12/26/2007

新聞はアジテーター

福田首相の「年金問題解決は・・・選挙公約だったのかな」発言を聞いたとき、選挙公約の軽さを選挙人、被選挙人の共通理解として内心納得していた。町村官房長官はその主旨を大胆にも記者会見で公言した。
ところが、新聞等マスコミが問題にするや、内閣支持率が急落。
新聞等紙媒体の報道が、電波媒体のTVラジオに速報性で劣り、多様性双方性にインターネットに負けて久しい。
新聞が生き残る道は、この例のように、国民に問題提起(福田首相の発言は実はけしからんと)する、酷な言い方であれば、けしかける(増幅)のが唯一なのではないか?
各新聞はその読者層に特定性が見られるが、その読者の気持ちを代弁し、うっぷんを晴らす機能が残った。「残った」とは、明治の新聞草創期はそうだったのである。
明治のインテリは「新聞は子供に読ませると有害」と考えていたと聞く。

12/02/2007

限界集落消滅は必然

山村部の限界集落が消滅の危機に瀕している。
中山間地の農林業が経済的に成り立たなくなっているのが深因だ。次世代の若者が都市に移住するのは仕方がない。当の世代の老人は年金があれば、自給自足を加え生活していくことはできるが、その世代が消滅すれば、当然のように集落も消滅するので、いま「限界」の集落と言われている。

消滅するのは仕方がない。はるか昔、人間活動が山間地に及び、いま、撤退していくのだ。何の不思議があろうか?大切なのは、それら経済条件の変動に柔軟に対応していくことだ。
小沢一郎も「変わらずに生き残るためには、みずから変わらなければならない」と言っている。