5/29/2011

対立する政党が協力しては独裁につながる

 戦前の二大政党、政友会と民政党の政争に国民が愛想を尽かし、政党政治の終焉を迎えた。だから、いまの民主党と自民党(公明党)もそうならないように協力して震災復興などにあたるべきだ、という耳ざわりのよい論がある。
 違うと思う。戦前はその結果、すべての政党が協力すべき大政翼賛会という民主主義否定の体制に入り、結局は戦争に突入、国を滅ぼした。「協力」という美言が落とし穴だった。今で言えば、大連立だ。政党政治だから、複数政党がなければ意味がない。近隣国のにせ民主主義(人民共和国)の一党独裁じゃあるまい。政党は政策の違いで政争を繰り広げるのが仕事だ。その一環で、不信任案を提出し、可決されれば、総選挙で国民の信を問い直すのに何の不思議があろうか?

5/27/2011

政治家がいなくても物事は進む(政治空白はない)

 淡水が枯渇したら海水でも冷却を継続するのは政治指示によらずとも当たり前のことだ。東電でも廃炉のリスクは当初から覚悟していたという。福島第一原発の吉田所長が一号炉の冷却を実は継続していたのは結果として正しかった。上の政治家が心配していることを忖度して、冷却を一時中止する必要はない。政治主導が必要なことは避難指示区域(のちに警戒区域)の設定ぐらいなものだ。今回の冷却継続(中止)の指示があったかどうかはなかったことにしてはどうか?
 ことほど左様に、震災後の後始末には政治家は必要ない。必要なのは予算の確保と組織の改編などの法律改正ぐらいなものだ。
 逆に政治家のトップたる首相に野党ばかりでなく民主党内からも信頼がない状態は政治の世界としてはまずいだろう。政治家が機能しない「政治空白」の心配はないので、ゆっくり、次期首相をきめたらどうか?また、現首相が必要とみとめるなら解散・総選挙もじっくりとやってほしい。その間でも、震後復旧・復興の作業は行政の当局が確実に実施するはずだ。

5/26/2011

水洗による除染で避難解除を急げ

 福島第一原発の警戒区域(計画的避難区域も)が継続している理由は、水素爆発による放射能物質の再飛散の恐れが残っていることと、3/14頃までに飛散した物質からの放射線が有害な量残っていることにあるのだろう。前者が今後の燃料冷却措置により理由としてなくなれば、後者の除染作業が急がれることになる。長引けば、避難民の負担が増えることになるし、東電による補償金も期間に比例して増大してしまう。
 主として地表面に降り積もったと見られる放射線物質を取り除く(除染)には、水洗するのがもっとも適当と思われる。期せずして、路面などに積もったものが下水道に流入してその処理後の汚泥に濃縮され困った、という話を聞くが、濃縮汚泥をさらに濃縮、減容化して、原発廃棄物同様、管理処分するしかないのだろう。だから、水の力で汚染物質を集めて濃縮するこの方法が一番よい。
 不純物を含む水を濃縮する、逆に言うと、汚染濃縮水を分離し純水を生産する最適な方法は、逆浸透膜による方法だ。この技術は日本が世界のうちでトップクラスに属する。水処理業界では周知の事実だ。フランスのアレバ社などに頼むまでもない。

5/24/2011

許容値が曖昧だから完全清浄へ、というのが風評

 東電による1~4号機の冷却作業が進めば、今後徐々に問題は解決の方向に向かうだろう。
 問題が残っているのは、風評被害のほうだ。文痴は最初は風評をたてる一般国民のほうに問題があると信じていた。ところが、諸外国の国民までが「風評におびえて」日本脱出あるいは来日忌避するに至って、どうも違うな、と思うようになった。
 風評が出るのは、正確な情報がないからだ。情報を発表する東電、日本国政府への信頼の問題だ。信頼を置けなければ、何を発表しても受け手の行動基準に影響を与えない。むしろ、わからないことを前提とした行動に走る。すなわち、完全清浄を求める。近県産の野菜とかは汚染が少しでも疑われれば、基準値内であっても、替わりのものがあるかぎり、購買しないという行動になる。
 現状の線量と言うより、許容基準値の決め方が怪しいと感じているのではないか?年間許容線量を1ミリSvから20に緩和するときの理由がはっきりしない。ICRP(国際放射線防護委員会)からこのような幅を持ったなかで各国で決めてよい、となっているそうだが、それにしても20倍は曖昧すぎる。
 実は、閾値があるのではないか?閾値とは、それ以下では被曝線量の多寡は健康に無関係だ、というような。日常の生活でも、医療の際とか航空機に搭乗するときとかの場合であれば被曝する放射線量に大小がうまれる。学問的には証明されるのは難しいのだろうが、それらを含めて、閾値は20ミリSvあたりのような気がする。

5/20/2011

供給側の都合でなく今回は休日分散化が進んだ

 自動車産業界の社長さん達が集まって、この夏の東電管内での電力逼迫に対し、土日操業と木金への休日の移動を決めた。
 結果として、観光地などの従前からの要望である休日分散化がなされた。観光庁が音頭をとったこの分散化の運動に国民はそっぽを向いていたが、節電のためなら皆で協力をしようということになったのである。観光地産業の供給側の都合ではものごとが進まなかったのに、今回も供給側の電力会社の都合だけでなく、災害による隘路を皆で解決しようというマインドで進んだからではないか?

5/19/2011

防護服で一時帰宅はおおげさで有害

 放射線被曝による健康リスクが言われているが、福島第一原発の作業員の中に、厳重な防護服を着て作業したため熱中症にかかるリスクがあることがわかった。すべての種類の健康被害リスクを比較して対処しなければおかしい。放射線では大丈夫だったが、熱中症による健康被害で重病になったとしたらパロディだ。
 20km圏内の住民の一時帰宅がこれからの暑い季節に順次実施されるという。素人にあの防護服を着せたら、作業員でも避けられなかった熱中症などの健康被害を一部の人が被るのは十分あり得る。放射線の被曝許容量は累積量が問題なのだから、短時間だったら防護服なしでも注意して(長袖、マスクなどはする)行動後、体表面に付着した放射性物質のホコリを除去する方がよいのではないか?

5/18/2011

海岸立地原発でよかったこともある

 福島第一に限らず、日本の原発のすべては海岸沿いに立地している。海水を二次冷却水に利用するためだ。フランスなどは内陸に設置するものが多く、そこでは冷却は巨大な冷却塔による空冷方式だ。
 海岸に立地していたから、津波の被害にあった、というひがみもあるが、メリットも多いのではないか?まず第一に、原発からの同心円の面積が半分は海なので、陸は半分で済んでいる。また、一次冷却水(淡水)の不足に近くにある海水を大量に利用できた。内陸の原発で一次冷却水の不足にはどうするのであろうか?
 それと、水素爆発により飛散、風に乗って北西方向にばらまかれた放射性物質も、多分大半は原発敷地内それも建屋内に残っていると思われ、放っておけば風などで飛散するところ、海水を放水したので、そのなかに固定された。地面に飛散した放射性物質を除染するより、海水に閉じこめられた高濃度汚染水を処理する方が容易だ。場合によったら、高濃度のまま冷却用に循環させても構わない。
 最後に大きな声では言えないが、それらが誤って(あるいは容量をオーバーして)海面に放流されても(実際、低濃度排水は意図的に放流した)、海は無限に近く希釈能力を有する。

5/17/2011

谷垣氏で駄目なら、首相候補となる総裁を

 菅首相を退陣させようとする勢力にとっての隘路は替わる首相候補がいないことだという。不信任案を可決するためには過半数を占める民主党からの造反が必要だ。ということは、民主党(一部)からの首相候補は出せない。となると、最大野党の自民党の総裁、谷垣氏を首相候補として倒閣運動をすすめることになる。
 ところが、谷垣氏では駄目だという声が自民党のなかから出ているという。不思議な話だ。政党だから党首を首相候補として政治活動を進めるのではないか?谷垣氏で駄目ならいますぐにも総裁選をやり直すしかない。

5/16/2011

「想定外」にどう対応すべきかNO5(レベルⅡ地震)

 想定していた規模を超える災害が襲来したらどうなるか、にあらかじめ対応しておくことが重要だ。ここで、想定を超えるものにさらに物理的に対応しておく、つまり、津波防波堤をさらに高くする、というのはその対応にはならない。
 地震の震動による構造物の被災について考える。建物とか橋とかの構造物を無限に丈夫にするのは合理的ではない。第一に費用がかかりすぎるし、構造物の耐用年限内に被災しなければ、無駄になる。だから、異常に大きい震動に対してはレベルⅡの地震対策として設計することになる。レベルⅠまでの比較的小さい震動には損傷がないようにするが、レベルⅡでは損傷は許すが、破壊が壊滅的にならないようにする。つまり壊れ方が人的被害を最小にするようにする、という考え方だ。
 カンタベリー地震2011.2.22ではクライストチャーチ市の中心のCTVビルが崩壊し、壊れ方で言えば、ぺしゃんこになった。これでは生存者はほぼ見込めない。阪神大震災で神戸市役所旧館はある特定の階だけが倒壊した。ほかの階では生存が見込める。橋でも落橋しなければ、上部の交通も下部空間にいたものも生存者は見込める。
 大津波に遭遇した原発で言えば、電源を耐水建物内に収容する、浸入海水が自然と排水できる、などであろうか。

5/15/2011

原発は電気で動く電化製品

 飛行機はまれに墜落することがある。その原因を調べることは次の墜落防止に確実に役立つ。だから、墜落の衝撃にも耐えるボイスレコーダー、フライトレコーダーを積んでいる。
 原発の場合、飛行機と違い事故後も面倒な冷却作業の継続が必要だ。その際事故でどこが機能停止に陥ったのかを把握することが不可欠だ。それらの監視センサーが外部電源などの予備電源喪失でめくら状態になった。せめて、最後の手段である蓄電池からの電力供給で動かすことができなかったのか?それらが冷却用ポンプと同一電源としていたのではすぐに枯渇してしまう。これら弱電系用は別電源とするのである。原子力発電所は電気を産むかもしれないが、電気で動く「電化製品」なのである。
 設置するセンサーとして、水位計、温度計、圧力計などは後始末作業に不可欠なのはわかった。さらに、今回の教訓として、ロボットが入れないような箇所のTVカメラ、放射線量計も設置していたのかどうか知りたい。
 事故は起こらない、を前提としていたら、上記センサーは軽視されるであろう。
(1号機の圧力容器内水位の異常低下を作業員が接近して初めて把握することが出来、炉心溶融・崩壊を推測できたとのことから以上を書いた)

5/14/2011

発電所を売って補償金にすればよい

 まず最初に、今回の福島第一原発の事故は天災によるところもあるので、補償金支払いに国費負担が更にあってもよいとは思う。しかし、補償金支払いのための電気料金値上げは許されない。(火力発電の再稼働による燃料費増加による値上げならよい)
 東電のバランスシートによると資産は13兆円余りあるという。このほとんどは発電施設と送配電施設だろう。このうち発電施設のうち水力発電(専用ダム、多目的ダムの使用権含む)、火力発電の施設をIPP(独立発電事業者)あるいはそれを立ち上げようとする企業に売却し、補償金の原資に加えるのである。バランスシートは簿価計算なので、時価にすると期待収益からの計算になり、場合によっては数倍の値段で売れるかもしれない。簿価以下でしか売れないものは、持ち続けるしかない。発電施設のうち原発とその附随施設ともいえる揚水発電所は売却対象外とする。東電を含め民間会社ではリスクが多く運営するのは困難ではないか?今回の教訓からわかったことだ。
 結果として、発電所の多くはIPPに、送配電施設は東電に残す、発送電分離が実現することになる。
 この案は経産省の担当レベルで検討されたことがあったそうだ。なぜつぶされたのか?
 上記発電所すべてを東電所有に残し、その収益で長期間にわたって機構基金に返却していくというのではどうしてもうやむやな決着に終わりそうな恐れがあり、国民が疑惑を持つことになろう。資産の大部分を売却する即時決着が明朗だ。

5/11/2011

警戒区域帰宅は累積線量管理で

 一般人の許容累積放射線量を1mSvから20倍の20mSvに「緩和した」ことに涙の抗議をして内閣参与を辞任した科学者がいた。国際基準では1~20の範囲で決めてよいことになっている。それはそれとして、20倍の範囲まで許されるとはきわめて曖昧だし、許された方(国家)もその範囲のどの値にしたらよいか戸惑うのではないか?
 許容基準だから、世界中の人間が同じ体質だと仮定して、一定の値として決めなければ、少なくとも運用できないではないだろうか、もちろん、子どもとか妊婦は別にしても。よく調べると、緊急時は緩い値でも許されるが、緊急時を脱していくにしたがい、本来あるべき数値(1mSv)に戻すべきなのだそうだ。
 人が一年間に被曝する自然放射能は世界平均で2.4mSvだから、それと比べて1mSvは低そうだが、それに加えるのだからゼロに近いほうがよいに決まっていて、それはせいぜい1mSvだというのは肯けないこともない。リスクは少ないほどよいという基準に見える。
 また、被曝量というのは累積量が問題だから、短時間なら少し強度があっても構わないのだろう。そのことと、職業として原発などに従事する作業員はある程度の被曝は自身が覚悟しているから、なんと、50倍とか100倍の50~100mSvに累積するまでを作業時間の限度とし、さらに今回の措置として、暫定的に250mSv(ただし5年間総量)まで緩和しているのだから、同じ人間に対してどうなんだろう、という疑問がある。
 いま福島第一原発の20km圏内の住民は警戒区域を設定され、限られた時間の一時帰宅しか許されない。ただ、被曝のリスクと帰宅できないリスク(精神的な苦痛も含め)を比較して、前記作業員並みに住民個人個人が累積被曝量を管理した上での帰宅とか、家畜の飼育とかの行動を決定できないものだろうか?同心円状の距離に応じて残留放射能があるわけではないし、場所によりまだら模様に汚染されているのだから。

「想定外」にどう対応すべきかNO4

 計画堤防高を超えた津波が襲来したとき「想定」しておくべきこととは何だろうか。
 原発の場合、原子炉建屋と発電機タービン建屋は堅牢に出来ている。津波を想定(計画高以上だから安全だとしていた)しているというより、内部の放射能物質を大地震時に閉じこめる機能のほうから堅牢になっているのであろう。今回の福島第一の場合も地震ばかりでなく津波でも被災していない。
 弱点は原発補機類だ。補機とは原子炉緊急停止後の冷却用予備電源、予備発電機、冷却水ポンプなどだ。補機が動かなくなっても原発にとっては致命的なので、同等の基準で守らなければ意味がない。柏崎刈羽原発では中越沖地震で燃料タンクのみが被災・炎上した。本体建屋と同等の耐震性がなかった。
 津波の海水をかぶったとき、何らかの損傷はおきるかもしれない。しかし、それが軽微で、すぐあとの機能に支障が少ないか、あるいは、修理が必要だとしてもすぐに機能が回復できるように、被害のパターンを想定、準備しておけばよい。今回の福島第一では予備電源が大地震ですべての送電系統が機能しなくなった(これも困ったことではある)。予備発電機は電気製品だから水没とくに海水につかると復旧が困難になるのに、計画敷高より低い地下室部分に設置していたという。致命的な誤りだ。たぶん、普段は使わない邪魔物だから、地下の有効利用の対象になったのだろう。予備発電機の燃料タンクも同じ扱いだ。

5/10/2011

「首相の言葉は重い」は皮肉

 中部電力の水野社長が昨日、浜岡原発のすべての原子炉を停止すると発表した。そのさい、「首相の言葉は重い」を理由の一つにしたのは、皮肉に違いない。
 民主党政権は政治主導を第一にするが、原子炉災害の危険性と電力供給の不足とを勘案し、日本国の原子力政策を云々する権限まで、国民は委譲していない。国民投票とか総選挙とかを経て、政治主導を発揮することが出来る。その二つも叶わないなら、せめて、国権の最高機関の衆参立法府の決議をもらうべきだろう。それまでは従来の原子力政策を根幹では継続させるのがせいぜいだ。これには菅内閣も関わっているのだから。
 だから、上記の「皮肉発言」となったのだろう。国民の意思の伝わり方としては変で、取締役会あるいは株主に対して説明がつかないけれど、わざわざの首相要請だから仕方ないか、と。

5/09/2011

大津波警報はオオカミ少年か?

 3/11の大地震後の大津波警報で、すぐには避難しなかった人が1/3にものぼることが(生存者・・・当たり前だが)アンケートでわかった。津波による死者はほとんどが避難しなかったためと思えるので、住民のうち半数近くがすぐに避難しなかったという恐ろしい結果だ。すぐに避難しない理由として、たぶん、最近の大津波警報の出し方にあるのではないか?たとえば、昨年のチリ地震津波(2010.2.28来襲)警報では実際に避難した人が1割にも満たなかったという。文痴はそのとき津波監視課長は謝罪無用のタイトルで空振りを謝罪することはない、と書いた(2010.3.1)。
 そのときからさらに考えるに、その「空振り」が過大警報だった、いつもそうだと受け取られたら、今回の警報軽視につながったのだのではないかと危惧するようになった。なぜ過大になるのかを考えるに、役人の、なにしろ安全側に出しておけば警報者の責任になることはあるまい、とのありがちな習性からだったら恐ろしい。確実な警報~避難が大津波の場合の唯一に近い対策だからだ。
 オオカミ少年(空振りのオオカミ出現警告多発)の例にぴったりではないか?

民間企業の判断で停止できない(浜岡原発)

 中部電力株式会社は政府から浜岡原発のすべての号機の停止を要請されている。来るべき東海地震の津波災害に耐えられないかもしれない、との根拠でだ。政府としては当然の判断だろう。節電などを受忍する国民の受けもよい。社会的に見ればそのような判断になろう。
 しかし、民間企業の中電として、また、この結果、中電管内で節電を強いられる一般企業にしてみるとどうだろうか?東海地震・津波のリスクは計算するが、それと、安価な原発電力を火力に一時転換する莫大な費用と節電により生産が縮小するデメリットを比較するのが民間企業だ。社会的な要請をつねに最優先すべきということであれば、企業というより、国営発電所あるいは公的企業(株式公開しない)でなければおかしいはずだ。
 管内の一般企業の判断で、国内のもっと西に(生産)移転することよりも、一気に海外移転することも自由な選択となる。そのときに前記の社会的判断でよかったのか、ということにならないか。
 いずれにせよ、民間企業に選択させるべきことではない。原子力関係法をさらに拡充し、政府権限で指示・命令しないと可哀想だ。

5/07/2011

電力会社の応急措置の評価は?

 菅首相が中部電力浜岡原発で稼働中の4,5号機の停止を要請した。
 東電福島第一原発の津波被害(即時の冷却失敗)を受けて、他の電力会社でも所管の原発の津波対策を再考し、中電でも予備電源の高所への設置、冷却水ポンプの防護などの応急措置をすませ、津波防波堤のかさあげに取りかかるところだ。
 この応急措置により少しでも安全にはなる、と中電の技術者は判断しての措置だろう。菅首相はその判断に対して応急措置としての評価を下すべきだ。首相が言わなくても、原子力安全委員会でもよいが。
 浜岡原発については、東電福島より比較的新しい1,2号機を廃止し、3~5号機(3号機は定期点検中)は最新のものとなっている。たぶん事故時のバックアップなどのシステムがよくなっているとは思う、福島第二もそうで、津波被害にも関わらず冷却に成功している。  

5/06/2011

「想定外」にどう対応すべきかその3(超過災害)

 計画以上の津波が来たからと言って、計画を立て直しさらに大きな津波に対処すべき、とは必ずしも思わない。今回の津波は年最大超過確率1/1,000にも及ぶ規模だという。
 ここで、年最大超過確率とはある年に襲来する自然災害の最大の規模が確率1/1,000の希な現象だ、ということだ。(簡単に言うと、年の始めに10の目があるサイコロを三回振って同じ目が出たら、その年のいつかその規模の災害に襲われる。俗に言う千年に一回規則的に襲う規模とは違う)
 その様な規模の災害に対応するのは現実的でない。経費が膨大になるし、999/1,000の確率で安全なので、その大部分の年では、とくに津波防潮堤の場合は、町の真ん中で邪魔なものでしかない。
 だから、計画規模は以前と同等として、計画を超過する災害にどう対処するかを考える方がクレバーだ。今回の原発防潮堤の場合はその様な対処をしていなかったらしい。

5/05/2011

「想定外」にどう対応すべきかその2

 「想定外」は許されないとは、計画以上の現象に対応するため計画レベルを更に上げろ、と言っているわけではない。たとえ15mの津波に対応し防潮堤を嵩上げしたとしても、自然現象だから、ごく低い確率で(希に)それを超す津波が来ることはある。そのために無限に高い堤防を作るのは現実としてはあり得ない。だから、計画上はある確率で持ちこたえることができるものを作る。しかし、それを超える現象があることを「想定」しておくべきだ。つまり、超えて、津波が浸入したとき、当然ながら被害が生ずるが、その被害をできるだけ壊滅的にしないように工夫(想定)しておくべきだ。
(つづく)

「想定外」にどう対応すべきかその1

 福島第一原発の予備電源が想定外の津波によりすべて働かなくなり、原子炉緊急時の「止める」はできたが、そのあとの「冷やす」ができず、「閉じ込める」までに多大の手間がかかっている。
 津波の想定高は10メートルとしていたが、それ以上(15メートル)の想定外(以上)の波が来たので、と弁解調になっている。「想定外」とは裁判上の言葉だ。想定していたのにできなかったら、司法上は責任が生ずる。今回の問題は、技術上の事だから「想定外」という言い訳は許されない。「想定外」と片づけるのではなく、同じ自然現象に遭遇したら、計画以上のことだったが、その場合も想定し、何らかの対応を準備しておかなくては、(津波などの)自然現象を相手とする技術者として失格ではないか?
(つづく)