ。人工衛星を打ち上げる技術はJAXA(独法・宇宙航空開発研究機構)で世界に日本の技術を誇れるようになった。公的機関だからダメだということにはならない。原子力技術についても原発は商業運転化していると言っても、今回の教訓からも更に安全化の技術開発が必要だ。高速増殖炉の研究は世界の他国が断念したが、日本でできないことはないだろう。
 原発は新設であれば、現在の最新知見で建設することができる。津波の教訓から、最初からもっと高台に設置することもできる。現行のBWR(沸騰水型)に替わってPWR(加圧水型)の炉を採用すれば放射性物質の漏洩の危険は少ないという。さらには、岩盤をくりぬいた地下に原発全体を収容することもできる。新設原発の建設はとうてい無理だ、という世論になっているが、老朽化原発に比べればより安全だ。老朽原発を廃炉にして、新設原発に置き換える、ということになぜならないのか?

7/02/2011

目の前のことしかみない菅内閣(原発代替電源の問題点)

 東電(東北電力も)管内では7月から大口需要者に対し電力制限令の適用がされることになった。あわせて以前から続けられている15%の自主節電の効果も続き、この夏の計画停電は避けることができるのではないか?
 ただ問題なのはこの夏を乗り切ったとしても残る原発代替電源のことだ。主として天然ガスのガスタービン発電に頼ることになるが、運転燃料費を比べれば、原発より高価になる。燃料確保のための電力料金値上げは当然視されるが、それを嫌って海外に逃避する工場なども続出するものと思われる。ただでさえ中国等に人件費の安さで海外展開を考えていたのを、後押しすることになるだろう。被災地の県民を救済する根本策は「職の確保」だ。そのためには景気対策を第一に国内で求人をする企業を更に増やしていくことが必要なのに、逆に減ってしまうことになる。
 全体をみて、被災者の救済のために何が必要か、を考える能力が菅内閣にはないものといわざるを得ない。

6/29/2011

絶対安全なら、被曝許容量は不要(という虚構に安住)

 原子力の平和利用として原子力発電が世界中に普及するようになって半世紀近くが過ぎた。自然災害あるいはテロなどの人為災害などによって原発事故の可能性はゼロでないはずだ。それなのに、事故時に予測される放射性物質の漏洩による人体への影響が十分検討されてこなかったのは不思議だ。
 いま、100ミリシーベルト/年以下の被曝量での人体への影響について様々な知見はあるが、ICRP(国際放射線防護委員会)で統一された見解は出てないという。だから「(わからないので、とくに子どもは)出来るだけ被曝は少なく」という非科学的な言い方しかできない。
 事故は「絶対におきない」と住民などに説明してきたウソに自身も慣れ、そのままになってきたのではないか?「絶対安全」なら被爆許容量というものは不必要だ。

6/27/2011

県知事は原発運転中のものも止めたらよい

 各地の原発で定期点検後の地元首長(とくに知事)による運転再開許可がでないことに、電力供給の観点から危惧されている。
 もし、その理由となっている原発安全基準に疑問があるなら、再開時だけでなく、すべての県内原発の(運転中のものも含め)停止要請をするのが当然だろう。菅首相が浜岡原発の運転中の号機も含め停止要請をしたように。
 いまのままでは単なる嫌がらせとしかとらえられない。

100mSv以下は全て根拠無し

 昨夜の8ch、Mr.サンデーで首都圏ホットスポット特集をやっていた。文科省所管の各都県定点観測値に比べ異常に放射線量が高い場所(ホットスポット)探しだ。その際、高いかどうかの値として1ミリシーベルト/年の1時間換算値0.19マイクロシーベルトを目安としていたが、最後に、「それにしてもこの1ミリでいいのですかね。100ミリ以下はどの値でも根拠となるものがないのです(小佐古先生が涙の抗議をした意味がわからない)」とのコメントがこの特集の(ミーハー的になった)言い訳のように付けられた。
 100ミリシーベルト/年で、0.5%の人にガン発症可能性がでてくる、というのが唯一の根拠となっているようだ。

6/26/2011

防護服で死ぬリスクのほうが大きい

 読売新聞6/26によると「政府の原子力災害現地対策本部は24日夜、東京電力福島第一原発から半径20キロ圏の警戒区域内に一時帰宅する際、防護服の着用は不要とすると発表した。暑さ対策が理由で、長袖・長ズボン着用を条件にする。頭にかぶるキャップ、マスク、手袋、靴を覆うカバーは従来通り着用してもらう。希望者には防護服を用意する。同本部の広報担当は「これまでの一時帰宅で基準値を超える汚染はなく、原子力安全委員会などの専門家も問題ないと判断した」としている。同本部によると、24日までに約7000人が一時帰宅を終えたが、約50人が体調不良を訴え、その約半数が熱中症だったとみられる。同日には楢葉町の60歳代男性が熱中症で救急車で病院に搬送された。これまでも防護服をつなぎ型から上下別々のものに変更したり、防護服の下は半袖・半ズボンを認めたりするなどの対策を取ってきているが、今後さらに暑さが厳しさを増すことから、対応を変更することにした」
 文痴は5/19に防護服で一時帰宅はおおげさで有害と書いた。このように容易に想定できることを暑い夏が来てやっとわかるとは対策本部はどのような頭脳になっているのだろうか?

6/24/2011

復旧時下限が通常時の1mSv/yと同じ怪

 ICRP (国際放射線防護委員会)の定める年間許容被曝量の「範囲」に疑問がある。
 緊急時は100~20ミリシーベルト/年(mSv/y、以下略)、緊急事故後の復旧時が20~1、通常時が1と、それぞれ範囲が連続しかつ低下している。現在は復旧時なので、20と1との間で日本国は基準を選択できるようになっている。とは言え、市民の圧力で事実上1ミリシーベルトを「目指す」と言わざるを得ないようになっている。しかし、1は通常時の許容量と同じなので、究極の目標である通常時の値を復旧時にも採用せざるを得ない、というおかしなことになっている。原発事故後の対策は出来るところから努力しその結果、段階的に許容被曝量の目標を低線量に変更していく、というより変更できる、というのが趣旨だろう。そのため、「緊急時」「緊急事故後の復旧時」「通常時」と三段階に分かれているものと思われる。

6/22/2011

揚水発電所は自然エネ発電用の巨大な蓄電池

 揚水発電所は原発の付属施設でもある。原発は日夜一定の発電量をつづけ、ピークの昼間とオフの夜中の電力量の調整が出来ない。原発のシェアが低かった時代はダム水力発電などピークに対応できる発電源で調整してきたが、シェアが増えると調整に剰るようになる。そこで、大々的に夜間充電(余剰電力で揚水)昼間発電が出来る揚水発電所が数多く建設されるようになった。
 原発のシェアは今すぐは別として中長期的には落ちていくに違いない。そのとき原発付属施設としての揚水発電所は無用となるかというと、そうではないだろう。再生可能エネルギーのうち自然エネ発電、太陽光とか風力はお天気任せだ(地熱発電は別)。全国的に発電サイトが広がれば少しは発電量の時間(季節)変動は少なくなるものの、それでも、需要量にきめ細かく対応できる「質の高い」電源とはならない。そこで、揚水発電所を付属の巨大蓄電池とするのだ。最新のリチウムイオン電池に比べ効率(発電量/揚水電力量)は70%程度と低いが、多分スケールメリットにより単位あたり建設費は安く、既存のものが利用できるメリットもある。

6/21/2011

蓮舫女史も実は「世界一」の理解者

 理化学研究所のスーパーコンピューター「京」が世界一の処理速度と認定された。その世界一を一昨年の11/13の事業仕分けで蓮舫議員(評価者)は「世 界 一 に な る 理 由 は 何 が あ る ん で し ょ う か 。 2 位 じ ゃ だ め な ん でし ょ う か 。」と「質問」したのが、「仕分け断罪」にとられ、流行語にもなった。今回、彼女は世界一を共に喜ぶ姿勢は見せ、この「質問」には前後があって、少々誤解されていると主張した。ちなみに当時の議事録から最後(前後ではなく後)に近い部分を拾うと、

以下、転載
○ 説 明 者(( 独 )理 化 学 研 究 所 ) サ イ エ ン ス の 世 界 、テ ク ノ ロ ジ ー も そ う で す け れ ど も 、健 全 な 競 争 と い う の は 非 常 に 重 要 な ん で す 。 で す か ら 世 界 一 を 目 指 す と い う こ と は 、 非 常に 重 要 で す 。
○ 蓮 舫 参 議 院 議 員 よ く わ か る ん で す が 、 わ か ら な い と こ ろ が あ る の で 教 え て い た だ き たい 。 世 界 一 を 目 指 す と い う 崇 高 な 目 的 は わ か る ん で す け れ ど も 、 科 学 の 場 合 は 、 先 ほ ど 金田 先 生 が お っ し ゃ っ た よ う に 、 目 指 し て い る 間 に 想 定 外 の 発 明 が 出 て き た り 、 想 定 外 の もし か し た ら こ の 分 野 で 日 本 は 勝 て る か も し れ な い と い う も の が 出 て く る け れ ど 、 1 位 を 目指 す が 余 り に 、 こ ち ら に 目 が 向 か な い と い う こ と も あ る と 思 う ん で す 。 そ れ は ど う な ん でし ょ う か 。
○ 説 明 者 ( ( 独 ) 理 化 学 研 究 所 ) 1 位 を 目 指 す 中 で 勿 論 サ イ エ ン テ ィ ス ト は 、 そ の マ シン を 使 っ て 、 そ れ ぞ れ の 分 野 で 世 界 最 高 の 成 果 を 出 そ う と 努 力 す る わ け で す 。 そ の 中 で いろ ん な 芽 が あ り ま す か ら 、 本 当 に ブ レ ー ク ス ル ー が 出 て く る 。 こ れ が サ イ エ ン ス の 世 界 です 。 決 し て 連 続 的 に サ イ エ ン ス と い う の は 。
以上、転載終わり
 蓮舫女史は事業仕分けという名の「授業」を受けた結果、仕分けの途中で疑問を感じ質問した「世界一」の目的は理解して終わったようだ。しかし、最後の部分で評価者の結論が「半額以上の縮減」になっているのは、本心は違うな、ということを感じさせる。

6/20/2011

ばらまき症候群(高速無料化を次から次に)

 休日1,000円上限の高速道路料金制が6/19の日曜に終了した。麻生内閣時にリーマンショック後の景気対策として、2年間の時限的に始められたもので、一種の社会実験だったのではないか?実験としては、渋滞を引き起こすなど、継続を否とするものだったはずだ。
 だったら、単純にそう宣言して終了すればよい。それを「ばらまき症候群」とでも名付ければよいのか、替わりとなるばらまき策の東北地方の一部車両無料化を間髪入れずに導入した。一つのバラマキをやめたらもう一つ、と「麻薬」中毒のようだ。
 東北地方無料化はスタートから有人料金所渋滞を引き起こすなどさんざんだ。ETC活用による道路公団改革にも反する。

「絶対安全」はない、橋下知事の正論

 大阪府の橋下知事は「海江田大臣はじめ、経産省の皆さんが原発の周囲に住めば良いじゃないですか、それだけ安全だ、安全だというなら。無責任ですよ」、「基準を作って安全だとごまかすのではなく、電力が足りないからリスクを負ってほしいと正面から説明すべきだ」と国の姿勢を批判している。
 少しわかりづらい図式だが、基準を作って、それをクリアすれば「絶対」安全、ということにはならない。それを言っているのであろう。「相対的」に安全になったけれど、少しのリスクは残る。それは電力が足りないから、そのリスクも勘案して甘受してほしい。それでも「絶対安全」というなら、大臣自ら原発周辺に居住すればよい、ということだろう。
 絶対安全神話をまたも振りかざすのはやめにしてほしい。福島第一原発事故後は国民皆、絶対の安全はないことを理解しているはずだ。

6/19/2011

浜岡停止の後始末が最後の仕事

 菅直人首相には退任の花道が必要なようだ。それだったら、浜岡原発運転停止要請後の影響で、全国他の原発で定期点検後運転再開ができなくなっているものを、地元を回って再開に理解を求める仕事なら、立派な花道になるし、なんといっても後始末だ。立つ鳥跡を濁さずというではないか。
 そもそも浜岡原発の停止を要請するには、浜岡原発がどの程度危険で、(比較して)他の原発がどの程度安全か、を説明してから要請するのが筋だろう。

6/16/2011

あと2年間民主党政権で我慢する

 民主党政権は誰が首班となっても衆院任期一杯まで解散しないだろう。解散総選挙は与党に有利な政治状況を作った上で断行するものだ。この先与党は有利になるどころか、右肩下がりに人気は悪化するだけだ。菅直人「解散カード」は民主党党内政局に利用されただけだ。
 そこで、菅直人氏に替わる首相を選任すれば良くなるということで進んでいるが、誰がなっても、ほとんど変わらないだろう。政治主導にこだわる政治をすれば、少なくとも震災復旧・復興にめざましい成果が得られることはない。政治家が出てくるべきだったのは震後一週間だけだったのではないか。いまは、官僚機構に任せるだけで物事は進む。遅々としていても、前には進んでいるのだから、それでよしとしなければならない。
 合計四年間の政治空白(後退)を生んだのは民主党を選んだ国民の責任だ。その責任はとってもらわねばならない。

6/15/2011

放射線過敏列島、11μSvまで大丈夫

 人間が一年間に浴びて大丈夫な放射線量は100ミリSvまでと科学的には言われている(放射線作業者ではその2.5倍の250mSvまで許されている)。これはマイクロシーベルトにすると10万μSvとなる。一年間は365日*24時間=8,760時間だから、一時間あたりは100,000/8,760=11μSvの値となる。(福島市や郡山市でもその1/10程度)
 人がこのような放射線強度の高い場所、たとえば土の上で24時間毎日過ごして、100mSvの制限値にやっと達するのである。土の上に直にいるのはホームレスだけだ。
 下水の処理後に分離される汚泥のなかの放射性物質濃度が極端に高くなって、その処分に困っているという。逆に言えば、市街地の放射性物質が降雨などにより下水管に流入して、処理によって濃縮されるからこうなるのであって、市街地は徐々にではあるが放射性物質がなくなって来つつあるのだ。これを除染(放射性物質を除却)というのではないか、自然作用とは言え。
 心配することはない。放射能になぜか過敏な日本人を嘆く。

6/14/2011

原発放棄で二酸化炭素の削減は無理となった

 鳩山前首相が一昨年九月の国連総会で地球温暖化ガスの二酸化炭素を2020年に1990年比で25%削減することを世界に公言した。日本人のほとんどはそのことをもう忘れているに違いない。
 二酸化炭素の削減に実質的に効果があるのは化石燃料発電を原発に転換することだ。未だ有効なエネルギー基本計画では2030年までに原子力発電のシェアを現在の30%から50%に高めるとしている。菅直人首相が今年のフランスのサミットで宣言した再生可能エネルギーによる発電を2020年代までに少なくとも20%を確保したとしても、原発のシェア増(50-30=20)を代替するまでが最大限で、25%の削減はゼロとなってしまう。化石燃料による発電は長く残ることになるのである。
 結果は、化石燃料の価格高騰と米国などのバイオエタノール燃料の増産による食料価格高騰と低開発国の食糧難、あるいは、二酸化炭素の地中貯蔵を図るとすれば莫大な費用がかかることになる。天然ガスも割合は少ないながら二酸化炭素は排出する、また、今後の技術開発が待たれる深海のメタンハイドレート、あるいはオイルシェールもすべて化石燃料であることは間違いない。
 人為的地球温暖化を防止するための二酸化炭素排出削減は原子力発電の放棄とともに未達の目標となるのであろう。

6/13/2011

放射能でも停電でも死ぬのは同じ

 日曜の夜、8チャンネルのMrサンデー「首都圏大停電危機再現」特集を見た。シミュレーション劇風になっており、盛夏の猛暑のなか、死者が多数出ることを予想されるものだった。
 3.11後の計画停電に際しても信号停電のため、交通事故で亡くなった例があったそうだ。東電福島第一原発の事故に教訓を得て、事故を絶対に起こさないために、原発を次々と止める結果、ブラックアウト(不時大停電)になったら、少なからず犠牲者が出る。原発事故の放射能で死ななくても、停電で死ぬ、という皮肉な結果となる。原発も停電と同じリスクの一つに違いない。放射能だけは絶対に安全にしたい、というのはリスク管理の方法としては片手落ちだ。
 節電すればよい、というが、真夏に冷房が不可欠な老人などもいることを忘れないことだ。

6/09/2011

ベビーカーでは放射線の危険

 最近のお母さんは赤ちゃんを抱いたりおぶったりしないで、ベビーカーに乗せる。放射性物質は地面に堆積し、そこから放射線を放出する。その強度は距離の二乗に反比例するから、背の高い大人ほど安全で、子どもには危険だ。このベビーカーに乗った赤ちゃんには最悪の位置にいることになる。
 ほかにもベビーカーがよくないのは、地面からの熱の跳ね返りをまともに受け、ほこりも低い位置は多い。赤ちゃんを大切に思うなら、昔ながらの方法で、大人の顔の位置で保護すべきだ。

6/08/2011

海岸立地原発でよかったこともあるその2

 福島第一原発は津波襲来前に地震動で原子炉容器が破損、放射能漏れがあったという話もある。地震直後に建屋内の放射線量が危険なレベルで手動ベントなどの作業に難航をきたしていたという。
 確実なのは津波により電源をすべて失い、燃料棒が溶融、圧力容器と格納容器が破損し、放射性物質が漏れていることだ。しかし、それだけだったら、放射能汚染地帯は原発周辺に限られる。20km圏あるいは北西部はそれ以遠も汚染され、多数の住民の避難が必要となっているのは水素爆発とその後の風により広範に飛散したことによる。
 ところで、丸1日後に水素爆発した1号機とその後爆発した順に3号機、4号機、2号機では最後の2号機の時が南東の風でその後の降雨もあり北西部の浪江町山間部、飯舘村から福島市付近までとさらに南風により郡山市まで放射性物質が飛散したことはよく知られている。しかし、その他の号機の場合、1号機爆発のときは西風、3号機のときは北風、4号機(?)と様々で、同じ南西の風ではなかった。冬期に多い西方向からの風だったら、飛散は東の海面のみになるから、その点でも海岸立地、それも東海岸の福島原発(第2も)の立地は結果オーライだったことになる。

6/06/2011

大連立では「国会機能停止」

 民自(公)の大連立を期限付きで新首相の元で進めようという動きになっている。理由の一つは大震災後の復旧復興の審議が進まず、国会機能停止になっているというものだ。
 違うだろう。政府が提案した復興関係の法案を修正などを含め審議するのが国会の役割であって、大連立内閣だったら、政府案をそのまま通してしまうことになる。これこそ「国会機能停止」の典型だ。戦前の大政翼賛会と同じだ。
 菅内閣ではねじれ国会下で参議院でも賛成の得られるような法案内容に修正する努力をしていないのだろう。国会が機能していないのではなく、法案を提出する内閣が機能していなかった。だから、近いうちに総辞職ということになる。

6/05/2011

絶対の危険はない、すなわちリスク評価の人生だ

 世の中には絶対の安全はない、それは原子力の専門家の間でも認識されていたはずだが、一般の人にも専門家から「騙されることなく」今回は認識されたはずだ。逆に「絶対の危険」もないことは容易に理解されない。
 放射線の危険性について、累積量100mSv/年まではほぼ危険性はない(閾値である)ことは色々な議論を聞いて文痴は理解した。ただ、あまねく言われるのは、その許容値はあくまで成人のものであって、子供は成長の過程にあるから、できるだけ放射線を浴びない(被曝ゼロを目指す)ことが望ましいというものだ。でも、「できるだけ」といっても限度はあるのではないか?早い話、ゼロを目指すのであれば、放射線源から限りなく遠ざかる(疎開する)ことが有効だ。疎開することでその子供が別の意味で不利(これもリスク)になることもあるから、要は比較(リスク評価)してどちらを取るかの問題だ。校庭の汚染土砂を取り除くのもお金がかかる。金がなければ死ぬ人もいる(これもリスク)。
 このような議論はリスク評価の問題という。有限な人生において人々は死ぬ危険のリスクを避けながら生き延びているわけだが、世のリスクは放射能だけではない。全てのリスクを勘案し最適生存行動をとるのに、リスクの一つである放射能の許容値はあいまいすぎる。
 許容値は人の行動基準を決めるのに必要なリスク評価に耐えうるものにして欲しい。それなのに、放射能関係はすべて行政の責任を決める(逃れる)ための厳しめのものになっているとしか思えないのである。

6/03/2011

原発事故は予定のこと、しかし、後始末を早く

 原発大国フランスの原子力発電所は狭い国土に数多くちりばめられている。のどかな農村地帯で農民はすぐ近くにそびえる原発の事故について聞かれ「そのときは避難するまで」と当たり前のように答えていた(TV)のが印象的だった。
 今回の福島第一原発もそのように捉えられないものか?事故後の放射線などによる死者は出ていない。ここにいたるまでの出来事も、フランスの農民が達観するように、予定のことだ、と理解するのである。それにしても後始末が長引くのはその迷惑を甘受するにしても限度がある。もう少し早く冷温停止が出来、周辺の除染作業に取りかかれないものか?

6/02/2011

菅直人氏は早期の新代表選出の後、退陣すべき

 今回の内閣不信任案否決に至るプロセスは政権与党の民主党内の主導権争いにとりあえずの結論を得た、ということだ。その結論で、菅直人氏は条件付きの時期に辞任することを公言した。その条件を尊重するのではなく、震災後の難問山積の今日、民主党内で次期代表を可及的速やかに選出し、新内閣を組織するのが国民に対する義務ではないのか?菅政権が未練の仕事を残すかどうかは国民的には全く問題とはならない。
 新首班を選ぶには野党と一定の了解を得ておくことが必要だ。今回の騒ぎは昨夏の参議院選の敗北で与野党ねじれが生じたことがすべて原因なので、このねじれを実質上棚上げできることが、次期総選挙(文痴はなるべく早くを主張するが)までの間、不可欠だ。

5/29/2011

対立する政党が協力しては独裁につながる

 戦前の二大政党、政友会と民政党の政争に国民が愛想を尽かし、政党政治の終焉を迎えた。だから、いまの民主党と自民党(公明党)もそうならないように協力して震災復興などにあたるべきだ、という耳ざわりのよい論がある。
 違うと思う。戦前はその結果、すべての政党が協力すべき大政翼賛会という民主主義否定の体制に入り、結局は戦争に突入、国を滅ぼした。「協力」という美言が落とし穴だった。今で言えば、大連立だ。政党政治だから、複数政党がなければ意味がない。近隣国のにせ民主主義(人民共和国)の一党独裁じゃあるまい。政党は政策の違いで政争を繰り広げるのが仕事だ。その一環で、不信任案を提出し、可決されれば、総選挙で国民の信を問い直すのに何の不思議があろうか?

5/27/2011

政治家がいなくても物事は進む(政治空白はない)

 淡水が枯渇したら海水でも冷却を継続するのは政治指示によらずとも当たり前のことだ。東電でも廃炉のリスクは当初から覚悟していたという。福島第一原発の吉田所長が一号炉の冷却を実は継続していたのは結果として正しかった。上の政治家が心配していることを忖度して、冷却を一時中止する必要はない。政治主導が必要なことは避難指示区域(のちに警戒区域)の設定ぐらいなものだ。今回の冷却継続(中止)の指示があったかどうかはなかったことにしてはどうか?
 ことほど左様に、震災後の後始末には政治家は必要ない。必要なのは予算の確保と組織の改編などの法律改正ぐらいなものだ。
 逆に政治家のトップたる首相に野党ばかりでなく民主党内からも信頼がない状態は政治の世界としてはまずいだろう。政治家が機能しない「政治空白」の心配はないので、ゆっくり、次期首相をきめたらどうか?また、現首相が必要とみとめるなら解散・総選挙もじっくりとやってほしい。その間でも、震後復旧・復興の作業は行政の当局が確実に実施するはずだ。

5/26/2011

水洗による除染で避難解除を急げ

 福島第一原発の警戒区域(計画的避難区域も)が継続している理由は、水素爆発による放射能物質の再飛散の恐れが残っていることと、3/14頃までに飛散した物質からの放射線が有害な量残っていることにあるのだろう。前者が今後の燃料冷却措置により理由としてなくなれば、後者の除染作業が急がれることになる。長引けば、避難民の負担が増えることになるし、東電による補償金も期間に比例して増大してしまう。
 主として地表面に降り積もったと見られる放射線物質を取り除く(除染)には、水洗するのがもっとも適当と思われる。期せずして、路面などに積もったものが下水道に流入してその処理後の汚泥に濃縮され困った、という話を聞くが、濃縮汚泥をさらに濃縮、減容化して、原発廃棄物同様、管理処分するしかないのだろう。だから、水の力で汚染物質を集めて濃縮するこの方法が一番よい。
 不純物を含む水を濃縮する、逆に言うと、汚染濃縮水を分離し純水を生産する最適な方法は、逆浸透膜による方法だ。この技術は日本が世界のうちでトップクラスに属する。水処理業界では周知の事実だ。フランスのアレバ社などに頼むまでもない。

5/24/2011

許容値が曖昧だから完全清浄へ、というのが風評

 東電による1~4号機の冷却作業が進めば、今後徐々に問題は解決の方向に向かうだろう。
 問題が残っているのは、風評被害のほうだ。文痴は最初は風評をたてる一般国民のほうに問題があると信じていた。ところが、諸外国の国民までが「風評におびえて」日本脱出あるいは来日忌避するに至って、どうも違うな、と思うようになった。
 風評が出るのは、正確な情報がないからだ。情報を発表する東電、日本国政府への信頼の問題だ。信頼を置けなければ、何を発表しても受け手の行動基準に影響を与えない。むしろ、わからないことを前提とした行動に走る。すなわち、完全清浄を求める。近県産の野菜とかは汚染が少しでも疑われれば、基準値内であっても、替わりのものがあるかぎり、購買しないという行動になる。
 現状の線量と言うより、許容基準値の決め方が怪しいと感じているのではないか?年間許容線量を1ミリSvから20に緩和するときの理由がはっきりしない。ICRP(国際放射線防護委員会)からこのような幅を持ったなかで各国で決めてよい、となっているそうだが、それにしても20倍は曖昧すぎる。
 実は、閾値があるのではないか?閾値とは、それ以下では被曝線量の多寡は健康に無関係だ、というような。日常の生活でも、医療の際とか航空機に搭乗するときとかの場合であれば被曝する放射線量に大小がうまれる。学問的には証明されるのは難しいのだろうが、それらを含めて、閾値は20ミリSvあたりのような気がする。

5/20/2011

供給側の都合でなく今回は休日分散化が進んだ

 自動車産業界の社長さん達が集まって、この夏の東電管内での電力逼迫に対し、土日操業と木金への休日の移動を決めた。
 結果として、観光地などの従前からの要望である休日分散化がなされた。観光庁が音頭をとったこの分散化の運動に国民はそっぽを向いていたが、節電のためなら皆で協力をしようということになったのである。観光地産業の供給側の都合ではものごとが進まなかったのに、今回も供給側の電力会社の都合だけでなく、災害による隘路を皆で解決しようというマインドで進んだからではないか?

5/19/2011

防護服で一時帰宅はおおげさで有害

 放射線被曝による健康リスクが言われているが、福島第一原発の作業員の中に、厳重な防護服を着て作業したため熱中症にかかるリスクがあることがわかった。すべての種類の健康被害リスクを比較して対処しなければおかしい。放射線では大丈夫だったが、熱中症による健康被害で重病になったとしたらパロディだ。
 20km圏内の住民の一時帰宅がこれからの暑い季節に順次実施されるという。素人にあの防護服を着せたら、作業員でも避けられなかった熱中症などの健康被害を一部の人が被るのは十分あり得る。放射線の被曝許容量は累積量が問題なのだから、短時間だったら防護服なしでも注意して(長袖、マスクなどはする)行動後、体表面に付着した放射性物質のホコリを除去する方がよいのではないか?

5/18/2011

海岸立地原発でよかったこともある

 福島第一に限らず、日本の原発のすべては海岸沿いに立地している。海水を二次冷却水に利用するためだ。フランスなどは内陸に設置するものが多く、そこでは冷却は巨大な冷却塔による空冷方式だ。
 海岸に立地していたから、津波の被害にあった、というひがみもあるが、メリットも多いのではないか?まず第一に、原発からの同心円の面積が半分は海なので、陸は半分で済んでいる。また、一次冷却水(淡水)の不足に近くにある海水を大量に利用できた。内陸の原発で一次冷却水の不足にはどうするのであろうか?
 それと、水素爆発により飛散、風に乗って北西方向にばらまかれた放射性物質も、多分大半は原発敷地内それも建屋内に残っていると思われ、放っておけば風などで飛散するところ、海水を放水したので、そのなかに固定された。地面に飛散した放射性物質を除染するより、海水に閉じこめられた高濃度汚染水を処理する方が容易だ。場合によったら、高濃度のまま冷却用に循環させても構わない。
 最後に大きな声では言えないが、それらが誤って(あるいは容量をオーバーして)海面に放流されても(実際、低濃度排水は意図的に放流した)、海は無限に近く希釈能力を有する。

5/17/2011

谷垣氏で駄目なら、首相候補となる総裁を

 菅首相を退陣させようとする勢力にとっての隘路は替わる首相候補がいないことだという。不信任案を可決するためには過半数を占める民主党からの造反が必要だ。ということは、民主党(一部)からの首相候補は出せない。となると、最大野党の自民党の総裁、谷垣氏を首相候補として倒閣運動をすすめることになる。
 ところが、谷垣氏では駄目だという声が自民党のなかから出ているという。不思議な話だ。政党だから党首を首相候補として政治活動を進めるのではないか?谷垣氏で駄目ならいますぐにも総裁選をやり直すしかない。

5/16/2011

「想定外」にどう対応すべきかNO5(レベルⅡ地震)

 想定していた規模を超える災害が襲来したらどうなるか、にあらかじめ対応しておくことが重要だ。ここで、想定を超えるものにさらに物理的に対応しておく、つまり、津波防波堤をさらに高くする、というのはその対応にはならない。
 地震の震動による構造物の被災について考える。建物とか橋とかの構造物を無限に丈夫にするのは合理的ではない。第一に費用がかかりすぎるし、構造物の耐用年限内に被災しなければ、無駄になる。だから、異常に大きい震動に対してはレベルⅡの地震対策として設計することになる。レベルⅠまでの比較的小さい震動には損傷がないようにするが、レベルⅡでは損傷は許すが、破壊が壊滅的にならないようにする。つまり壊れ方が人的被害を最小にするようにする、という考え方だ。
 カンタベリー地震2011.2.22ではクライストチャーチ市の中心のCTVビルが崩壊し、壊れ方で言えば、ぺしゃんこになった。これでは生存者はほぼ見込めない。阪神大震災で神戸市役所旧館はある特定の階だけが倒壊した。ほかの階では生存が見込める。橋でも落橋しなければ、上部の交通も下部空間にいたものも生存者は見込める。
 大津波に遭遇した原発で言えば、電源を耐水建物内に収容する、浸入海水が自然と排水できる、などであろうか。

5/15/2011

原発は電気で動く電化製品

 飛行機はまれに墜落することがある。その原因を調べることは次の墜落防止に確実に役立つ。だから、墜落の衝撃にも耐えるボイスレコーダー、フライトレコーダーを積んでいる。
 原発の場合、飛行機と違い事故後も面倒な冷却作業の継続が必要だ。その際事故でどこが機能停止に陥ったのかを把握することが不可欠だ。それらの監視センサーが外部電源などの予備電源喪失でめくら状態になった。せめて、最後の手段である蓄電池からの電力供給で動かすことができなかったのか?それらが冷却用ポンプと同一電源としていたのではすぐに枯渇してしまう。これら弱電系用は別電源とするのである。原子力発電所は電気を産むかもしれないが、電気で動く「電化製品」なのである。
 設置するセンサーとして、水位計、温度計、圧力計などは後始末作業に不可欠なのはわかった。さらに、今回の教訓として、ロボットが入れないような箇所のTVカメラ、放射線量計も設置していたのかどうか知りたい。
 事故は起こらない、を前提としていたら、上記センサーは軽視されるであろう。
(1号機の圧力容器内水位の異常低下を作業員が接近して初めて把握することが出来、炉心溶融・崩壊を推測できたとのことから以上を書いた)

5/14/2011

発電所を売って補償金にすればよい

 まず最初に、今回の福島第一原発の事故は天災によるところもあるので、補償金支払いに国費負担が更にあってもよいとは思う。しかし、補償金支払いのための電気料金値上げは許されない。(火力発電の再稼働による燃料費増加による値上げならよい)
 東電のバランスシートによると資産は13兆円余りあるという。このほとんどは発電施設と送配電施設だろう。このうち発電施設のうち水力発電(専用ダム、多目的ダムの使用権含む)、火力発電の施設をIPP(独立発電事業者)あるいはそれを立ち上げようとする企業に売却し、補償金の原資に加えるのである。バランスシートは簿価計算なので、時価にすると期待収益からの計算になり、場合によっては数倍の値段で売れるかもしれない。簿価以下でしか売れないものは、持ち続けるしかない。発電施設のうち原発とその附随施設ともいえる揚水発電所は売却対象外とする。東電を含め民間会社ではリスクが多く運営するのは困難ではないか?今回の教訓からわかったことだ。
 結果として、発電所の多くはIPPに、送配電施設は東電に残す、発送電分離が実現することになる。
 この案は経産省の担当レベルで検討されたことがあったそうだ。なぜつぶされたのか?
 上記発電所すべてを東電所有に残し、その収益で長期間にわたって機構基金に返却していくというのではどうしてもうやむやな決着に終わりそうな恐れがあり、国民が疑惑を持つことになろう。資産の大部分を売却する即時決着が明朗だ。

5/11/2011

警戒区域帰宅は累積線量管理で

 一般人の許容累積放射線量を1mSvから20倍の20mSvに「緩和した」ことに涙の抗議をして内閣参与を辞任した科学者がいた。国際基準では1~20の範囲で決めてよいことになっている。それはそれとして、20倍の範囲まで許されるとはきわめて曖昧だし、許された方(国家)もその範囲のどの値にしたらよいか戸惑うのではないか?
 許容基準だから、世界中の人間が同じ体質だと仮定して、一定の値として決めなければ、少なくとも運用できないではないだろうか、もちろん、子どもとか妊婦は別にしても。よく調べると、緊急時は緩い値でも許されるが、緊急時を脱していくにしたがい、本来あるべき数値(1mSv)に戻すべきなのだそうだ。
 人が一年間に被曝する自然放射能は世界平均で2.4mSvだから、それと比べて1mSvは低そうだが、それに加えるのだからゼロに近いほうがよいに決まっていて、それはせいぜい1mSvだというのは肯けないこともない。リスクは少ないほどよいという基準に見える。
 また、被曝量というのは累積量が問題だから、短時間なら少し強度があっても構わないのだろう。そのことと、職業として原発などに従事する作業員はある程度の被曝は自身が覚悟しているから、なんと、50倍とか100倍の50~100mSvに累積するまでを作業時間の限度とし、さらに今回の措置として、暫定的に250mSv(ただし5年間総量)まで緩和しているのだから、同じ人間に対してどうなんだろう、という疑問がある。
 いま福島第一原発の20km圏内の住民は警戒区域を設定され、限られた時間の一時帰宅しか許されない。ただ、被曝のリスクと帰宅できないリスク(精神的な苦痛も含め)を比較して、前記作業員並みに住民個人個人が累積被曝量を管理した上での帰宅とか、家畜の飼育とかの行動を決定できないものだろうか?同心円状の距離に応じて残留放射能があるわけではないし、場所によりまだら模様に汚染されているのだから。

「想定外」にどう対応すべきかNO4

 計画堤防高を超えた津波が襲来したとき「想定」しておくべきこととは何だろうか。
 原発の場合、原子炉建屋と発電機タービン建屋は堅牢に出来ている。津波を想定(計画高以上だから安全だとしていた)しているというより、内部の放射能物質を大地震時に閉じこめる機能のほうから堅牢になっているのであろう。今回の福島第一の場合も地震ばかりでなく津波でも被災していない。
 弱点は原発補機類だ。補機とは原子炉緊急停止後の冷却用予備電源、予備発電機、冷却水ポンプなどだ。補機が動かなくなっても原発にとっては致命的なので、同等の基準で守らなければ意味がない。柏崎刈羽原発では中越沖地震で燃料タンクのみが被災・炎上した。本体建屋と同等の耐震性がなかった。
 津波の海水をかぶったとき、何らかの損傷はおきるかもしれない。しかし、それが軽微で、すぐあとの機能に支障が少ないか、あるいは、修理が必要だとしてもすぐに機能が回復できるように、被害のパターンを想定、準備しておけばよい。今回の福島第一では予備電源が大地震ですべての送電系統が機能しなくなった(これも困ったことではある)。予備発電機は電気製品だから水没とくに海水につかると復旧が困難になるのに、計画敷高より低い地下室部分に設置していたという。致命的な誤りだ。たぶん、普段は使わない邪魔物だから、地下の有効利用の対象になったのだろう。予備発電機の燃料タンクも同じ扱いだ。

5/10/2011

「首相の言葉は重い」は皮肉

 中部電力の水野社長が昨日、浜岡原発のすべての原子炉を停止すると発表した。そのさい、「首相の言葉は重い」を理由の一つにしたのは、皮肉に違いない。
 民主党政権は政治主導を第一にするが、原子炉災害の危険性と電力供給の不足とを勘案し、日本国の原子力政策を云々する権限まで、国民は委譲していない。国民投票とか総選挙とかを経て、政治主導を発揮することが出来る。その二つも叶わないなら、せめて、国権の最高機関の衆参立法府の決議をもらうべきだろう。それまでは従来の原子力政策を根幹では継続させるのがせいぜいだ。これには菅内閣も関わっているのだから。
 だから、上記の「皮肉発言」となったのだろう。国民の意思の伝わり方としては変で、取締役会あるいは株主に対して説明がつかないけれど、わざわざの首相要請だから仕方ないか、と。

5/09/2011

大津波警報はオオカミ少年か?

 3/11の大地震後の大津波警報で、すぐには避難しなかった人が1/3にものぼることが(生存者・・・当たり前だが)アンケートでわかった。津波による死者はほとんどが避難しなかったためと思えるので、住民のうち半数近くがすぐに避難しなかったという恐ろしい結果だ。すぐに避難しない理由として、たぶん、最近の大津波警報の出し方にあるのではないか?たとえば、昨年のチリ地震津波(2010.2.28来襲)警報では実際に避難した人が1割にも満たなかったという。文痴はそのとき津波監視課長は謝罪無用のタイトルで空振りを謝罪することはない、と書いた(2010.3.1)。
 そのときからさらに考えるに、その「空振り」が過大警報だった、いつもそうだと受け取られたら、今回の警報軽視につながったのだのではないかと危惧するようになった。なぜ過大になるのかを考えるに、役人の、なにしろ安全側に出しておけば警報者の責任になることはあるまい、とのありがちな習性からだったら恐ろしい。確実な警報~避難が大津波の場合の唯一に近い対策だからだ。
 オオカミ少年(空振りのオオカミ出現警告多発)の例にぴったりではないか?

民間企業の判断で停止できない(浜岡原発)

 中部電力株式会社は政府から浜岡原発のすべての号機の停止を要請されている。来るべき東海地震の津波災害に耐えられないかもしれない、との根拠でだ。政府としては当然の判断だろう。節電などを受忍する国民の受けもよい。社会的に見ればそのような判断になろう。
 しかし、民間企業の中電として、また、この結果、中電管内で節電を強いられる一般企業にしてみるとどうだろうか?東海地震・津波のリスクは計算するが、それと、安価な原発電力を火力に一時転換する莫大な費用と節電により生産が縮小するデメリットを比較するのが民間企業だ。社会的な要請をつねに最優先すべきということであれば、企業というより、国営発電所あるいは公的企業(株式公開しない)でなければおかしいはずだ。
 管内の一般企業の判断で、国内のもっと西に(生産)移転することよりも、一気に海外移転することも自由な選択となる。そのときに前記の社会的判断でよかったのか、ということにならないか。
 いずれにせよ、民間企業に選択させるべきことではない。原子力関係法をさらに拡充し、政府権限で指示・命令しないと可哀想だ。

5/07/2011

電力会社の応急措置の評価は?

 菅首相が中部電力浜岡原発で稼働中の4,5号機の停止を要請した。
 東電福島第一原発の津波被害(即時の冷却失敗)を受けて、他の電力会社でも所管の原発の津波対策を再考し、中電でも予備電源の高所への設置、冷却水ポンプの防護などの応急措置をすませ、津波防波堤のかさあげに取りかかるところだ。
 この応急措置により少しでも安全にはなる、と中電の技術者は判断しての措置だろう。菅首相はその判断に対して応急措置としての評価を下すべきだ。首相が言わなくても、原子力安全委員会でもよいが。
 浜岡原発については、東電福島より比較的新しい1,2号機を廃止し、3~5号機(3号機は定期点検中)は最新のものとなっている。たぶん事故時のバックアップなどのシステムがよくなっているとは思う、福島第二もそうで、津波被害にも関わらず冷却に成功している。  

5/06/2011

「想定外」にどう対応すべきかその3(超過災害)

 計画以上の津波が来たからと言って、計画を立て直しさらに大きな津波に対処すべき、とは必ずしも思わない。今回の津波は年最大超過確率1/1,000にも及ぶ規模だという。
 ここで、年最大超過確率とはある年に襲来する自然災害の最大の規模が確率1/1,000の希な現象だ、ということだ。(簡単に言うと、年の始めに10の目があるサイコロを三回振って同じ目が出たら、その年のいつかその規模の災害に襲われる。俗に言う千年に一回規則的に襲う規模とは違う)
 その様な規模の災害に対応するのは現実的でない。経費が膨大になるし、999/1,000の確率で安全なので、その大部分の年では、とくに津波防潮堤の場合は、町の真ん中で邪魔なものでしかない。
 だから、計画規模は以前と同等として、計画を超過する災害にどう対処するかを考える方がクレバーだ。今回の原発防潮堤の場合はその様な対処をしていなかったらしい。

5/05/2011

「想定外」にどう対応すべきかその2

 「想定外」は許されないとは、計画以上の現象に対応するため計画レベルを更に上げろ、と言っているわけではない。たとえ15mの津波に対応し防潮堤を嵩上げしたとしても、自然現象だから、ごく低い確率で(希に)それを超す津波が来ることはある。そのために無限に高い堤防を作るのは現実としてはあり得ない。だから、計画上はある確率で持ちこたえることができるものを作る。しかし、それを超える現象があることを「想定」しておくべきだ。つまり、超えて、津波が浸入したとき、当然ながら被害が生ずるが、その被害をできるだけ壊滅的にしないように工夫(想定)しておくべきだ。
(つづく)

「想定外」にどう対応すべきかその1

 福島第一原発の予備電源が想定外の津波によりすべて働かなくなり、原子炉緊急時の「止める」はできたが、そのあとの「冷やす」ができず、「閉じ込める」までに多大の手間がかかっている。
 津波の想定高は10メートルとしていたが、それ以上(15メートル)の想定外(以上)の波が来たので、と弁解調になっている。「想定外」とは裁判上の言葉だ。想定していたのにできなかったら、司法上は責任が生ずる。今回の問題は、技術上の事だから「想定外」という言い訳は許されない。「想定外」と片づけるのではなく、同じ自然現象に遭遇したら、計画以上のことだったが、その場合も想定し、何らかの対応を準備しておかなくては、(津波などの)自然現象を相手とする技術者として失格ではないか?
(つづく)

4/28/2011

瞬間線量分布図がほしい

 4/27各紙に福島第一原発周辺地域の「累積(あるいは積算)」線量分布地図が掲載された。累積でなく瞬間線量を発表すべきだ。とくに、20km圏内は避難指示~警戒区域で人は住んでいないから、いままでの線量は関係ない。これからの線量がどのように減衰すればいつから住めるようになるのか、を判断するには現在の瞬間線量があれば足りる。

4/27/2011

帰宅禁止後の一時帰宅許可とは

 福島第一原発の20km圏内を避難指示区域から警戒区域に格上げして、立ち入りが出来なくした。その直後、制限的な一時帰宅を企画するのは、一時帰宅許可のために自由帰宅状態を禁止するという、いわゆるマッチポンプ的な臭いがするのは私だけではないだろう。

4/26/2011

瞬間線量をすべて情報公開せよ

 4/22金曜日の各紙に福島第一原発30km圏内の瞬間線量が初めて公表された。避難住民にとってはいずれ帰宅の時の情報となるのだから引き続きの公開が必要だ。
 それらをみるとやはりまだら模様で、10km圏内はいまだ高線量(二桁台以上のマイクロシーベルト/時)なのと、10km以遠ではとくに北西方向の浪江町~飯舘村(30km以遠も)の方向に高線量が残る。今後はこれらの減衰の推移と原発からの新たな飛散がないかどうかが注目点となる。
 各紙の毎日の発表の掲載ぶりを見て気になるのは、東京など遠方の瞬間線量を過年の最高値と比べている点だ。遠方の1/100台マイクロシーベルト/時のものは低すぎて、何のために掲載しているのかわからない。起こってもいない風評を防ぐためなのか?これからはより必要な30km圏内のものに集中してほしい。それも累積線量でなく、瞬間のものを。

4/24/2011

同心円状の規制のわけ

 政府関係者によると福島第一原発20km圏内は現在出ている線量の危険性よりも原発の安定化が完了していないので危険だから警戒区域(立入禁止)にしているのだそうだ。道理で、その区域内での線量が公表されていないわけだ。線量の多寡に関わらず、原発の近くでは危険性は残っている。
 ということは、今後原発の炉心冷却が成功し、核燃料の封じ込めができれば、そのときは同心円状の規制ではなく、SPEEDIの線量の許容値によって警戒区域の解除もあり得るわけだ。

4/22/2011

緊急的避難準備区域にすればよい(20km圏内も)

 本日午前0時より福島第一原発20km圏内が避難指示区域から警戒区域に格上げされ退去と立ち入り禁止が法的に義務づけられた。同時にいままで20~30km区域の屋内避難区域が緊急時避難準備区域になり、いつでも避難が出来るように準備すべきこととなった。30km圏外の飯舘村は計画的避難区域のままだ。
 この、緊急時避難準備区域の考えを20km圏内にも広げたらどうだろうか?SPEEDIの資料によると高濃度汚染区域は20km圏内全域とはなっていない。そのような場所では新たな放射性物質の飛散があったら、そのとき緊急に避難できるようにしておくだけでよい。
 ちなみに、SPEEDIの分布図では原発北西方向にのみ放射性物質の飛散が見られ、それは地上の線量調査でも裏付けられ、その後新たな飛散がないのか、線量は単調に減少している。10μSv/hr以上の瞬間線量の地点は浪江町~飯舘村の町村界(多分、峠道付近で人口希薄)に限られているようだ。飯舘村の中心地での測定結果はないのだろうか?それと、根本的疑問は20km圏内での数値が公表されていないことだ。

4/21/2011

震災を奇貨として自己利益を図る人々

 震災を奇貨として自己グループの長年の懸案を有利に運ぼうというものがいる。菅首相が低迷する支持率を回復させる手段として震災を利用しているのは明白だ。財務省は民主党政府を使って長年の懸案である消費税アップをどさくさ紛れにねらっている。
 国民の目は節穴ではないから、以上の火事場泥棒的行為は成功しないだろう。

4/20/2011

街頭では争点に対し政策を明らかにせよ(選挙運動)

 統一地方選挙第二弾の市区町村選挙運動が真っ盛りだ。選挙運動を聞いていていつも気になるのは、選挙の争点を訴えていないことだ。曰く「実行力があります」「無駄をなくします」時節柄「安全な町にします」。これらはすべての候補、有権者が反対するものではない。他の候補と違うところを訴えないと、選挙運動にならない。
 文痴はばらまき福祉は票にならないで「私は福祉をやります」という奇妙な選挙スローガンを指摘した。福祉をやる際に問題となる、福祉の範囲、程度、財源が争点になっているので、それらへの考えを手短に訴えてもらいたい。その点、日本共産党だけは、財源は大企業に増税して生み出す、と主張しているのではっきりはしている。ただし、その政策が支持されるかは別だが。

4/18/2011

単一単二電池は家庭備蓄が進行中で品不足になっている

 買いだめなどにより品不足となっていたものの供給が回復し、スーパーなどの棚はいつもの品揃えを誇るようになってきた。買いだめには着実に供給を続けるしかない。
 しかし、未だ供給が追いつかないものがある。乾電池の単一と単二だ。懐中電灯などに使うものだ。計画停電は夏には行われない見通しだが、不測の停電に乾電池の備蓄は必要だ。いままでその備蓄という考えがなく、いま、触発されて備蓄を各家庭で進めているのではないか?だとしたら、全世帯の備蓄を満たすには、莫大の量の乾電池が必要ということになり、品不足が未だ続いているのも肯ける。
 買いだめだと非難しないほうがよいかもしれない。

4/16/2011

浪江町に避難準備して住むことができる

 東電福島第一原発から20km圏内の浪江町に捜索に入った関係者が放射線量を測定したところ、遠方で問題ない福島市の値と同等だったという。3/15の小爆発で飛散した後、各同位体元素が順調に減衰しているということだろう。
 政府は20kmを超える区域で放射線量に応じて「計画的避難区域」なるものを設定した。避難を準備せよ、ということらしい。だとしたら、浪江町のようなところはこの計画的避難区域に格下げしてもよいのではないか?新たな爆発があれば、新規に放射性物質の飛散が予想されるので、その時は急遽避難できるように準備はしつつ生活は続ける、というように。
 このまま原子炉の冷却が進み、新たな飛散がなければ、放射線量は順調に下がり続けるはずだ。その場合、10年20年先まで住むことができない、ということにはならない。現在でも福島市と同等だというなら。

4/15/2011

菅内閣は政治主導の分野を間違えている

 福島原発の後始末に政府の閣僚がいつまでも関わっているが、もう官僚に任せるべきところは任せたらどうか?政治主導というのは、事故当初、廃炉にしてまでも放射能災害を押さえ込め、と指示するまででよかった。その一言で、東電は経営責任を心配しないで第三者被害の防止に全力を傾けられた。株式会社だから、損出に対し、株主への責任(株主代表訴訟)を考えなければならないからだ。会社益より公益を重視せよ、というのが政治家の発すべき決断だ。ただし、依然として避難指示地域の指定、解除には政治的判断も必要なこととして残っている。
 それよりも、大所からの復興の方針とその財源確保、また、必要な立法措置はまさに政治家の仕事だ。当面の復旧方針は示したのだから、その遂行は官僚組織に任せれば、うまく進む。官僚の上に立って、政治主導と称し、パフォーマンスだけのことをしたら、復旧遂行に邪魔になるだけだし、国民もそこのところをわかっている。

4/14/2011

問題のサンチュは食べても大丈夫

 千葉県旭市産のサンチュが千葉県から出荷自粛の指導を受けていたが、旭市は自主測定をし基準値以下であることを確認の上、イオンに出荷、販売されていたという。
 ここで、「自粛」という言葉の意味がわからない。自粛というのは自ら行うもので、指導されるべきものではない。原子力災害対策特別措置法(原災法)に基づく国からの命令(出荷制限)ではないから、というだけのことらしい。県は県なりに行政指導で出荷制限類似の「指導」をしたらよかった。
 ちなみに、サンチュは葉物野菜で焼き肉を食べるとき熱い肉をこれで包んで食べるという韓国伝来の野菜だ。毎日食べるものではないし、ハウスで栽培されている、ということだから、そんなに大騒ぎすることなのか。

4/13/2011

大震災が民主党に教えたこと(4K施策を放棄)

 民主党政府は2009年マニフェストで無駄を削減して16.8兆円の財源を生み出し、子ども手当、農家戸別補償、高速道路の無料化など目玉政策の財源とする、と約束していた。それが何回かの事業仕分けによっても、それほどの財源は確保できなかった。くわえて、今回の東日本大震災の復旧復興に巨額の予算が必要になって、子ども手当は現在のつなぎ法の切れる10月からは子ども手当そのものを継続せず、所得制限のある児童手当に戻す検討を始めた(4/13読売新聞)。以上に高校無償化を加えた4K政策は、カネがあれば出来る、という程度のものだったらしい。所詮バラマキそのものだった。ばらまいても統一地方選挙に敗退するのだから、バラマキの効果は日本人にはなかったことがわかった。
 今度の地震は災難そのものだったが、民主党にマニフェストが無効なことをわからせた、というただ一つの光明はあったのではないか?

BSEと放射能汚染食品との共通性

 放射能汚染一次産品(野菜、魚介類など)と過去最大の関心を呼んだBSE汚染牛の輸入問題などは、いずれも食料品ということで少し過敏な対応になっている(なっていた)のではないか?どちらも汚染許容基準が曖昧だ。前者は「暫定値」(緩和値)なるものが登場。ということは今までのは科学的公平に見て厳しすぎたのか?と素人でも疑いを持ってしまう。後者は米国などからの輸入品なので、「絶対に」汚染がない、というゼロ基準になってしまった。牛肉の問題部位は排除し、かつ、20ヶ月齢以下の若牛に限る、というのだから、科学的根拠がなく厳しい、と米国などの不評を買っている。
 食品に対して可能な限り汚染を排除する、というのは、その食品をとることによるメリットと微少に残る汚染の可能性のデメリットを比較した上での選択であるべきだ。しかし、福島産あるいは米国産以外に当該食品の供給はあまたあるので、選択の対象となるより、絶対排除の対象とできるのであろう。風評により購買を控えるというのは究極の絶対排除だ。
 メリットデメリットの比較と言うより、他人の不始末による被害はびた一文も許さない、というのだろう。

4/11/2011

援助は娯楽産業

 タイトルからして過激かつ失礼だと感じる人が多いのではないかと思うが、昔(いまもそうだが)、「大学はレジャーランド」と言われたのと同類の言い方だろう。真実を点いているとどうしても失礼な言い方になる。
 ダンビサ・モヨ「援助じゃアフリカは発展しない」を読み始めた。タイトルの文句はその冒頭にある。アフリカのもっとも援助に依存してきた国の年平均成長率は「マイナス」0.2%だという。その理由をこれから読むことになる。援助は援助する側の「大衆文化」だともいう。援助される側のことは考えていない、ということだろう。
 すぐに思いつくのが、日本の調査捕鯨を邪魔し続けたシーシェパードだ。その活動資金が欧米諸国の金持ちからの寄付というから、それら金持ちの「娯楽」がすべての理由だ。ふんだんにある金を出すことにより、自分は手を出さないで、日本人が困るのを見て喜ぶ、自然を守ることに貢献したという自己満足が得られる。
 東北地方の震災被害者への義援金は一種の援助には違いない。そのような金持ちの動機からではないと思うが、金だけ出しておしまい、ということにはならないように気をつけたいものだ。

4/10/2011

積算値で管理すべきが濃度、強度になっている(放射能)

 食品の放射能量を評価するのにベクレルという単位がある。正確には食品単位重量あたりのベクレル量だ。たとえばベクレル/kgというように。放射能を持つ食品を摂取することは内部被曝の原因になるから、それらの許容量を決めている。被曝量の単位はシーベルト(Sv、積算値、絶対量)だ。これは被曝強度と混同されている。その場合の単位は例えばmSv/hrとなる。絶対量の許容値は原発構内の作業員への許容値として100mSvが決められている。一般国民は1mSv。今回の非常時では前者が2.5倍の250mSvに、後者が20倍の20mSvに緩和されている。この20mSvを守るためには食品からの内部被曝のもととなる放射能の許容値が決められたというわけだ。
 本当は絶対値が問題なのだが、単位重量あたり許容値(放射能濃度)あるいは時間あたりの許容値(放射能換算強度)が基準として用いられているのが、国民不信を生む一つとなっているのではないか?
 積算値をもちいるべきだ。作業員では例えば1,000mSv/hrの強度の中で250mSvに達する時間としては250/1,000=0.25hr=15minと15分となり、それが積算許容量をオーバーするまでの作業時間の限度として計算される。一般国民の飲料水と食品についても積算値で表示すれば、乳児用にヨウ素131の摂取は100ベクレル/kgの水だったら、1kgすなわち1リットルまで、200ベクレル/kgだったら0.5リットルまでとなるように。

4/08/2011

自粛不必要90%でも自粛はなくならない

 いま世論調査をしたら、震災被害者のことを思った自粛行動はもう必要ない、と答える国民は90%を超えるであろう。被災住民が自粛しないでほしい、と言っているのだし。
 しかし、自粛のムードは簡単にはなくならないだろう。残りの10%の自粛強硬派がこの場合力を持つ。公的機関とか量販店などは「人気商売」だ。ほんの一部でも自粛違反を監視している人がいる限り、自粛解除など出来ない。どこかの知事候補などもこの一派だ。
 「自粛していれば間違いない」という安全策になる。自粛解除はすべて同時に、という「隣百姓」根性が勝つ。

4/07/2011

エゴな自転車乗りの日本人

 自転車はエコだといわれるが、エゴ(イズム)なこときわまりない。東電の計画停電のとばっちりで、都内の電車が軒並み時間運休を余儀なくされていた頃、自転車通勤がはやり、今にいたっているみたいだ。
 自転車族は歩道を通行する。歩道が歩行者で混んでいるときは、歩行者優先で、自転車を降りて通行しなければならないが、そのようなことはしないで、あくまで乗ったまま歩行者を避けて通ろうとする。危険なこときわまりない。
 信号無視も堂々とやる。スクランブル交差点で歩行者が青の時は歩行者として通り、車が青の時は車として通る。いつでも青なのだ。
 多摩川の土手の上で友達と散歩した。舗装の部分は1メートル幅くらいと狭い。後ろからスポーツ自転車が来て、「危ない!!」との捨て台詞。猛スピードで追い抜く。二人並んで歩いていたのが「危ない」ということらしい。「危ない」ではなく「邪魔だ」ということか。「危ない」のは自転車のほうだ。

4/05/2011

東京は一週間七日24時間休まない都市へ

 今まで、東京あるいは首都圏への一極集中が激しすぎ、その是正のため国土の均衡ある発展が唱えられてはいたが、実行はさっぱりだった。これからは、東電管内の電力の制約という「強制力」により、その一極は分散させられるのだろう。また、国民生活と生産活動が一定の時間帯あるいは非休日に集中するという「時間の集中」があったが、それも分散させられ、夜間の利用、あるいは、休日の分散も進むかもしれない。観光庁は休日関連産業の要請から、休日分散を進めていて、国民からは大した理解が得られていなかったが、これからは非休日の分散の必要性から、休日の分散がなされるという皮肉な結果になるだろう。
 成熟した大都市の生活価値観とはそういうものだろう。みなが同じパターンで活動しない。夜型人間も誰からも非難されない。休日でいえば、一週間実働五日だったものが七日に分散され、仕事は朝から夕方~夜までだったものが、空港なみに24時間になる。その分都市の容量の制約からみれば効率が増す。

4/01/2011

原発に頼らない社会の実験

 今回の東電福島第一原発事故で、一般住民の被曝被害は避けられているが、20あるいは30km圏内の避難住民は多大な迷惑を被った。結果、福島第一の再開はもとより、東電はじめ他の電力会社の新規の原発立地は事実上不可能となったのであろう。
 そのおかげで東電管内は計画停電がこの先ずっと日常となり、言い換えれば、原発に頼らない社会の意図せざる壮大な実験に入ったといえるのではないか。案外この社会は日本人にとって耐えうるものではないだろうか?いままで「もったいない」電気の使い方が多すぎた。夜の繁華街はもう少し暗いほうが雰囲気がよく、昼間の灯りは全く不必要だ。寒いときは厚着し、暑かったら軽装になればよい。
 原発による被害リスクと一層の省エネ社会とを選択させたら、後者の方でよい、ということになる。原発を推進するための殺し文句であった「不便な生活に戻ってよいのですか?」が効かなくなる。
 でも、そうなると化石燃料(LNG、石炭、石油)による火力に発電の多くを頼ることになる。それら資源の枯渇の恐れには、海洋底に眠るメタンハイドレートがある、とはいうが、それも有限には違いないし、そのすべてから地球温暖化ガスの二酸化炭素が多かれ少なかれ排出されてしまう。原発がほとんど唯一の二酸化炭素削減策だったからだ。
 だから、今度は荒唐無稽な人為的地球温暖化防止政策と原発とがトレードオフとなり、どちらを選択するかを迫られている。

3/31/2011

水戸納豆の買いだめは濡れ衣(文痴の間違い)

 昨日、納豆もスーパーの棚からなくなり、買いだめされたらしい、と書いた。TVによると、納豆の容器のまわりを包む商品名シート(透明のもの)の調達が困難らしい。だから、売り惜しみでもなく、生産者、消費者以外の理由だったことがわかる。
 それにしてもそのようなシートだけで商品にならないとは。

3/30/2011

風評に抗してほうれんそうを買う

 風評に抗してほうれんそうを買い求めた。茨城県産のものは店にないので買いようがない。かわりに千葉県産のものがいつもより安価だったので得をした気分になった。政府が大丈夫だと言ってるので、普通に接すればよい。それも過剰に安全を持って言っているから、少々のことでは買わないという手はない。
 納豆はスーパーの棚から消えた。水戸産?だからと思ったが、買いだめらしい。他家の冷蔵庫が満杯になるまでは仕方ない。
 その他生鮮品も買いだめし、冷蔵庫にため込んだあと、東電が停電させ、腐らせたら、笑い話にもならない。
 新聞TVを見、人から聞いた話で、あわてふためいて買いだめ、また風評を信ずる日本人が悲しい。あなたが、いつもより(一つでも)余計に買うこと、それが「買いだめ」というのですよ。逆に風評におびえる生産地のものを買うことがその被災地支援の大きな一歩となるのですよ。

3/29/2011

個人のリスク管理に役立たない放射能基準

 福島第一原発から20kmの圏内は避難指示区域となっているが、避難所から留守の家に忘れ物を取りに行く住民が絶えないという。
 危険な区域だから政府は避難を指示(命令)しているのだろうが、最終的に住民の行動を決めるのはその個人だ。放射能を浴びるリスクと必要品がない生活とを比較し、一時帰宅を自分なりにリスク管理し決めたものだろう。
 ということは、放射能の安全基準が素朴な実感から明らかに厳しすぎるのではないか?多分一桁、あるいはひょっとしたら二桁も大きくてもよいのかもしれない。ギリギリ安全が守れる数値にはもちろん安全率を掛けて(少ない数値にして)基準にする必要はあるが、それでも小さすぎる。ひょっとして基準を作る役人側の責任逃れ、でなければよいが。安全側であればそれでよし、というのは個人がリスク管理したうえでの行動の基準には役立たないし、すべて行政不信につながる恐れもある。
 買いだめ行為は非道徳だが、リスクはほとんどない。家中が当面必要ない商品であふれるだけだ。少しでも汚染の疑いがある野菜などを忌避する(供給者側からは風評として片付けている)のもリスクはない。ほかのものを食べればよいからだ。だから、リスク管理と言うより、こちらはノーリスク管理になっているのだろう。

3/28/2011

停電生活のネパールに見習えニッポン

 ネパール旅行から帰ってきて、日本の街が引き続きの省電力による減灯で、落ち着いた雰囲気で世界に向け恥ずかしくない状態なのを見て一安心した。「恥ずかしくない」というのは、ネパールはヒマラヤの水力による発電大国だが、いまは乾季、発電所はあっても水が足りなく、毎日が「計画停電」で日本と同じだ。違うのは、この時期の停電生活は毎年余儀なくされることだ。
 日本人もやれば出来る。ネパール人が出来て、日本人に出来ないわけはない。地震津波後の東電の苦境を見て、すべての国民が協力できる国なのがわかった。さらには今回のことによりいままでの豊富な電気生活が「もったいなかった」という気持ちで反省できれば、この省電力生活は毎年のことになるに違いない。二酸化炭素の削減も自動的に達成されているはずだ。

3/19/2011

自粛列島・日本(民放)

 地震直後は民放TVはCM時間をなくし地震特番を流し続けた。しばらくして、CMが復活、番組も通常番組が復活した。このCMのほとんどにAC(旧公共広告機構)のものが繰り返し放送されて、不評を買っている。内容が暗く、道徳を押しつけるものだからだ。みなで助け合いをしようというときに「道徳の押しつけ」をするタイミングではない。
 問題なのは、なぜ通常の商品などのCMではいけないのか、ということだ。被災地で苦しんでいる避難民に申し訳ない、のかもしれない。それなら、TVそのものを止めたらよいのではないか?情報はNHKと民放一波だけで十分だ。そうしたほうが東北関東地方では節電にもなる。
 自粛をすることで自分に対する言い訳にしているなら、それは日本人の悪癖だ。

3/18/2011

醜い「買いだめ」日本人

 近所のガソリンスタンドには入荷のたびに給油を待つ自動車の列で交通渋滞まで引き起こしている。列のなかには燃料残量がカラに近い車もあろう。しかし、それだけだと列になるはずがない。オイルショックの昔とは違い、輸入原油は豊富だ。念のため満タンにしておいたほうが安心だ、という理由で、未だ必要のない段階で給油する車がいるから渋滞になるし、GSも入荷待ちで休業となる。そのニュースを聞いてドライバーがさらに殺到する。群集心理そのものだ。
 大災害時に略奪などが皆無の日本人の美徳を諸外国は賞賛する。しかし、この買いだめ行為は恥ずかしくないのか?40年代のトイレットペーパー買いだめのときは、製紙メーカーは増産に増産を続け、結局は家庭でのトイレットペーパーの山が残った、という(買いだめするメリットがなかった)苦い経験を忘れている。懲りないのは日本人に残った醜いDNAなのか?

昼間の灯りは「もったいない」(鉄道駅)

 自宅では電気料金を節約するため昼間明るい部屋では消灯することにしている。問題は公共空間の照明だ。とくに、駅のホームの屋根裏にある蛍光灯が鉄道の営業時間の限り点灯している。今回の東電管内の計画停電に対応する鉄道会社の常時節電の努力で、駅構内は少し暗くなって気がついたが、晴れている日、ホームで消灯しているのはよく見ないとわからない。つまり、点いていても消えていても変わりがない。こういうのは「もったいない」というより「意味がない」というのだろう。
 ついでだが、車内は暖房が切れて、乗客みながオーバーの襟を立てていた。これでよいのではないか?寒冷地を走る電車でドアが手動式となってるのは暖気を逃がさないためだが、暖房を切っていれば必要ないことだ。

3/17/2011

選挙カーは「もったいない」

 選挙カーは「もったいない」ばかりか無駄だと再確認させられたのは今回の震災後の統一地方選挙を巡る議論からだった。いま統一地方選挙は被災地では延期することにしている。投票所に来られないのでは選挙にならない。しかし、それを全国一律に延期すべきだという意見がある。理由のひとつとして、選挙カーのガソリンが確保しづらい、というのがあった。
 選挙カーからの選挙活動は別に不可欠のものではない。有権者に立候補者の政見を伝えるのに選挙カーからの「連呼」だけでは役に立たない。たぶん立候補者の熱意を伝える効果しかないのではないか?一昔前なら、名誉職の議員は誰でもよく、有権者の判断としては「一生懸命やっているから」というのがあったのだろう。それに選挙カーからの連呼はぴったりだった。
 名古屋の河村市長のように自転車で回ったら、節電(ゼロ電)になってもっとアピールするのではないか。さらにはインターネットを駆使すればより細かく政見を訴えることが出来る。こちらは少しの電力があれば可能な省エネ方法だ。

3/16/2011

言葉狩りに使われやすい日本語(天罰)

 石原都知事は天罰発言を取り消し謝罪したそうだが、知事の発言をよく点検すると、天罰が下りたのは国民(一般)のほうで被災者へではない、と言っている。「天罰」という言葉は被災者への天災被害と連想されるのが通常だから、この時期に使うと誤解される典型だ。
 日本人はこの日本語で意思疎通を図っている。こんなにも使い勝手の悪い日本語なのか、それとも、意図的な「言葉狩り」なのか?

3/15/2011

省エネ必要理由の虚実(地球温暖化と地震災害)

 東電管内の一都八県を五つのグループに分け、深夜を除き計画停電(輪番停電)が始まった。おおざっぱに言えば、電力使用量の二割減を目標とし、第1日目の14日は節電に成功した。混乱はしたが、自主的節電が行われ、目標量を達成できている時間帯は計画停電はする必要がなかっただけだ。
 やればできる。日本国民は電気が原子力発電に多くを依存し、大地震のためそれらが機能停止になったら、節電しなければ市民生活が継続できないことを完全に理解し行動した。今回は原発の代替として休止の火力発電を急遽運転したので、地球環境温暖化ガスの二酸化炭素の排出増にはなる。しかし、国民の理解が得られれば、省エネの二割減は出来る、ということではないか?
 鳩山前首相が一昨年、世界に向けて25%の削減を約束したが、肝心の日本国民はそっぽを向いたまま二年が過ぎた。約束された世界も忘れているのではないか。そして日本国民は今度の危機対応とは違い、人為的地球温暖化対策の必要性は「絵空事」だと薄々感じているからではないか?

3/14/2011

東電の値上げで半強制節電を

 蓮舫大臣が節電啓発担当相に任命され早速仕事に取りかかるそうだ。
 節電はかけ声だけではたいして実行されないだろう。だから、東電では輪番停電という強制を用いている。5グループに分けて三時間ずつ、ということになっているから、需要を二割減にすれば減少した供給力に見合うらしい。
 二割減になるように臨時に電力料金を上げたらよい。そうすれば不要不急の電力使用から先に脱落し、需要が順次減少する。足りなければさらに値上げを繰り返す。企業も採算を重視するから、工場などの操業は東京電力管内以外のところを優先にするにちがいない。当面のデフレには供給力を絞るのが一番の対策だから、それにも合致する。
 もし、東電がそれらの値上げで収益の増加があれば(使用電力量が減るので何とも言えないが)、それは政府に上納し復興税のような資金手当に使えばよい。

3/13/2011

月から金の平日を1/5づつ休日に

 東電が原発の被災に起因する総供給電力の減少による不時停電を避けるため、輪番停電を実施する予定だ。これは工場事業場の稼働する平日対応だという。東電管内を五グループに分け日中の三時間程度を計画停電させる。
 これからわかることは、平日のみ需要量が超過する。それは産業用だ。
 だとしたら、産業用では一日のうち三時間だけ操業停止するのは合理的ではない。平日5日間のうち1日だけを非操業すなわち休日とする。週休2日を3日とするほうがよいのではないか?各産業グループで月~金の5日に分散するように週休三日目を設定すればよい。

3/11/2011

ラッピングトレーラーは「もったいない」

 ラッピングカーの代表は定期バスだ。車体の外側をまるまるペイントして走る広告になっている。「もったいない」のはこれではない。繁華街をときたまトレーラーのような大きなトラックがゆっくり走って、正確に言うと、巡回している。トレーラーの荷台にはワイド画面の広告が両面に描かれている大きな板状のものが載っているのだ。道の両側から見えるので、走る広告というより、広告のために走っている格好だ。
 広告を繁華街に常設するのは莫大な金がかかるのだろう。広告を走らせれば、トラック代と運転手の人件費だけで省マネーだし、動くので注目を浴びやすい。しかし、道路をその分、占有するので、渋滞の原因になるし、燃料など資源の無駄遣いだ。

言葉狩り二例(メア部長、土肥議員)

 米国務省日本部長のメア氏が沖縄問題における発言のなかでの「ごまかし」と「ゆすり」は比喩として使ったのだろうが、もう少し穏当な言葉を選ぶべきだった。メア氏が言いたかったのは、日本社会には建前と本音があり、その本音の部分を学生相手だから興味を持ってもらうように伝えたかったのではないか。日本に長期に住み、日本人と結婚し、日本語も堪能な氏には日本と沖縄問題への知識が豊富だろうし、アメリカ人がそれらをどのように感じ解釈しているかは日本人にとって興味深いものがある。
 言葉狩りのようなまねはしない方がよい。使った用語の問題はあるが、発言の内容で判断すべきだ。事実誤認の部分はあるが、大部分は正しい(建前と本音の切り口で説明できる)。
 同様のことが、民主党土肥衆議院議員の竹島領有権放棄の共同宣言署名問題にある。土肥氏はミスだったと認めているが、喩え竹島は韓国のものだという考えでも、その考えを日本の国会議員がそもそも持ってはいけないということはないのではないか?国会は言論の府なのだから、言論の自由の方が上位なのは当たり前だ。

3/10/2011

折り込み広告は「もったいない」

 紙の無駄のもう一つは新聞折り込み広告だ。わが家は朝刊だけだが、毎日10~20枚の折り込みがある。新聞店の事業らしいが、広告を必要としている人だけでなく、全世帯に一律に配るから、無駄になるものも多いのではないか?ちなみにわが家ではそのまま新聞紙ストッカーへ行き、最後は古紙利用へと回る。再利用はされるが、配達され見られることなく古紙利用へ直行とは大いなる無駄だとやるせない気持ちだ。せめて新聞店で配達先の家庭に要不要を聞いたらよいのに。

3/09/2011

紙爆弾は「もったいない」

 「もったいない」の典型は駅前などで無闇に配られ無理矢理受け取らされる政党宣伝用のビラだ。それがA党のものだったとして、A党支持の人には自明なので渡す必要がないし、A党不支持の人は読みたくもないから、受け取ったらすぐに捨ててしまう。いずれにしても無駄で資源の浪費そのものだ。
 それよりもインターネットのHPとかツイッターなどで周知すれば、省資源そのものとなる。紙爆弾と同じだとし、選挙期間中は厳禁されているようだが、以上の趣旨からすればこれらのみ許可あるいは推奨すれば、「もったいない」気持ちで満足がいくようになるのではないか?

二酸化炭素削減より「もったいない」を

 二酸化炭素などの人為的排出による地球温暖化メカニズムは未だ非科学的状態に留まっていると言わざるを得ない。さらには京都議定書により先進国の一部(EUと日本)だけにそれらの削減義務を課しているという基本的矛盾もある。
 石炭石油などの化石燃料を地下から採掘したら、その分は時間差はあるが最終は二酸化炭素の排出になるし、それがイコール二酸化炭素の人為的純排出総量となる。燃料としての使用ではすぐに、また石油化学製品では最後は廃棄物になり、結局は分解(あるいは焼却)され、二酸化炭素の排出となる。だから、ゴミの減量でいう3RのうちReduce(ゴミになるものを最初から作らないこと)が必要だ。この意味で「もったいない」気持ち、行動に徹すれば、小難しい温暖化理論に頼らずとも、結果はよいものになるのではないか?
 「もったいない」とは、無駄なものは買わないこと、そうすれば、売れないから作らない、で無駄にゴミになるものが最初からない、究極の環境対策となる。中東情勢の悪化により原油価格が高騰している現在、この「もったいない」精神で石油資源を省いていくことがすべての解決策につながる。

3/07/2011

在日でなく日本人になっていれば辞めないですんだ(前原外相辞任問題)

 前原前外相へ支援のため献金していた焼肉店の女性は政治資金規正法の外国人からの献金禁止のことを知らなかったという。今回それを知った上で、さらには在日韓国(朝鮮)人は外国人だということを再確認したことだろう。日本人のなかで普通に暮らすため、(日本人的な)「通名」を使って献金したというから、前原氏本人がチェックするのでなければ、前原事務所の職員には献金禁止対象者のチェックを見逃す誘因にもなったのではないか。
 日本で普通に暮らし、政治献金も問題なくできるには、日本に帰化し、(韓国系)日本人となることが一番だ。そうしていたら、前原大臣も辞めないですんだ。

中国人あっての中国政府だ

 中国の政治は中国人が決める。日本人のような外国のものがやきもきすることはない(内政干渉はよくない)。中国には民主主義がない。それで困っているのはその国の国民だ。リビアも同じだ。
 それにしても毎日曜日に大都市の目抜き通りに市民が集まるのを妨害する政府は本当にその国民の支持を得られているのか疑問だ(しかし、それは国民がよいならよい)。中国政府の姜瑜副報道局長は「ニューヨークの広場で何十人か集まったら米政府はどうするのか?(解散を命じるはずだ)」と米国の記者に反論していたが、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」(自分の発想でしか考えられない)類の典型だったのには笑ってしまった。

3/03/2011

抜け殻は寄せ集めの民主党B

 民主党は立法府の中の一政党なのだから、打ち出す政策は所属の国会議員でよく議論して変えるときは変えなければならない。それをする前に、公明党などと子ども手当などの根幹政策を変える可能性がある、と執行部が勝手に言い出すものだから、下っ端の議員、採決要員と蔑まされた例の16人が怒るのは当たり前だ。愛知県小選挙区の佐藤夕子議員が離党にまで踏み切るのも同じ心情だろう。
 そもそも民主党は政党か、という疑問がある。民主党出身の各知事、市長は党の外に出てことごとく反民主の政策を標榜することになる。抜け殻が原口元総務相の名付けた民主党Bになっているようだ。

3/02/2011

児童手当に戻ったら税額控除(還付金)で支給するとよい

 子ども手当が所得制限のある児童手当に戻ると、市町村での住民への配分事務が煩雑となり、児童手当が廃止となっている今、さらに手間がかかるという批判がある。
 そもそもはこのような国の手続きを地方自治体に押しつけることがおかしい。国には税務署という立派な徴収機関がある。住民の所得を把握しているので、税金の確定時にその所得・家族構成に応じて児童手当分を「税額控除」してやれば済む。税金より戻す額の方が多くなれば(負の税金)、確定申告時に還付する手続きと同様に銀行振込などで戻せばよい。
 国民年金保険料徴収も国税事務に統合する民主党の歳入庁構想はどうなったのだろう。
 児童手当も自民党時代の定額給付金も民主党政権の子ども手当もすべて選挙対策のバラマキ給付金だから、税金がいつの間にか安くなっていた、ではまずいのだろう。また、景気対策上、目に見えるかたちで現金が支給された方が消費しやすくなり、よい、という説もあるが、国民はそんなに馬鹿ではない。税金(給付金)を差し引きした手取額で家計全体の消費額(貯蓄額)を決めるはずだ。そうしないのはその日暮らしの低所得層だけだろう。

3/01/2011

16人は採決要員ではないが除名されるべき

 民主党の会派離脱16人の衆議院議員がとうとう予算案採決に欠席した。
 16人は比例単独で当選した議員ばかりで、「採決要員」と揶揄されてきた。国会は個々の議員からなり、法律などはそれらの総意で決まる。政党とか会派は二次的なものだ。民主党の比例単独選出だから政治行動に制約が多い、と考える必要はない。すべての議員は平等に一票の採決に加わることができる。欠席(棄権)も立派な一票だ。
 問題は民主党という与党が数多くの議員を完全掌握できなかったことにある。だから、除名などして、党としての規律を後追いでもよいからはっきりさせることが必要だ、最低限。

2/28/2011

年金だけで老後をまかなう無理(主婦の無年金問題に思う)

 日本の年金は個人に対する制度となっている。だから、専業主婦でも、夫が会社員の場合で年金保険料は夫の厚生年金に対して二人分払うが、主婦は払った意識がないまま第3号被保険者として位置づけられている。今回の問題は、そのような制度的欠陥から、夫が退職後、主婦が60才になるまで三号被保険者(専業主婦)から一号(国民年金)に移らなければならないのに、未払いとなり、その間の分は年金未納(将来はその分は年金減額)となることだという。それらへの救済策として過去2年分を遡って支払えばそれ以前の分は納めたことにする現制度に批判が集まっている。
 その批判はあたっている。支払に応じて年金額が決まるという平等性が崩れる。
 しかし、そもそもは年金に対する考えが違うのではないか?
 年金は世代間の応援だとしたら、応援した分(保険料を支払った分)あとになって、若い世代から応援してもらう、ということだろう。だから、年金をかけることは基本は任意でよいのではないか?老後の資金は自分の労働期における蓄えを当てるのが基本だ。それに加えていくばくかの年金があてにできるなら、蓄えは少なくてよいし、死ぬ寸前まで確保しておく必要もない。その程度のものだ。
 年金だけで老後をすべてまかなうというのは、まっとうな人生設計においても、国家財政の負担の限度からいっても、おかしいのではないか?

2/27/2011

解散後の政治空白は問題ない

 菅内閣は衆院の解散総選挙を回避する理由として、政治空白の恐れを言う。本当は負けるとわかっている選挙を避けているだけで、それはそれで理由にはなっていると思うのだが。
 政治空白と言っても、解散から告示、投票、組閣までせいぜい一ヶ月半くらいのものだ。その間は菅内閣が存続しているから、立法案件以外は行政での政治主導ができる。それよりも、今のねじれ状態の方がよっぽど政治空白状態ではないのか。予算の執行もできない。
 総選挙で衆院の直近の民意が出れば、各党ともそれには従わざるを得ない。小泉内閣の時の参議院の郵政民営化反対勢力も他院の勢力変化を見て、従ったではないか。

2/25/2011

アルカイダは独裁者と反体制国民の共通する敵

 日テレ24ニュース2/25から

〈混乱が続くリビアでは、首都・トリポリ周辺の都市でも、カダフィ政権への包囲網が狭まっており、反政府勢力は、第3の都市・ミスラタも制圧した。「この反乱をあおっているのは(国際テロ組織の)アルカイダと(その指導者の)ビンラディンだ!」-カダフィ大佐は強気な発言を繰り返しているが、東部は完全に反政府勢力が掌握している。また、国境近くの町では、離反した軍の兵士などが治安維持にあたっている。〉
 アラブの独裁者たちはアルカイダと対立しているようなのが初めてわかった。してみると、今は亡きイラクのサダムフセインもアルカイダとは敵同士だったかもしれない。米国ブッシュ前大統領はイラクは大量破壊兵器を隠しており、かつ、アルカイダの「避難場所」を提供している、ことをイラク戦争の理由にしたが、ふたつとも無実だったことになる。
 また、アルカイダはリビアの(反体制の)穏健な国民にとって、独裁者カダフィとも共通する敵だったことになる。

2/24/2011

中国は対民衆革命で北朝鮮と一心同体

 以下、産経新聞WEB2/24より、
韓国紙中央日報は23日、外交消息筋の話として、中国の孟建柱・公安相が今月13日から朱霜成・北朝鮮人民保安相の招きで訪朝した際、中東で広がる独裁政権崩壊と民主化の余波が北朝鮮に及ぶのを防ぐための措置を協議したと報じた。報道によると、中国は中東全域に展開するネットワークで集めた情報を北朝鮮側に示し、チュニジア、エジプトなどの政権崩壊の背景や北朝鮮内の反政府活動を防いで体制を維持する方策を話し合ったという。特に最近、脱北者系メディアに北朝鮮の内部情報が漏れていることから、中国側は携帯電話の追跡技術を供与。北朝鮮は即座に国家安全保衛部などの保安機関を投入して情報流出源特定のための取り締まりを強化するなど反政府動向への監視を強めているという。「盟友」とされたルーマニアのチャウシェスク大統領が1989年、民衆に処刑された際、金正日総書記は民衆蜂起の恐ろしさを認識し、経過と対処法を入念に研究したとされ、中東の民主化の波にも重大な関心を示しているとみられる。〉
 中国はアラブ民衆革命の波が北朝鮮と中国自体へも影響しないよう、北朝鮮と協力体制にある。これからは、中国と北朝鮮は一心同体と見なさなければ本質には迫れないだろう。

2/23/2011

カダフィと中国共産党は同じか?

 中日新聞WEBニュース2/23によると
反政府デモが続くリビアの最高指導者カダフィ大佐は22日の国営テレビを通じた演説で「デモ参加者には死を。根こそぎ掃討する」と述べ、徹底弾圧を続ける姿勢を示した。一方、デモ隊対策の要である公安相が同日、政権離脱を表明するなど閣僚や外交官の離反は日ごとに増えており、カダフィ政権は孤立し、末期的な様相を呈している。演説でカダフィ氏は「最後の血の一滴まで戦う。(中国の)天安門事件のようにデモ隊をたたきつぶす」と徹底抗戦の構えを強調。「あえてこの地にとどまり、殉教者として死ぬつもりだ」とも述べた。〉
と報じられている。

 カダフィ大佐は中国の天安門事件当時の共産党政権(今も存続)と自国民に対する価値観を共有している。いまの中国政府はカダフィのリビアと同じなのだろうか?聞いてみたい。

2/21/2011

中露に対し嫌がらせ外交を

 国と国の外交は戦争にはならない戦いだ。相手国のいやがることをシレットしてやってのける。机の上では握手しているが、下では蹴り合っている、それが外交だ。ロシアも中国も日本に対し領土問題などでこの外交をしている。日本も見習うべきだ。
 アラブの民衆革命が中国にも波及しつつある。ここで日本としては中国のいやがることをすべきだ。国民へのインターネットの遮断を中国は巧妙にしているが、日本の技術力で外からそれを解放できないか?世界の動きを知ることができるNHKの海外向け放送を中国政府は遮断することもあるらしい。だったら、日本の放送衛星から中国人が直接見られるようにしたらよい。いままでは無料で見られるのを防止していたようだが。
 ロシアでもチェチェンの独立運動を助けたらよい、日露戦争時代の明石大佐のロシア革命支援のように。

2/18/2011

海兵隊だけでは抑止力ではない(鳩山氏の真意)?

 鳩山由起夫氏が沖縄地元のメディアのインタビューを受け、そのなかで「抑止力は方便」の衝撃的発言をし(実際は、記者の質問の中の「方便」を否定しなかった)、また、その後の東京での釈明会見をみると、真相は以下の通りのようだ。氏は沖縄の海兵隊の抑止力は認めていないが、在日米軍の陸海空海兵隊の四軍が全体として抑止力を維持していることは認めている。だから、その一部である在沖海兵隊だけでは抑止力はないと考えたが、辺野古に移転先が戻るための「方便」として認めたことにしたそうだ。
 でも、全体で抑止力を維持している一部はやはり抑止力ではないのか?その点の理屈がよくわからない。

2/17/2011

築地移転反対の知事候補を出すべき(都議会民主党)

 地方自治の二元代表制の問題が指摘されている。東京都も地方団体だ。首長の石原知事と民主党が多数を占める都議会の間で築地市場の豊洲移転問題の決着が暗礁に乗り上げている。幸いこの4月には都知事選挙がある。四選出馬が噂されている石原知事が当選すれば、都民の民意は「移転」の方だということになる。直近の民意が二元代表制の矛盾を解決する。石原知事に代わる自公候補が出て当選しても同じだ。
 民主党は当選の見込みが薄いところから独自候補は出さないかもしれない。でも、そういうことではなく、築地移転反対ならその政策を掲げる民主党系候補を出さなければ、築地移転反対を引っ込めないとおかしいことになりはしないか?かりに落選するとしても立候補させないとおかしい。不戦敗は許されない。
 その点、共産党は小池氏を擁立し、つじつまは合っている。渡辺美樹氏の政策は民主党系ではない。うわさされる東国原氏はもっと違う。

2/16/2011

春日一幸「理屈は後から貨車で付いてくる」(鳩山由紀夫氏へ)

 鳩山前首相は、2月12日までの地元紙のインタビューで「辺野古に戻らざるを得ない苦しい中で、理屈づけしなければならず、考えあぐねて『抑止力』という言葉を使った。方便と言われれば方便だった」と語ったと報じられた。
 方便の意味は、「ある目的を達するために便宜的に用いられる手段、てだて」だそうだ。インタビュー内容に即していうと、「目的」は「辺野古に戻る」、「便宜的な手段」は「抑止力」となる。つまりこれは一般的な言葉に戻すと、政府の目的を達成するための理由を説明するのに便宜的手段を使わざるを得なかった、ということになる。しかし、総理あるいはすべての政治家の言葉として適当なのは、「抑止力」のために「辺野古に戻る」という論理順だ。
 目的が先に決まり、理屈はあとで便宜的に決めざるを得なかったというのはどこかで聞いた政治家の言葉だ。春日一幸氏が民社党委員長当時、自民党国対側の主張を「理屈は後から貨車で付いてくる」(自民党も民社党も実利が大切)と評したのと似ている。鳩山氏は当時の自民党並みの古い政治家だが、当時の自民党国対は「理屈は後から」ということは決して言葉にしなかったところが違う。敵対する春日氏だからばらしたのだ。 
 15日、鳩山前首相は、方便発言に対して「質問の中でね、『それは方便ですか?』って聞かれたら、『そういう側面もあるかな』という反省の中で申し上げたんだけれども」と釈明した。酷評を和らげるのに、質問に答えた場面だったし、「側面」と言ったと薄めても同じことだ。

2/14/2011

首相は「方便」でなく「信念」を

 鳩山由紀夫前首相が昨年普天間移転問題で「最低でも県外」を撤回し、辺野古への移転を決めた理由の米海兵隊の抑止力は「方便」だったと言い訳した。
 日本の最高権力者だったら、方便は使わなくても自分の思うとおりしたらよかった。自主外交が信念だったので、米国とあくまで沖縄の基地の撤去を交渉すべきだった。それではうまくないことがわかっているから、「方便」という理由で自己の信念をその場は隠したことにしたのだろう。だったら、死ぬまで隠し続けるのが元首相の立場だ。
 次の菅首相も市民運動家としての長年の信念を隠しているみたいで、それが地位にとどまるための方便のように見える。

2/10/2011

幕下定年で第二の人生へ

 大相撲に入門の若者は当初はすべて最高峰の横綱を目指すのだろうが、途中でコースが二手に分かれるのではないか?下のコースでの(隠れた)常識行動は、十両にまで上がって何年間かその地位を保てば引退後親方として残れる、すなわち、相撲協会の一員として老後まで生活の不安がなくなる、というものだろう。その何年かを保てずに幕下に落ちたら、これから上がっていく若者と一緒に付け人なんかしていられない。
 確信を持って言っているわけではないが、八百長相撲はこのクラスにほぼ限定されるのだろう。上のクラスでは昇進のほうがメリットは多い。
 下のクラスの常識を「ガチンコ」のほうに転換させるには、携帯と通帳を提出させ厳罰で臨むだけではうまくいかないだろう。幕下(すなわち、付け人)の定年制を引いたらどうか?ある年齢以上で幕下以下にとどまり、あるいは、十両から転落し再び上がることができなければ、本人にとっては退職金をもらって相撲以外の道に進んだ方が人生として有意義だ。相撲で定年でも、社会ではまだ若い。
 ついでに、大関を最終目標とする力士が多すぎるので、たとえば、二桁勝利が二場所つづけてなければ関脇以下に降格(いまは負け越し二場所)というのはどうか。

2/09/2011

農産物輸入は援助にもなる

 日本がTPPなど自由貿易体制を推進する立場にある理由として、「日本は資源が少なく海外から輸入しなければならない。そのためには工業製品を輸出しなければ外貨が稼げない(加工貿易)。だから農産物の貿易も含め、世界の自由貿易体制の一層の推進を先頭に立って図らなければ国が立ち行かない」とするのは正論だ。
 この正論に以下の「貿易が成り立つ比較優位の原則」も付け加えるべきだ。
 貿易は二国間で比較して優位な商品がその対象(優位な方から輸出)となる訳ではない。各々の「国内で比較して優位」な商品が輸出され、そうでないものは輸入されるようになる。そうでなければ、輸出入の金額のバランスがとれず、すなわち貿易が成り立たない。日本で言えば、工業製品は国内で比較優位で、農業製品は比較劣位(おおざっぱに言って)なのだから、農業製品を輸入するようになるのは貿易上当たり前のことだ。
 さらに、貿易には低開発国の支援という意味もある。支援のためにお金とかものとかをやっても、それがなくなったらそれで終わりだ。継続して生きる術、すなわち、産業を振興し、またそのための人材を育てる援助方法が必要だと叫ばれている。低開発国では農業が国内では比較優位な産業だ。だから、先進国は上記の原則からいえば、「農業製品をできるだけ輸入してやることが最大の援助」ということになりはしないか?欧米諸国と日本が自国の農業の保護しか考えていないのはおかしい。世界の貧しい国(国民)も助けるべきだ、貿易で。

2/07/2011

憲法上の通信の秘密保護と携帯記録の開示との関連

 八百長の噂が絶えなかったのは、当事者が白状しないとその証明にならないからだ。別件で押収した携帯電話の通信記録から間接的に「白状」させられた格好だ。
 ここで、通信の秘密の保護はどうなっているのだろうか?通信の秘密は保護されるべきだと、憲法21条にある。犯罪の捜査のためだったら、電話の傍聴は許されることになったが、これとの関係は?また、一色海上保安官のユーチューブへの投稿記録をGoogleが捜査当局へ提出したのは通信の秘密保護に反しないか?

2/06/2011

大相撲八百長は「やわらかなボール」とは違う

 大相撲は日本古来の神事を引き継ぐものだから、勝負一辺倒ではなく、ある程度の「人情」が入ってよい、との根強い意見がある。江戸時代から「八百長的」なものは存在していた、と。
 文痴は違うと思う。神事には違いないし、その意味でガッツポーズが許されないのは賛成だ。しかし、そのうえでの実力のスポーツだから、本場所は人気を持ち続けたのだろう。世の中には実力以外の「人情」がありすぎる。人情に無関係のものにとっては「情実」に与れなかったことになり、いくら実力を磨いても、無駄だと言うことになる。だから、実力100%のスポーツに人気があり、その証拠に外国人すら横綱になれる、ということがあったのだろう。
 もし、人気を持ち続けられたいのなら、曖昧な決着は許されることではない。
 テニスの美談で戦前の日米の試合で、相手が滑って転んだので、「やわらかなボール」を打ち返し、拾えるようにした、というのがあった。これは美談かもしれないが、誰にでもその意味がわかるので、隠れた取引となる八百長ではないだろう。

2/03/2011

八百長の証拠を野球賭博の押収資料から流用(許される?)

 大相撲の八百長はよくないことだ。いくら興業だといっても、プロレスとは違い、ファンは真剣勝負を求めている。ただ、八百長は犯罪ではない。大相撲は外部の賭の対象にはなっていないからだ。
 ただ、力士の野球賭博(これは犯罪)の関連で押収した携帯電話記録から関係ない八百長の証拠を見つけるのはどうなのか、と思ってしまう。裁判所から出される強制処分のひとつの押収には、対象の犯罪が限定されているのではないか。

2/02/2011

インターネットで草の根情報交換は「神話」なのか

 エジプトの民主化を求める国民の動きを邪魔するためにムバラク政権は国内のISP(プロバイダー)に指示し、全土でインターネット接続をできなくした。チュニジア政変でツィッターあるいはface bookが大きな役割をした教訓によるものらしい。中国で日常行われている「検索妨害」と違い、全面的に遮断するのは大胆としか言いようがない。
 インターネットが国民の草の根の交流を可能にする、というのは権力に対してはほとんど無抵抗になるらしい。無国籍あるいは外国の中継業者を経由したインターネット網への接続というのはできないものか?

1/31/2011

エジプトと比べて、下が対策専念では国が改革しない(中国)

 イスラム諸国での民衆革命の流れがチュニジアから始まり、大国エジプトに波及しようとしている。ソ連崩壊時の東欧革命の大変動に比せられるようになるのか?いずれにせよ、民主主義の手続きで正統な政府を選んでほしい。その点、先輩国のイランのイスラム革命政府に手続きでの正当性があるのか検証すべきだ。すべてが米欧が恐れるイスラム革命になるかどうかわからない。
 北朝鮮の国民には言論の自由ばかりか通信の自由もないので、下からの革命は無理だ。
 中国は比較的自由な社会で、外国にも開かれている。そこで、民主主義の普通選挙が行われない一党独裁政権が続いているのは何故か。インターネットの規制とかいろいろ理由があろうが、「上に政策あれば下に対策あり」の中国の四千年の歴史が原因しているのではないか。自分さえ良ければ(経済活動の自由)、政治は上のすることだと無関心になる、その達観が国を危うくしている。

1/28/2011

S&Pの格付けは素人の知識にも劣る

 S&P(スタンダード・アンド・プアーズ)が日本国債の格付けを一段階下げてAA-としたが、格付け会社がわざわざ投資家のために格付けをする意味、資格がわからない。格付けは株なら株価、国債などの証券なら時価(利回り)となってあらわれ、それは全世界の投資家による「投票」でなされている。初心家向けに教えてくれているのかもしれないが、間違いだっらそれこそ素人をだましたことになる。2008年のリーマンショックでそれ以前の格付けがすべて誤りだったことが白日の下になったのを既に忘れているみたいだ。
 格付け会社の言っていることが半分以上でも正しければ、格付け会社の社員がまずは投資をしたらよい。いまごろ億万長者になっているところだろう。
 聞くところによると、日本国債の発行残高が1,000兆円にも達し、先進国では最大の対GDP比率になるのを警告する意味で格付けを下げたらしい。そんなことは全世界の誰でも周知のことで、余計なお世話だ。むしろ、国債が巨額の残高でも利回りが史上最低(高値維持)となっている日本経済の底力の理由を知りたい。

1/27/2011

政治家としてのべき論から解散・総選挙を

 衆院解散・総選挙は総理の専権事項には違いないが、政治家としての理想論で言えば、政権与党の延命のために解散をギリギリまでしない(任期満了ちかくまで延ばす)というのではないのだろう。前回の総選挙で政権を得たあとに、重要な政策案件がでてきたら、その政策を旗印に国民に信を問うため、解散総選挙に訴える、というのが正道だ。民主党政権で言えば、消費税増税と社会保障の問題、TPPへの参加の是非などが新規の重要政策であり、あわせて、前回総選挙の2009年マニュフェストで一部撤回するものがでてきた、というのも総選挙の争点だ。だからいま、解散・総選挙に打って出るというのは菅政権として当然の政治行動ではないか?

1/26/2011

核心的利益、愛国無罪、造反有理・・・

 「核心的利益」という外交用語を中国政府は使う。絶対に譲歩しない、という意味らしい。とすると、「交渉」にならないではないか。
 中国国民は「愛国無罪」のプラカードを掲げ、日系企業の打ち壊しに参加する。4文字熟語ですべてが許されるらしい。「造反有理」というのも文革当時にはあった。中国は政府も国民も他国(他人)との議論で結論を出していこうという近代社会的なものをもっていないのではないか?

1/25/2011

国立市民の不便(パスポート取得時)

 パスポートの更新手続きに都庁に行った。用意するものは埋め込み用の写真一枚と手数料16,000円(受け取り時に必要)だけだ。住民票はいらない。住民基本台帳で確認できるからだそうだ。ただし東京都では国立市民は必要だという。国立市は市長が住基ネットへの加入を拒否している。そのために市民全員が迷惑を受けているのだ。横浜市がそうだったと思うが、拒否者のみが加入しないようにすればよい。市民全員を道連れにする権限は市長にないとおもうが、どういう考えからなのか?
 おりしも、以上の市民派の考えに同調していた民主党が政権を担うようになって、国民共通番号制度の必要性を唱え始めた(与謝野大臣)のは、何とも皮肉な話だ。

1/24/2011

民主主義は目的ではなく、プロセスに過ぎない

 阿久根市の竹原市長がリコール後の出直し選挙で敗退した。勝ったリコール派の新市長・西平氏は「竹原市政の改革はおおむねよいが、専決処分などの手法がよくない」と批判している。この選挙結果に対し、多くの評論は「民主主義のプロセスは迂遠だが守らなければかえって危険になる」というものだ。新市長は新規まき直しで議会とのプロセスを重視し、前市長と余り変わらない結論を得ようとするのだろうか?無駄なような感じがする。
 文痴は、プロセスよりも結果だ、とまでは言わないまでも、プロセス重視だけを金科玉条にするのは疑問に思う。ローマは紀元前、共和制では危機に対応できないことを知り、帝政に移行、皇帝=第一人者を選んでかなりの権限を与え、ローマ帝国による世界の平和(パックス・ロマーナ)を達成した。逆に戦前の大日本帝国は明治憲法の民主主義下で「国家意志がバラバラな国に成り下がり」陸海軍相争い、肝心の敵国・米国に完敗した。
 文痴はその話を劣化する行政技術者と題したなかで、戦後の日本でも、「官僚組織あるいは民間の組織でも、プロセス(組織内秩序)重視で結果軽視(出たとこ勝負)の組織運営は継続している」と書いて、日本人のあいも変わらぬ劣化メンタリティを評した。

インフル鶏とは違い、口蹄疫の食肉は流通できないか?

 東国原知事がお別れ会見をした宮崎県でいま、東国原氏が在任中苦労した口蹄疫に引き続き、鶏インフルエンザが流行している。こちらのほうは豚などを介在して人間にも伝染する代物だから、是非、撲滅してほしい。介在する野鳥などとの接触が起こりえない「クリーンルーム」的な環境で養鶏業を営むべきなのだろう。豚では完全クリーンなSPF豚などの先例があり、「安全、安心、美味」で高級品化に成功している。卵だってそうなってもよいのではないか?
 一方、口蹄疫のほうだが、韓国でまたもや猛威をふるって、世界的には例年の流行になっている。人間の移動がウイルス伝搬の主原因だというから、国境(県境)の人間の移動を禁止しなければ、撲滅に完全を期すことはできない。鶏インフルエンザは渡り鳥によるもので、「渡り」もまた事実上「禁止」できないのと同じだ。
 ここで考え方を変えて、口蹄疫牛豚は殺処分するのではなく、ワクチンなどで症状を和らげる(治療する)ことにし、食肉として流通させてもよいのではないか?料理に火を通すことが通常だし、ウイルスは通常では人間にはうつらないと(宣伝で)聞いている。

1/21/2011

フランスと観光で張り合うのは無理(観光庁)

 観光庁(国土交通省)の資料をみていたら、「外国人旅行者受入数の国際比較」のグラフがあった。2009年の各国比較では一位のフランスが7,420万人/年、日本は33位の679万人だ。フランスの一割にも達しない。観光庁はこの数字をもって我が国の観光政策のいっそうの奮起を誓っているようだ。
 でも、比較するには少し酷でないか?フランスは(あるいは三位スペイン五位イタリアも)観光資源は確かに多いが、来る外国客も来やすい。陸続きの移動が大部分で、EU圏内からだったら国境は自由に通過できる。日本へは韓国、中国、台湾が三大外国客となる。まずは近いことがその理由だ。しかし、島国日本へは事実上航空機を利用せざるを得ない。航空機では高い費用と旅客容量からの制約の面で不利だ。対中国ではビザの審査が厳しい。
 13億人の中国が近いということは、観光客を誘致しやすい最大条件だが、中国の現状を見ると、大部分の国民の経済力の低さなどから、すぐに観光客10倍増にはならない。日本の観光庁で努力できる範囲は限られている。

1/19/2011

新憲法下では菅内閣不一致はあり得ない(消費税)

 消費税増税へのレースで、まず藤井官房副長官が麻生内閣時の法律附則を根拠に2011年度末(来年3月)までに消費税のあり方に道筋をつけるべきだ、と鬨の声を上げた。与謝野経済財政大臣はもちろん同調。ライバルの海江田経産大臣は消費税増税の前には総選挙で洗礼を受けるべきだと反論。その論争を見て野党は閣内不一致状態ではないかと大騒ぎだ。
 よく、閣内不一致だと言うが、すべての大臣は総理大臣が任命したものだ。だから、総理の方針に「不一致」の大臣は更迭して「一致」する人に替えれば済む。菅首相が上記に確たる方針を示さないことがむしろ問題なのだ。
 戦前の内閣は大日本帝国憲法(明治憲法)の規程で、天皇が元老あるいは枢密院の助言のもと内閣総理大臣とほかの国務大臣も任命した。総理大臣はじめ「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責任ニ任ス」(55条1項)としたので人事権おろか業務命令権もなかった。総理大臣は大臣の間の筆頭にすぎない、と言う位置づけだ。「総理」あるいは「首相(首班大臣)」と言う名称はその意味あいを引きずっている。
 だから、閣内不一致、ということが頻発した。それを日本国憲法下においても問題としているのは惰性としか言いようがない。

1/17/2011

与謝野氏「丸抱え」は大連合と同じ

 与謝野馨もと官房長官(安倍内閣)が菅内閣の経済財政相となった。まさか大臣病患者ではないだろう。大臣は自民党時代に何回も歴任している。なっていないのは総理大臣くらいだ。
 だから、要の経済財政相となったら、思う存分自分の政策を実行するだろう。菅首相もそれをむしろ期待・覚悟して起用したのだろう。昔は野党の政策を与党政府が「丸呑み」した、と言ったが、今度の場合、野党の人そのものを政策ごと「丸抱え」(全権委任)した、と表現するのだろうか?民主党と自民党などとは政策に大きな違いがない分野が多い。それが与野党争うと妥協できないが、人が行くことによって「大連合的」に進むのではないだろうか?

1/16/2011

支持率が低くなったのはマニフェストに反対になったのではないか?

 菅内閣は支持率が低くなっても解散しないだろう。負けるとわかっている戦いはしないものだ。そのことはわかったうえで、なぜ支持率が低くなったかの理由は分析する必要がある。
 菅内閣というより鳩山前内閣から続く民主党内閣だからだろう。一昨年の総選挙で掲げたマニュフェストが実際に実行されようとしているときになって、初めておかしいとわかった、というのと、逆にマニュフェストの実行が遅々として進まない、の正反対の二つが不支持の理由となる。どちらかというのでなく、どちらの有権者がどのくらいいるかを知りたい。(菅内閣は後者の意見をあてにし、あと二年待って欲しいと言っているわけだが)
 それを国民に客観的に知らせるのがマスコミの役割で、民主党党内政局などの表面だけをトレースするだけではおかしいと思う。そのためには世論調査でも具体的に子ども手当とか農家への戸別補償の賛否を問うて欲しい。

1/14/2011

57.6%は単なるショック数字?

 大卒の就職内定率が57.6%にしかならないと大騒ぎだ。一人で複数の内定をもらって、ギリギリまで離さないものもいるから、最終の実数はどうなるかわからない。学生を対象に調査する内定率のほかに求人の企業を対象にした「求人充足率」というものはないのだろうか。いずれにせよ大卒有効求人率がいくらになるのか知りたい。まさか0.6程度と低くはあるまい。
 原因として、インターネット時代だから、いままでより広範に求人と求職の活動が交錯するのだから、その分競争が激しく内定率が下がる、というのがあった。でも、その方が労働市場としてはより機能することになっている。いままでは、数回のお見合いで決めたようなものだったが、最近は自由恋愛それも合コンを何回もやってやっと理想の相手を見つける、というような類似ができる。
 いずれにせよ、4月以降に、就職した(できなかった)学生、新社員を迎えた(充足できなかった)企業の数・率を調べれば実態がわかるはずだ。57.6%ショックというのは為にするニュース用かもしれない。

1/13/2011

西岡議長の発言を理由に更迭すべき(仙谷長官を)

 仙谷官房長官が自身に対する参院による問責決議を「法的根拠がなく従う必要はない」としているのは字面から見ると正しい。衆院の不信任決議の法的なものとは違うからだ。だから、菅首相が仙谷長官を更迭する場合は問責を理由とはしないだろう。問責を含めいろいろ政治的に考え総合判断した、と言うのが適当だ。
 そのさい、菅内閣に対し、西岡参院議長が仙谷長官の罷免を政治的に主張しているのが助け船になる。議長の決断は重い。中立の議長それも民主党出身の西岡氏の意見であればこそ党派性がないからだ。菅首相はこの議長の発言を主要な理由として決断したらよい。

1/12/2011

菅首相の「国際炭素税」は逆に矛盾を明らかにするもの

 少し前の新聞報道に菅首相が地球温暖化対策の二酸化炭素排出削減のあり方について新しい提案をしたのが紹介されていた。それは中印などの新興国を削減枠組みへ誘導する考え方を示すもので、一人あたり排出許容量を世界で同一量(平等)とするものだった。
 2009.11.10に文痴は環境税でなく炭素税をとの考えを書いた。その最後に「国際炭素税」として世界同一税率を提案したので、考えは同じになる。
 これがなぜ新興国への誘導策になるかというと、世界のすべての人が同一水準の排出量──すなわち豊かさということになるが──を甘受できるという平等性からだ。いままでの国別の現況排出量をスタートとして議論されたら、新興国にとって今後の発展と人口増に支障をきたすことになるから反対してきたのだ。
 しかし、その新聞の結論は逆で、菅首相の考えでは莫大な排出権が新興国に(今後とも)残り、そもそも地球環境にとっての許容量を守るところでなく、現状よりも大幅に超過してしまうのであり得ない話だ、と結論づけている。
 以上が二酸化炭素削減の国際的枠組みを進めるうえでの根本矛盾で、二酸化炭素による人為的地球温暖化説のメカニズムが曖昧なこととあわせ、今後致命的な隘路となること間違いない。

1/06/2011

小沢一郎インタビューを見ても結論は変わらない

 昨夜のBS11の番組INsideOUTで民主党元代表小沢一郎氏へのインタビューを見た。裏番組では菅首相のインタビューがあったが、同時なのでそちらは見られなかった。インタビューの前半大部分は外交問題、日中、日米の関係のあり方で、これは自民党政府時代でも共通する党派を超えたテーマで納得はできた。最後の部分で民主党内抗争に及んだが、これは菅代表とじっくり話し合うしかない問題と思われる。菅内閣政府ではなく、あくまで、私党・民主党内の問題だからだ。
 菅首相は小沢問題を公明党などとの連立への隘路として解決すべきものと考えているのだろう。しかし、それだけではないのではないか?小沢氏も言っているとおりだ。菅内閣の政策に問題がある。ねじれ国会のなかで与野党議論を尽くして結論を出せばよい。国会とはそういうものだ。連立与党で安定多数を形成して「自動的」に近く結論を出すものではない。

1/04/2011

二年半、衆参ねじれのもと政治が続く

 自民党ほかの野党は衆参ねじれ下で一刻も早い解散総選挙を菅内閣に迫っている。菅内閣の失政、民主党の党内対立で、いま総選挙すれば与党民主党は惨敗する政治状勢だからだ。
 結論から言うと、菅内閣あるいはそれを引き継ぐかもしれない民主党内閣は解散をしないだろう。衆院での安定多数をわざわざ失うという自殺策をとることはないからだ。勝ってもねじれは解消しないし、負けても与野党替わって、反対のねじれになる。自民党の小泉~安倍~福田~麻生の四年間の政権でも同じ判断で、任期切れ近くまでやった。「熟議」して、両院すなわち与野党で妥協をはかっていくしかないのではないか?お互いの両院での勢力差を変えることができない前提で進めるしかない。または、与野党の境界線を変更する(政界再編)のか。いずれにせよあと二年半。