11/27/2008

道路は交通量だけで整備するものではない

 国土交通省道路局の審議会が道路交通量の将来推計で減少に転ずると発表した。道路関係者の間で一部大騒ぎとなっているが、いままで増加してきたのだから、いつかは減少に転ずる。人口減、車離れ、情報化時代だから当たり前といえば当たり前だ。騒ぎの真意は今後の道路整備がどうなるかだ。しかし、道路交通量が減少しても道路整備は引き続き必要だ。
 渋滞道路は車線を増やしたり、交差点・踏切を立体化するなどの「量的対策」がなされるが、交通量が減ることになれば、これらの一部に不要のものがでる。しかし、道路整備の大半は「質的対策」のものだ。道路の質、すなわち、カーブがきつい、二車線確保には狭すぎ、追い越しも出来ない、都会部で歩道がない、自転車レーンを新設したい、などの質的不備は交通量の多少には関係しない。前記踏切除去は安全対策でもある。
 このように大部分の道路が最低の質的基準をクリアしていない。道路整備の費用対効果B/Cの議論以前の状態にあるともいえる。道路の効果(便益)Benefitは時間短縮効果などで、すべて交通量を掛け合わせたものだ。だから、交通量が減少すれば整備効果は比例して少なくなり、整備の理由がなくなる、とするものだが、その議論の土俵に乗らないものもあることをわかってほしい。

11/26/2008

選挙の結果に反抗(タイ、韓国、昔の日本)

 タイの社会が混乱している。民主的に選んだ政権のソムチャイ首相の退陣を要求するグループがスバンナブーム国際空港を閉鎖させるまでの実力行使にでている。首相官邸の占拠は長期間続いている。選挙の結果に従わない国民なのか?どうもわからない。
 韓国でも李明博大統領の政策にローソクデモで左派民衆が抵抗していた。前政権支持者の行動だろうが、これも選挙の結果に従わない行動だ。いまはどうなったのか?
 日本でも、60年安保改訂時に選挙で選ばれた自民党政権の岸内閣に対し、安保改訂反対デモが国会周辺を席捲した。岸首相はサイレントマジョリティの声は「賛成」だと主張した(選挙の結果の政府だからそうであろう)。
 デモ、実力行使で政治を動かすことは民主主義の社会ではあり得ない。選挙で動かすべきだし、選挙の結果には謙虚に従うべきだろう。

11/25/2008

殺人がバーチャルで簡単に

 小泉容疑者の自供によれば、行政への恨みだったが、なんだか殺人の動機としてははっきりしない。行政一般への恨みがトップに向かったのは、伊藤一長長崎市長のケースと同じだ。山口元次官がいい人だったというのとは無関係だ。シンポルが標的になった。
 それにしても、漠然とした恨み-特定の人を憎むというのではなく-が殺人にまで至るというのは、秋葉原無差別殺傷の加藤容疑者とも共通する。怒りやすい人がよく街頭で怒鳴っているのは目にするが、それが殺人になるとは社会も変わったものだ。
 文痴が若い頃は、高倉健とか小林旭がやくざに扮し、単身相手の組に乗り込んで、刀で人殺しをする任侠映画はよく見た。かっこうよかったが、刃傷沙汰は恐ろしかった。ナイフ、短刀あるいは流血を見ると、引いてしまうのは、そのときの教育効果かもしれない。いまはそれらがゲームの中で、戦争までバーチャルに戦われる、時代なのだろうか?

11/21/2008

行政への恨み、ではないか?

 テロの目的は政治的なものだろう。一殺百戒的に社会に脅しを掛ける。そうして自己に都合の良いように政治を歪めていく。
 今回の元高級官僚とその家族に対するものは、社会への政治的脅しになっていない。犯行声明もないし、もちろん、政治的声明もないからだ。よくわからない、では方向性を持った脅しにならない。それに、(テロ組織のような)高度な政治目的を持つ(と自負する)グループが家族をも害するだろうか?それら無辜のものに手を掛けるだけで、政治的目的(あったとして)は台無しになってしまう。
 長崎市長が行政対象暴力で殉職されたときと同じく、単なる「行政への恨み」が行政OBに向かった(警備が薄いところへ向かった)ような気がする。
 いずれにせよ、真相が早く明らかになってほしい。そうでないと、マスコミによる副次的騒ぎが大きくなるばかりだ。

11/20/2008

銀行も自動車も救済不必要(米国)

 GMをはじめ米国自動車ビックスリーが倒産の危機に瀕している。ブッシュ政権は救済しない方針だが、次期オバマ政権も救済することはないだろう。企業の倒産は資本主義経済の宿命というか新陳代謝として「必要なこと」なのだ。経済のプレーヤーの交代がなければ、活力ある経済とならない。トヨタ、ホンダに交代すればよい。米国の自動車産業労働者は外国メーカーに雇われることに何の抵抗もないだろう。
 一方で救済の対象となった銀行は特殊だからだ。ドルがすべて紙幣のまま流通することは不可能だ。銀行の決済機能が、国の貨幣機能を代替している。だから、銀行は公的存在で、つぶすことは出来ない。ここからは文痴の考えだが、銀行が間接金融として危ない借り手に貸すことは、銀行の自己責任(その銀行への貸し手責任として預金者へも)の範囲で、そこを救済することはないと思う。上記自動車産業と同じだ。庶民(情報を持たないという意味)の預金の救済として、業界互助的な預金保険機構もある。
 大前研一氏は、新銀行東京はこの決済機能だけで商売すれば良かった、と言っている。東京都の払う手数料だけでもビジネスは成り立つ(メインの富士銀行に払う必要がなくなる)。

11/19/2008

石油価格は投機であがった

 ガソリン価格が下がっている。10月のピーク、180円/l以上からもとの120円台まで急激に下がった(ガソリン税ほかの税60円程度を引くと120→60だから半減)。やはり投機マネーが入り、撤退したからだ、と判断せざるを得ない。中印の高度成長に伴う石油製品需要増がベースにはある、と言われていた。だから、値が下がることはないと。しかし、不況が全世界的に消費を減じている。
 需給関係で値段は決まる。投機は一時的なものだ。
 それはそうと、不況のおかげで、二酸化炭素の排出も大幅減となっているはずだ。そのことを誰も言わない。やはり、誰も地球環境より生活が大事らしい。
 不況といっても、生活をするのに最低必要なものの消費はなくならない。そのベースにまで経済が縮小しただけだ。そのベースで生活するのに何の支障があろうか?ベース以上に活況だったのはバブルだったのだという考えもある。経済変動はバブル発生とバブル解消の繰り返しだ。

11/18/2008

19cmの効果は小さいがその積み重ねが必要(淀川ダム)

 熊本県の球磨川、近畿の淀川でそれぞれの関係知事がダム建設に反対し、河川計画の変更を余儀なくさせられている、との報道がある。正確に言うと、地方財政の悪化により、ダム建設費用が捻出できなくなった(府県の財政上の順位が低くなった)ということであろう。ダムの治水上の効果に変わりがあったわけではない。効果をBとし、費用をCとすれば、B/Cすなわち費用対効果は(1以上である必要がある)同じだが、Cに変わりはないが、財政悪化で、たとえば、福祉、教育などの他用途が優先になり、おなじCでも価値が高くなったCとなったのだ。
 淀川の流域委員会委員長の宮本氏は大戸川ダムの効果は水位を19cm「しか」下げない、と指摘する。ということは19cmの効果はある。19cm「も」下げる、という言い方もできる。複数のダムあるいは他の治水施設で少しずつ水位を下げ、合計で安全な水位に下げることができる。

11/12/2008

言論のタブーが一番良くない(田母神参考人招致)

 朝日新聞11/12の2面で、田母神論文を保阪、秦の二近現代史学者がこきおろしていた。この二氏が蘊蓄を傾ける近現代史解釈にはそれぞれ頷けるところが多い。だけれど、これら超専門家が田母神論文を「稚拙」だと片づけるのは酷ではないか。田母神論文でも一般国民には、(単純に信じてきた)侵略国家観に対しそういう見方もあるのか、と新鮮に映るから、庶民レベルでは有用だ。この数日、文痴が主張しているのは、この種のタブーがかったテーマの議論が始まり、盛んになることが必要なことだ。その点、昨日の参議院参考人質問はお笑いだった。議論の府が(参考人の)言論に制約を加えるというのは、議会の役割から言ってあり得ないことだ。
 タブーといえば、中国ものが多いが、ダライラマも李登輝も最近は来日するのに何の抵抗もないし、(中国の妨害と日本国政府の狼狽)のニュースにもならない。靖国神社への首相参拝もそうなってほしい。もし、そのときの首相が参拝したいのなら。

11/11/2008

消費税増税予約で帳消しになった

 定額給付金が生活支援金だと誤解されている。貧困家庭にはたまたま生活支援になることは確かだ。(少数の)金持ちに給付されるかされないかは全体あるいは個別の金額的にはどうでも良いことだ(庶民の嫉妬心にはどうでもよくない)。
 それはそうと、デフレ経済対策だから、すべて消費してもらわないと効果が出きらない。麻生首相はばらまき批判を避けるためにあわせて三年後の増税を示唆した。示唆しただけで、心理的にデフレ効果となり、給付金は使わないで貯めるという家庭が増えそうだ。出して引いて、まるでマッチポンプだ。日本人特有の逆にも配慮する(アリバイづくり)わかりづらい政策だ。いまはそれ行けインフレ、どんどん、でよい。

11/10/2008

田母神論文の何が問題なのか

 田母神論文を読んだ。PDF9ページで、長さも文章も読みやすい。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf 問題視する人はとくに読まれたらよい。内容は、報道されているように、論議を呼ぶものだ。政府の村山談話を100%否定するものだから。引用や(それに起因する事実関係の)間違いが多く、(論議以前に)内容が雑だと一部で指摘されているのは、当たらないと思う。とくに、多く引用されている歴史学者の秦郁彦氏にそう指摘されているのは不思議だ。引用ばかりだというのも、素人に近い田母神氏にとって酷ではないか。
 いずれにせよ、関心を持つ人すべてに読んでもらい、議論を盛んにすることを期待したい。国会参考人として大いに自説を展開し、この分野で(いままでタブーになりがちだった)与野党間の議論を盛んにすべきだ。
 政府高官が政府方針と異なることを書いた、というが、歴史認識が政府方針で決まっているはずがない。防衛方針なら、自衛官は遵守しなければならない(遵守しないと宣言してはならない)が、集団的自衛権の問題などの部分は、問題提起しただけだ。「自衛隊は・・・身動きできないようになっている」の部分は事実を述べたものだ。身動きできるように、(憲法)自衛隊法は守らなくてよいとは言っていない。

11/04/2008

ひとの国の評判を気にするな

 また田母神前航空幕僚長ものですが、文痴は彼の論文の内容には一切アクセスしていない(内容の是非を言っているのではない)のだが、周辺の動きが気になるので、それについて問題提起したい。
 田母神氏の退官記者会見後の質疑での記者の質問はいつものパターンだ。
--中国、韓国が不快感を示しているが
 「それは見解の相違だ。相手がどう思うかはこちらがコントロールできない。そこは大人と大人で、理解し合って付き合えばいい」
 日本の歴史評価のことだから、まずは国内で議論を盛んにすべきだと思う。関連国がどう思っているかが議論の結論に影響するなどあり得ないことだ。「見解の相違だ」とかたづけるに限る。
 北朝鮮の核あるいはミサイルに関し、(誰大臣だったか)我が国の核武装の是非の議論をすべきだ、と言って諸外国に対する悪影響を危惧されたときと同じ。

11/02/2008

公的身分の者にも言論の自由を保障すべき

 9/29にも前中山国交大臣の関連で書いたが、くりかえす。政治家のうち大臣などあるいは行政官でも公的な立場にあるものでも言論は自由にしたらどうか。今回の航空幕僚長の田母神空将の発表した先の大戦の性格論については、歴史の評価を待たねばならないことからも定まっているわけではなく、いろいろな意見があってしかるべきだ。それを無理矢理隠しても、多様な意見があるということが変わるわけではない。国民もそれを知りたいだろう。
 ここは誰もが自由に意見を述べてよい(憲法に保障されている)こととするが、当然のこととして、公的な立場にある者が公的な場所での発言に自身の信条を加えることは差し控える、というルールにしたらどうだろうか。変化する世界で、日本が発展的に変わっていくためには不可欠のことと思う。

11/01/2008

貧困層にとってバラマキが景気浮揚になるというメリット

 自公政権(民主党も同じだが)の全国民一律給付金のバラマキ経済対策を批判している人がいる。文痴も給付金では貯金あるいは借金返しに充当される恐れがあり(乗数が1以下)、効果が少ないと考える。上記の批判は金持ちも含む「一律」よりもっと貧困層に重点的に給付すべきだとするものらしい。でも、選挙対策でもあるからよいのではないか。民主党もバラマキだ。バラマキというのは全国民にするという意味だ。
 貧困層のうち非正規労働者など景気悪化により職を奪われる恐れがあるものにとって、一番必要なのは景気浮揚だ。全国民にバラマキ給付をすれば景気がそれなりによくなる。その恩恵を貧困層も受ける、という因果関係になる。貧困層にとって、給付金を重点的に受領できれば、そのときは助かるだろう。しかし、それはそれで終わりになる。