6/29/2015

言論の自由を制約する言論も「命をかけて守る」べき

 シャルリエブド社へのテロ行為を非難するデモは、ヴォルテールの名言「私はあなたの意見には反対だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」に照らして、同社の風刺画に賛成できなくても言論表現の自由は守る、という決意の表れだった。
 今回の自民党若手の言論・報道の自由を制約する発言もこの「賛成できない言論だが」のはずだ。制約の仕方が、戦前の治安維持法あるいはイスラムテロ組織の暴力など強制力に基づくものでない限り、すべて「守るべき言論」でないだろうか。

6/28/2015

百田氏と自民党若手の言論は盗み聞きされたもの

 言論の自由には責任も伴う。ただしそれは公言された場合だ。電話とか内々の話での「言論」はプライベートなものだから、それを盗聴なり、盗み聞きして、「責任を問う」ことにはならない。
 日本の家屋構造では隣の部屋の会話が筒抜けになることがある。でも、ふすま一つ閉めれば「聞こえていない」とするのが日本の文化だ。
 自民党の会議室のガラスに耳を押しつけて会話を盗み聞きするのでは、まずは日本人であることを疑われるだろう。

6/27/2015

言論の府の議員は議論をすればよい

 自民党の若手議員による文化芸術懇話会で一民間人の百田尚樹氏が極論を言ったからとして新聞社の組織である沖縄二紙が「抗議する」というのは馬鹿げたことだ。紙面で反論すべきだし、その手段を自ら持っている。
 その懇話会の場で、国会議員が極論を言ったから、国会の委員会の場で政府の責任問題にするのもおかしいのではないか?極端に言って、民主主義を否定する意見も民主主義下の言論の自由だ。問題にするなら、当の若手議員と議論したらどうか?それが言論の府に属するもののやりかただ。

6/21/2015

憲法よりまずは法案が必要かどうかだ

 立憲主義とは政府の統治を憲法に基づき行う原理だが、立法府のほうでは少し違う。
 憲法改定の場合、それを発議するのは国会(憲法96条)で、国会にしかできない。だから、改憲の必要性が生じたとき、それを議論できないようでは立法府の意味がない。
 そこで、今回の安保関連法案だが、憲法違反だから法案は認められない、というのは国権の最高機関の国会の議論ではない。法案が国民のために必要なら、憲法を変え(る発議をし、そのあとの国民投票に委ね)てまで成立させようというのが正しい。

6/17/2015

イラク軍は同一宗派と戦って強くなるはずがない

 米軍に教育訓練を受けてもイラク正規軍は弱い。米軍から支給の武器を捨てて敗走する。それらを使って敵のISは強くなった。世界一の武器だから。
 イラク正規軍の兵士は内心は、同じスンニ派同士が戦っているから、敵という気持ちがもてないのだろう。ISへの好敵はクルド兵だ。クルド人はイラク内に事実上の独立国を持っている。民族と国が一致すれば祖国防衛戦になるから強兵となる。

6/14/2015

憲法改正が遠くなる

 安倍自民党の党是は憲法改正だったはずだ。いま、九条二項の解釈(拡大?)で、集団自衛権の一部まで可能にしようとしている。その安保法制が成立すれば、当面、憲法改正を急ぐ誘因はなくなってしまう。
 解釈に解釈を重ねた憲法を続けてよいのだろうか?

6/13/2015

安保法制議論、まずは、必要性から

 安保法制の議論でわかりづらくなっているのは二つの論点がごちゃ混ぜになっているからだ。
 一つは本質的な、自衛隊の活動を集団的自衛権の一部にまで拡げることの可否(AとB)、もう一つは法律技術的な、集団的自衛権の一部は現憲法の解釈でできるか(a)、改憲しないとできないか(b)、だ。
 Aの論者にはAaとAbがいる。Bの反対陣営はAbまで自陣に巻き込んでいる。まずは、AかBで議論し、もし、集団的自衛権の一部にまで踏み込む必要があるという結論に至ったら、そのあとの解釈aか改憲bかは枝葉末節に過ぎないのではないか。

6/10/2015

うそつき東京五輪招致活動

 2020年東京オリンピックの招致に成功したのは「コンパクト」と「新国立競技場」の売りではなかったのか。
 招致後、8kmに8割どころか、開催都市・東京都以外にも競技施設が広がった。新国立競技場の斬新なデザインも大幅に変えられ(縮小され)ようとしている。詳細を検討時に改善を加えるのは悪いことではない。しかし、招致したときに結果的に嘘をついたことにならないか?