3/30/2007

粗製濫造TVコメント

在京キー局が5局もあって、CM収入総額から言って多すぎるし、その弊害が出ている。
視聴率争いから、奇を衒ってニュースショウなどに有名人をコメンテーターとして出演させる。それが優秀な人だとしても、全ての分野に通じているはずがない。
よくわからない分野でも無理にコメントするから、なるべく視聴者にとって耳あたりのよい(権力側にとっては耳痛い)言葉を並べれば格好が付くというもの。
その連続がTV世論となるとすると恐ろしいことだ。(本当は井戸端会議のようなものなのに)

3/28/2007

ばらまき福祉は票にならない

統一地方選挙の時期に突入した。
「わたしは福祉をやります」などという、政治スローガンを掲げる候補が出てきた。
票を多数集めるためには、最大多数の層に利益になる、この種の(福祉)政策を掲げればよいようなものだが、そうならないところが民主主義日本の特徴だ。
結果の平等が欲しい(貧困)層でも、機会の平等を使って更に上にあがりたい(あがる可能性を持ちたい)のが日本人だ。

3/27/2007

TV界は護送船団

TV局は春の番組改編時期で、再放送ものばかりでつまらない。NHKも民放のこの悪習におつきあい。
TV関係者はこの春休みと秋休みと年末年始のお休みがある。ニュース以外は不要不急だから構わないが。
日本経済が頭打ちでCM収入も右肩下がりだというのに、相変わらずの高給と以上の長い休み。これでは下請け安値制作にしわ寄せして、第二第三の「あるある大事典」事件が起きるはずだ。

それでも安閑とし、内部からの改革が起きないのは、放送免許という既得権のなせる技だ。

3/14/2007

天に唾する米国など(従軍慰安婦問題)

「従軍」慰安婦問題も南京「大虐殺」問題も、事実関係を正確に捉えれば解決する。「従軍」と「大虐殺」の証拠が今のところないに等しい。
状況証拠だったら逆に問題がなかったと言える。
「従軍」のほうは、当時売春が民間事業として十分成り立っていたこと、「大虐殺」のほうは、あったとしたらたぶん便衣兵(正規兵が軍服を脱ぎ捨て民間人をよそおってゲリラ的に抵抗)の殺害はあったし、それなら戦闘行為で全く問題はない。
以上だが、百歩譲って問題があったとしても、数十年を経た今になって問題にする理由がない。
当時は当時として問題の解決は決着している。
現在の日本が未だ従軍慰安婦を利用し、他国に侵略した際、大虐殺をしているなら、問題事例を再度問題にするのはわかる。
問題事例を他山の石として反省すべきは、問題化しようとしている国々だ(U国、K国、C国)。

3/07/2007

都外の人が石原都政にNO?

浅野前宮城知事が都知事に立候補する。その理由として、石原都政にはもうたくさん、という声が充ち満ちている、としている。
問題なのは、それらの声は全国から寄せられているからとの一言。
他の46道府県在住の非選挙民が都政に何故文句をつけるのか?権利も義務もない。石原氏の放言が目障りなだけではないか?地方による地方への内政干渉といえないか。地方自治とはその地域の住民がその地方のことを決める、ということを忘れている。

3/01/2007

君が代日の丸を強制しない都知事

石原都政では君が代日の丸を公立学校の行事で地方公務員たる教職員に「強制」している。教職員の雇い主は都民で、その代表たる都知事の命令だから従わないと職務怠慢になる。
命令に従わない教職員とそのシンパの人たちは石原慎太郎氏を「生理的」に嫌悪しているのではないか?であるなら、浅野前宮城県知事を都知事候補に担ぎ出したらよい。
浅野氏が都知事となれば、「強制」が各先生の「自由」となるのだろうか?

都知事選とかの選挙は有権者の想いを代弁する人が立候補することが社会的には必要だ。棄権するほど精神的によくないことはない。
その点、共産党はほとんどの場合、独自候補を立てるから、当選の可能性からして無駄だとは言っても、その意味では必要なことではないか。