12/30/2008

いま失業対策事業を

 年の瀬で、非正規社員の派遣切れ失業の悲哀をニュースが伝えている。
 この責任を雇い主の自動車会社などに求めるのは筋違いだ。税金を納めているのだから、政府の責任だ。働ける人が職に就けない。職業能力がないわけでない。生活保護とか職業訓練では解決にはならない。だから、失業対策としての仕事を公的につくるべきだ。昔(80年前の世界恐慌時)は道路普請など誰でもできる仕事を作って、失業者を取りあえず雇った。単に生活支援金を配るより、仕事をしてもらって賃金を払った方が本人のためにもなるし、社会的にも納得ができる。
 失業対策には公共事業が最適なのではないか? 2兆円の定額給付金を一律に配る効果の薄い需要創出より、貧窮者対策が必要だ。

12/25/2008

環境のためにガソリン税率を維持する理屈はない

 7/21/2006に文痴はガソリン税を安くしても支障なしのプログを書いた。その後、2008年4月には暫定税率の期限切れ~再可決で一ヶ月間だけ、その分の25円/l安くなった。日本中が大騒ぎになり、暫定税率維持派(与党)は環境のため(ガソリン使用を減ずるには高い)税率を維持すべきとした。しかしその後の値段の動きはさらに大きくなった。4月時点でたしか150円/lだった(暫定税率切れで125円)のが、10月の金融恐慌直前まで、投機資金で(・・・あとになってわかったが)原油が史上最高値によりガソリンも180円まであがった。当時は、投機ばかりでなく、中印の経済発展により需給がタイトになり、今後、値が下がることは期待できないと言われた。
 しかし、いま、100円/lにまで下がった。ガソリン税の50円余を引いた商品の値で見ると、二、三ヶ月の間に130円が50円にまで劇的に下がったことになる。すべて世界的な景気後退が理由だ。中印の経済は世界と連動し、ガソリン使用も減った。「環境のため」には景気を後退させるのが唯一の方法になったかのようだ。こんなに安くなったのに需要は回復しない。ガソリンは価格弾力性がほとんどない商品なのだ。高くなった時期でも、渋滞はなくならなかった。
 以上、現実に起こったことに基づいた議論が必要なことを示した。

12/24/2008

仕事の創出がデフレ脱却の唯一手段

 TV東京12/23夜の番組で深尾光洋氏がコメンテーターとして出演、雇用対策としては、公的需要創出の公共事業は完成した施設の維持管理費が後年度の重い負担になるので適当でなく、職業訓練など直接失業者に資するものに限定すべきだと主張していた(2兆円の定額給付金も)。
 文痴が考えるに、デフレ(スパイラル・・・悪循環)になっているから、誰か(政府)がこの悪循環を止める必要がある。総需要をある水準にまで戻せばあとは経済の自立復旧ができる。追加需要により、国民所得が確保され、このさき経済が順調だと見れば、消費は戻るのである。その結果、税収が増えるので、追加の財政に必要だった国債が償還できる。これが政府、公的需要の必要性の説明だ。ケインズが提唱した「イロハ」だ。
 政策金利をゼロにして、銀行が中小企業からの貸し剥がしをやめたとしても、しばらくの延命が出来るに過ぎない。その先仕事がなければ、企業は存続できない。ある中小企業主がそう述懐していた。深尾氏の言う職業訓練が万全で求職待機しても、求人がなければ詐欺と同じだ。

12/22/2008

日本は内需で生きよ

 貿易統計のとくに輸出分が前年同月より三割以上の減となっている。異常な変動だ。米国とそれ以外でも中国、韓国が主な輸出先だが、これら二か国は日本から輸入の部品などでアメリカ向け製品を作り輸出する。だから、全てがアメリカの経済崩壊が原因だ。米国はこれまで消費バブルだった。借金が永久にできる前提での消費拡大だったから、いつかは崩壊するバブルだったのだ。サブプライム問題は引き金に過ぎない。
 それにしても日本の外需頼みの経済は困ったものだった。需要を当てにされた米国にしてみれば、貿易赤字になるから文句を言うのは当然だが、日本にとっても貿易黒字を大幅に積み上げてしまう。決して健全な経済運営とは言えない。日本の自動車工場の労働者はアメリカの購買者のために働く。他国の経済の都合で忙しくもなり、そのときは当然だが、一時的だと思い、臨時工(派遣労働者)を雇った。またまた他国の都合で、売れ行きが激減したら、派遣労働者は解雇される、臨時なのだから当たり前だ。我が国の労働行政は無力感を感じざるを得ない。日本国政府の力ではどうにもならない。
 中国はよい。民工と呼ばれる農村からの労働者は、もとの農村に帰ればよい(政府は帰せばよい)。都会に出てきた日本の派遣労働者はどうする?いまこそ、日本国民が消費するのにちょうどよい生産規模、(内需)経済規模に戻すべきだ。

12/19/2008

政策金利の逐次下げはならない

 株式相場の動きで「おねだり相場」(催促相場というのが正式か?)というのがあると聞いた。財政に頼り独立性を失った相場師の悪弊だ。日銀の政策金利の上げ下げにも同じ「おねだり」が横行している。その民間の催促行為の先導役に政府・財務省が立っているのは恥ずかしい限りだ。日銀の独立性を自分で言っておきながら、それを侵害する行為は「天に唾する」ものだ。
 政策金利の下げは、今回の米国FRBのように思い切って数%のダウン、ゼロ金利へと一発で行うのがよい。小出しにしても心理的効果は得られない。ガダルカナル敗戦の原因、戦力の逐次投入の誤りに似ている。

12/18/2008

マイナスをゼロにしただけでも

 景気変動はなぜおきるかというと、経済活動のプレイヤー(すなわち全人類)の心理的なものが大きいと思う。適正規模の経済活動から過大になったり(バブル)、過小になったり(パニック)が資本主義自由経済の宿命だ。いまはバブルのあとのパニックになって、全プレイヤーが過小行動へと雪崩を打っている。適正規模以下に行き過ぎている。
 こういうときに有効なのが、ケインズの教える公的需要創出だ。ところが我が国ではこの必要性よりも、公的債務(国債残高)のこれ以上の積み上げを厳正に拒否する世論が形成されてしまっている。おまけに、バブル後の失われた十年に上記総需要政策が効かなかったではないか、という反省から公共需要(公共投資)を悪と見なす根拠にしている。
 実は「効いた」のだ。効いたからあの程度で済んだ。マイナスをゼロには出来た。もっと効かせていれば大きく成功(プラス)したかもしれない。
ここのところはリチャード・クー氏の論拠が正しいと思う。産経新聞12/13の「聖杯はどこに」をご覧あれ
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081013/biz0810130302000-n1.htm

12/17/2008

道路財源の地方への配り方

 一般財源化された道路財源から1兆円、地方に配分する方法で議論になっている。もともと臨時道路交付金として7,000億円、6,000億円の補助金のうち3,000億円の計1兆円のことだ。自民党(道路族)は交付金にして公共事業に使途を拡大・限定させようとし、民主党(麻生首相?)は交付税にして完全に地方の自由にしようと主張する。交付税だと、東京都、横浜市など不交付団体には行き渡らないが、それは別途考えるとのこと。交付税を主張する側から、道路が本当に必要なら、交付税にしても道路に使うので結果は交付金と同じことになるのでは、というもの。
 文痴の考えは違う。交付税にすると、道路支出がない団体にも道路財源が渡り、一般経費に使われてしまう。道路支出がないという意味は、道路が必要ない、ではなく、道路が完備している、例えば、大都市圏の都市のこと。いままで無駄な道路を作っている、という意味で言っているのではない。道路のためにと自動車ユーザーから徴税しているのだから、完全な一般財源化は無理だ。
 道路が完備していても維持管理の予算は必要だ。そのために、もともと道路諸税の地方の取り分がある。これは特定財源でないから、道路に使っていない自治体も多いはずだ。

12/16/2008

ニシン豊漁は海水温だけではない

 北海道の厚岸湾でニシンが大漁だという。ニシンは冷水温を好む魚種で、いままで不漁が続いていたのは地球温暖化に伴う海水温上昇が原因かと推測されてきた。地球温暖化の悪影響の証拠探しに躍起となっている人たちには残念なニュースだ。ところが、うまい理屈が見つかるもので、厚岸湾のニシンは地域性のもので、主に温暖化しているオホーツク海とは関係がなく、(たとえば厚岸湾近海の)ローカルな原因により豊漁となっているという。
 そりゃそうだろう。海水温だけではない。餌の繁殖条件や競合の魚種の盛衰もある。サケが不漁だというが、それと関係なしとは言えないだろう。生態系は複雑だ。単純に地球温暖化だけに結びつけないでほしい。

12/15/2008

同一労働同一賃金の原則へ

 非正規労働者の不景気に伴う解雇の問題が議論となっている。派遣で自由に労働したいとする者は少ないようだ。大部分は、正社員になれなかったので、派遣されて非正社員となっている。でも、同一労働だったら、賃金など雇用条件、解雇の順番などは同一であるべきだ。そうならないのは、正社員の組合が仲間の利益を護っているだけではないか?
 一方、同一労働同一賃金(労働条件)の原則を主張するなら、単純労働の社員は中国人の現地工場での賃金と同じく低くないとおかしい。そうでなければ、日本の企業に中国に対するなどの国際競争力が生まれない。労働スキルが労働価値(賃金水準)につながるという原則を確認したい。

12/12/2008

石破大臣は真意を隠した(文藝春秋誌)

 文藝春秋1月号の石破茂農水相(前防衛相)「田母神前空幕長を殉教者にするな」を読んだ。センター右の総合雑誌に自民党保守本流政治家が(このタイトルで)何を書くのかと不思議だった。読んでみたら、案の定、歴史観などの政治的なものは田母神氏とそう違いはない(と推測される)、というより、アリバイ的に同意しているのみで(細かい違いは当然あるのだろうが)詳述していない。
 ただひとつ、注文をつけているのは、文民統制についての田母神氏の考えは間違っている、と述べているところだ。「文民統制は・・・従って、厳格なコントロールが行われなければならないのだ」(全8頁の4頁目)が間違いとする唯一の根拠箇所だ。たしかに政府高官たる空幕長が民間雑誌に政府見解(村山談話の引き継ぎ)と明らかに差異があるものを発表するのは異例だ。だが、文民統制に支障があるとまで言えることかどうか。厳格であってもコントロールされるべきことか。ただの意見表明だ。(文民統制の対象となる)実力行使あるいはその宣言でもない。
 それよりも、村山談話を事なかれ的に放置してきた歴代自民党内閣の怠慢をとりあえず表だったものにしない、という政治家の文章と理解した。

12/11/2008

尖閣諸島実効支配の証拠

 領土争いがある場合、実効支配している国とそうでない国の間に平和的に問題を解決する(棚上げする)暗黙のルールがあるのではないか?
 島根県竹島(韓国名独島)の場合は韓国が実効支配している。それにもかかわらず、漁業水域では暫定的に竹島の存在を無視して決めている(とは言っても、日本漁船は当該水域に実質的に入れない状態にある)。
 尖閣諸島は日本が実効支配している、と各国が認めているはずだ。ところが、中国の海洋調査船がその領海内に無断で侵入し、中国領土と主張しているから今後も調査のための航行(侵犯)があり得る、と宣言した。竹島の場合、海上保安庁の巡視船が同じことをすれば、韓国の海軍が妨害するであろう。両島の場合で攻守が変わっても、日本国のやり方が変わるのはおかしいのではないか?
 尖閣諸島領海への中国官船の侵犯は海保により実力排除しなければおかしい。中国台湾香港の民間船にはそうしたのだし。
 

12/10/2008

各社がリストラしまた不況に

 ソニーが16,000人の人員整理を発表した。トヨタほかの自動車会社もすでにその動きだ。これらの会社の経営者はこの大不況の行きつく先を見通す優秀な人たちなのだろう。でも、やり過ぎではないか?リストラはよいが、大胆に先取りしたやり方はよくない。リストラされた人々の購買力の減少が自社製品の販売減少に返ってくる。各社の経営によいが、経済全体によくない「合成の誤謬」となる。だから、リストラを小出しに様子を見ながらやるべきで、戦争で言う戦力の逐次投入の誤りとは全く逆だ。日本経団連の会長会社(キャノン)からして率先大リストラするのは、言行不一致だ。

12/09/2008

小沢一郎の脱党の勇気(新生党)

 自民党の国会議員は与党・権力にいたいから自民党だ、という批判がある。細川・羽田内閣のとき一年近く野党となった。そのときの冷や飯の悲哀があるから、決して野党にはなるまい、というのが党としてまとまる理由らしい。主義主張は異なっても。
 いまの自民党内では反麻生の動きが活発だ。渡辺喜美議員を代表的とする若手のグループはそれを公言している。ほかに小池百合子議員を先の総裁選に担いだ中川秀直議員のグループもある。十数年前の竹下派分裂のあおりで、小沢一郎氏ほかが宮沢首相・総裁の自民党から脱党したときのように、勇気を持って脱党したらよい。脱党の先には今回は必ず政界再編がある。解散総選挙の結果で再編するのと、脱党のあと選挙となるのと、どちらでもよいではないか?先に旗揚げする方が選挙民にとってはわかりやすい。

12/08/2008

電話世論調査の偏り(麻生内閣支持率下落)

 麻生内閣の支持率が20%近くにまで低下した。各社の世論調査がほぼ同じ数字なので、いつもは指摘される設問等の違いが影響しているのではなく、真実なのだろう。
 しかし、すべての調査に共通するのが、(固定)電話にアットランダムにかけ、調査に応じる相手のみの集計だという。若者は携帯文化だから、固定電話を持たない。とくに派遣労働者は求職に携帯が必須だから、固定はもてない。だから麻生さん支持のアキバ系が集計に入っていない可能性が高い。固定電話に出ることが多いのは主婦とか老人だろう。とくに老人は厚生労働省に怒っている。ときの政権に怒っているのであって、たまたま麻生さんだったのかもしれない。老人は長期的な医療制度の確立に関心がない(正確に言うと長期に利害関係を持てない)ので、その場しのぎの政策を要求するものだ。将来がある若い人はそうはいかないから、年齢階層別に分布した調査をやり直すべきだ。費用と手間がかかっても。電話のほうが随時、迅速に出来るから、という理屈は成り立たない。間違えの調査を迅速にされる方が困る。
 固定電話は少数派になっているし、前に文痴が書いたが、固定電話からすべての災厄が始まる。

12/06/2008

通話限定の携帯電話を

 携帯電話が出たての頃は通話しかできなかった。それが、インターネット、メール、カメラなどの機能が追加されて現在に至った。橋下大阪府知事が学校に携帯を持参禁止にしたことがニュースになっているが、子供の安全確認のため携帯を持たせている親からは反対の声がある。
 だとしたら、通話限定の携帯電話を買い与えたらよい。老人用の簡単携帯のような。授業に支障があるのは頻繁なメール交換(あるいはHP閲覧)だ。インターネットはうちに帰ってからPCで、というように区分けすれば、情報化時代にも乗り遅れない。

12/05/2008

幕僚長が大臣と議論するのは無理

 産経新聞12/5の「正論」に森本敏氏の「田母神論文の意味するところ」が掲載された。森本氏の主張には前々から同調できる部分が多い。この「正論」も前半大部分は正論だと思う。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081205/stt0812050323000-n1.htm
 しかし、田母神氏がどうすべきだったかのうち、「大臣相手に堂々と議論・・・」「彼ら(制服トップ)を国会審議に引き出す・・・(信念を述べさせる、の意と思われる)」( )内は文痴による、の部分には賛成できない。浜田大臣も麻生首相も内心は閣議決定の村山謝罪談話を踏襲したくないはずだ。しかし、現下の政治状況が踏襲しないという宣言の余裕を許さない。大臣の下の高級官僚が国会などの正式な場所で、閣議決定事項に反することを言うわけもない。大臣自身も閣議決定に束縛されているので、その人に対し「堂々と」議論してもかわいそうなだけだ。「話せばわかる」という民主主義の教えがあるが、話すだけ無駄だ、という現実だ。だから、私的な投稿という手段で自説を強行開示したのだろう。自爆的に。
 すべての原因は代々の自民党内閣の政治(突破)力のなさにある。

12/03/2008

ガリレオの故事を理解しない(毎日なるほドリ)

 毎日新聞に「なるほドリ」という読者の質問に易しく答えるコーナーがある。12/2は「地球温暖化懐疑論って何?」が質問。回答は足立旬子氏(科学環境部)
http://mainichi.jp/select/wadai/naruhodori/news/20081202ddm003070096000c.html
 4000人もの科学者が参加するIPCCが(人為的)温暖化を予測するのだから、一番確からしい、と科学環境部の名に恥じる非科学的判断(人数の多さによる)で説明している。素人の読者でもこんな回答は期待していない。ガリレオが地球が太陽の周りを回っていると主張し続けたとき、何人の同調者がいたというのか?
 また、懐疑論に対し、「科学的に研究したものはない」と片付けている。「懐疑」だから、科学的裏付けがなくても「疑問」を呈するだけで十分なはずだ。立証責任(人為論への疑問に答える)は4000人の義務だ。「いい加減なことを言ってきている」という無視に終始していては、自説の危うさを証明することになる。

12/01/2008

一本の電話がすべての災厄のもと

 なくならない振り込み詐欺が社会的問題となっている。警察も重点的に対応しているが、単なる詐欺事件が多くなっているだけだ。これだけ防止をPRしているのだし、詐欺だから被害者にも落ち度がある。警察はもっと、一般の未解決事件にも対応してほしい。
 それはそうと、この種の犯罪のとっかかりはすべて「電話」から始まる。電話だと顔が見えないから、声色などでだますのは簡単だ。犯罪とは言えないが、電話セールスも煩わしい。電話でことを起こそうとする輩にとって、こんな文明の利器はない。営業費用が少なくて済む。うけるほうにとっては一本の電話から災厄が始まると言って過言でない。
 だから、電話によるコミュニケーションは廃止したらどうか。メールの時代だ。廃止はいかにも極端なら、NTTなどの電話番号簿を廃止するのだ(各種名簿の電話欄も)。電話は親類、親友の間だけで声を聞きたいときに使う。いまの携帯電話はそうなっているし、着信記録が表示されるので、見知らぬ相手には出なければよい。文痴は誰からであれ着信記録を見てコールバックすることにしている。固定電話時代は留守録に用事を入れてもらうよう、あるいは、FAXで用件を送れば、こちらから電話します、という方式にしていた。

11/27/2008

道路は交通量だけで整備するものではない

 国土交通省道路局の審議会が道路交通量の将来推計で減少に転ずると発表した。道路関係者の間で一部大騒ぎとなっているが、いままで増加してきたのだから、いつかは減少に転ずる。人口減、車離れ、情報化時代だから当たり前といえば当たり前だ。騒ぎの真意は今後の道路整備がどうなるかだ。しかし、道路交通量が減少しても道路整備は引き続き必要だ。
 渋滞道路は車線を増やしたり、交差点・踏切を立体化するなどの「量的対策」がなされるが、交通量が減ることになれば、これらの一部に不要のものがでる。しかし、道路整備の大半は「質的対策」のものだ。道路の質、すなわち、カーブがきつい、二車線確保には狭すぎ、追い越しも出来ない、都会部で歩道がない、自転車レーンを新設したい、などの質的不備は交通量の多少には関係しない。前記踏切除去は安全対策でもある。
 このように大部分の道路が最低の質的基準をクリアしていない。道路整備の費用対効果B/Cの議論以前の状態にあるともいえる。道路の効果(便益)Benefitは時間短縮効果などで、すべて交通量を掛け合わせたものだ。だから、交通量が減少すれば整備効果は比例して少なくなり、整備の理由がなくなる、とするものだが、その議論の土俵に乗らないものもあることをわかってほしい。

11/26/2008

選挙の結果に反抗(タイ、韓国、昔の日本)

 タイの社会が混乱している。民主的に選んだ政権のソムチャイ首相の退陣を要求するグループがスバンナブーム国際空港を閉鎖させるまでの実力行使にでている。首相官邸の占拠は長期間続いている。選挙の結果に従わない国民なのか?どうもわからない。
 韓国でも李明博大統領の政策にローソクデモで左派民衆が抵抗していた。前政権支持者の行動だろうが、これも選挙の結果に従わない行動だ。いまはどうなったのか?
 日本でも、60年安保改訂時に選挙で選ばれた自民党政権の岸内閣に対し、安保改訂反対デモが国会周辺を席捲した。岸首相はサイレントマジョリティの声は「賛成」だと主張した(選挙の結果の政府だからそうであろう)。
 デモ、実力行使で政治を動かすことは民主主義の社会ではあり得ない。選挙で動かすべきだし、選挙の結果には謙虚に従うべきだろう。

11/25/2008

殺人がバーチャルで簡単に

 小泉容疑者の自供によれば、行政への恨みだったが、なんだか殺人の動機としてははっきりしない。行政一般への恨みがトップに向かったのは、伊藤一長長崎市長のケースと同じだ。山口元次官がいい人だったというのとは無関係だ。シンポルが標的になった。
 それにしても、漠然とした恨み-特定の人を憎むというのではなく-が殺人にまで至るというのは、秋葉原無差別殺傷の加藤容疑者とも共通する。怒りやすい人がよく街頭で怒鳴っているのは目にするが、それが殺人になるとは社会も変わったものだ。
 文痴が若い頃は、高倉健とか小林旭がやくざに扮し、単身相手の組に乗り込んで、刀で人殺しをする任侠映画はよく見た。かっこうよかったが、刃傷沙汰は恐ろしかった。ナイフ、短刀あるいは流血を見ると、引いてしまうのは、そのときの教育効果かもしれない。いまはそれらがゲームの中で、戦争までバーチャルに戦われる、時代なのだろうか?

11/21/2008

行政への恨み、ではないか?

 テロの目的は政治的なものだろう。一殺百戒的に社会に脅しを掛ける。そうして自己に都合の良いように政治を歪めていく。
 今回の元高級官僚とその家族に対するものは、社会への政治的脅しになっていない。犯行声明もないし、もちろん、政治的声明もないからだ。よくわからない、では方向性を持った脅しにならない。それに、(テロ組織のような)高度な政治目的を持つ(と自負する)グループが家族をも害するだろうか?それら無辜のものに手を掛けるだけで、政治的目的(あったとして)は台無しになってしまう。
 長崎市長が行政対象暴力で殉職されたときと同じく、単なる「行政への恨み」が行政OBに向かった(警備が薄いところへ向かった)ような気がする。
 いずれにせよ、真相が早く明らかになってほしい。そうでないと、マスコミによる副次的騒ぎが大きくなるばかりだ。

11/20/2008

銀行も自動車も救済不必要(米国)

 GMをはじめ米国自動車ビックスリーが倒産の危機に瀕している。ブッシュ政権は救済しない方針だが、次期オバマ政権も救済することはないだろう。企業の倒産は資本主義経済の宿命というか新陳代謝として「必要なこと」なのだ。経済のプレーヤーの交代がなければ、活力ある経済とならない。トヨタ、ホンダに交代すればよい。米国の自動車産業労働者は外国メーカーに雇われることに何の抵抗もないだろう。
 一方で救済の対象となった銀行は特殊だからだ。ドルがすべて紙幣のまま流通することは不可能だ。銀行の決済機能が、国の貨幣機能を代替している。だから、銀行は公的存在で、つぶすことは出来ない。ここからは文痴の考えだが、銀行が間接金融として危ない借り手に貸すことは、銀行の自己責任(その銀行への貸し手責任として預金者へも)の範囲で、そこを救済することはないと思う。上記自動車産業と同じだ。庶民(情報を持たないという意味)の預金の救済として、業界互助的な預金保険機構もある。
 大前研一氏は、新銀行東京はこの決済機能だけで商売すれば良かった、と言っている。東京都の払う手数料だけでもビジネスは成り立つ(メインの富士銀行に払う必要がなくなる)。

11/19/2008

石油価格は投機であがった

 ガソリン価格が下がっている。10月のピーク、180円/l以上からもとの120円台まで急激に下がった(ガソリン税ほかの税60円程度を引くと120→60だから半減)。やはり投機マネーが入り、撤退したからだ、と判断せざるを得ない。中印の高度成長に伴う石油製品需要増がベースにはある、と言われていた。だから、値が下がることはないと。しかし、不況が全世界的に消費を減じている。
 需給関係で値段は決まる。投機は一時的なものだ。
 それはそうと、不況のおかげで、二酸化炭素の排出も大幅減となっているはずだ。そのことを誰も言わない。やはり、誰も地球環境より生活が大事らしい。
 不況といっても、生活をするのに最低必要なものの消費はなくならない。そのベースにまで経済が縮小しただけだ。そのベースで生活するのに何の支障があろうか?ベース以上に活況だったのはバブルだったのだという考えもある。経済変動はバブル発生とバブル解消の繰り返しだ。

11/18/2008

19cmの効果は小さいがその積み重ねが必要(淀川ダム)

 熊本県の球磨川、近畿の淀川でそれぞれの関係知事がダム建設に反対し、河川計画の変更を余儀なくさせられている、との報道がある。正確に言うと、地方財政の悪化により、ダム建設費用が捻出できなくなった(府県の財政上の順位が低くなった)ということであろう。ダムの治水上の効果に変わりがあったわけではない。効果をBとし、費用をCとすれば、B/Cすなわち費用対効果は(1以上である必要がある)同じだが、Cに変わりはないが、財政悪化で、たとえば、福祉、教育などの他用途が優先になり、おなじCでも価値が高くなったCとなったのだ。
 淀川の流域委員会委員長の宮本氏は大戸川ダムの効果は水位を19cm「しか」下げない、と指摘する。ということは19cmの効果はある。19cm「も」下げる、という言い方もできる。複数のダムあるいは他の治水施設で少しずつ水位を下げ、合計で安全な水位に下げることができる。

11/12/2008

言論のタブーが一番良くない(田母神参考人招致)

 朝日新聞11/12の2面で、田母神論文を保阪、秦の二近現代史学者がこきおろしていた。この二氏が蘊蓄を傾ける近現代史解釈にはそれぞれ頷けるところが多い。だけれど、これら超専門家が田母神論文を「稚拙」だと片づけるのは酷ではないか。田母神論文でも一般国民には、(単純に信じてきた)侵略国家観に対しそういう見方もあるのか、と新鮮に映るから、庶民レベルでは有用だ。この数日、文痴が主張しているのは、この種のタブーがかったテーマの議論が始まり、盛んになることが必要なことだ。その点、昨日の参議院参考人質問はお笑いだった。議論の府が(参考人の)言論に制約を加えるというのは、議会の役割から言ってあり得ないことだ。
 タブーといえば、中国ものが多いが、ダライラマも李登輝も最近は来日するのに何の抵抗もないし、(中国の妨害と日本国政府の狼狽)のニュースにもならない。靖国神社への首相参拝もそうなってほしい。もし、そのときの首相が参拝したいのなら。

11/11/2008

消費税増税予約で帳消しになった

 定額給付金が生活支援金だと誤解されている。貧困家庭にはたまたま生活支援になることは確かだ。(少数の)金持ちに給付されるかされないかは全体あるいは個別の金額的にはどうでも良いことだ(庶民の嫉妬心にはどうでもよくない)。
 それはそうと、デフレ経済対策だから、すべて消費してもらわないと効果が出きらない。麻生首相はばらまき批判を避けるためにあわせて三年後の増税を示唆した。示唆しただけで、心理的にデフレ効果となり、給付金は使わないで貯めるという家庭が増えそうだ。出して引いて、まるでマッチポンプだ。日本人特有の逆にも配慮する(アリバイづくり)わかりづらい政策だ。いまはそれ行けインフレ、どんどん、でよい。

11/10/2008

田母神論文の何が問題なのか

 田母神論文を読んだ。PDF9ページで、長さも文章も読みやすい。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf 問題視する人はとくに読まれたらよい。内容は、報道されているように、論議を呼ぶものだ。政府の村山談話を100%否定するものだから。引用や(それに起因する事実関係の)間違いが多く、(論議以前に)内容が雑だと一部で指摘されているのは、当たらないと思う。とくに、多く引用されている歴史学者の秦郁彦氏にそう指摘されているのは不思議だ。引用ばかりだというのも、素人に近い田母神氏にとって酷ではないか。
 いずれにせよ、関心を持つ人すべてに読んでもらい、議論を盛んにすることを期待したい。国会参考人として大いに自説を展開し、この分野で(いままでタブーになりがちだった)与野党間の議論を盛んにすべきだ。
 政府高官が政府方針と異なることを書いた、というが、歴史認識が政府方針で決まっているはずがない。防衛方針なら、自衛官は遵守しなければならない(遵守しないと宣言してはならない)が、集団的自衛権の問題などの部分は、問題提起しただけだ。「自衛隊は・・・身動きできないようになっている」の部分は事実を述べたものだ。身動きできるように、(憲法)自衛隊法は守らなくてよいとは言っていない。

11/04/2008

ひとの国の評判を気にするな

 また田母神前航空幕僚長ものですが、文痴は彼の論文の内容には一切アクセスしていない(内容の是非を言っているのではない)のだが、周辺の動きが気になるので、それについて問題提起したい。
 田母神氏の退官記者会見後の質疑での記者の質問はいつものパターンだ。
--中国、韓国が不快感を示しているが
 「それは見解の相違だ。相手がどう思うかはこちらがコントロールできない。そこは大人と大人で、理解し合って付き合えばいい」
 日本の歴史評価のことだから、まずは国内で議論を盛んにすべきだと思う。関連国がどう思っているかが議論の結論に影響するなどあり得ないことだ。「見解の相違だ」とかたづけるに限る。
 北朝鮮の核あるいはミサイルに関し、(誰大臣だったか)我が国の核武装の是非の議論をすべきだ、と言って諸外国に対する悪影響を危惧されたときと同じ。

11/02/2008

公的身分の者にも言論の自由を保障すべき

 9/29にも前中山国交大臣の関連で書いたが、くりかえす。政治家のうち大臣などあるいは行政官でも公的な立場にあるものでも言論は自由にしたらどうか。今回の航空幕僚長の田母神空将の発表した先の大戦の性格論については、歴史の評価を待たねばならないことからも定まっているわけではなく、いろいろな意見があってしかるべきだ。それを無理矢理隠しても、多様な意見があるということが変わるわけではない。国民もそれを知りたいだろう。
 ここは誰もが自由に意見を述べてよい(憲法に保障されている)こととするが、当然のこととして、公的な立場にある者が公的な場所での発言に自身の信条を加えることは差し控える、というルールにしたらどうだろうか。変化する世界で、日本が発展的に変わっていくためには不可欠のことと思う。

11/01/2008

貧困層にとってバラマキが景気浮揚になるというメリット

 自公政権(民主党も同じだが)の全国民一律給付金のバラマキ経済対策を批判している人がいる。文痴も給付金では貯金あるいは借金返しに充当される恐れがあり(乗数が1以下)、効果が少ないと考える。上記の批判は金持ちも含む「一律」よりもっと貧困層に重点的に給付すべきだとするものらしい。でも、選挙対策でもあるからよいのではないか。民主党もバラマキだ。バラマキというのは全国民にするという意味だ。
 貧困層のうち非正規労働者など景気悪化により職を奪われる恐れがあるものにとって、一番必要なのは景気浮揚だ。全国民にバラマキ給付をすれば景気がそれなりによくなる。その恩恵を貧困層も受ける、という因果関係になる。貧困層にとって、給付金を重点的に受領できれば、そのときは助かるだろう。しかし、それはそれで終わりになる。

10/31/2008

政策の違いが政治(米日の違い)

 9/9に文痴は「支持政党なしは民主シンパ」と書いた。時事通信の最新世論調査によると支持政党なしは50%を超えるという。
 米国大統領選を前にオバマ、マケイン候補の支持率はそれぞれ50、43%となっている。旗幟を鮮明にしていないのはわずか7%にすぎない。両国の日和見層に何という違いがあるのだろう。
 日本は議院内閣制だから、衆議院選挙では首相を選ぶのではなく、首相を選ぶ議員・政党を選ぶ間接民主制だ。選挙後、与党が誰を総理に担ごうと文句は言えない。問題は50%の浮遊層が選挙当日、どの党に(候補者に)投票するか、わからない、風のみが知る状態だなことだ。だから、与野党ともに「ばらまき」をする。マスコミの風潮に過敏になる、といううわつきの言葉だけの政治をすることになる。実際、民主党が比例区で自民党を上回る得票を得たことが何回かある。
 政治家にとって、何が国民の支持を得られる政策か、というのがわからなければ政治にならない。

10/30/2008

日本人に逆張りのすすめ

 日本株だけが、底が見えない。これは日本人特有の付和雷同的行動のあらわれだ。株価には適正値というものがある。自身で考え、適正値を下回ったら買いにはいるはずだが、日本人全体の傾向で自分の行動を決める習性があるらしい。だから、底はより深く、山はより高くなる。
 景気判断も同じだ。不景気だとマスコミが騒ぐと、自分の消費行動も収縮にはいる。それらが合成され、ますます景気が悪くなる。デフレスパイラル(恐慌)状態だ。これにも「逆張り」をしたらどうか?物価は安くなっているのだから、少し余裕のある人は消費を増やすチャンスだ。将来を心配して消費を控えるというが、いま景気が悪いということは将来は景気がよくなる前触れだ。景気がよいときにゆうゆうローンを借りた愚が「兜の緒を締める」べきだったのと正逆だ。
 第二次経済対策でひとり数万円の給付金が検討されているが、これは純増支出にしなければ意味がない。貧困層のため(経済全体を活性化させるため)にもこの金を全額消費増加すべきだということを肝に銘ずるべきだ。

10/28/2008

石油価格が下がってどうするか

 今回の金融危機に併行する現象を見逃してはならない。株価は大幅に続落しているが、余剰資金が引き上げているのは原油などの資源市場からもだ。原油価格が140ドル/バーレルから半分の70ドルへと暴落(もとに戻っただけだが)した。円高だから、円建てだとさらに下がった。いままで各産業あるいは個人の需要から燃料油高騰を嘆いていたのが、まったくもとの平常に戻ったのだ。
 そこでなにもなかったかのように、今までと同じエネルギー消費をつづけ、(数ヶ月前までは課題だった)省エネの努力の継続をしないのではないかとおそれる。その努力は無資源国日本に長期的に必要なものだし、なによりも地球環境には不可欠なものだからだ。

10/27/2008

金融緩和が金融バブルの原因

 世界全体で需要と供給があっていれば安定的な経済になる。需要が過剰な供給に対し少ないのに無理に供給量にあわせようとして貨幣供給を増やそうとしたのが、今日の混乱の元となった。過剰資金は思惑を外れ石油などの資源に向かい、価格高騰をもたらし、住宅市場ではサブプライムの借り手にまで貸しまくり、債務不履行の山を築きあげた。
 資金供給を増やすことにより景気をよくする方法(金融緩和)の出番ではなかった。需要が必要以上に少ないのなら、公的需要で一時的に穴埋めするしかない。いまは需要は適当量なのではないか?
 資金の出所は日本の超低金利からの円キャリー資金だ。

10/25/2008

徴収率をあげるのに分母を減らす愚

 社会保険庁の悪行の暴露が絶えない。つい最近は年金あるいは健康保険の企業負担分の徴収がままならないことから、社保庁とその会社がぐるになって、年金あるいは健康保険から脱退させ、加入の個人にばれないようにしたというものだ。徴収対象の母数(分母)を減らすことによっても徴収率はあがる。
 社保庁長官以下のトップの責任だ。分子すなわち徴収総数を管理すべきだった。上は徴収率だけの管理(政策)をしたから、下のものは対策として、分母を減らすというアイデアを生み出した。

10/24/2008

輸出産業は円建てで売れ

 ドルとユーロが弱くなって相対的に円高となっている。日本の花形輸出産業の業績悪化を予測し、株価水準が下がっている。日本の株価は信用不安からではない。
 輸出は円建てですればよい。そうすれば(輸出先国通貨での値上げによる)売り上げ数量減の影響だけが残る。そもそもアメリカはドル建てだからこの種の為替変動による業績影響はない。日本もそうなればよいだけだ。
 もちろん加工貿易の日本だから、円高・輸入原料安による製品価格値引きはできる。

10/22/2008

デフレと恐慌(デフレスパイラル)の区別

 資本主義経済ではものの値段は市場で決まる。価格は時々刻々変動するのが常態だ。典型的なのが株価。今回、サブプライムローンを金融工学で組み込んだ債券が暴落し(いずれはそうなることが当たり前だった)、株価にまで影響した。金融機関の資産内容にまで信用がおけなくなったから、信用恐慌状態になったのだ。それが実体経済にまで影響するようになるとただごとではない。デフレスパイラル(需要の循環的減退)になるからだ。対策はただひとつ。需要の減退に公的需要を補うことだ。金融の緩和は信用を回復するまでの効果しかない。
 通常のデフレはバブル後の調整としても現れる。また、世界的な物価の低下-中国の安い人件費などによる-からもおきる。これと悪いデフレ、すなわちデフレスパイラル(経済恐慌)、とを区別しなければならない。

10/12/2008

テロ支援国解除は米国にとって矛盾

 現に進行中のテロである日本人の拉致は米国には関係ないので、米国内法での手続きであるテロ支援国家指定解除には影響しないらしい。
 でも、シリアに核協力した疑いが晴れていない。ビルマあるいは大韓航空機爆破のテロのあと、新たなテロはないが、それらの首謀者逮捕などの最終決着はみていない(謝罪していないし、認めてもいない)。テロ指定の主要件は未解決だ。
 米国は核廃棄をさせるための取引に指定解除を使うみたいだが、もともと指定したときに核疑惑はなかった(見つかっていなかった)。北朝鮮はテロ指定解除あるいはそのまえの金融制裁解除のために核疑惑を作り出したのだ。ここは、最初の状態に戻って始めたらどうか?(すべてなかったことにして)

10/10/2008

枝葉末節に要らぬ抗議(和歌山ヒ素)

 「井戸を深く掘れば、最後にヒ素が出る。和歌山に行かなくてもヒ素入りの穀物ができる」との鳩山邦夫総務相の佐賀県での発言が失言として報道されている。発言の主文は前半で、後半の「和歌山に行かなくても」の部分はわかりやすい比喩として言ったものだろう。中山前国土交通相の日本は単一民族発言のアイヌのことも同様だった。主目的以外の部分についてはどうしても軽くなってしまう。和歌山もアイヌもそれを目的として発言したわけではないから、関係者はそう目くじらを立てることはない。
 鳩山大臣はたぶん、地下水依存の農業より河川水を開発した農業水利を大切にしなさい、と述べたものだと思う。この農業用水水源問題に異議のある向きは堂々と反論したらよい。それが言論というものだ。

10/09/2008

民主党、政策本位の国会へ

 昨年来のねじれ国会で民主党は優位の参議院での審議を政局本位で引き延ばしてきた。結果として、衆議院2/3再可決が憲法の規定する最大60日後となって、国民生活に多大の悪影響を及ぼした。ここにきて総選挙が近いところから、補正予算の審議を参議院でも迅速化する方針だ。もっとも、衆議院で政府予算案に賛成もしたが。
 試されるのは、インド洋給油法の延長にどう対応するかだ。延長に反対は変わらないらしい。であるなら参議院で審議の後、速やかに否決し、衆議院の再可決に戻すべきだろう。それでこそ、責任政党といえる。それにしても先の通常国会での政局対応はいかがなものだったのか?それを真剣に反省しないのなら、来る総選挙でそれなりのしっぺ返しを受けることになろう。

10/08/2008

米格付け会社の無能

 一般会社が倒産するのは資本主義での日常事に違いない。その手続きを適正化するため、債権者あるいは株主を保護するための経営情報開示が必要で、四半期毎に義務づけられている。しかし、株式会社のうち金融機関はそうはいかない。それらの(突然の)倒産により、取り付け騒ぎなど信用不安というパニックが起きるからだ。金融会社のうち、証券会社(投資銀行?)は顧客投資家の資産をあずかっているだけだから、それが勝手に倒産してもその会社の範囲で影響があるだけだ。預かり資産を(勝手に手をつけていなければ・・・法律上の義務である)返せば済む。
 預金を運用する一般銀行の場合(今回の投資銀行の場合も)としては、今回の金融危機の教訓として、この情報開示が適時適正だったのか疑問に思う。ディスクローズを逃れて、ギリギリの段階でギブアップしたので、傷が大きくなったのではないか?さらにはその傷の全貌が未だにわかっていない。それが金融危機の終了を遅らせ、その意味での危機を続行させる。
 たとえば毎週の開示と債権の時価評価を厳密にすれば金融危機は起きないのではないか?時々刻々経営内容がわかれば、時々刻々と処理が可能だから、「突然大きな」という性格と定義される「危機」にはならない。さらにはそれらの開示業務を監査する監査会社と格付け会社が米国では厳正かつ中立ではなかったことがわかった。日本国債を低評価にしてきたことで、それらの無能ぶりがわかる。いま(為替)市場は日本国を第一位に評価している。

10/06/2008

折り込み広告がごみ問題の大所

 10月からの東京区部のごみ収集区分けの変更について感想を述べたい。(目黒区の場合だが)ざっと言うと、その他プラごみが不燃から可燃あるいは資源ごみになったが、資源ごみへの一部移行の問題点は、先月末に述べたように、重箱の隅をつっつく弊があることだ。
 ここは大所(おおどころ)を捉える必要がある。100%のうち90%を捕捉・改善できれば、残りの10%は後回しで(極端に言えばどうでも)よい。90%のなかにはいまだ見過ごされているものがある。まずは、ごみ(資源になるものを含め)の絶対量をみてみると、生ゴミ以外で多いのは新聞紙だ。でも、新聞は情報化時代に不可欠で、リデュース(発生抑制)は出来ない。しかも新聞紙は古紙として資源流通ルートに乗っている。
 問題なのは折り込み広告だ。新聞紙と一緒に資源ごみとして出してよいとしているが、リデュースすべきだ。わが家では中身を見ずに、そのまま新聞紙ストッカー直行だ。折り込みは新聞配送店には収入になるのだろうが、広告主にはそんなに効果がないことはわからないらしい。広告は必要とする対象に(のみ)届けられなければ、無駄だ。インターネット(グーグルなど)はそのようなシステムになっていると聞く。廃棄物減量以前に、原料でいえばパルプ資源、用紙加工の過程ではエネルギーの浪費で、脱炭素社会の点から見ても大いなる無駄だということを言わねばならない。重箱の隅のプラごみが資源か可燃かを議論する前に。

10/02/2008

消防は個室ビデオ店を利用したか?

 大阪みなみの個室ビデオ店での多数焼死事件は悲惨だった。第一原因者は放火した犯人だが、第二原因の店の防火体制不備が焼死者多数発生の主原因だ。不特定多数が集まるこの種の店の防火体制は消防当局の監督にあるが、火事が悲惨になる原因はこの防火体制が的確でないことにある。
 大阪の消防責任者は、現消防法ではこの種の店の指導は出来なかった、国の消防(総務省消防庁)に問い合わせてみたいと、会見した。役人の逃げだ。法律を守っていれば、公務員は安泰だが、それでは国民の命が守れない。都市は発展する。様々な建物ができ、それが刻々と変わる目的のために使われる。防火体制指導もそれに即座にあわせる必要がある。事件が起きてから検討する、いわば「モグラたたき」的な後追いをしていては公務にならない。消防も、関連する警察その他監督部局もこれらの変化を迅速に把握する必要がある。そのうえでどのような問題点があるか、という想像力の勝負となる。まずは現場把握だが、自らが身分を隠し、一夜の利用をしてみることも必要でないか?

10/01/2008

(金融処理)事後責任追及は日本でなされたか?

 米国の金融危機で公的資金投入策が議会下院で否決された。日本の往時の住専救済時の国民的拒否状況に似ている。日本が十数年先輩だ。
 びっくりしたというか、当たり前なのだが、米国でも庶民レベルでは金融プロの仕業に拒否感が強いことだ。日本では反グローバルの信条で、米国式金融術ははやらない(そのおかげで今回のサブプライムローン危機は日本では微影響だった)が、米国はさすが自由の大国、一方で金融工学を駆使する部分があるかと思えば、大部分の国民は日本人と同じ考えだった。その米国で、金融族を絶滅して欲しい。公的資金を投入し、政府管理下で、(旧)経営者の責任を徹底的に追求するのである。二度と同じような「金を動かすゲーム」ができなくなるように。そうすれば、大多数の国民の理解も得られ、議会の承認も得られると思うのだ。
 日本の場合、住専救済のときの反対の声がその後しぼみ、以上のような経営責任の事後処理が行われたどうか定かでない(報道されていない)。一回熱くなったら二度目以降はあきらめる(麻痺する)日本人なのだ。

9/29/2008

政治家の大臣は政策発言を

 大臣の政治的発言をどう扱うべきか?行政の長だから、所管の法などの行政の方針は踏み外せない。しかし、政治家なのだから政策発言がなければ、事務次官が大臣になっても同じだ。中山大臣の辞任にはいろいろと判断要素があるが、その反動で、政治的発言がなくなってしまうのでは行き過ぎだ。
 大臣としての公式発言と政治家としての政策発言を区別してはどうか?あらかじめどちらかを宣言したうえで発言するのである。もちろん、国会など正式の場所では大臣としての発言になることは当然だが。
 成田空港の完成には用地買収が残っており、いまのままではそれが不可能ではないか?国交大臣としてもその打開政策を考え、提案する義務がある。大分の教育の問題は所管ではないが、政治家の発言としては許されるのではないか?(もちろんそれら政治発言の内容の是非を言っているわけではない)
 「日本人は単一民族」発言は、「文化的に(ほぼ)単一になった民族」が観光政策上のコメントとしては正確だ。

9/28/2008

その他のプラゴミは焼却すべき

 東京都でゴミの収集方法が10/1より変わる。その主目的はプラスティック類を不燃ゴミから可燃ゴミあるいは資源ゴミに移行させることにより、埋め立て処分地の延命を図るものだ。歓迎されるが、以下の問題点が残る。
 プラスティックの資源ゴミは現在、ペットボトルと白色トレイの店頭回収が義務づけられ、うまくいっている。他の容器包装でリサイクルマークがついているものの扱いは、今回から資源ゴミになるため、汚れを洗い中身の見える袋に詰めて出すことになる。問題なのは、洗浄のための水利用増加と新たに必要となる袋が資源の浪費になることだ。
 都(各区)の説明では、洗浄には食器洗いの残り水などを再利用する、とあるが、洗い桶に残った水を利用する芸当はできない(どのように洗うのだろうか?)。プラスティックの種別ごとに分ける必要はなく(これは主婦にはよいことだが)ひとまとめにして袋に入れてよい、としている。そうなると、資源回収先で人力選別が必要で、大変な労力が浪費されることになる。
 ペットボトルとトレイでプラゴミの大半を占めるのではないだろうか?それらだけをリサイクルすることで、ゴミ問題は「大体」片付く。この「大体」という考えが大切だ。容器包装リサイクルという言葉だけが一人歩きし、すべてを対象としようすることで全体がうまくいかない、とすれば「重箱の隅を突っつく」ことになりはしないか。

9/27/2008

中山大臣の三真言

 中山国土交通大臣が三大失言をしたという。実のところは本当のことを遠慮なく言うとこの国では「失言」となるらしい。相手に失礼だから「失」言なのか。
 成田空港反対の理由はもともとなかった。軍事空港は農業者の本当の反対理由ではなく、新左翼の応援を得るための方便だった。でも「ごね」得とは言い過ぎだが。
 正確に言うと、日本人は単一民族ではない。でも、アイヌなどは原日本人に含まれ、大体では単一に近いのではないか。ことさらに違いを強調する必要はない。今回アイヌ民族のPRになった。
 大分教委の不祥事は教委だけでなく、日教組も同罪だと思うが、まだ証拠はあがっていない。中山大臣はこれは撤回していないように思える。文教族だから確信があるのだろう。

9/25/2008

昔の政治家その2

 昔の政治家がよかった、への反証追加。当時、国会での政策議論はほとんどなかった。野党社会党は何でも反対党で、審議拒否(寝る)は日常。寝た子(野党)を起こすのが、国対政治だった。典型的な密室政治だ。わからない国民はあきれていたのではないか?
 その55年体制が崩壊し、国会での議論が正常になった現在を「軽い」とし、昔は大物ばかりだったと旧懐するのは、いかにも本末転倒議論だ。

9/24/2008

昔の政治家がよかったというのか?

 自民党の総裁選で麻生氏が選出された。その選挙の過程で、五人の候補に関して、三角大福中時代の総理・総裁に比べ「小粒」になったと、懐旧するマスコミ論調があった。
 しかし、昔の自民党権力者が何をしてきたか忘れた話だ。金権、派閥、密室政治だったし、いまでもそれらは肯定できることではない。政治の対象も現在の複雑さとは違って、冷戦下の米国庇護下の外交、所得倍増などケインズ経済学を単純に適用できた国内のみの経済舵取りなど、誰がやっても出来る(官僚がやった)時代だった。
 いまの政治家はTVなどに出演するようになり、そこでの発言をはじめとし、「軽く」なったと揶揄する。しかし、TVで国民に政治を説明でき、理解してもらうことこそ民主主義にとって重要なのではないか。一般対象だからわかりやすく(それは軽いと言えば軽いが)説明しなければならない。でも、一般国民もそんなに馬鹿ではない。TVでも(密室の正反対なので)ある程度の政治知識は持てる。その結果は次の総選挙でわかるはずだ。

9/20/2008

一物二価が商道徳を壊す

 戦後の食糧不足の時代、ヤミ米が横行し、配給米との一物二価状態になった。配給を政策的に安くし、それは量的に充足されなかったから、高くても充分なヤミ米流通が続いた。法律違反だが、人が必要とするものを流通させるのだ、という商売の倫理にはなっていたはずだ。配給米の方がおかしかったと考えるとわかりやすい。
 さてミニマムアクセス米は政府が購入するもので、国際価格で輸入できるので国産米よりはかなり安い。一物二価なのだが、政府管理で主食用米としては流通させないようにしている。しかし、戦後と同じく今回も「ヤミ」で食用さらには給食の主食用として出回ってしまった。「ヤミ」だから、カビとか残留農薬の事故米が流通してしまったと理解した方がよい。「ヤミ」だから商道徳が附随しなかった。
 ミニマムアクセス米とかで、自由貿易の例外に安住するのではなく、減反の田圃を含め、すべての田で稲作をし、そのうちから非主食用(せんべい、酒、あるいは米粉製品)にまわすものは回したらよい。米粉用には主食で人気のコシヒカリなどの食感は必要ないから、別の多収量品種の米を開発できるし、それでも余ったら、バイオエタノールの原料米としてもよいし、高級米は輸出もできる。自由化により、米価は今より安くなるが、作付け面積が増えるから、収入は減らないのではないか?

9/18/2008

ミニマムアクセス米は犯罪助長

 ミニマムアクセス米については9/10にも書いた。今回の非食用米の食用への不正転用はミニマムアクセス米以外でもあったのだろうか?(以下に述べる理由で、ないような感じがする)
 ミニマムアクセス米はウルグアイラウンドで日本国政府が選択したギリギリの方式だ。最低量を政府購入で輸入するので、他の大部分の自由化は勘弁してくれ、ということだろう。この最低量は焼却などして利用しないのであれば、ミニマムアクセスとして認められないという。だから、糊の原料などとして非食用に利用先を探したのだろう。その意味で、三笠フーズに農水省は感謝していただろう。糊の原料米がそんなに必要なはずはない。さらに、どうせ糊になるなら、カビとか残留農薬は問題とならない。輸入元の国にうるさいことを言わなくても良い。だから、買いたたくことが出来る。
 近年、食料品のブランド(産地)偽装が続出し、日本人の商道徳のなさにあきれているが、食べて健康被害が出るわけではないから、詐欺だけの問題だ(詐欺も犯罪だが)。非食用を食用に不正に転用するのは、健康被害につながるおそれがあるので、重大な犯罪になる。食物を扱う商売では決してしてはならないことだ。
 ミニマムアクセス米を(食用)米市場に出さないという方針がこれらの犯罪を助長していると感じざるを得ない。ミニマムアクセス米も検査のうえ、食用に(安価に)流通させるべきだ。

9/16/2008

岡崎市豪雨を引用した幹事長発言

 9/16時事通信配信の豪雨「岡崎だったからいい」=麻生氏発言に抗議文-愛知県岡崎市について解説する。
 麻生幹事長は名古屋市民に対し、あの岡崎豪雨と同じ雨が名古屋の低平地に降っていたら、もっと悲惨な災害になったと、名古屋の治水の必要性に言及したのだと思います。岡崎では実際に死者等の被害が出ています。それはそれで「いい」はずはありませんが、岡崎が(名古屋に比べ)洪水になりにくい地形で、それに対応する治水対策などがある程度とられていたから、それだけで済んだと言ったととらえるべきです。岡崎市の人は、(幹事長発言の)名古屋の治水対策の遅れを、他山の石として我が市のことを考えるべきです。
 日本人には、他を主題とする発言に含まれる自己に関する言及について、それだけを独立してとらえ、抗議などをする傾向がある。困ったものです。

9/13/2008

政治には同志

 民主党に河村たかし議員がいる。代表選挙に毎回出馬の意向があるが、必要な20人の推薦人が集まらない。国民には魅力ある政治家なのだが、同志が少ないのだろう。
 自民党の山本、棚橋両議員も20人を集められなかった。10人だと比較的容易だが、20人はハードルが高い。そこが、石破、石原、小池などの新人類政治家にできたのは、他の人と違うところなのだろう。仲間内で同志を集められないようでは、国会を運営する総理大臣がつとまるはずもない。

9/12/2008

とりあえずダム以外(熊本県知事)

 熊本県の蒲島知事が問題となっている川辺川ダムの建設続行に「否」の見解を示した。懸案となっているのは下流の本川・球磨川の治水をどのような手段で達成するのかということだ。国土交通省では、利水目的のなくなった同ダムは穴あきダム方式で建設すれば、常時はダム湖ができないので水没地になることによる環境悪化が防げるとしていた(洪水時、穴の通過流量以上は一時的に貯まり、それが治水効果をもたらす)。それに対しても、知事はダム案に頼らない治水を求めている。
 ダム、という言葉がだめらしい。もちろんだが一般的にはダム以外でも治水は可能だ。下流の平野部に遊水地を設けるとか、堤防を嵩上げ強化するとかの方法だ。かかる費用あるいは用地などを勘案し最適案を(知事意向を受け再度)模索することになる。
 このことについて知事は「極限までダムなしでやる方法を求めたい。・・・国に治水対策を求めていく」と語っている。できれば「ダムなし」でということは、再検討の結果、不可能な場合「ダムを含む案」でよい、ということのように理解できる。
 蒲島知事は球磨川下流の電力用(取水堰)荒瀬ダムの撤去案を合理的に撤回・存続させたので、なかなかやるな、と思っていたのに。

9/11/2008

今年はなぜ台風が来ないの?

 「今年はなぜ台風が来ないの?」とは毎日新聞9/10の「なるほどり」のタイトルだ。いつもこの手の異常気象の解説に見られるような地球温暖化への結びつけはない。悪いことのみ温暖化ガスのせいにするのだろうか?H16には10個の台風が上陸した(史上最多)。このときは地球温暖化とのつながりを危惧する「感想」が多かったように記憶する。
(参考)人為的地球温暖化危機説への諸疑問
 あくまで「感想」なのだ。科学にはなっていない。偏西風の偏りによる、といっても、それはいまのところあくまで「乱れ」によるものらしい。「乱れ」とは「偶然」と同じ意味だ。

9/10/2008

非食用米をアクセス量にするのはおかしい

 国が輸入し管理するミニマムアクセス米は主食用には回されないそうだ。大部分が加工食品用(せんべい、酒造など)になるが、そのうちカビや残留農薬などにより食用に不適なものは糊などの非食用の工業用に回す(事故米)。これら3種類の用途で価格は大幅に違う。順に、トンあたり30万円、8万円、6千円と桁が違ってくるので、今回のような不正の温床になるのだろう。
 ここで疑問なのは、ミニマムアクセスの量をクリアするために最初から事故(農薬残)とわかっているものを安く買いたたいているのではないだろうか?ウルグアイ・ラウンドで自由貿易を広めようとしているのは、米であれば食用のものの貿易を対象としている。食用米と非食用米は違う商品なのだから、非食用米をアクセス量にカウントするのはおかしい。
 関連だが、我が国で食用あるいは主食用の米の価格維持が必要というのであれば、飼料用あるいは課題となっているバイオエタノール生産用米は流通上は別なので、違う作物、違う商品として厳密に区分・管理する方向にすればよいのではないか。そしてそれらを減反の田で作付け収穫が出来るようにし、ミニマムアクセス米と競争すればよい。日本の農地には米作が最適だ。

9/09/2008

支持政党なしは民主シンパ

 福田内閣の末期の支持率が10%台にまで下がったといっても、自民党の支持率は各種世論調査を平均しても30%台に留まっている。民主党は20%台。世論調査では自民党は相変わらず第一党だ。ただし、支持政党なしが40%で、この大半が民主党に行ったのが、前回参議院選挙。自民党にも行ったのが、三年前の郵政解散総選挙。前回参院選では民主党比例区は40%に達する勢いで、自民党は28%だった。支持政党なしの大半は民主党と名乗らないシンパだ。残りは、選挙のたびに風の吹くまま移動する票だ。天気がよければ棄権もする。
 自民党はこの40%におもねるのでなく、自党の基盤の30%を増やすことだ。それが安定した保守政党の生き方ではないか。
 民主党も20%では心許ない。いかに民主党支持と胸を張って言える有権者を増やせるか。

9/08/2008

総裁選立候補すると得になる自民党

 自民党の総裁選が様変わりしている。各派閥がその領袖を総裁候補として推挙するシステムがなくなっている。代わりに派閥横断的な推薦で政策に明るい若手が我も我もと手を挙げるようになった。
 なぜこうなったかは損得勘定による。立候補して敗退した結果、損をするようなら、最初から出ない。少なくとも損はしないようになった。派閥の親分が出ないのだから、子分が出るのを防ぐことは出来ないだろう。もと総裁の小泉さんも、今回有力候補の麻生さんも、複数回敗退して、だんだんと力をつけてきた。能力のある人にとっては立候補はステップアップのためだと言っても過言ではない。自民党では。
 一方の民主党では小沢さんの再選できまりといっても、代表選挙の対立候補が出てもよいようなものだが、出る気配がない(明日の告示日に明らかになる)。出(て敗退す)るといろいろと不利なことがあるのだろう。

9/05/2008

わかりやすいが賛成になる

 三年前の前回は小泉劇場でお題は「郵政民営化の是非」だった。今回は「経済財政路線の財政再建か上げ潮か」になるのだろう。
 日本人は何かの政策を判断するとき、それを完全に理解したかどうかが基準となる。理解してやはり反対だ、ということが少ない。わかりにくければ、何かだまされている、裏で隠れて陰謀をこらしている、などと考え、賛成には決して回らない。わかりやすければ(とりあえずだが)信頼するに足るというわけだ。
 自民党の総裁選と民主党の代表選のどちらが、以上のセオリーに沿っているか自明だ。本命・麻生さんが与謝野さん、小池さん、石原さんに頼んだのではないか、経済財政寸劇の役者として。

9/03/2008

またも辞任カード(官房長官辞任と首相辞任)

 二代引き続き投げ出し、の見出しが躍る。安倍前首相の場合は(あとでわかったが)病気だったから投げ出したというのは酷だ。福田首相の場合はどうなんだろう。官房長官時代に年金未納問題で自ら辞職した。そのあおりで、当時の民主党菅代表も辞任に追い込まれた。福田氏は自分の辞任で大きな収穫を得たのだ。今回もその手を再び使っているように見える。肉を切らせて骨を断つ、剣道の捨て身作戦の極意だ。

民意を問わなくてよい(総辞職の場合)

 安倍、福田、次期首相と民意(選挙)によらない首相交代があり、怪しからんとの野党関係者の声が紹介されていた。与党関係者はかの小泉元首相も就任時は民意を問うていなかったと反論した(すこしあとの参議院選で確か大勝した)。
 首相公選の直接民主制ではない。間接民主制で代議士(衆議院)が結局は首相を選ぶ。今回もそうなるので、憲法上全く問題ない。首相が辞任する場合、解散と総辞職がある。後者を選んだ場合は現在の議員が新首相を選ぶ。それが(間接)民意だと憲法では規定している。
 ついでに、国民の声の、福田さんは投げ出して無責任だ、をもっともだと紹介する新聞がある。しかし一年前の参議院選で衆議院の勢力分布と違う選択をしたのは、その国民だ。大連立とか解散によらなければ、国会が機能不全になるのは当たり前だ。福田さんのせいではない。彼は少なくとも大連立の努力はしたのだから。また、衆院再可決の憲法上の規定も当然ながら活用した。だから、新首相になっても状況が変わらなければ(野党の対応が不変なら)、解散しか手はないのだろう。解散を早くしろという主張がある。これもときの首相(あるいは与党)の専決事項(情勢判断)だから、憲法上とやかく言えることではない。
 護憲勢力といわれている一部の野党(社民党とか)が以上の憲法の規定をわかっていないのはお笑いだ。

9/02/2008

辞任に突然でないものはない

 福田首相が昨夜、辞任予定の会見をした。昨年同時期の安倍前首相の場合と同様、突然でびっくり、が人々の率直な感想だろう。文痴が問題とおもうのは、政敵である野党党首などの非難の言葉だ。いわく、「突然投げ出して無責任だ」etc。
 文痴は福田首相ひいきではなかった。しかし、野党の言うことには笑止だ。辞任宣言は突然でなければならない。予告したら、株価に悪影響を与えるなど、社会が混乱する。よく、あることを相手に伝えると、「そんなことは聞いていない」という抗議の言葉がくることがあった。日本人には突然はだめで、根回しするなどして徐々に伝えるソフトさが求められるということか?
 無責任に「投げ出した」というが、野党はつい最近参議院で首相問責決議を通し、辞任を迫ったのではなかったのか?自民党内閣の継続なのだから、後継総裁=首相候補を決めて国会に提案するはずだ。それは「責任ある」「引き継ぎ」といえないか?民主党から離党の動きが始まったが、この自民党の動きからいずれ解散総選挙となろうが、いずれも、政界再編成をねらったものとしか思えない。与野党ともにその中に、考えが違うのに安住しているだけの分子がおり、これを引きはがすのが大変なのだろう。

8/28/2008

アフガンに必要な警察支援

 アフガニスタンでNGO活動の伊藤さんが殺された。農業支援で地元民の多数の理解を得ていて、この事件だった。
 アフガンは当初の内戦状態は米軍他の介入で収まっているのだろうが、それでも治安が乱れたままで、警察による維持が必要だったのだろう。相手が武装しているので。(中国風)武装警察が必要だ。日本で言えば専守防衛の自衛隊が最適だ。その警察活動の支援をしていない国(たとえば日本)の人でも区別なしに、外国人(外国の文化)を排斥する意味で、殺害したと犯行声明が出ている。江戸時代末期の(無差別)攘夷みたいなものだ。 当時も幕府を困らせる意味だったようだ。アフガンでもカルザイ政権を困らせる目的で外国人を無差別に攻撃しているという。
 だから、このような民間団体による社会支援活動の段階ではなく、警察力(軽度の軍事力)による社会秩序維持活動が必要だ。インド洋で給油だけ、で良いとは思われない。

8/27/2008

南オセチアとコソボ、EUとロシアはダブルスタンダード

 ロシアがグルジア共和国内のアブハジア自治共和国、南オセチア自治州の独立を承認したことで、欧米諸国の反発を受けている。20世紀末にソビエト連邦が崩壊し、ロシア他の共和国などに分解したが、その一つのグルジア共和国内にも異民族の自治州など(自治共和国の名も)が存在していた。ロシア連邦共和国内にも北オセチア共和国あるいはチェチェン共和国など問題の自治州などがあるからお互い様だ。
 類似で、ユーゴスラビアが崩壊したあとのセルビア共和国内にもコソボ自治州があり、コソボの一方的な独立宣言をEUなどは承認している。
 チベットは中華人民共和国内に留まり、大幅な自治権が与えられればよい、としている。前記の例で言えば、自治国でもよい、ということだ。
 民族自決だと、民族毎に乱立モザイク小国家となってしまい、国家としての最小規模を下回るなど不都合だ。ある程度のまとまりで多民族でも国家を形成していく共有認識が欲しい。

8/25/2008

五輪野球は不調の選手を切ることが必要だった

 文痴はオリンピックは見ないと誓ったが、サッカーとプロ野球は好きだ。だから、日本が敗退したあとのそれらの頂上対決は見たのだ。
 サッカーはアルゼンチンvsナイジェリア。下手なチーム同士とは点数(差)が同じでも、明らかに違う。「ア」のメッシ選手はさすがだ。「ナ」チームもその実力に一目置いている。
 野球のもう一方の準決勝も見た。米国vsキューバで、キューバのパワー野球に感銘した。バットは思いっきり振るものだ。その流れで、決勝の対韓国戦を見たが、負けたのが信じられない。
 星野ジャパンが負けた理由がマスコミを賑わしている。文痴の考えでは、24人の選手全員に見せ場を作ってやろうという、星野流温情(厳しさでない)が仇になった。オールスターゲームのときも、ファン投票あるいは監督選出の選手を全員出場させなければならない(とは限らないが、事実上そうせざるを得ない)のが、監督采配を鈍くさせている。
 予選リーグで決勝進出が見えた段階で、選手をいろいろ試し、決勝トーナメントの二試合ではそれらの結果の好調選手に限って起用すべきだった。

8/22/2008

スーパー店内は消費者による市場

 漁業者の獲ったサンマが100円/kgで産地市場で取引され、消費地市場を経てスーパーの店頭では400円/kgになるという。燃油価格が上がっても、400円は変わらないので100円もそのままだという。そこで、両市場でのマージンを抜くため、産地からスーパーへ直接卸すことも考えているらしい。しかし、これでも400円は変わらない。
 原価が上がっているのに、小売価格が上がらないのは不思議かもしれない。しかし、考えてみれば、消費者の主婦は、サンマの原価が上がった(と聞いている)からスーパーでも高くても仕方がない、とは絶対に考えない。食材はサンマ以外の魚もある。肉もある。野菜もある。穀物果物もある。すべてを比較して、カロリー栄養と値段をすばやくカンピューターで計算する。そこで、400円を超えたサンマは売れなくなる。スーパーの売り子はそれがわかっているから、ギリギリの400円にする。これは一種の食料品市場機能を果たしていると言えないか?

8/21/2008

「2020年の日本人」その3

 著者の松谷氏は年金等社会福祉の破綻の危険にも言及している。年金財政の苦境に対処した小手先の改正をそのたびに重ねると、不信のもととなるし、人生生活設計も出来ない。究極の人口とその労働力率を視野において、年金等の設計を明らかにすべきという点はうなずける。
 ただ、年金が成り立つ人口年齢別構成すなわち多数の労働人口(分母)が少数の年金受給者(分子)を支える構造が今のままだと崩壊せざるを得ない。その解決策が必要なのだ。
 文痴の考えは、65歳以上は労働を終え、年金受給のみ、としている年齢の考えを徐々に変えていくことだ。人生80年以上の時代になって、65~75才くらいまでは人によるが職種を選べば働ける。昔と違って、肉体を駆使しあるいは精神的にハードな仕事というものは、IT化などにより(老人でも)より楽に処理することが出来るようになった。これからの65歳以上はITにも長けているのだから。分子の人が分母に少しでも移るようになれば、二重に年金財政が助かることになる。

8/20/2008

「2020年の日本人」その2

 著者の松谷氏は、日本の工業生産品の競争力は薄利多売に求められてきて、それは労働分配率が低く抑えてきたからだが、それができたのは、生活(必要最少)給の考えからだという。これからは付加価値の高い製品をそれなりの高い値段で売り、利益の再投資分を給与により多く回し、最少以上の豊かな生活を取り戻すべきだ、としている。
 文痴がおかしいと思うのは、「薄利多売」が日本製品の競争力、の部分だ。薄利多売は中国製品の間違いでないのか。日本製のものは技術力に裏打ちされた確実な製品で、それなりのリーズナブルな価格で供給できたから、競争力があった(車、家電)。特殊な手工業品で高価格のものならば、欧州などで有名なものがある(スイス時計など)が、それらはあくまでも汎用品ではなく、趣味のものだったりする。これらに日本が生産対象を切り替えていくには、市場規模が小さすぎる。それとも日本が負けている情報分野なのか?ノキアの携帯、インテルのCPUなどがそれだが、これら最終製品にも日本製の素材・部品が高価格で組み込まれている(大前研一氏による) 。
 労働分配率を高めるといっても、グローバルな労働市場にある現在、日本企業だけが賃金を上げたら競争力がなくなってしまう。いま、中国人単純労働者に出来ない少し高度な労働を日本人がしているから、給与水準がそれなりに高くなっている。派遣労働者のうち単純労働しかできないものは中国人と同程度の低賃金にならざるを得ない。そうでなければ、中国で生産し輸入することになる。

8/19/2008

「2020年の日本人」読後考える

 松谷明彦著「2020年の日本人」を読んだ。日本はすでに人口減の時代に入っているが、少子高齢化に伴う高齢者の増加による労働人口率(労働人口中の実際に労働する人の率)も減少し、2020年には労働人口(人口×労働人口率)は半減し、GDPが激減するという。
 人口減と高齢化は確実な未来で、言われてみればそうに違いはない。松谷氏は、だから日本独自の消費社会を構築して、投資(民は設備投資、官は公共投資)重視の経済運営を改めなければならないとするが、文痴の結論は少し違う。
 やはり、総需要が足りない。日本人の安定志向で、ハイリスクな投資先は全滅に近い。株式市場が低迷していることからもわかる。確実な投資先、公共事業が必要だ。もちろん、社会インフラとして効果の高いものに限定すべきだ。道路で言えば、必要な道路に。景気浮揚のためだけの公共事業は今の時代、必要ない。
 言い換えると、個人の余裕資金あるいは企業の社内留保は自己のために使う必要性が残っていない。個別にはすでにかなりのものがそろっているからだ。だからその資金は、貯蓄に回っているので、その行き先は各個人では投資できない共同施設すなわち公共施設に向かわなければならない、という理屈だ。

8/18/2008

スポーツ応援民度を隠す(中国)

 文痴はオリンピックとそのニュースは見ないが、関連のニュースには興味がある。新聞によると女子マラソンの沿道応援では当局に選別されたものが各国選手に対し分け隔てなく応援した、とある。
 チベット弾圧への抗議活動あるいは応援者同士のトラブル、アテネでの抱きつき事件などいろいろと不始末を想定し、そのような規制にしたのだろう。でも、文痴が関心のあったのは、重慶市ほかアジアカップサッカーでの日本選手に対する中国サポーターのフーリガン的騒動がその後改善されたのか?そのような民度の低さを中国近代化に伴い上げることができたのか?だった。国威発揚に伴うものだからというかもしれないが、東京オリンピック当時の日本も国威発揚はあった。その点中国だけを嗤えないが、日本で民度の低さがあったとしたら(なかったと思うが)、社会運動として民度を上げる努力をするはずだ。中国の解決方法は民度を隠すらしい。
 中国共産党政府は国民に対する統治能力がないのだろう。

8/14/2008

オリンピックから逃げられない

 8/13に文痴は「オリンピックは見ない」と宣言した。 この間ニュースしか見るものはないとしていたが・・・
 しかし、その後TVニュースはどこの局もトップニュースは「金メダル」のオンパレードだ。新聞も第一面のほとんどが「金メダル」だ。したがって、「オリンピックを見ない」ためにはTVとか新聞に接することはできない。
 当然だが、それらは日本人の「金メダル」。在日の外国人は自国の活躍がわからない。
 おまけに、高校野球は勝者が絞られてくるとクライマックス状態だ。
 以上が国営放送NHKの実態だ。8月分だけ聴視料を払いたくない。新聞は一面とスポーツ面だけ見ないとしても少しは価値がある。TVはスイッチを入れられない。早く9月よ来い。

8/12/2008

オリンピックは見ない

 中国の国威発揚の感がある北京五輪だが、日本もTV新聞などは日本選手の活躍「だけ」を伝える。愛国心に訴える状況はどこでも同じことだ。
 いい加減に国別の伝え方、視聴者の見方はやめるべきだ。いまどきスポーツによる愛国心など時代の進歩に後れている。中国など遅れた国で統治手段としての愛国心発揚は仕方のない面はある。少し前までは「反日」が愛国心への手段だった。いまはオリンピックなど中国人の大国意識をくすぐるものが目白押しだから、反日は手段として不要になったのだろう。毒ギョーザ事件も真相を出してもかまわなくなった。
 文痴はいまTV・新聞でオリンピック競技内容は全く見ないようにしている。チャンネルが多いから、それでもTV生活は十分だ。ただ、ニュースの中(新聞一面)に不時に目に飛び込んでくるのは防ぎようがない。早くオリンピックが終わることを心待ちにしている。
 2006WCサッカーでは日本が早々に負けてくれたので、あとは、国を意識せずに世界の名プレーを堪能できた。スポーツはあくまで名プレーを追求するものですぞ。

8/11/2008

高速道路の借金は急いで返すことはない

 政府の経済対策の一つで高速道路料金の引き下げが検討されている。もともと諸外国の倍の水準だし、物流・レジャーを盛んにする経済対策になるし、これら業界の燃料高騰対策にもなる。漁船の重油ばかりに直接に補助するのは単一の業界を優遇する不公平施策だ。
 このような国の借金がらみの新施策のとき必ず反対されるのが、借金を返さなくて国につけを回して良いのか?という論だ。彼らが金科玉条とする45年で返済するスキームが破綻するのは、不測の金利上昇と交通量(利用車)減少とこの政策的値下げですから。
 しかし、政府は高速道路各社に値下げによる減益分を補填するので、45年の返済期間には影響しない。でも、借金を早く返すことがそんなに重要なのだろうか?道路に対する債権は安全確実、日本国民の投資対象として最適だ。その分は永久に返さなくてよいのでは?と、過激に考えている。
(参考)高速道路は国民の投資対象

8/06/2008

隠れ借金(公債)はいいのか

 地方自治体の財政状況が悪化して、所有の公共施設の維持管理もままならないという。そこで出てきたのが民間資金活用のPFIだ。SPC(特定目的会社)に資金調達までも委ねて、何十年か維持管理をしてもらう。自治体のほうは毎年、管理委託費を支払う、というスキームだ。
 でも、これは一時的な資金不足を毎年の分割払いに替えることと同じではないか?それなら地方債を一時に発行して大改修を行って自ら維持管理するのと変わらない。自ら借金するのは公債が増加するからだめ、というのは、PFIも隠れ借金と同じだから、理屈に合わない。

8/04/2008

憂鬱な夏のスポーツ三つ

 野球好きの文痴にも憂鬱な夏がやってきた。まずは、終わったが、プロ野球オールスターゲーム。真剣勝負とはほど遠い。直球しか投げないとは、投手(と捕手)の対打者心理作戦を放棄している。それでも、昔はセパ異リーグのスター選手の対決が楽しみだったが、数年前からは、交流試合がペナントレースに組み込まれた(これは真剣勝負)。
 高校野球は最初から興味がない。知っている選手もいないし、プレーが拙劣だ。自由にすべき青少年にこのときだけ精神主義を強制する大人の身勝手さが許せない。(プロのチームで悪いことをした選手がいたら、その選手限りなのは当たり前)
 ことしはこれらに重なって、北京オリンピックときた。アマチュア精神から正反対の商業主義。今回は中国の国威発揚の舞台。TVで見るのさえ歴史的罪になるのではないかと、チベットのことを考えつつ、憂鬱な夏を過ごす。

8/01/2008

日本人特有の言論不一致

 「行政は何をしていた」とは、何か事件が起きたとき日本人が追求する言葉だ。日頃、民でできることは民に、と言っていたことを忘れ去った言論だ。
 「国の基準はどうなっている」とは、地方で事件が起きたときの最後のつけ回し先だ。地方分権だから、地方で決めるべきではないのか?県民がこうでは、地方分権旗ふりの知事さんたちがかわいそうだ。
 所詮日本は、(明治以来の)官尊民卑、中央集権国家のままで、これをなおすには、まずは国民の頭の中身を替える必要がある。江戸時代の封建制度がよかった。封建とは地方分権のことだ。また、武士は威張っていたけれど、実力があったのは商人だった。

7/31/2008

小学生の子供に命令できない親

 人間ひとりであれやこれやと考えていると、結論が過激な方向に行きやすい。ときに仲間と話したりすれば、常識的な結論に戻るものだ。人間は社会的な生き物だ。人の間と書き、他人との関係がなければ、人間としての生き方ができない。
 人との関係の最小・基本は家族だ。赤ん坊のうちは母親とか父親、兄弟姉妹の関係から社会が始まる。長ずれば、学校、職場での人間関係が加わる。
 何を言いたいのかわかるだろう。この基本の家族との関係(悪化ないし不在)が社会的事件のほとんどの原因となっているのではないか?密室的だから他人にはわからないが、当の家族にはわかっているはずだ。
 たとえば小学生のうちから携帯裏サイトで陰湿ないじめがあることの対策に、携帯会社に命じてインターネット閲覧規制をかけようという話がある。でも、両親が小学生の子供に携帯をもたせないか、裏サイトなど悪質なものは見ないように教えれば済むことだ。密室内なのでわからないが、これも家族による子供教育ができていない証拠なのではないか。

7/30/2008

河川空間は洪水のため

 神戸の都賀川で親水利用中の子供たちが洪水の犠牲になった。今後の対策としてすぐに出てきたのが弥縫策だ。それらでは、「危険だ」と看板だけでなく放送などでも伝えよと主張するが、現在の方法の量的拡大しか思いつかないらしい。
 元々河川空間は年に何回あるいは何年に一回かの洪水を氾濫させずに流下させるためにある。洪水時以外は空いているから、親水利用ができる。この原則をしっかり理解すれば今回のようなことは起こりえなかった。それを忘れて、利用あるいは環境面だけをピックアップしても、ときどきの自然の猛威は許してはくれない。
 水辺の「楽校」(がっこう)という言葉で河川を楽しく利用することがはやった。やはり自然の厳しさを「学ぶ」もとの意味での学校でなければと再確認して欲しい。

7/29/2008

北京五輪をボイコットするのでなかったか

 チベット弾圧の中国政府に抗議し、北京オリンピックの開会式に各国首脳が出席すべきでない、と世論が沸騰したのは僅か数ヶ月前だ。その後、福田首相も仏サルコジ大統領も出席予定となった。このままだと、中国政府が、チベットはそのままに(抑圧政策を)続けてよい、と誤解しかねない。
 日本国政府がそうなら、日本国民としてボイコットする方法はいくらでもある。北京へのツアーをキャンセルする。開閉会式以外のチケットが売れ残っているので、近間の観戦大国・日本人の忌避があるのかも知れない。TVでも観ないことだ。とくに莫大な放送権料を払っている、NHKを。ついでにその権料分の聴取料金を不払いとしよう。
 日本人は忘れっぽい民族だと、隣国になめられることのなきように。

7/25/2008

木材を使う生活が温暖化防止

 化石燃料(石油、石炭、天然ガス、メタンハイドレート)を使うと、最終的には、過去の地球で地下に閉じこめた炭素を大気中に放出することになる。だからそれらを使わないで、(炭素)循環資源の木材をなるべく使うことが二酸化炭素の排出を削減することになる。
 プラスティックに代わり身の回り品に木製のものを使用すれば、その分炭素が固定されたことになる。でも、最後は使えなくなり廃棄処分となるが、そのときは燃やして熱源としたらゼロ排出のままだ。薪ストーブを普及させ、冬期の暖房用にする。石油ストーブをなるべく使わないようにするには、灯油にも重税を課せばよい。灯油は生活必需品、という意識は撲滅だ。割り箸を使う日本文化を世界中に広めよう。割り箸は一回限りだが、そのあと燃やすという再利用(サーマルリサイクル)になる。
 問題は切り出した木材の運搬に要するエネルギー(すなわち運搬車両燃料からの二酸化炭素)だ。北洋材(シベリア)、北米材のほうが輸送費(エネルギー)が少なくて済むという。遠くても大型船舶が利用できるからだ。おかげで、国産材は近くなのに伐採されずに山は荒れたままにされている。
 文痴の提案は、平野の休耕水田に植林せよ、ということだ。伐採輸送費用が格段に安くなり、国産材が利用されるようになる。
(参考)遊休水田に木を植え、平野の森林をつくろう

7/24/2008

高校野球県予選はローカルニュース

 今年の高校甲子園野球は北京五輪のせいか、少し前倒しらしい(高校野球音痴の文痴にはその確信がない)。
 問題だと思うのは、朝日新聞ほかの全国版ページに県予選の結果まで載っていることだ。ローカルニュースだろう。県版のページに任せるべきだ。他の県(沖縄?)の途中経過まで知りたいらしい。場合によっては、地元より優先するのか。
 まえに全国どこでもマツモトキヨシのドラッグストアが進出していると書いたが、地元のことより全国情報・価値が優先する(日本)国民だ。地方分権なんか県民意識からして成立しない。県知事だけの要求だろう。

7/22/2008

門外漢の論説氏が門外漢を非難、日経紙温暖化論調

 日経新聞7/20に論説委員・塩谷喜雄氏の「温暖化巡る日本社会の不思議」が掲載された。人為的温暖化に疑問を呈する意見が多出していることが不思議なようだ。
 文痴は人為的温暖化に疑問があるが、論説氏の意見(「」内で引用)にも疑問を呈したい。
 まずは「科学的には決着している地球の温暖化」について、科学的とは言えない部分もあることをご存じないか、その疑問が「地球科学とも気象学とも無縁の門外漢の学者の言説」だから科学的といえないのか、はっきりしない。論説氏は門外漢だから、同じ門外漢の意見を頭からはねているのだろう。
 つぎに、「IPCCが昨年、断言した」し、「参加した科学者は世界中から30万人以上」だから、科学的に間違いないとしている。論説氏は少数でも真理だったガリレオの故事をご存じでないらしい。またイザヤベンダサンの全員一致の結論は無効の警句も。
 ほかにもいろいろ同様の論理的展開となっているが、門外漢の論説氏に判定できることではないと、自身の門外漢の理屈論で少なくとも言えるのではないか?
 門外漢の諸疑問に30万人の科学者の誰かが個々具体に答えることが科学的と言われるためには不可欠だ。「科学的な理解を欠く安直な論法」に対しても、科学的に答えなければ、門内も科学的でない証拠になる。

7/18/2008

議員は国民有権者の鑑(かがみ)

 大分県教職員採用汚職の関連で、全国各県で調査を行ったところ、若干の県で試験合否を本人に先立って国県会議員等に通知していたことがわかった。不法ではないが、疑惑を招く行為で、この先厳禁するという。
 議員が知りたがるのは、議員に(裏から)採用を頼む人がいるからだ。議員はこの種の頼まれ事をもって、(地元)政治活動と称する。「口きき」ではないとしているが、議員から聞かれれば、聞く方の役人も「試験結果を操作して欲しい」と理解するようでなければ(すなわち、汚れ役をやらなければ)自分が偉くはなれないと思いこんでいる。議員のほうはといえば、頼む有力者の評価で、次回の選挙の当落が決まるようだ。
 この有権者・国民あっての議員ではないのか?国民は自らの行いを反省してから、他人にものを言うべきだ。

7/17/2008

漁業とタクシーの業界保護の問題点

 漁業とタクシー運転は供給過剰により価格が低迷している点で似ている。業界従事者の需要と供給は賃金の変動で増減するが、この二分野は賃金が安くなっても供給(漁業者、運転手)の減少が難しい。運転手は他業界の過剰状態からの転入だし、漁業者は老齢などの理由で他業界への転出が難しい。
 労働市場の流動化が必要で、安易に前者への補助金あるいは後者の参入規制はしてはならない。
 漁業と比較されるのが稲作農業への保護だ。しかし、コメは政府買い上げの自由化が行われており、現在は米価は低迷している。ほかのすべてにも、公的な業界助成というものはない。ここは、漁業だけという不公平性も問題となる。

7/15/2008

漁船燃料油補助より価格転嫁を

 漁業者が燃料高騰と魚価の低迷に抗議し、一斉休漁した。
 結果的に供給を減らすことになり、魚価は少しはあがるのではないか。さらに供給が少なくなれば、価格転嫁もスムーズになされるだろう。世の中、魚価だけ安いというわけにはいかない。
 また、あまりにも動力船にたより、集魚灯などもそうだが、石油などエネルギー多消費の漁業になっているかを改めて反省させられる。近海中心の地物漁業に回帰するチャンスだ。乱獲防止にもなり、資源が温存される。
 国内漁業で労賃が高すぎて、競争力がなくなっているのなら、外航船の船員と同じように、外国漁船(員)の漁獲に頼る日が近いのかもしれない。北洋カニ(ロシア)とか高級貝(中国等)、マグロ(台湾)はすでにそうなっている。養殖漁業への転換も加速されよう。
 いずれにせよ、自立した産業だから、燃料油への政府の補助は考えられない。
 

東アジアの国と国の特殊な関係

 日中韓の三ヶ国の二ヶ国関係は世界から見ると特殊だ。中韓は緊張した国益のぶつかり合いが見られるので、一方が日本だとおかしくなる Japan problem なのだ。靖国参拝あるいは竹島領土教育問題は日本の内政だ。だから、内政干渉になるのに、日本政府は抗議するどころか、相手国政府の窮状に配慮したりする。世界の常識は、配慮するとさらに嵩に懸かるのが、当然だ。外交とは国益のぶつかり合いから始まり、最後は両国不満の線に落ち着くのが当たり前だ。最初から配慮したら、真剣な外交にならない。かつての中国・胡耀邦氏に中曽根首相(当時)は配慮し、靖国参拝を控えたが、その後の状況はかえって両国が困ることになった。
 日本人同士だったらそれでもよい。配慮と配慮でいい線にまとまる。加藤紘一氏が誘拐国・北朝鮮との信義を守るべきだったと主張した。日本人向けの言葉だとは思うが、北朝鮮にも報道されていることを忘れている。配慮されれば図に乗るだけだ。
 反日、というのではない。全世界が日本人と同じく甘いとみる事実誤認だ。

7/12/2008

中国を嗤えない、大分汚職地帯

 大分県教委の汚職事件にはびっくりした。通常この手の「後ろめたい」犯罪は特殊な人が特殊な事情で犯すものだった(日本人にもある確率で殺人犯はいる)。今回の特徴は組織ぐるみ皆が手を染めていることだ。少数の真面目なものも逆らえなくなる常態となっていたのだろう(だから密告で明らかになったのかも知れない)。
 まるで中国などアジアの汚職天国と同じだ。明治の時、岡倉天心がこれらの国に絶望して、脱亜入欧の考えになったが、日本国もついに、それらの国に仲間入りだ。
 

7/11/2008

投機資金で原油高は続かない

 12chTVで先日、財務省前財務官の渡辺一橋大教授の原油高と投機マネーの関係の解説があった。
 投機マネーは先物市場を「豊かに」するだけだ。だから当座の値動きには影響するが、先物決済日には元に戻るはずだ。教授が力説したのは、それよりも年金資金などの固い金が投資先を失い、原油市場にも過剰に入ってきているので、原油高になっているとのこと。サブプライムローンからの資金逃避で、原油商品市場に投資資金がだぶついているのだ。
 このような状態をインフレーション、すなわち、通貨の価値がモノに対し下がっている、と言う。だから、モノの供給がこれ以上期待できない(原油も穀物もそうだ)とき、通貨の供給を絞る、すなわち、利上げしてそれら資金を金融市場にもどしてやることが必要だ。欧州は利上げした。米国も景気の心配の中、あえて利上げの準備中だという。日本は超低金利で円キャリー取引の原因を作っている。一刻も早い利上げが待たれる。現下、金融政策で景気を左右できないことを政治家は良く理解して日銀のやることを理解すべきだ。白川新総裁は政治圧力で困っている。独立性の侵害が政府によりなされている。

7/09/2008

エコ住宅への建て替え、待った!!

 文痴は先月6/10に「エコ製品に取り替える時期」との主張をした。いまの古いものをずっと使い続けるほうがエコにならないか?との問題提起だ。
 建物も同じだ。200年住宅とか断熱効果の高いエコ住宅への立て替えを勧めるが、建て替えないで住み続けることとの比較がない。
 朝日新聞2008.7.8「わが家のミカタ」に「長持ちさせ議定書達成?」の特集記事がある。マンションの改修工事会社「ヤシマ工業」の試算(以下)だ。マンションを構成するコンクリート、鉄筋、ガラス、コンクリート型枠の製作に必要なCO2を建物床面積あたりで計算すると1.62トン/m2となる。国内に約40億m2の鉄筋コンクリート建物があるが、40年で建て替えとすると一年あたり1億m2だから、CO2は1.62億トン/年。これを倍もたせて80年後に建て替えだったら、CO2は半分の0.75億トン/年で済む。これは京都議定書の日本分-6%と同じだという。
 以上の数字には建設機械、運搬車両の出す分は入っていないという。文痴の言う、古い建物の解体処分の際に出る分も入っていない。
 だから、ここでもMOTTAINAIで「古いものを長く使う」が一番だ。

7/08/2008

米国vs中印の対立への名案

 文痴は人為的地球温暖化の理論には納得していないが、正しいとしても、以下の削減枠組みの不合理について胡散臭く感じている。
 温暖化ガスの二酸化炭素排出枠の設定に米国が難色を示している理由が中国、インドの新興大国の不参加だ。先進国だけで削減しても意味がない。
 一方の二国はいままで先進国が勝手に排出し経済発展をしておいて、あとから来る国にも一律に厳しくするのは不公平だとしている。これも道理だ。
 以上の二つの立場に白黒がつけられない。それが胡散臭いのだ。
 文痴の案は、一人あたり排出量の枠を平等にすればよい。それは十分可能だし説得性がある。発展途上国は先進国がかってしたようなエネルギー無駄遣いをしないで済む。先進国が得た省エネ技術をすぐに導入できるからだ。安価だからといったエネルギー多消費型の開発は許されない。この場合インドの人口増加無策もチェックの対象だ。人口増による排出総量増も許されない。
 EUには含まれるようになった東欧地域が発展途上だった1990基準年の排出総量で計算すると、全体では余裕が出てくるという隠れたメリットがあるとの批判を受けやすい。これも基準年方式でなく、一人あたりで計算すべきだ。

7/02/2008

MOTTAINAI精神を普及する秋(とき)

 マータイさんがいくらMOTTAINAIと言っても、日本人の中には少ないが、もったいない精神に無頓着な人は生活態度を改めない。そのような少数派にもお金の大切さはわかる。このたび、石油などの資源が高騰し、すべての物価が上がったので、お金が大切なすべての人はMOTTAINAIに同調するようになる。
 石油など化石燃料資源はCO2の排出に直結する。だからMOTTAINAIが即、地球温暖化防止に結びつく。つまり、物価上昇は資源の節約になり、地球環境へと結びつく「吉兆」なのである。
 このことを洞爺湖サミットでは議論してほしい。

7/01/2008

青少年健全育成は親の責任

 コンビニの深夜営業自粛の流れになっている。二酸化炭素排出抑制のほかに青少年育成の理由もつけられている。深夜開いている店がなければ、夜遊びをしないだろうと。
 少し筋違いではないか?親が自分の子供に注意すれば済む話だ。同様のことで、子供が持つ携帯電話のアクセス制限の話がある。これも親が携帯電話を買い与えないことで解決する。または、通話だけの機能の携帯でもよい。
 子供のしつけを家庭でちゃんとすれば、インターネットで変なサイトには近づかなるか、閲覧したとしても悪影響を受けない。コンビニに買い物に行っても、悪い仲間とたむろしなくなる。

6/30/2008

医療費の増大は仕方がない

 医療費の増大は後期高齢者問題だけが理由ではない。たいした病気でもないのに、ひとは簡単に病院に行く。だから医療費が全体で増加しているのである。
 これは医療保険があるから行きやすくなったこともあるが、死の危険のある重病は当然としても、体の少しの不具合でも病院にかかるようになったこともある。QOL(生活の質)が重視されてきたからだ。
 文痴は椎間板ヘルニアの持病がある。ときどき激痛が襲うが、これで死ぬことはない。まともな生活にならないから病院で看てもらう(でも完治はしない)。昔はお金がかかるしどうせ直らないからといって、病院には行かなかった。
 日本人が豊かになって、衣食住足りて、そのうえで体の少しの不具合も我慢できなくなって、医療費が増えたのである。
 少しの不具合を看るだけの医療は、別の簡略な医師免許でよくし、その分医療報酬も安くすればよい。いずれにせよ、必然的に医療費は増加したのである。このことを前提に考えるべきだ。

6/27/2008

脱炭素社会には原油高が一番

 地球温暖化対策に各国でCO2排出削減の工夫をしているが、一部では実現困難だという。どの分野、どの国がどの程度削減するかを決めきれない。だったら、炭素に一律に税金を掛けたらよい(炭素税)。しかし、これでも国が違うと強制できない。
 炭素税に変わるものが、図らずも起きている原油価格の高騰だ。石油の使い道で、高値に耐えられないものは、強制的に削減させられるという効果が自動的に得られる。他の(原子力あるいは自然)エネルギー源への移行が、たとえば灯油暖房を薪ストーブに替えていく、などにより脱炭素社会になっていく。安い石炭へ、という動きには、値段のバランスがとれるまで、石炭の採掘時に税金を賦課することだ。世界一律にできなければ、先進国が輸入する際の関税で、石炭の国内価格を高くする(これも炭素税)。
 イランではガソリンを輸入しているという。産油国なのに、という疑問はあるが、その高いガソリンに補助金をつけ安価にしているという。こういう逆行には世界的枠組みで禁止措置を執るのが、COPの役割だろう。

6/26/2008

ごみ分別強制に見る管理社会(横浜市)

 横浜市はごみ焼却場の数を将来的に減らして、更新投資などの歳出を減じるため、「燃えるごみ」を厳しく制限するようになった。紙ゴミのうちきれいなものは資源ごみとして分別させ、燃えるものは生ゴミと汚い紙類だけに減量しようというのである。すべてのプラスティックは当然(もともと)、資源ごみだ。
 歳出は減るのか。紙資源ごみは古紙の材料になるようだが、これは市況の変化が著しく、いつも資源というわけにはいかない。結果燃やさざるを得なくなる場合もあろう。そうなれば、分別・資源化の費用が無駄になる。分別には家庭内労働が必要だ。主婦の労働力はタダではない。だから、社会的に見て、どちらが省マネーなのかわからない。
 百歩譲って、分別リサイクル・非焼却化が正しいとしよう。しかし、横浜市はそれを強制に近い指導で市民に浸透させようとしている。ごみの正しい出し方を知らしめよう、という管理社会の到来だ。
 隣の隣、東京都区部は秋からプラスティックごみを焼却する予定になっている。ごみ処理技術はどこでも同じはずなのに、こうも違うと、横浜市民が見たら、驚愕ものだ。文痴は東京都に住んでいてよかった。

6/25/2008

省資源に逆行する増産

 文痴はホンダ・シビック・ハイブリッドに乗っている。省エネというより省マネーが動機だ。1300cc のエンジン+モーターで非ハイブリッドのシビック2000cc と同様のパワーだ。車体の大きさから3ナンバーなのだが、排気量が少ないので、毎年の自動車税は低価だ。省マネーは当然、燃費の良さからが大部分だ。20km/l 走るとして、同じクラスで通常車は10km/l がよいところ、倍半分だ。いまガソリンが高騰し、200円/l も間近だという。でも、走行距離あたりではハイブリッド車は100円/l と同じことになる。走行距離あたりで考えると、ガソリンにかかる税金(揮発油税、消費税ほか)60円/l 強も半分になる勘定だ。だから、ガソリン本体の値段が半分になっても、ガソリン代は半分にはならない。燃費のよい車に乗り換えれば、その割合で、ガソリン代がまるまる安くなるのだ。
 ハイブリッドの車両価格は(安くなって、それでも)30万円ほど高いと言われている。しかし、年に10,000km 走るとして、200円/l のガソリンで、10km/l なら20万円、20km/l なら10万円で10万円お得。3年で元がとれてしまう。原油高を覚悟すると、これから以上のようなハイブリッド車の普及など、さまざまな省資源技術が出てくるはずだ。
 今回、サウジ(クウェートも)が増産に踏み切ったのは、このような産油国に不利な動きを少しでも食い止める(遅らせる)のが目的だ。

6/24/2008

サウジの増産はCO2の排出増と同じ

 世界的な原油高で、供給を増やそうと、サウジアラビアが増産するという。
 いま温暖化ガスのCO2の排出を減じようと血みどろの努力を続けているが、考えてみれば、石油などの化石燃料を採掘した時点で、遅かれ早かれ地上のCO2がその分増えてしまうことになる。
 石油の高騰は化石燃料に頼らない地球を作る絶好のチャンスなのだ。対する産油国にとってはそうなると代替エネルギー開発がペイしてしまう危機になるから、増産・価格維持でもってその芽をつぶそうとする。
 人々が石油価格の高騰で困っているからと、このサウジの決定を歓迎しているのは、いままで言っていたCO2減少を忘れた議論だ。

6/23/2008

コンビニ深夜営業自粛は個別攻撃(失敗)

 2008.3.6にも「早寝せよとの時代錯誤」で、深夜TV 放送自粛問題について書いた。TV局で放送するエネルギーはたいしたことはない。そのTVを見る各家庭での夜更かしのエネルギーが問題なのだ。
 コンビニも同じ。全国数万店の店が深夜営業するエネルギーはたいしたことはなく、コンビニ側もそう反論している。むしろコンビニが開いていることにより可能となる深夜生活がエネルギーの大部分を使う。
 深夜生活をする社会的経済的理由から議論しないと、おもいつきの個別攻撃・被撃破・撤退のなにやら旧日本軍の失敗と同じになってしまう。

六本木ヒルズが期間限定消灯

 森ビルが六本木ヒルズのライトアップを7月の洞爺湖サミットの期間までのあいだ消灯するという。
 なんの意味があるのか。
 ずっと消灯せよ。

6/20/2008

過去究明がテロ支援国家解除の条件

 米国の国内制度であるテロ支援国家に指定された北朝鮮を解除するかで議論になっている。
 米国の制度だから、日本があれこれ言うとしても、最終的には米国民が判断することだ。ただ、拉致は日本、韓国ほか多数の国民が現に被害に遭っている、世界的な非人道犯罪だから、テロかどうかは別にして、解除要件になるのは当然だ(しかし、米国民は被害に遭っていない)。
 それはそれとして、一番に大事なのは、なぜテロ支援国家に指定したかの理由だ。大韓航空機爆破事件、ラングーン爆破事件などは、北朝鮮が支援したと言うより、自ら国家テロをしたと疑われている。それらの事実究明と下手人処罰あるいは国家謝罪がなければ、あいまいのうちに、現在の外交状況を有利に進めるために、解除したと指摘されてしまう。現にブッシュ政権八年の最後の手柄にしたいのだろうと、疑われている。

6/19/2008

うるさい日本の私

 中島義道著「うるさい日本の私」を読んでいる。タイトルがどこかで聞いたような。
 あのノーベル賞作家の「あいまいな日本の私」と似ている、というより、おちょくりだろう。中島本のサブタイトルは「音漬け社会との果てしなき戦い」とある。日本への具体的な宣戦だ。
 対するノーベル賞の本には、あいまいだったらどうした、と言いたくなる。抽象的主観的で実利実害とはかけ離れている。

6/18/2008

イカマグロはエコロジーでない

 イカとマグロの漁船があまりの燃料油高騰に抗議して、一斉休漁に入った。石油は国際商品だから、抗議しても仕方がない。値段が上下するのが市場経済だ。
 ただ、休漁しイカマグロが供給されなければ、魚市場で魚価が上がる。価格転嫁というやつだ。それをねらったストではないか。
 それにしても、以上の二魚種は油を多消費する、エコに反する食い物だということがわかる。エコに敏感な人は食わないことだ。

6/10/2008

エコ製品に取り替える時期

チーム-6%がホームページで、電球型蛍光ランプが電力を多消費しないエコ製品だとし、クイズ形式で、「何ヶ月たったらもとがとれる?」と聞いている。答えは一日5時間使用で12ヶ月とのこと。
CO2ではなくお金の比較だった。そうです、エコノミーな生活をすれば、エコロジーになる。難しい話ではない。
よくないのは、まだ使えるのに、廃棄して、エコ製品に取り替えろ、とそそのかすやり方だ。
エコ製品でも製造にCO2が排出されているし、
旧製品を廃棄するにもCO2が必要だし、
廃棄物問題につながる。
いつの時期に新製品に替えたらよいのか、以上の三つの要素の差し引きを計算する式を教えてほしいものだ。

6/09/2008

全選手スピード社水着を、または

イギリスのスピード社の水着で記録が伸びている。それはそれで画期的なことだと思う。
しかし、このような技術革新の恩恵に無縁な国々の選手には不公平なことだ。陸上短距離で言えば、一部の選手だけの「追い風」のようなものだ。
全選手が同社製の水着を着用するようにするとか、そうでない場合は、非着用選手のクラス(柔道などの重量クラス)を設定するようにしないとおかしい。

6/08/2008

星出さんはもっと科学の話を、道路事業も同様

日本人宇宙飛行士の星出さんが米国のスペースシャトルに乗って、国際宇宙ステーションに着き、実験室の建設に貢献している。日本の人たちに宇宙飛行士になった感激を伝えているが、もっとこの科学プロジェクトの意義について話すべきだ。難しい話は一般の人に分かりづらいから、子供を対象に飛行士への夢を語れば、誰にでも理解できる、そのような意図からだと思われる。
日本の税金の莫大な額がこのプロジェクトに使われている。そのことに正面から理解を得る努力をすべきだ。莫大な額が宇宙飛行士になるだけで終わるはずがない。

道路事業もそうだった。ミュージカルなどにして一般向けに道路事業への理解を得ようとしたが、それで理解は全く得られなかった。ミュージカルに要した費用まで問題にされた。必要な道路事業は何か、という正面からの説明が必要だ。

6/06/2008

レジ袋有料化でごみは本当に減るのか

レジ袋削減運動への疑問は文痴も3/16に書いた。
朝日新聞6/5「私の視点・・・レジ袋有料化」に神戸山手大教授の中野加都子氏が「ごみは本当に減るのか」の論が載った。
まずは、レジ袋が軽く(数グラム)強度がある優れものであること、それがすぐゴミになるのではなく生ゴミなどを入れるゴミ袋などに再利用される、リユースの模範だと言うことを強調する。有料化運動でごみが減らず、経済的負担が増えるだけ、になってしまうことを危惧する。
それよりも食べ残しをなくすなど、もっと根本的なことをすべきだとしている。(文痴は過剰包装を問題とした)
この社会的風潮にもかかわらず、冷静に考え、賢い消費者になるべきだ、との提言だ。

6/05/2008

食料輸出禁止は非グローバル化

原油などの鉱物資源需給が逼迫、高値となって、穀物など食料の国際取引にも影響している。
ベトナムは米の輸出を、ウクライナなどは小麦の輸出を一部禁止した。高騰する国際価格ではなく、従前の安価な国内価格を維持し、国民の支持を得たいためらしい。グローバル経済の世界単一市場に反する行いだ。国際価格で売り渡し、その利益を国内の貧困層に還元するほうがよい。その国全体で見たら損をしているのではないか?
市場経済は何の資源が不足しているのかを価格上昇でもって知らせてくれる。
いま不足しているのは、化石燃料、国際取引される穀物などである。日本人にしてみれば、省エネにさらに努力し、肉食(穀物が飼料となる)を少なくし、米、魚を主体とする食生活に戻ればよい。地球環境みたいな高級理論によらずとも、財布と相談する生活をすれば結果は同じとなる。

注:魚でも遠洋漁業のマグロなどは船舶燃料を多用するので、それらは控えめにすべきだ。むかしはマグロは高級品だった。その時代に戻っただけだ。

6/02/2008

リニア新幹線は民間資金で自由に

6/1の毎日新聞によると、リニア新幹線をJR東海が自己資金で建設しようとしているのに対し、長野県知事が県内ルートを諏訪湖のほうに曲げて駅を作り長野県の利便を図るように要求しているという。「誰の援助も受けずに好きなことができるのなら別だが・・・」と行政の圧力を掛けている。
東京名古屋間は直線で結ぶJR東海案だったら、290km(東海道新幹線では366km)に短縮、スピードアップもあり40分(同のぞみ104分)で到達できるという。曲げたら距離が長くなるし、途中駅も時間がかかる要因となる。東海道新幹線の新線となり、到達時間で特色を出すのだから、そうはできない。
JR東海は誰の援助も受けずに(自己資金で)理想の案で建設したらどうか?それとも国県は許認可権限で圧力をかけるのか?古い手だが。

5/31/2008

輸送のため何故軍用機

四川大地震後の一応の平穏を取り戻した現在、仮設テントなどの支援物資を各国は軍用機で輸送している。日本も自衛隊機でということになるのだが、日中思惑のすれ違いで、民間機チャーターによる輸送になるという。
文痴が疑問に思うのは、ここで何故軍用機でないといけないのか?被害地に一番近い成都の空港も滑走路などの被害は受けていない。いまは民間機でも十分だ。自衛隊員が支援に赴く場合ならいざ知らず、ものを運ぶのなら、どの飛行機でもよいではないか?
中国政府が自衛隊機ででもと言ったそうだが、輸送手段に注文を付けるのはおかしいし、災害に乗じた何らかの意図がどちらかの政府にあったのではないか。
もちろんだが、災害直後の混乱状況のなかでは、軍隊の出動が期待されることがある。

5/30/2008

生物はシロクマだけではない

これもNHKスペシャルを見たことがきっかけの投稿になる。NHKは文痴の反面教師だ。
地球温暖化の結果、北極の海氷が溶けはじめ、氷の上でのアザラシ狩りを唯一の生存手段とするシロクマが絶滅の危機に瀕しているという。だから、温暖化ガスの二酸化炭素の排出を削減しよう、という人為的地球温暖化防止の政策を補強するものとなっている。でも、アザラシは助かる。その結果違った生態系が北極圏にできるのではないか? 地球の歴史上、そのようなことはなんべんも起きている。たとえば、恐竜が絶滅し、ほ乳類が全盛となり、人類が誕生した。これも地球温暖化(が退行、寒冷化)の結果だという。
疑うのは、NHKは生態系のことを考えるのではなく、単にシロクマが好きだからではないか?TVでもシロクマの赤ちゃんはかわいかった(どの種でも赤ちゃんはかわいい、それが唯一身を守る方法だからだ)。かわいいとか好きだとかは、ほかの例でいえば、杉よりもブナ、牛よりも鯨。鯨は知能が高いから、殺すべきでないというが、もっと高い犬を隣国では食用にしている。
いい加減に生物の好き嫌いによる選別をやめたらどうか?

5/26/2008

海水面が上がっていないのに影響がある?

5/26のNHKクローズアップ現代「地球温暖化により飲める水がなくなる」を見た。きわめて非科学的な内容だ。いつものことだが。
地球温暖化により「将来は」海水面の上昇が予測される。ここまでは異論はあるが、将来が来てみないと真偽はわからない。問題は、(cm単位の)上昇が見られていない「現在」、バングラデシュでは上昇した海水面により地下水の塩水化がおこり、飲み水にならない、という内容だ。「将来」を憂えるあまり「現在」もそうだと勘違いしている。
バングラなど海岸近くの地下水には常に海水が進入している。地下水層ではその塩水の上に淡水があるから、それを利用できる。何らかの理由で(たぶん地下水への淡水補給源となっている河川水の影響が少なくなるなど)、利用できる淡水層が少なくなったのが理由だ。バングラはガンジスとブラマプトラの二大河川が流れる水の豊富な国だ。その莫大な淡水を国土に水道補給できないことこそ問題なのだ。地球温暖化のような馬鹿話をしている暇に水道の建設援助をするべきだ。

年金保障か医療負担減か

後期高齢者医療制度への国民的ブーイングに与野党ともにあわてふためきごますり状態だ。新制度廃止の野党案に対し、与党案では、低所得の老人(年金収入のみ)にはかなりの軽減措置を講ずべきと議論がされている。しかし所得がなくても資産が裕福なものはその限りにあらずとか、自民党でも結果の平等、社会主義的議論が横行している。
資産は一度税金を納めた残りだ。それをまた税(保険負担も同様だ)の対象にするのは公正を欠く。イソップの「ありとキリギリス」のキリギリス的生き方を結果として推奨してしまう。
基礎年金は老後の生活の最低を保障するものだから、それから医療保険を天引きないし徴収しようというのは、おかしい。年金水準をその分上乗せして。天引きすべきだ(結果的に手取額は変わらない)。かなりの収入のある老人からはそれなりに徴収したらよい(現法でもそうなっている)。
それにしても生活保護の月収よりも基礎年金のほうが低額なのはおかしいので、「最低生活保障の月収」の計算をして国民に示したらどうか。それを上記二つの目安としたらどうか。これを保障しないで、医療保険のほうあるいは窓口負担の割合で軽減するのは、一物多価となって物価政策上おかしいことになる。
後進国では最低所得を保障しないで、食料品などの基礎物価を政府補助で下げる(政府米など)ので経済がおかしくなる(必要な公費は同じなのだが)。

5/23/2008

朝三暮四、ガソリン税か消費税か

朝三暮四とは猿に朝三つ夕方四つの餌でどうかと聞いたが、難色を示したので改め、朝四つ夕三つで納得したという、(朝で)目の前の利益にごまかされてしまう故事だ。
消費税を増税して福祉医療年金教育予算の今後の不足に備えるべきだが、国民になかなか納得してもらえないので、国民にとって地球環境などに負い目のあるガソリン税を一般財源化して(場合によっては増税し)それらにあてる、という手段ならやむを得ない、というのに似ている。
どちらも国民の懐から出るのだが、言い方が違うとごまかしがきいてしまう。
物品税を消費税に一律統一すべきで、そうでなくてよいのは、酒税、たばこ税あるいは(新設の)炭素税くらいではないか?ガソリン税はほかも含め化石燃料使用の炭素重量に応じて課す体系に整理し直すべきだ。

5/20/2008

ロシアの「アブラ」銭

NHK二夜連続「沸騰都市」を見た。ドバイの場合もロンドンの場合も都市沸騰の元手となる資本はアブラ(石油)関係の金からだった。前者は中東の産油国、後者はロシアだ。金があれば、都市は発展する。それだけの話だ。
ロシアはもともと産油国で、ソ連時代、石油の収入があったから異常な共産主義体制が70年も続いたと言われる。金がない国の共産主義はとっくに独裁政治の手段・隠れ蓑と化している。
石油を高値にしたのは中国とインドの需要だ。この両人口大国の労働力が世界経済の実体で、地下に眠るだけの石油の値上がりを自動的にゲットする方が虚体だ。石油がなくなったときこの「あぶく」銭繁栄は終わる。または、高値の石油が代替エネルギーを可能にし、そちらに転換が進めば石油だけの国は滅びる。

5/09/2008

支持率低下は外交問題から

福田内閣支持率が危険ラインを下回っている。理由は三つ考えられる。①道路特定財源(国交省)、②後期高齢者医療問題(厚労省、ほかに年金記録問題も)、それに③対中外交の不手際だ。
しかし、①は積年の道路関係税と道路事業とのあいだの不手際で、福田内閣の時にオープンになったに過ぎない。オープンにした民主党の手柄だが、そちらの支持率は上がっていない。
②は小泉内閣時(年金はそれ以前から)の後始末だし、誰がやっても仕方のない面もある。
それに①②はこれから与党で是正しようという流れになっている。
のこる③は、福田内閣になってからの毒入りギョーザ、チベット問題だから、福田さんの時に発生し、福田流のまずは日中友好(相手の嫌がることはやらない)の姿勢で未解決になっている、という理由で支持が低迷するのは頷ける。パンダ、卓球で表面上繕っても国民にはお見通しだ。
毒入りギョーザの捜査に対し「中国もよくやっている」との一言が致命的になったのではないか。

5/08/2008

廃プラは可燃ゴミ(東京都区部)

東京23区内は東京二十三区清掃一部事務組合がゴミ処理の仕事をするようになった(以前は都の清掃局)。画期的なのは、廃プラスティックを不燃ゴミとして埋め立てるのでなく、20年度から可燃ゴミに区分し直し、焼却処分することになったことだ。
廃棄物の減量の基本は守る。ペットボトル、トレー、他の容器プラの資源ゴミの収集は続け、それ以外を可燃とするのだ。
燃やす場合にダイオキシンなどの有害ガスが心配されていたが、新型炉への転換が進み、高温焼却(800度C以上)するのでダイオキシンの心配はない。むしろ、カロリー不足の他のゴミと混焼すると効率がよくなる。
不燃ゴミの氾濫は埋め立て処分場の寿命をより縮める。燃焼後の灰にすれば、容積1/10になり延命が図れる。資源化のあてがないのに資源ゴミとして収集された廃プラが無惨に山積みされているのを見た。これらは、製鉄高炉のコークスの代わりに使うか、セメントキルンの燃料となる。結果、燃やすことになる。せっかく資源化のため分別したものが可燃ゴミになっていくのは、無駄で、分別作業した主婦の努力をないがしろにする結果となる。

5/07/2008

4月だけ暫定税率分安くなった(だけだ)

ガソリン暫定税率切れ騒動で、ガソリンスタンドは大迷惑だった。精油所からの蔵出し税方式だったので、GS在庫分の旧課税額をにらんだ、四月始めの値下げと五月始めの値上げのタイミングの判断が難しかった。
文痴は4/2の投稿で、即値下げ即値上げが合理的と書いた。ほぼ、その通りになった。
しかし、終わってみればあの騒ぎは何だったのだろう?だんだん異常事不感症になっていく。これからの一年半(衆議院任期切れまで)は2/3再可決が常態になっていくのだろう。国民は二度あったことは三度目からは驚かない。
参議院とのねじれを想定し、憲法改正して、衆院再可決を1/2以上とすべきだ。60日みなし否決も期間短縮する。

5/02/2008

平和になるには平和でないことも(長野)

長野市での北京五輪聖火リレーで、有名人ランナーがおしなべて「平和を願って走りました」と感想を語っていた。沿道の争乱を平和に反するものとしてとらえたようだ。
平和を願うのは当たり前の話だ。今回のチベット問題の場合は、平和とは中国人民解放軍が武力でチベットの人の自由を抑えればそれが達成される、(かっこつきの)「平和」だ。
真の平和を得るためには、一時、やむを得ず平和でない状態になる、という世界史の原理を理解しない有名人だった。

4/30/2008

一般財源化は炭素税への全面転換を条件に

五月中旬に道路関係の歳出法(道路整備費財源特例法)を再可決するのに併せて、首相公約の道路財源の一般財源化を閣議決定の予定だという。バランスをとった格好だ。
しかし、一般財源化に納税者の理解が得られるのか?ガソリンなどを一人あたり多く消費するのは都会より地方だ。一般財源化で潤うのはすべての人だから、人口の多い都会部に地方の金が回るという、税の再配分機能の逆になってしまう。この不公平がまだ解決されていない。
ガソリンほか自動車関係税の徴税目的を再構築しなければならない。
炭素税が最適だ。石炭石油天然ガスなどの化石資源を輸入するときに炭素重量で課税してしまう。これらはいずれは二酸化炭素になるからだ。発電用の石炭あるいは重油にも、家庭用の灯油にもかかる。原子力発電用のウラン燃料にはかからない。だから、エネルギー源の大転換が進むだろう。
ディーゼル車は燃費がよいとされるが、軽油の炭素分の割合がガソリンより多いから、よくないかもしれない。原子力発電の電気で家庭暖房をしたほうが灯油より経済的になるかもしれない。

この炭素税(一種の環境税)は、炭素の排出を抑制するための税で、環境目的に使う意味で誤使用されている「いわゆる環境税」と間違えないことだ。一般財源化とは使う目的を限定しないところに意味がある。もちろん道路にも使える。必要な道路に十分なだけ。

4/24/2008

中国とは仲が悪い、をスタートに

文痴は3/28にも「中国とは所詮他国だ。適当につきあえばよい」と書いた。
4/24朝のニッポン放送出演の文筆家(外務事務官起訴休職中)佐藤優氏によると、世界で隣国は通常仲が悪く、とくに、ギリシャとトルコ、ロシアとポーランド、イギリスとアイルランドがそうだと例示していた。
日本も、韓国(北朝鮮)ともそうだが、いま問題の中国とはそもそも仲が悪いことを出発点としたらよい。それでこそ、それを少しでも良くしようする両国の努力が生きてくる。古くは聖徳太子が随の皇帝と言い争い、「日出ずる国・・・」の国書を送った。まずは立場が違うことを外交の出発点とすべき見本のような言葉だ。
それにしても福田首相は、相手の嫌がることはしない、という外交の真剣勝負にふさわしくない態度だ。ブリッジゲームのように自分をまずは高く見せる(見せかける)ことができない。日本人の特性なのだろうか?

4/23/2008

チベットに理解の中国人

ニッポン放送の4/23朝の番組での東海大学葉千栄教授の話し。中国語でブログを開設しているが、葉氏の反仏デモは良くないとの意見に対し、中国国内から同調のコメントが多数寄せられているとのこと。
日本ではTVなどマスコミが反仏の一部の中国人デモばかりを伝えているが、多数は冷静な判断をしている証拠だという。
ま、当たり前のことだ。13億人もいれば、反日など歴史教育にもかかわらず、いろいろな意見があるのは当然だ。日本でも、反中ばかりでなく、親中(反日?)の存在も広く伝えられている。
問題は、中国国内ではこのような言論の多様性の報道がなされないことだ。チベット問題についても中国人の意見は多様だと思う。それが政治に反映されない、させない中国政府が今回の問題だ。

4/22/2008

中国が豊かになって、モノが安くなり高くなった

世界的な資源の高騰、とくに食料、化石燃料が投機もあって値上がりしている。それが日本の庶民の懐を直撃し、大変な生活苦になっていると「世界を恨んで」いる。
でも、資本主義市場経済だから、ものの値段がいまではグローバルに変動するのは、むしろ当たり前なのだ。値段の高低に従い、消費の対象を変えていくたくましさが現代人には不可欠だ。全体から見れば、市場の(プライス)情報により資源の最適利用が図られる、というやつだ。
経済のグローバル化がすすみ、中国などの工業化により、モノの値段がずいぶんと安くなった。近年の物価水準の低落はデフレからではなく、この中国要因が多いと言われる。その中国人はこうなる前は、地域経済の範囲で生活してきた。それが工業化のすえ、世界貿易に飲み込まれるようになって、豊かになった。豊かになれば、豊かな食生活などのため、世界に食糧、資源を求めるようになる。
需給関係がタイトになったのですね。インドもあわせると13+11=24億人が市場に参入したわけだ。

日本人はお金を持っていれば心配することはない。グローバル経済とは金持ちのところに商品が必ず行く、という仕組みだ。第一次石油ショックの時、日本は親イスラエルとみなされ、石油の禁輸措置がとられたが、まわりまわって結局は日本に石油が入って来、輸入統計上はこの期間の減少は認められなかったという。金持ち日本は心配するに及ばなかったという。(心配した人々がトイレットペーパーを買い占め、そのためモノ不足となったに過ぎない)

4/21/2008

後期高齢者医療保険別枠の不思議

後期高齢者(75歳以上)の医療保険制度を通称「長寿医療制度」と改めるのは枝葉末節のことだ。
問題は、後期高齢者だけの制度を別立させることの是非だ。本人拠出を新たに設け、国費補助は50%、若年の保険から40%の拠出を受け、いままでゼロだったものをそれでも10%に抑えるという。単一市町村では収支にばらつきが生じすぎるので、都道府県単位の広域連合に運営を広げるという。将来の赤字に備え、よく考えたものだと思う。
しかし、問題はこれでは解決しない。過剰医療、それも後期高齢者はどうしても病気がちなので、とくにその世代への「過」過剰の医療が是正されなければ、「備えた」ことにはならない。後期高齢者だけを別枠にして、さあ独立してやってご覧、と言ったって、そこに赤字が移るだけで、全体合計では何も変わらない。
過剰治療の医者も問題だが、受ける高齢者だって、本人拠出あるいは窓口負担の額はなんのその、少しでも健康に不安があれば病院に駆けつける。その金も暇も十分ある(若い人は病気がちでも医者に行く時間がない)。保険を払っているのだから医者に行かないと損だ、という保険制度の根幹を崩す考えが日本人にはある。健康な人が医者にかからない、というのが保険制度の前提だ。
窓口負担をこの別枠制度の収支をとれるまでに割合をアップしなければならないだろう。しかし、そうすれば、健康な老人はこの制度から脱退し(できないが)、民間医療保険のほうに移行するかもしれない。民間のほうが健康非健康での査定をきめ細かくできるのかもしれない。

米国の大統領選挙では国民皆保険が争点になっている。国民間の不公平感がもともとあるから、医療保険制度は最初から成立しないのだろう。我が国もこれからそうなるのかもしれない。

4/18/2008

クラスター爆弾は非人道的?

クラスター爆弾を国際条約で禁止しようという動きになっている。それは米軍だけでなく、日本の自衛隊も装備しているという。戦争の武器は敵軍の攻撃能力を殲滅するのが目的だから、なかでも対人殺傷能力を持つことが大前提となる。だから、人を能率良く殺すことが「良い」兵器の性能なのだ。
クラスター爆弾は航空機から投下する爆弾型ケースのなかに数百個の子爆弾が納められ、そのケースが空中で分解し、子爆弾が広範囲にばらまかれる、という仕組みになっている。 散開する兵士を対象とする爆弾で、「能率良く殺す」という性能にピッタリだ。
そのうちの不発弾の判別がしづらく、戦後に民間人への被害が続くという欠点はある。そうであるなら不発の率を少なくするように改良するとか、小さくとも危険な不発弾があることをPRすればよい話しだ。
禁止対象としようとしている一方の地雷はそもそも秘匿のため埋設するもので、だから戦後の除去処理が困難な問題があるが、不発弾は通常の大きさでも、このような小型でも、処理の方法に変わりはない。「不発」であったことが問題なだけだ。

中国に民族意識、チベットにも民族意識

チベット解放のため、世界各地で五輪聖火リレーに抗議の動きが高まっているが、それが中国国民にも伝わるようになってきた(これはこれでよいことだ)。その結果、民族意識から西欧のこれら動きに逆に抗議する中国人が多い。
中国にも民族意識があるなら、チベットにもある。そのことに中国人がいつ気がつくのだろうか? いまでも中国人のごく一部にはチベット人のことを思いやる人もいる。
報道の自由、言論の自由が徹底されれば、中国国内でも問題は自ずと解決されていく。中国政府はこの大きな流れに棹さしているのだ。それを、わかっていないのか?それとも抵抗して時間稼ぎをしているのか?

4/17/2008

形だけの民営化(Jパワー)

4/16の4チャンネル、NEWS ZEROで村尾キャスターが私論として、Jパワー(電源開発(株))の外資規制より、公的関与の是非を議論するのが本質で、もし民間開放と言うことになれば、内外(資)差別すべきでない、と主張していた。たとえば、1/3の政府株を残し、以外は規制なし、の案もあると。
文痴の4/7の「Jパワーも完全民営化は不可」と通じるものがある。となりの6チャンネルとは大きな違いで、いいことを言う。
公的関与を残すことが必要な公的基幹事業で、見せかけの民営化をして失敗した事例は枚挙にいとまがない。
歴史の忘却のかなたになった「第三セクター」。官に民の良いところをが、官民の悪いところを残す結果となった。
東京湾横断道路(株)。この会社を形式的に上に置いただけで、実際は道路公団が仕事を続けた。その後、六つの高速道路(株)ができて形式と実際が合致した。
過去の形だけの民営化から、最近の民営化の行き過ぎへと、大きく振り子が振れただけだ。真ん中に戻さなければならない。公的基幹事業の完全民営化(株式上場)は誤りだ。

4/15/2008

「必要な道路は造る」は日本語か?

道路特定財源の一般財源化に伴い、自民党内での決着は、一般化しても「必要な道路は造る」だった。
日本語は難しい。必要な道路は造らないわけにはいかない。不必要な道路は造ってはいけない。当たり前のことをなぜ決着に際し言わなければならないのか?
以前、「真に」必要な道路整備、なる言葉が広まった。「ウソの」必要があったからか?
いずれにせよ、(一般財源化よりも)すべてで必要なところに予算を投じてほしい。不必要な福祉予算、環境予算も多い。
予算が潤沢になったところに無駄が新規に発生する。

4/11/2008

映画「靖国」への攻撃、と妄想

映画「靖国」は見てはいない(まだ、映画館で上映されていないが)。でも、その前の館外戦には日本のサヨク文化の特徴が現れている。
上映を進めるサイドは「蟹はその甲羅に似せて穴を掘る」状態だ。自らの筋書きでしか、相手方を見ることができない。「靖国」上映には幾多の妨害が入るはずだ、そのときは言論報道の自由を掲げて戦うしかない、と悲壮な覚悟で、いわば被害妄想に陥っているのだ。
稲田議員、有村議員など、その相手方にならされるほうは、言論の自由を侵すような古い手は今時使うはずがない。そんなに頭は悪くない。二議員とも賢い女性だ。
いまそのような古い手を使っているのは中国ぐらいではないか?

条約の批准と同じなのに(道路一般財源化)

民主党は与党と道路特定財源の交渉を進めるのに、一般財源化の約束を党議(閣議)決定してから持ってこい、というのはない。
交渉ごとだから、窓口同士が妥協点を見つける努力をする。当然、それぞれ内部の了解は内々得ておくようにする。まとまったら、双方持ち帰って、正式な党議決定をする、という順番になる。
条約の締結に似ている。政府同士がまとまっても、あとに議会の批准(正式な国家意志)が必要だ。議会の承認がなければ、政府同士の交渉ができない、のでは進まない。

なお、一般財源化に文痴は反対だ。念のため。

4/09/2008

メタンハイドレートも温暖化ガスに

(独)石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)が日本近海の深海底からシャーベット状のメタンハイドレートを産出する実験に成功した。次世代エネルギー源として歓迎されている。

しかし、メタンは炭素と水素の化合物でエネルギー源として取り出せば、二酸化炭素の純増因となってしまう。
そもそも地球は地質年代を通じて最近数億年の間にも大気中の二酸化炭素の濃度が大変動してきた。濃度が高い時代は、数千PPM(数%)と現在の数百PPMの十倍以上だった。今世紀の100PPM増ぐらいで大騒ぎしているのとは桁が違う。その時代の空気中の炭素がいまどこに行ったかは大きな謎だが、石炭石油の化石燃料となって地中に閉じこめられたのも一部だと言われている。メタンハイドレートもその生成メカニズムは未知だが、結果的に炭素が海底に固定され、大気中の二酸化炭素の減少につながっている。石炭、石油と同じなのだ。

ちなみに、二酸化炭素濃度が最大の時は地球温暖化が進み、恐竜全盛で、ほ乳類も進化し、その後の人類誕生につながる流れとなった。地球温暖化が生物の進化をもたらしたと言っても間違いない。

4/08/2008

宣伝戦に負けた中国

北京五輪の聖火リレーがロンドン、パリで大変な騒ぎになっている。もともとはPRあるいは事前の盛り上げのためだったものが、チベット解放の主張のための格好の場を提供することになってしまった。チベット解放運動はこの場でしか主張できないのだ。チベット現地では死ぬ覚悟がいる。
IOCと中国は国際宣伝戦に負けている。下手なのだ。
戦中の蒋介石の中華民国は日本軍を国際宣伝戦で負かした。幻の南京虐殺はその行き過ぎが未だ続いている。その中国が共産党になってなにもかもうまくいかないでいる。

4/07/2008

Jパワーも完全民営化は不可

Jパワー(旧電源開発)の株式を外資が限度額を超え取得しようとしているのに待ったがかかっている。
2/13に羽田空港ビルの同様な問題で書いたが、それと同じで、「外資」がではなく「上場」が問題ではないか?今回と成田のビル(滑走路含み)には法律による外資規制があるが、問題点は完全民営化により一般株主が経営を支配することの是非だと思う。外資が日本人を隠れ蓑に買収する場合がある。

公的施設の運営を民営化する動きになっている。NEXCO(6つの高速道路株式会社)しかり。まだ、上場はしていないが、Jパワーも空港もあわせ、独占企業だし、国家基本施設なので、一般株主が経営を支配しないように、少なくとも1/3は(拒否権として)政府保有として残すべきだ。

一般株主のうち日本人はただ単に値上がり益あるいは配当を期待するだけ、と甘く見られている。空港ビル会社への役人OBの就職すらもチェックしないと考えられている。

4/04/2008

一般財源化するとさらなる無駄が

文痴は2/4にも一般財源のどんぶり勘定的問題点は書いた。以下、その続き
確かに道路特別会計には個々の無駄遣いの例が多い。しかし、これは「小さな無駄遣い」であって、是正はすべきだが、一般財源化することにより「大きな無駄遣い」になっては困る。
一般財源の無駄使いの大きな例は、福祉、医療、教育予算だ。「入るを図って出るを制する」が予算の基本だが、日本の場合、歳入を無視して歳出のみのぶんどり合戦的議論になりやすい。そういう国民なのだ。小さな証拠だが、農水省関連の公共事業は一般財源からなので全く必要のないものまで実施されている(2005.10.21読売新聞「論点」井堀東大教授より、一部文痴の表現)。それと比較すれば、道路予算は道路特定財源の範囲で実施している、「入るを図る」事業とも言える。
また、ガソリン税を一般財源に入れることになると、欧州諸国のようにその後の税率アップに歯止めがかからなくなる弊害が指摘されている(2005.10.24読売「ワイド時典」)。まさに、出し放題のつけを入るに押しつける、状態になる。

4/02/2008

ゲームの理論、ガソリン販売

ドライバーが選択可能な距離に二店のガソリン給油所があるとする。A店は真面目で、タンクの中の税金が25円高いガソリンを売り切ってから25円安く売ろうと考えている。この考えはライバルのB店も同じ考えでない限り貫徹できないだろう。当然売れないので、いつまでも在庫のままで、四月しばらく以降に入荷する安いガソリンをタンクに収納できない。
B店は、四月始め~五月始めの期間で収支を合わそうという考えだ。四月の始めにたとえば23円値下げしても、2円高いと言うドライバーはいない。この2円でもってこの間の収支を均すのだ。五月に税金が元に戻ったときは、すぐに25円分値上げする。当面は売れなくなるが、そのうち高いガソリンだけになれば売れるようになる。

最初の戦略と最後とは違う、ゲームの理論だ。

4/01/2008

もっと議論を、より、新提案

ねじれ国会で、与党・自公と野党・民主がにらみ合ってものごとが決まらない。その対決を国民に代わって行司するマスコミの、TVは国民の愉快感を代表し野党ひいきとなり、新聞論調は理屈の面を代弁し両党の中間的立場をとる。
新聞社説で「与野党はもっと議論を戦わすべきだ」というのがあった。民主主義の定義のようなことを言う。不偏不党の立場をとりたいらしい。社説だから自紙の主張を書くべきだが、書いたとしても足して二で割る仲裁的なものしか出てこない。選手たちは泥仕合に夢中になって広く視野をとれないのだから、頭のよいマスコミは泥田の外に引きずり出すような新提案をしたらどうか?

文痴の新提案は、
①道路特定財源は道路整備の進展を見た現在、本則分を含め(52円)全部廃止する。その代わり道路予算は一般財源で手当てする。
②一般財源で不足する5.2兆円は消費税7%とし2%上げて充当する。
③ガソリンが安くなりすぎる分は環境税として新規に徴収を検討する。その場合、環境税としてはすべての炭素源(石油、ガス、石炭)に徴税対象を広げる。

3/28/2008

公害大国・中国とのつきあい方

中国国内の工場からでる排水排ガスの汚染は想像を絶するものらしい。日本の環境省の決めた基準などはかわいいもので、その十倍百倍にも達し、健康被害も慢性より急性になるという。ギョーザに人為的に混入されたメタミドホスの濃度並みなのだ。排水で言えば、水銀、カドミ、ヒ素など明白に人体に影響あるものだ。
これらは早急に対策されなければ、近代国家にはなれないだろう。いま、地球規模の温暖化対策で二酸化炭素の排出削減が叫ばれ、中国、インドなどの発展国にも削減分担をさせようという動きになっている。でも、そのような「高級」「細密」な話をする段階ではない。因果関係の明白な公害対策のほうが重要でかつ緊急を要する。公害対策とともに効率的な設備に改良すれば、二酸化炭素の排出も自動的に削減される。そのようなことまで「当面の目標」にしては虻蜂取らずになる。
少しは公害先進国の日本の教訓に学んだらよいのでは、と思うが、そうはならないらしい。

中国ものの話はいつもいつも違和感を覚えるから多くなっているのだろう。中国は同文同種と言われるが、同文はよいとして、以上のことからも異種(異国家体制、異国体?)なのではと感じている。所詮他国なのである。適当につきあえばよい。

3/27/2008

事実を直視しない「見たくない光景」

数年前の上海等での反日暴動を中国首脳は「見たくない光景」と総括した。
言論の自由がない中国では、事実を事実としてとらえるのではなく、あってはならない事実=見たくない=事実に目を覆うないしは抹殺する=報道させない、となるのではないか?
今回のチベット報道でも中国にとってあってはならない事実は報道すべきではない、と(まじめに)考えているのかもしれない。

先年、日本のマスコミでの反中キャンペーンを「是正指導すべきだ」と本気で言った頭の持ち主だ。

古代のギリシャ都市国家で、敵が攻めてくると伝える使者を、市民が殺したそうだ。悪い事実そのものを抹殺(伝えない)すればしばらくの幸福感は得られる。kill the messenger!!と。それに似ている。

3/26/2008

報道の自由なきオリンピック開催

ギリシャの聖火採火式での抗議行動(手錠の五輪旗をTVに)などは世界に訴えたものだろうが、中国国民へ世界(の一部)がどのように考えているかを伝えるためのものだったはずだ。北京五輪のスタートだから、開催の中国国民は食い入るように見るはずだ。このような手段でなければ、報道の自由がない中国国内の主権者に伝えることはできない。しかし、その場面は中国国内TVではカットされた。
因果関係で言えば、中国国民が見れば中国政府のやっていることがおかしいとわかる→だから見せない(報道管制)。おかしくないなら、見せて中国国民とともに世界の反中国に怒ればよい。

報道の自由がない国の政府の政策(で報道規制されたもの)はその国民の支持を得ていない証拠となる。

3/25/2008

日銀法改正で総裁を福田案に

そもそも日銀総裁人事案を両院合意に法制化したのはねじれ国会を想定しなかったところにある。
総裁が決まらないのは一番困るし、合意のために任命権者である福田首相の意中の人でない人を持ち出すのも無理がある。
解決策は日銀法の再改正で同意を首相指名とおなじく衆院優先とするようにすることだ。法改正に野党が参院で反対したら、衆院で2/3再可決すればよい。最適な人を選ぶには、この手続きに数ヶ月要してもよいのではないか?
それがまた財務天下り人事になるようであれば、それは福田政権の評価にもつながる。

3/24/2008

新たな国共合作?

台湾の新総統に国民党の馬英九氏が当選し、国民党が政権に返り咲いた。
大陸の中国共産党(中共と略)は冷静さを装っているが、実は歓迎なのだろう。国民党と中共は第二次大戦後、内戦に入り、敗れた国民党は台湾に逃れた。大陸への反攻をその後企てていたのである。その仇敵同士の国・共が戦前と同じように合作するような状況にこれまでの民進党政権時代からなっている。
「一つの中国」で両党は一致し、台湾独立の民進党(あるいは李登輝)を共通の敵として持つに至った。大同(独立阻止)小異という中国的生き方なのか、または、国共というそもそも戦前からのカウンターパートなのか。

3/19/2008

中華連邦は分解を

かつてのソ連は崩壊後、構成各共和国に分割された。同じスラブ民族でも白ロシア、ウクライナはロシアとは別になり、異民族のバルト三国あるいは中央アジア各共和国も当然ながらロシアとは別の国になった。もともと別の国だったものをソ連邦としてまとめていたから、分解するのもスムーズだったのだろう。
中華人民共和国の異民族地域は自治区として省並みの扱いで各々国にはなっていないが、実態は多民族国家の、言うなれば、中華連邦なのではないか。ユーゴスラビアが分解当初、民族ごとに五カ国に分かれたのを先例とし、チベット、新彊ウィグル(東トルキスタン)、内モンゴルなどは分離独立させるべきだ。分離した上で、ソ連のその後の独立国家共同体(上海機構?)に似せて緩く結ぶのも一案だ。
台湾は同じ漢民族だが、上記スラブ民族の例あるいはドイツ民族がドイツとオーストリアの二国になっていることからも、別の国で何の不思議があろうか?わざわざ一国二制度のような不自然なことを持ち出さなくてもよい。台湾は大陸中国とは文化あるいは国の成り立ちが明らかに違う。そういうのを国が異なるという。
蒋介石・国民党が中華民国を台湾に撤退させ、大陸への反攻を企てた。だから、中華人民共和国のほうも台湾との一つの中国を目指したのは当然だった。いま、台湾の政権は国民党から民進党へうつり、国民党のほうが返り咲いたとしても、大陸反攻の意志はないから、その意味での一つの中国にこだわる理由はない。
ロシア共和国は身軽になって、これまでの繁栄を達成している。中国もそう考えるようにならないか?

3/17/2008

国、官に残すべきもの

「国から地方へ」と、地方分権の必要性がもてはやされているが、「地方でできることは地方へ」だから、できないことまでの単純な地方分権至上主義は誤りなのだ。「官から民へ」も同様だ。
注目の新銀行東京では破綻回避の是非で都議会が揺れている。責任の所在と処理方法については議論を尽くしてほしいが、そもそも銀行をそれも中小企業対策としての銀行的融資は地方自治体で行うべきものだろうか?公的融資と言うことでは、国レベルで中小企業金融公庫(経産省所管、いずれ日本政策金融公庫へ合併)があり、それへの注文を都がつけるのならわかる。また、一般の銀行に対して日銀の金融政策で中小企業への貸し出しを誘導することもできる。国でも、官でもできるのだ。石原知事の場合は、国でやらなければ(やるのが遅ければ)自分のところでやる、という国と地方の権限・分担・特性を無視してかかっているのだろう。
同知事は公共事業の場合、横田の軍民共用化により首都圏の第三空港とするアイデアでは日本国と米国との橋渡しをしている。首都圏環状道路の整備は国土交通省へ強力に働きかけている。何が国の仕事で、地方(都)はどこまでかはわかっている。銀行の場合は国地方、官民の区別がわかっていない。
ほかの地方分権論者のなかには、自治体に財源を配って自由に判断させれば、それだけで日本がよくなる、と単純な考えがある。上記の銀行あるいは基幹公共施設など、地方に任せてはいけないものがある。

3/16/2008

レジ袋不要運動は免罪符

レジ袋を不要とすれば、その分省資源省炭素となるのは間違いない。
しかし、たいしたことはない。省かれるのは重量分で、羽のように軽いフィルム袋をなくしても努力の割に成果は少ない。むしろ、廃棄物問題から言っても、過剰包装のほうを問題とすべきだ。

フィルムのレジ袋はどんな国(低開発国)に行っても、便利なものとして使われている。安く軽くそして強いからだ。ノーベル賞ものかもしれない。

レジ袋不要運動でもって、免罪符的に、それだけで満足してしまっているように思える。

3/13/2008

たいしたことはない(円高)

円高で99円台にまで上がった。輸出産業が大変だと騒いでいる。輸入品が大勢の物価が下がるという利点は見て見ぬ振りだ。
日本は加工貿易だ。輸出品も原材料は輸入だから、行って来いで、そんなに不利益とならない。
付加価値の人件費は円建てだから、その分だけ競争力がなくなる。厳密にツーペイにしたいなら、賃金もドル建てにしたらよい。

円ドルレートとか公定歩合とかは民間経営者が政治におねだりする口実となっている。

3/12/2008

児童ポルノ所持禁止?

児童ポルノを制作配布することは現行法で禁止されている。ここが厳格になっていれば、各個人で保有することは不可能になる。ただ、そうなっていないことのつけ回しで、最終段階の保持まで禁止(遡ってまで)するというのはどうなのだろうか?
他の社会規制では悪の供給元を対象とし、最終消費の個人段階での禁止というのはないように思う。拳銃、麻薬はそうか?でも、これらは社会悪の因果関係から最終段階とは言えないのだろう。
児童ポルノを所持する人は関連犯罪に走りやすい?

暴力団を壊滅するためには、暴力団の基本的人権まで制限してよい、と同類に見える。

3/11/2008

福田首相、日銀総裁長期空席覚悟

日銀の次期総裁、副総裁の候補を福田首相が提示した。前々から参議院民主党が難色を示していた武藤副総裁の総裁昇格案だ。
民主党は渡りに船と、不同意になるだろう。その後、(民主党の飲める)差し替え案を出すとなると、今度は自民党与党サイドのメンツが保たない。参議院は解散がないから、大連立など政界再編がなければ、総裁長期不在(任期5年一杯?)となってしまう。
伝えられる民主党の下馬選を勘案し、衆参両院で、最初から飲める人選をすべきだった。政局にしてしまったのだ。

3/07/2008

金あまり時に新銀行とは

いつのときから「金あまり」と言われてきたのだろう。銀行は金を貸したいのに借りる人がいないが、預金はどんどん入るから国債でしか運用できない始末だ。余った金は国内ではサラ金(銀行の子会社)へいく。国外では円キャリー取引で、一説には、サブプライムローンに投資されたそうだ。日本の異常な低金利が原因で、世界中が金あまりと化し、その結果投資が不健全になっている。金を無理矢理貸して、借りた方が不幸になる。悪徳(高利)貸しだ。
日銀の福井総裁はそこのところがわかって、金利を上げたいのだが、自民党の横やりでそれが中途半端になる。自民党は国債の償還利息が安くなればよいとの財務省の手先だ。その与党が財務省OBの新総裁を推しつつある。あまたの経済(御用)学者は金利を下げれば景気がよくなると未だに信じている。金がないから不況だとの虚像に縛られている。

新銀行東京はこの金あまりの時代の借り手不在のなかで、設立され、破綻寸前となった。時代錯誤だ。

3/06/2008

早寝せよとの時代錯誤

地球温暖化防止のため深夜TV放送を自粛するべきだ、と自民党の総務会で議論された(自粛というのは放送局のほうが使う言葉だが・・・)。オイルショック時に自粛されていたが、いつの間にか守られなくなったとも。

小生もオイルショック時の深夜放送自粛は記憶にある。ただし、なぜ自粛が必要なのかわからなかった。いまになってみれば、TVそのものの電力と深夜起きていることによる照明その他のもろもろのエネルギーが不足していた石油起源だったから、のようだ(実は石油は不足していなかったが・・・)。早寝せよ、と命令できた時代だったのだろうか。
いまは違う。夜間労働のひとは深夜に帰宅となる。そのときTVでくつろげないのは人権問題だ。生活・労働スタイルが当時とは様変わりしている。自民党の先生方はご存じないらしい。

3/05/2008

たいしたことはない(暫定税率切れ)

道路特定財源の暫定税率延長が2月末に衆議院を通った段階で止まっている。野党は両院議長斡旋にもかかわらず、参院で店ざらしにするつもりらしい。そうなると、60日みなし規定で四月末に衆院で2/3再議決になるだろう。
衆参ねじれだから、それでよいのではないだろうか?こうなることを国民が選択したのだ。
一ヶ月間はガソリンは26円安くなる。民主党の主張がその期間だけ通ったのだ。社会実験ですな。次の衆院選挙の時にその実績でもって争えば、具体的になってよい。
与党の主張の「道路財源に不足」も1/24(暫定分1/2に1ヶ月/12を掛けた)の部分不足を実際に削って支障を来してみたらよい(補正予算で減額)。民主党菅代行の主張する公共事業費半減は大幅すぎるので、少しから始めたらどうなるかの実験となる。

3/04/2008

たいしたことはない(日銀総裁空席)

次期日銀総裁が与野党の国会対決のあおりで空席になるおそれがあるという。
実際どうなるかは本日時点でわからないが、もし、空席のままの期間が続くようでも、たいしたことはないのではないか?与党はそう言ってしまうと対決への真剣さに欠けるから、わざと大げさに心配する作戦なのだ。
現在の経済に日銀の金融政策が関与できる幅は少ない。ゼロ金利に近い0.5%の公定歩合をさらに下げる余地はない。デフレ脱却には唯一総需要の創出が不可欠で、付随してインフレのおそれがあるなら、金融を引き締めるという日銀の出番となるが、まだまだその時期は尚早だ。通貨の番人・日銀は金利を引き上げ日本円の価値を守ることにその役割がある。インフレ退治だ。

政府の財政の出番なのだ。

3/03/2008

防衛省独自の原因究明も必要

イージス艦衝突事故で、当直士官の航海長を当事者の防衛省で事情聴取したのがおかしいとの世論になっている。
しかし、防衛省は国の機関として、事故の状況を把握しあるいは防衛省としての原因究明を行い、国会等へ説明する義務がある。もちろん、両船への公平な審判機関として、海上保安庁での審査究明が最終結論になるが、その審査の妨害にならないことが前提だ。
石破防衛大臣は内閣の一員で、「妨害」をすることは立場上考えられないし、あってはならない。妨害するようだと福田内閣そのものが二重権力(国交省と防衛省)になってしまう。

2/28/2008

最後は消費者のボイコット(毒入りギョーザ)

中国製冷凍ギョーザへの農薬混入は中国国内でもありえない、との中国公安の捜査結果がまとまりつつある。日本での混入もあり得ないので、どこかが「真相を隠している」としか言えない。
このままだと困るのは消費者だ。
そうならば今回問題となった天洋食品製とJTあるいは生協の販売の食品は買わないことが弱い消費者唯一の防衛策となる。ボイコットすれば、されたほうは何らかの解決策を用意するだろう。「風評」を流布しているのではない。生産者側に具体的な瑕疵あるいはその解決策がある場合、風評被害とはいわない。
生産者側でもう一度よく点検することだ。

消費者の選択は「ボイコット」のみ。

2/27/2008

変化に対応できない恐竜のような・・・

2/25月曜日の23時、6チャンネル「ニュース23」をちらっと見たが、あまりのばからしさに他局にチャンネルを変えてしまった。筑紫哲也ニュースという名を正当化するため、病魔に冒された同氏が時々出演するのは人道の危機をみるおもいだが、放送した内容が相も変わらず地球環境危機だ。

地球温暖化に限らず、人類を取り巻く環境は変わっていくのが必定だ。いまはその変化が緩やかだとしても、ある時代、突然小惑星が地球と衝突するかもしれない。恐竜は昔のその時衝突後の激変した地球環境に対応できず、滅亡したといわれている。ほ乳類はその環境に対応でき、その後、全盛となった。
今後100年間での変化はそれまでと比べ急激かもしれない。でも、暖かくなる。寒冷化するよりましだ。また、暖かくなることを「無謀、無意味に」阻止するのでなく、結果の暖かさに対応していくことだ。温暖化(寒冷化)は自然にも起こったし、これからも起こる。
きっと、人類はこの危機(があるとして)に対応できる。今すべきは、危機をあおり、心配することではなく、危機があった場合にも英知で対応するのだと備えることだ。

2/25/2008

小舟が回避するのが実際

イージス艦あたごと漁船の衝突の責任問題は海上衝突予防法の規定により今後処理されるだろう。漁船群は(右方向に見られる、速度方向)保持船なのは確かなようだから、避航船のあたごに回避義務がある。
両船十分な距離がある場合に両方が同じ方向に回避したらなお危険になるから、この法律の規定で各船の義務を峻別しているのだろう。

しかし、現実に衝突の危機が迫っているときに法律だけ守っていればよいのか?法律は衝突した場合の責任を事前に明らかにすることにより未然防止を図るだけで、実際の衝突回避に万全かどうかは保証していない。
四隻の漁船のうち無事だった他の2隻がとったように、小回りのきく漁船側が回避した方が合理的といえないだろうか。
極端な例だが、マンモスタンカーとプレジャーモーターボートが衝突寸前の場合、前船には法的義務はあるが、回避実行は不可能だ。後船だけが実行可能で、自身の生命がかかっている。どちらが回避するのかは自明だ。
右左関係なく、実際はそうしているのではないか?

2/21/2008

すべては日本問題

四年前の夏と同じく重慶で、昨日、サッカー東アジア選手権での日本vs中国戦で、中国人観客のフェアスポーツ観戦にあるまじき行為があった。ヨーロッパ並みに成長?したと言ってしまえばその通りだ。
中国人は実利に賢い。現世の実利につながらない観念上のことには興味がないといってよい。隣の小中華の「怨念」とは違い、それを「大人(たいじん)」とも「上に政策あれば下に対策あり」とも言うが、今回も見られたブーイング現象の深因を見る必要がある。

日中戦争での日本軍の重慶爆撃の恨みを若い人にも教えているからと言う。日本だって、米軍に東京空襲を受け、民間人が多数「虐殺」されている。以上共通して都市爆撃は戦争では禁止されるべき行為だ。問題は、日本人が米国に抗議しないところにある(中国人が抗議するのは当然だ。いつまでも、が問題ではあるが)。
南京虐殺事件のでっち上げも、当時の蒋介石政府の謀略の一環で、いってみれば武器によらない戦争行為で、勝つためには正当化される面はある。問題は、人々の記憶から去った戦後だいぶたった時に朝日新聞(本多勝一記者「中国の旅」)が日中両国民に(このでっちあげを)思い出させたところにある。中国国民にしてみれば、これは日本人をたたく武器になる、と実利的に考えたに違いない。

すべては日本の行動が原因で事が起きる、日本問題(Japan problem)だ。

2/20/2008

国直轄事業が最重要

広域施設の建設を怠ると国の発展がおぼつかなくなる。
原子力発電所は全国の発電量の枢要な部分を占めるようになったが、これは国の電力行政を進めた結果だ。地方、地域に任せていたら、一つも設置されず、必要発電量に大幅な不足を生じていただろう。
公共施設でも同様だ。大河川の下流幹川部分の治水整備をせずに上流の地先の河川整備を進めると、幹川に洪水が集中し人為的洪水のおそれすら生じる。道路もまずは高速道路など幹線道路が重要で、その整備が進めば、今まで不合理に小道路に侵入していた交通量がそちらに転換するなど、道路全体に利益をもたらす。

地域のことは地域にとの地方分権の動きはよいのだが、広域施設の国レベルの仕事の重要性まで忘れるようになってしまうと、以上のように、根幹施設の不在による各地方ばらばらの国土となってしまう。道路特定財源の議論では、国直轄事業の重要性が不当におとしめられ、逆に、都道府県など地方に任せればすべてよくなるとの意見があるが、そうはならない。

2/18/2008

欧米の勝手なルール変更例

グローバルスタンダードなる「手前味噌なルール」を全世界に押しつける欧米の「悪巧み」を列記する。
①ISO(International Organization for Standardization)の9000(QMS)14000(EMS)両シリーズは欧州起源だが、日本社会のあうんの呼吸による組織運営には屋上屋の邪魔者に過ぎない。これは(ギョーザ製造管理が不透明な中国?など)後進国向けだ。
②グローバル会計基準が厳密すぎ、日本のBS不況の深因となっている。(デイトレ)株主のためだけに会社はあるのではない。
③脱炭素社会への新経済ルール。これは、新興国(中国、インド)の追撃をかわすための巧妙な先進国(開発済国)ルールと化している。なぜか米国が反対。米国は発展途上か?

中東はルールを守らない審判で有名になったが、欧米は巧妙にルールをすり替える。

2/15/2008

市場経済を理解しない人たちその2

グローバル経済とは世界が単一市場になった、ということと同じだ。海運の発達に負うところが大きい。大型コンテナ船で世界どこへでも廉価で原材料あるいは商品が運べるようになり、ものの値段が世界どこでも変わらなくなった。
ものの値段だけでなく、労働コストも同一労働同一賃金に近くなる。冷凍ギョウザは中国の安い労働力で袋詰めまでして、冷凍コンテナで輸送され、あとは日本のスーパーの陳列棚に並ぶだけになる。今回の安全の問題さえなければ、日本国内の労働単価では太刀打ちできない。あるいは、そのような単純作業であれば、中国並みの安い賃金にしなければ国内での生産が成り立たない。労働市場がグローバル化したのだ。日本人の高賃金は付加価値の高い仕事に対し与えられるもので、単純労働は中国並みに安くせざるを得ない。そうしなければ、企業間競争に耐えられない。

最低賃金で労働者を守るとか、労働分配率を増やせば景気浮揚になるとか、いう話は以上のことを理解しない鎖国的(鎖国すればよいという)考えだ。

今回の毒入り食品騒ぎで、地産地消の勧めが力をつけ、その理由に「フードマイル」を持ち出すのは、以上の物流革命を理解しない話だ。「マイル」が運搬コストあるいは伴う二酸化炭素の排出増を念頭に置くものなら、大量輸送手段により「マイル」そのものが減少していることを理解すべきだ。
日本人の手による「安全」をコスト度外視で要求するのなら理にかなっている。

2/14/2008

市場経済を理解しない人たち

自動車用のガソリンだけでなく、石油製品はみな値上がりしている。灯油も高くなった。そこで、寒い地方は大変だから公的助成すべきだという声もある。
値上がりは理由があってそうなっている。資源が足りないから、価格を上げるというシグナルを市場を通じて送って、消費の転換を促しているのである。値上がりが投機だけでそう続くものではない。

貧乏人も使う灯油は値上げを抑え、贅沢品で地球環境に悪い自動車用ガソリンは値が上がってよい、という価格統制の考えは市場のシグナルを無視する滅びた共産主義計画経済と同じだ。消費をたとえば、効率がよく地球環境によい原子力発電の電力利用による暖房へ、また、エネルギー効率のよい大量交通機関へ、それぞれ転換するのだという考えにならなければならない。
暖房だったら、灯油でも何でも暖かければよいから、転換は価格によりすぐに効く。
自動車から電車への価格による転換は輸送の質が違うからあまり効かない。ガソリンが安ければのべつドライブするわけがないし、高いからと全くしないということにはならない。これを価格弾性値が低いという。だからガソリンに税を賦課して消費を価格で抑えるという環境税としての効果は薄い。
石油製品でこの先価格上昇が続いても最後まで残るのは輸送用燃料だ(ガソリン、軽油、航空燃料など)。

2/13/2008

公的企業の独占的商売での上場に待った!

オーストラリアのマッコーリー(macquarie)グループが羽田空港ビル会社の経営に参加しようと、株式取得を進めている。そこで空港など国家重要施設の安全確保のため外資規制を法制化すべきだという議論になっている。それはそれとして、独占企業の問題は生じないのだろうか?

すなわち、外資のみならず、一般株主の比率も(たとえば半分以下に)制限すべきではないか(羽田などの場合は拒否権を行使できなくするため外資の比率を1/3以下にすべきとしている)。政府あるいは自治体の持ち株をある程度の割合残すべきだ。
そうせずに、国内資本でも完全な上場会社にしたら、もちろんだが、利潤追求のためには法令に従っていれば何をしてもよいことになる。むしろ、何でもすべきで、一般株主への配当をまずは考えなければ、経営者に留まることはできない。
羽田など一つの空港には空港ビル会社が一つだけだから、利用者は会社が提供する条件(独占で何でもされれば、ギリギリのサービス、少し高めの値段などになる)の選択の自由がない。航空利用が第一目的だから、空港ビルを使いたくないからと、ほかの空港を利用する訳にはいかない。

一方、JHが民営化された高速道路株式会社もいずれは上場すべきだとの議論があった。
JR(三社)は上場したが、これは私鉄、航空、高速バスなど競争相手があり、独占企業ではない。
高速道路会社の上場はその地域においては独占施設を保有するので、完全な株式会社化(上場する)は適当でないのではないか?競争性確保のため高速道路をもう一本作るというわけにはいかない。

2/12/2008

道路は無駄というイデオロギー

道路には無駄なものと必要なものがある。だから「(すべての)道路は無駄だ(必要だ)」という言い方は抽象論すなわちイデオロギーではないか。もっと言うと、論理的に破綻している。
無駄な道路を探してそれをやめる、または、必要な道路を見つけてそれを造る、ということにすれば、「道路は無駄だ」というイデオロギーは成立しなくなる。「すべての道路は必要だ」ということになる。

冬柴国交大臣が「無駄な道路を整備しているというが、無駄な道路とはどこなのか。そういうことを具体的におっしゃっていないですね」(2008年1月18日)と啖呵を切ったのは、イデオロギー的な物言いを批判したものだ。
共産主義とかイデオロギーが風靡した時代は失敗だったと皆が理解して、時代が変わった。それなのに道路についてはイデオロギー的物言いが残っている。

2/08/2008

女性の社会進出が毒入りギョーザへ(風が吹けば、のたぐい)

家庭の主婦が育児を終えてから社会に進出するようになった。もちろん、子供のできる前の若い主婦も共稼ぎが珍しくない。幼児をあずけて仕事を続けるケースも多い。
せっかく積んだキャリアを家事のためにあきらめるのは惜しいと考えるのだろう。家事も夫婦分担が若い人の傾向だ。

しかし、なぜこのようなことができるようになったのか。それは、家事の機械化によるところが大きい。洗濯機、掃除機、また、冷蔵庫がでてきて毎日の買い物を省略できる。宅配を頼めば、買い物は必要ではなくなる(好きなときは行けばよい)。そうなると女性はその暇な時間をもてあまし、TVを見るか、外に出るようになる。そうなれば男性のやる仕事を自分もやりたい。「暇」だということは夫には打ち明けず、逆に大変だからと夫にも女のやる家事を分担させようとする。男女同じことをしないと満足できない。「暇」なのに「忙しくなった」と不満顔だが、実は「忙しくなった」ことがうれしいのだ。男の社会でも忙しさが実は満足なのと同じだ。

暇なのにさらに時間を作って外の仕事に使うため、食事を冷凍食品にまで手をつけるようになった。その冷凍食品は忙しい日本人では作れないので、貧乏な中国人に作らせた。

これが今回の毒入りギョーザの本当の背景だ。

2/07/2008

道路に使わない分は減税に

道路特定財源の暫定税率は下げずに、一部を環境目的に流用する案が出ている。
これこそ、金があるから何かに使おうという良くない発想ではないか。
環境目的に使わなければならないなら、一般会計の財源でとっくに予算化されていてよい。そうでないのは、無駄な支出だからだ。

道路に使わない分は減税すべきだ。

60日空費衆院再議決を繰り返すな(民主党に要求)

野党・民主党に政権担当能力がないと二大政党にならない。なんでも反対を仕事としたかつての社会党などの職業野党と違うところを見せなければならない。
なんでも反対を叫ぶのは、どうせその反対は実現せず、政府与党の案が再議決で通るからと、内心は高をくくっていることもある。そういうセーフティネットがあるから無責任に反対できる。

それが野党の仕事、役目で、与党から政権を奪取するには、与党に同調していてはできない、という理屈なのだろう。
日銀総裁の人事への両院同意が民主党の能力の試金石となる。衆院同意案に参院で反対したら通らないからだ。是は是とし、非は非としても最後に自党案が通らない場合、最善の修正を勝ち取る妥協の姿勢はどの政党にも必要だ。60日を空費し衆院再議決のワンパターンでは情けない。

2/06/2008

環境税は税による排出抑制策

道路特定財源の行方で、「環境税に転用すべき」と主張されている。
言っている意味が、環境対策の財源が足りないから、らしい。

「環境税」の趣旨を取り違えている。
税によって環境汚染物質(今回の場合、二酸化炭素)の排出抑制を期待するものだ。
ガソリンにはリッター50数円もの重税がかかっているので、ガソリン税はそのままでも環境税としての役割がある。

たとえば、海外から安い食料品が安易に輸入されて、国内食料産業を圧迫しているが、(単に国内産業の保護と考えるのでなく)輸送エネルギーあるいは海外の水資源(バーチャルウォーター)を不当に浪費し、地球環境に害になっている、と考えるのなら、その安い食料品に環境税を賦課する意味がある。原材料だけでなく冷凍食品の製品化まで中国に頼っているのは、安全上ばかりでなく、地球環境の問題との見方もすべきだ。

2/04/2008

道路暫定税率は道路支出に応じて下げよ

道路整備のための特別会計を廃し、その特定財源を一般財源化せよとの多数意見がある。

特別会計とはそもそも、一般会計のなかだったら陥りがちな「どんぶり」性をなくし、収入と支出を特別に分けて管理しようというものだ。道路の場合はとくに、揮発油税など道路整備に使うという理由で徴税しているから、収支を個別に管理する特別会計は不可欠だ。
「はなれですき焼きを食べている」との塩爺の名言で、特別会計の無駄遣いが理解されているようだが、「はなれ」にも監視の目を向けて、贅沢をさせないようにすればよい。一般会計に限らず特別会計の中身も国会審議の対象である。

無駄な道路の整備の分の支出は削減させ、その分、収入が不要であれば、揮発油税の暫定税率を下げればよい。毎年の特別会計予算で支出に見合った収入にすればよい。暫定税率は必要に応じて段階的に上げてきた。今度は段階的に下げていけばよい。(決められたような)オーバーフローした分を一般財源化すべきではなく、税率を下げる対応としなければ、受益者負担とならない。

福祉などの一般会計予算が不足するなら、消費税などの増税をすればよい。今ある税を転用するような安易な財政は排除すべきだ。

1/28/2008

証券売買時のばからしさ

金融商品取引法が改正された。改悪なのは以下の部分だ。
「適合性の原則」・・・お客のリスク判断などを確かめるというが、それをわかった上で来店している。
「説明義務の強化」・・・リスク説明部分の虫眼鏡文字を大きくするのは賛成。

国債などの証券を買う際に上記の手続きに時間がかかりすぎる。聞いている方も説明する方もうんざりだ。
こんな無駄なことより、金融機関でリスクをさらにしっかり研究し、客に本当のことを教えてほしい。サブプライムローンを無見識に債券に組み込まれて、それを見破られず、大損を被ったのでは、リスク管理のイロハができていない。インチキ格付け会社などはそのまま信用しないことだ。
日本国債の格付けが低いのは、実は、一般に言われる公的債務の累加ではなく、国家財政投資の方針があやふやだからだというではないか。

1/24/2008

賃金は労働分配率で決まらない

連合高木会長が経営者側に景気浮揚のためにも労働分配率(賃金)をあげることを要求した。立場上許される発言だ。賃上げは労働者個人のためばかりでなく、日本経済のためでもある。
問題なのは、経営者側の「利益の出ている会社にはそのように要請する」との回答だ。

個々の会社は原材料あるいは製品を市場で売買するばかりでなく、労働力も労働市場から適正価格で購入している格好だ。賃金を会社の利潤の都合で上げ下げできない。背任になるかもしれない。
個々の会社がミクロに利潤を追求する結果、合計したマクロの経済が潤う、というのが資本主義の理論だ。そうならない場合、政府など公的介入はあり得るが、個々の会社に要請するというのはない。

森永卓郎氏などが労働分配率を上げるべきだと主張しているが、個々の経営者はあくまで労働市場での「適正価格」で賃金を決めてよい。適正価格が社会的にみて低くなっているのは、おもに中国での単純労働・低賃金労働者の参入による。単純労働の需給が供給過多で、値が下がっている。

1/23/2008

水の経済財としての評価を

バーチャルウォーター(virtual water)なる考えがはやっている。
そもそも水は、大量に使う資源だから、遠方には運べず、地域の資源として位置づけられてきた。
しかし、食料品等の輸入にはその食品等の生育(生産)に要した水資源をその輸出国から導入していることになり、だから、水資源問題は地域(日本だけ)の問題ではなく、全世界で対処しなければならない、との「主張」のようだ。

だからどうした、と言いたくなる。そんなことはわかっている。
水不足の国で貴重な水を優先的に配分され生産された農産物などを、水が比較的豊富な日本が生産せず、輸入すること自体おかしいことだ。水資源の値段が正当に評価されておらず、輸出価格に反映されていないからそうなる。水を経済財として位置づけてこなかったことが問題なのをわかっているのだろうか?

1/18/2008

謝罪要求は国内事情から(韓国)

韓国のイ・ミョンバク次期大統領が日本に対し「過去の反省と謝罪を求めない、実利外交で行く」と宣言した。
当たり前のことだ。過去のことを詮索してみても、国民の幸福にはつながらない。これが韓国国民の総意なのだろう(だから大統領に当選した)。
このことは五年前のノ・ムヒョン大統領も最初は言っていたが、途中から豹変し、執拗に反省と謝罪を求めるようになってしまった。こちらのほうの理由を考える必要がありそうだ。
国内政治状況が理由なのではなかったのか。ウリ党など支持基盤の左派勢力に対するリップサービスだった。左右対立での鬱憤晴らしが外国の日本へのとばっちりになった。
日本も反省と謝罪に「形式的」にしか対応しなかった、とも新大統領はコメントした。無駄な五年間(十年間)だった。

1/17/2008

捕鯨に見る異文化対応の在り方

豪州新政府が南氷洋を領海にしてまで、日本の調査捕鯨を阻止しようとしている。
日本あるいはノルウェイなどは鯨食文化の民族だ。対する、欧米の多数の国は、過去に鯨を鯨油のためだけに殺してきた反省もあるのか、現在は海の野生生物の代表である鯨を保護しようという異なる文化にある。
異文化同志の衝突になるが、そこは、鯨資源を保護するという科学的方法で調整してきたはずだ。

日本には陸上の動物は家畜といえども家族扱いで、屠殺・食用にはしてこなかった歴史があった。それでも、その習慣を他民族の食肉文化に押しつけるという考えはなかったのだ。
異文化同志の対立にはこのような相対性、細心さが求められる。

1/15/2008

地球温暖化でよくなることその3

極地とかグリーンランドあるいは残存する氷河の氷が溶けて、海水面が上昇し、低地とくに珊瑚礁の島々が海没する危機にあるという。
海水面(平均潮位)の上昇はいまのところ観測されていない。これからも危機的に上昇するかはあやふやだ。
しかし、過去には縄文海進期などに、数メートルの上昇があった。これからも、人為的温暖化に限らず、上昇するかもしれない。
その場合、そんなに心配することばかりなのだろうか?少なくとも縄文人はあわてなかった。気候も温暖だったし、縄文期は社会の発展があった。青森の三内丸山遺跡を見てもわかる。陸地は減っても、浅い海が増え、そこは陸地よりも生産性が高いかもしれない。
極地が住めるようになることは言ったが、グリーンランドは文字通り緑の島となる(昔は本当に緑があったという説がある)。
また、関東平野で言えば、東京湾奥の低地から利根川を遡った前橋方面の平地に遷都(まちを遷す)すればよい。新しいまちで新規にやり直せば、それなりの経済効果は出る。首都移転構想はそのような新都市経済の効果もねらっていたのではないか。

1/11/2008

地球温暖化でよくなることその2

可耕地が北に広がる(北半球の場合)のは確かだが、南限(というものがあるとして)が北上しては差し引き広がらない。
熱帯では気温が上がるのか?地球温暖化は高緯度地方で顕著になる、と言われている。熱帯では現在の30数度の最高気温が更に上がるとは考えられない。
それは「水」の存在から言える。水は気化するときに多量の気化熱を要する。だから、それが気温上昇の限度を作るのだ。
一方、低温のほうは水の零度での融解熱(潜熱)が必要だ。それを越えて(下がって)氷となったのちは、低下限度はなくなり、シベリアの奥地のように零下数十度ということもあり得る。
加えて、二酸化炭素の濃度が上昇するので、植物の生育は更に活発となり、農産物の増産につながる。

砂漠では、水の影響が少ないから、更に気温が上がるかもしれない。それよりも、気象を決定する気圧分布地理が変わることは考えられる。そのため砂漠化するところもあるが、逆に農用気候に戻るところも出てこよう。海の環境で海水温上昇による珊瑚の白化(死滅)が観測されているが、新たに珊瑚が生育する海域もできてくるのである。
変化は避けられないが、地球全体では辻褄が合っているのである。
変化には生物自体が適応力をつけてくるし、人間が品種改良でもって適応させることもできる(過去そうしてきた)。悲観でなく楽観で生きてきたのが人間だ。

1/10/2008

地球温暖化でよくなること

地球温暖化で地球環境が悪くなることを列挙し悲観的になっているが、良くなるものもある。
良悪比較考量しなければ、片手落ちになる。

極地の氷が溶けて、とくに、北極の生態系が破壊されるというが、開水面ができ航路(北西航路)が新設されれば、世界の物流に革新をもたらすと言われている。横浜からロンドンへは16,000kmとなり、現在のスエズ運河経由より5,000kmもの短縮になる。これは省エネともなり、温暖化ガスを最も合理的に削減できるという皮肉な結果になる。

文痴が考えるのは、ユーラシア、北アメリカの極地が人の住める土地になる、ということだ。南極は隔絶された大陸だが、北極海沿岸は既存の大陸の続きだから、利用価値は大きい。農作物の北限が広がるから、世界の食糧事情が大幅に改善され、最貧状態の人々へのなによりの福音となるのは間違いない。
以上のように、良くなることの方が悪いことよりも多いのはすぐ分かる。

ちなみに南極はいくら温暖化しても高地(数千メートル)だから、まだ零下の状態で、農産物がとれるようにはならない。北極の海氷は溶けても海水面の上昇にはつながらない。シロクマだけが割を食うに過ぎない。(このテーマ続く)