6/29/2011

絶対安全なら、被曝許容量は不要(という虚構に安住)

 原子力の平和利用として原子力発電が世界中に普及するようになって半世紀近くが過ぎた。自然災害あるいはテロなどの人為災害などによって原発事故の可能性はゼロでないはずだ。それなのに、事故時に予測される放射性物質の漏洩による人体への影響が十分検討されてこなかったのは不思議だ。
 いま、100ミリシーベルト/年以下の被曝量での人体への影響について様々な知見はあるが、ICRP(国際放射線防護委員会)で統一された見解は出てないという。だから「(わからないので、とくに子どもは)出来るだけ被曝は少なく」という非科学的な言い方しかできない。
 事故は「絶対におきない」と住民などに説明してきたウソに自身も慣れ、そのままになってきたのではないか?「絶対安全」なら被爆許容量というものは不必要だ。

6/27/2011

県知事は原発運転中のものも止めたらよい

 各地の原発で定期点検後の地元首長(とくに知事)による運転再開許可がでないことに、電力供給の観点から危惧されている。
 もし、その理由となっている原発安全基準に疑問があるなら、再開時だけでなく、すべての県内原発の(運転中のものも含め)停止要請をするのが当然だろう。菅首相が浜岡原発の運転中の号機も含め停止要請をしたように。
 いまのままでは単なる嫌がらせとしかとらえられない。

100mSv以下は全て根拠無し

 昨夜の8ch、Mr.サンデーで首都圏ホットスポット特集をやっていた。文科省所管の各都県定点観測値に比べ異常に放射線量が高い場所(ホットスポット)探しだ。その際、高いかどうかの値として1ミリシーベルト/年の1時間換算値0.19マイクロシーベルトを目安としていたが、最後に、「それにしてもこの1ミリでいいのですかね。100ミリ以下はどの値でも根拠となるものがないのです(小佐古先生が涙の抗議をした意味がわからない)」とのコメントがこの特集の(ミーハー的になった)言い訳のように付けられた。
 100ミリシーベルト/年で、0.5%の人にガン発症可能性がでてくる、というのが唯一の根拠となっているようだ。

6/26/2011

防護服で死ぬリスクのほうが大きい

 読売新聞6/26によると「政府の原子力災害現地対策本部は24日夜、東京電力福島第一原発から半径20キロ圏の警戒区域内に一時帰宅する際、防護服の着用は不要とすると発表した。暑さ対策が理由で、長袖・長ズボン着用を条件にする。頭にかぶるキャップ、マスク、手袋、靴を覆うカバーは従来通り着用してもらう。希望者には防護服を用意する。同本部の広報担当は「これまでの一時帰宅で基準値を超える汚染はなく、原子力安全委員会などの専門家も問題ないと判断した」としている。同本部によると、24日までに約7000人が一時帰宅を終えたが、約50人が体調不良を訴え、その約半数が熱中症だったとみられる。同日には楢葉町の60歳代男性が熱中症で救急車で病院に搬送された。これまでも防護服をつなぎ型から上下別々のものに変更したり、防護服の下は半袖・半ズボンを認めたりするなどの対策を取ってきているが、今後さらに暑さが厳しさを増すことから、対応を変更することにした」
 文痴は5/19に防護服で一時帰宅はおおげさで有害と書いた。このように容易に想定できることを暑い夏が来てやっとわかるとは対策本部はどのような頭脳になっているのだろうか?

6/24/2011

復旧時下限が通常時の1mSv/yと同じ怪

 ICRP (国際放射線防護委員会)の定める年間許容被曝量の「範囲」に疑問がある。
 緊急時は100~20ミリシーベルト/年(mSv/y、以下略)、緊急事故後の復旧時が20~1、通常時が1と、それぞれ範囲が連続しかつ低下している。現在は復旧時なので、20と1との間で日本国は基準を選択できるようになっている。とは言え、市民の圧力で事実上1ミリシーベルトを「目指す」と言わざるを得ないようになっている。しかし、1は通常時の許容量と同じなので、究極の目標である通常時の値を復旧時にも採用せざるを得ない、というおかしなことになっている。原発事故後の対策は出来るところから努力しその結果、段階的に許容被曝量の目標を低線量に変更していく、というより変更できる、というのが趣旨だろう。そのため、「緊急時」「緊急事故後の復旧時」「通常時」と三段階に分かれているものと思われる。

6/22/2011

揚水発電所は自然エネ発電用の巨大な蓄電池

 揚水発電所は原発の付属施設でもある。原発は日夜一定の発電量をつづけ、ピークの昼間とオフの夜中の電力量の調整が出来ない。原発のシェアが低かった時代はダム水力発電などピークに対応できる発電源で調整してきたが、シェアが増えると調整に剰るようになる。そこで、大々的に夜間充電(余剰電力で揚水)昼間発電が出来る揚水発電所が数多く建設されるようになった。
 原発のシェアは今すぐは別として中長期的には落ちていくに違いない。そのとき原発付属施設としての揚水発電所は無用となるかというと、そうではないだろう。再生可能エネルギーのうち自然エネ発電、太陽光とか風力はお天気任せだ(地熱発電は別)。全国的に発電サイトが広がれば少しは発電量の時間(季節)変動は少なくなるものの、それでも、需要量にきめ細かく対応できる「質の高い」電源とはならない。そこで、揚水発電所を付属の巨大蓄電池とするのだ。最新のリチウムイオン電池に比べ効率(発電量/揚水電力量)は70%程度と低いが、多分スケールメリットにより単位あたり建設費は安く、既存のものが利用できるメリットもある。

6/21/2011

蓮舫女史も実は「世界一」の理解者

 理化学研究所のスーパーコンピューター「京」が世界一の処理速度と認定された。その世界一を一昨年の11/13の事業仕分けで蓮舫議員(評価者)は「世 界 一 に な る 理 由 は 何 が あ る ん で し ょ う か 。 2 位 じ ゃ だ め な ん でし ょ う か 。」と「質問」したのが、「仕分け断罪」にとられ、流行語にもなった。今回、彼女は世界一を共に喜ぶ姿勢は見せ、この「質問」には前後があって、少々誤解されていると主張した。ちなみに当時の議事録から最後(前後ではなく後)に近い部分を拾うと、

以下、転載
○ 説 明 者(( 独 )理 化 学 研 究 所 ) サ イ エ ン ス の 世 界 、テ ク ノ ロ ジ ー も そ う で す け れ ど も 、健 全 な 競 争 と い う の は 非 常 に 重 要 な ん で す 。 で す か ら 世 界 一 を 目 指 す と い う こ と は 、 非 常に 重 要 で す 。
○ 蓮 舫 参 議 院 議 員 よ く わ か る ん で す が 、 わ か ら な い と こ ろ が あ る の で 教 え て い た だ き たい 。 世 界 一 を 目 指 す と い う 崇 高 な 目 的 は わ か る ん で す け れ ど も 、 科 学 の 場 合 は 、 先 ほ ど 金田 先 生 が お っ し ゃ っ た よ う に 、 目 指 し て い る 間 に 想 定 外 の 発 明 が 出 て き た り 、 想 定 外 の もし か し た ら こ の 分 野 で 日 本 は 勝 て る か も し れ な い と い う も の が 出 て く る け れ ど 、 1 位 を 目指 す が 余 り に 、 こ ち ら に 目 が 向 か な い と い う こ と も あ る と 思 う ん で す 。 そ れ は ど う な ん でし ょ う か 。
○ 説 明 者 ( ( 独 ) 理 化 学 研 究 所 ) 1 位 を 目 指 す 中 で 勿 論 サ イ エ ン テ ィ ス ト は 、 そ の マ シン を 使 っ て 、 そ れ ぞ れ の 分 野 で 世 界 最 高 の 成 果 を 出 そ う と 努 力 す る わ け で す 。 そ の 中 で いろ ん な 芽 が あ り ま す か ら 、 本 当 に ブ レ ー ク ス ル ー が 出 て く る 。 こ れ が サ イ エ ン ス の 世 界 です 。 決 し て 連 続 的 に サ イ エ ン ス と い う の は 。
以上、転載終わり
 蓮舫女史は事業仕分けという名の「授業」を受けた結果、仕分けの途中で疑問を感じ質問した「世界一」の目的は理解して終わったようだ。しかし、最後の部分で評価者の結論が「半額以上の縮減」になっているのは、本心は違うな、ということを感じさせる。

6/20/2011

ばらまき症候群(高速無料化を次から次に)

 休日1,000円上限の高速道路料金制が6/19の日曜に終了した。麻生内閣時にリーマンショック後の景気対策として、2年間の時限的に始められたもので、一種の社会実験だったのではないか?実験としては、渋滞を引き起こすなど、継続を否とするものだったはずだ。
 だったら、単純にそう宣言して終了すればよい。それを「ばらまき症候群」とでも名付ければよいのか、替わりとなるばらまき策の東北地方の一部車両無料化を間髪入れずに導入した。一つのバラマキをやめたらもう一つ、と「麻薬」中毒のようだ。
 東北地方無料化はスタートから有人料金所渋滞を引き起こすなどさんざんだ。ETC活用による道路公団改革にも反する。

「絶対安全」はない、橋下知事の正論

 大阪府の橋下知事は「海江田大臣はじめ、経産省の皆さんが原発の周囲に住めば良いじゃないですか、それだけ安全だ、安全だというなら。無責任ですよ」、「基準を作って安全だとごまかすのではなく、電力が足りないからリスクを負ってほしいと正面から説明すべきだ」と国の姿勢を批判している。
 少しわかりづらい図式だが、基準を作って、それをクリアすれば「絶対」安全、ということにはならない。それを言っているのであろう。「相対的」に安全になったけれど、少しのリスクは残る。それは電力が足りないから、そのリスクも勘案して甘受してほしい。それでも「絶対安全」というなら、大臣自ら原発周辺に居住すればよい、ということだろう。
 絶対安全神話をまたも振りかざすのはやめにしてほしい。福島第一原発事故後は国民皆、絶対の安全はないことを理解しているはずだ。

6/19/2011

浜岡停止の後始末が最後の仕事

 菅直人首相には退任の花道が必要なようだ。それだったら、浜岡原発運転停止要請後の影響で、全国他の原発で定期点検後運転再開ができなくなっているものを、地元を回って再開に理解を求める仕事なら、立派な花道になるし、なんといっても後始末だ。立つ鳥跡を濁さずというではないか。
 そもそも浜岡原発の停止を要請するには、浜岡原発がどの程度危険で、(比較して)他の原発がどの程度安全か、を説明してから要請するのが筋だろう。

6/16/2011

あと2年間民主党政権で我慢する

 民主党政権は誰が首班となっても衆院任期一杯まで解散しないだろう。解散総選挙は与党に有利な政治状況を作った上で断行するものだ。この先与党は有利になるどころか、右肩下がりに人気は悪化するだけだ。菅直人「解散カード」は民主党党内政局に利用されただけだ。
 そこで、菅直人氏に替わる首相を選任すれば良くなるということで進んでいるが、誰がなっても、ほとんど変わらないだろう。政治主導にこだわる政治をすれば、少なくとも震災復旧・復興にめざましい成果が得られることはない。政治家が出てくるべきだったのは震後一週間だけだったのではないか。いまは、官僚機構に任せるだけで物事は進む。遅々としていても、前には進んでいるのだから、それでよしとしなければならない。
 合計四年間の政治空白(後退)を生んだのは民主党を選んだ国民の責任だ。その責任はとってもらわねばならない。

6/15/2011

放射線過敏列島、11μSvまで大丈夫

 人間が一年間に浴びて大丈夫な放射線量は100ミリSvまでと科学的には言われている(放射線作業者ではその2.5倍の250mSvまで許されている)。これはマイクロシーベルトにすると10万μSvとなる。一年間は365日*24時間=8,760時間だから、一時間あたりは100,000/8,760=11μSvの値となる。(福島市や郡山市でもその1/10程度)
 人がこのような放射線強度の高い場所、たとえば土の上で24時間毎日過ごして、100mSvの制限値にやっと達するのである。土の上に直にいるのはホームレスだけだ。
 下水の処理後に分離される汚泥のなかの放射性物質濃度が極端に高くなって、その処分に困っているという。逆に言えば、市街地の放射性物質が降雨などにより下水管に流入して、処理によって濃縮されるからこうなるのであって、市街地は徐々にではあるが放射性物質がなくなって来つつあるのだ。これを除染(放射性物質を除却)というのではないか、自然作用とは言え。
 心配することはない。放射能になぜか過敏な日本人を嘆く。

6/14/2011

原発放棄で二酸化炭素の削減は無理となった

 鳩山前首相が一昨年九月の国連総会で地球温暖化ガスの二酸化炭素を2020年に1990年比で25%削減することを世界に公言した。日本人のほとんどはそのことをもう忘れているに違いない。
 二酸化炭素の削減に実質的に効果があるのは化石燃料発電を原発に転換することだ。未だ有効なエネルギー基本計画では2030年までに原子力発電のシェアを現在の30%から50%に高めるとしている。菅直人首相が今年のフランスのサミットで宣言した再生可能エネルギーによる発電を2020年代までに少なくとも20%を確保したとしても、原発のシェア増(50-30=20)を代替するまでが最大限で、25%の削減はゼロとなってしまう。化石燃料による発電は長く残ることになるのである。
 結果は、化石燃料の価格高騰と米国などのバイオエタノール燃料の増産による食料価格高騰と低開発国の食糧難、あるいは、二酸化炭素の地中貯蔵を図るとすれば莫大な費用がかかることになる。天然ガスも割合は少ないながら二酸化炭素は排出する、また、今後の技術開発が待たれる深海のメタンハイドレート、あるいはオイルシェールもすべて化石燃料であることは間違いない。
 人為的地球温暖化を防止するための二酸化炭素排出削減は原子力発電の放棄とともに未達の目標となるのであろう。

6/13/2011

放射能でも停電でも死ぬのは同じ

 日曜の夜、8チャンネルのMrサンデー「首都圏大停電危機再現」特集を見た。シミュレーション劇風になっており、盛夏の猛暑のなか、死者が多数出ることを予想されるものだった。
 3.11後の計画停電に際しても信号停電のため、交通事故で亡くなった例があったそうだ。東電福島第一原発の事故に教訓を得て、事故を絶対に起こさないために、原発を次々と止める結果、ブラックアウト(不時大停電)になったら、少なからず犠牲者が出る。原発事故の放射能で死ななくても、停電で死ぬ、という皮肉な結果となる。原発も停電と同じリスクの一つに違いない。放射能だけは絶対に安全にしたい、というのはリスク管理の方法としては片手落ちだ。
 節電すればよい、というが、真夏に冷房が不可欠な老人などもいることを忘れないことだ。

6/09/2011

ベビーカーでは放射線の危険

 最近のお母さんは赤ちゃんを抱いたりおぶったりしないで、ベビーカーに乗せる。放射性物質は地面に堆積し、そこから放射線を放出する。その強度は距離の二乗に反比例するから、背の高い大人ほど安全で、子どもには危険だ。このベビーカーに乗った赤ちゃんには最悪の位置にいることになる。
 ほかにもベビーカーがよくないのは、地面からの熱の跳ね返りをまともに受け、ほこりも低い位置は多い。赤ちゃんを大切に思うなら、昔ながらの方法で、大人の顔の位置で保護すべきだ。

6/08/2011

海岸立地原発でよかったこともあるその2

 福島第一原発は津波襲来前に地震動で原子炉容器が破損、放射能漏れがあったという話もある。地震直後に建屋内の放射線量が危険なレベルで手動ベントなどの作業に難航をきたしていたという。
 確実なのは津波により電源をすべて失い、燃料棒が溶融、圧力容器と格納容器が破損し、放射性物質が漏れていることだ。しかし、それだけだったら、放射能汚染地帯は原発周辺に限られる。20km圏あるいは北西部はそれ以遠も汚染され、多数の住民の避難が必要となっているのは水素爆発とその後の風により広範に飛散したことによる。
 ところで、丸1日後に水素爆発した1号機とその後爆発した順に3号機、4号機、2号機では最後の2号機の時が南東の風でその後の降雨もあり北西部の浪江町山間部、飯舘村から福島市付近までとさらに南風により郡山市まで放射性物質が飛散したことはよく知られている。しかし、その他の号機の場合、1号機爆発のときは西風、3号機のときは北風、4号機(?)と様々で、同じ南西の風ではなかった。冬期に多い西方向からの風だったら、飛散は東の海面のみになるから、その点でも海岸立地、それも東海岸の福島原発(第2も)の立地は結果オーライだったことになる。

6/06/2011

大連立では「国会機能停止」

 民自(公)の大連立を期限付きで新首相の元で進めようという動きになっている。理由の一つは大震災後の復旧復興の審議が進まず、国会機能停止になっているというものだ。
 違うだろう。政府が提案した復興関係の法案を修正などを含め審議するのが国会の役割であって、大連立内閣だったら、政府案をそのまま通してしまうことになる。これこそ「国会機能停止」の典型だ。戦前の大政翼賛会と同じだ。
 菅内閣ではねじれ国会下で参議院でも賛成の得られるような法案内容に修正する努力をしていないのだろう。国会が機能していないのではなく、法案を提出する内閣が機能していなかった。だから、近いうちに総辞職ということになる。

6/05/2011

絶対の危険はない、すなわちリスク評価の人生だ

 世の中には絶対の安全はない、それは原子力の専門家の間でも認識されていたはずだが、一般の人にも専門家から「騙されることなく」今回は認識されたはずだ。逆に「絶対の危険」もないことは容易に理解されない。
 放射線の危険性について、累積量100mSv/年まではほぼ危険性はない(閾値である)ことは色々な議論を聞いて文痴は理解した。ただ、あまねく言われるのは、その許容値はあくまで成人のものであって、子供は成長の過程にあるから、できるだけ放射線を浴びない(被曝ゼロを目指す)ことが望ましいというものだ。でも、「できるだけ」といっても限度はあるのではないか?早い話、ゼロを目指すのであれば、放射線源から限りなく遠ざかる(疎開する)ことが有効だ。疎開することでその子供が別の意味で不利(これもリスク)になることもあるから、要は比較(リスク評価)してどちらを取るかの問題だ。校庭の汚染土砂を取り除くのもお金がかかる。金がなければ死ぬ人もいる(これもリスク)。
 このような議論はリスク評価の問題という。有限な人生において人々は死ぬ危険のリスクを避けながら生き延びているわけだが、世のリスクは放射能だけではない。全てのリスクを勘案し最適生存行動をとるのに、リスクの一つである放射能の許容値はあいまいすぎる。
 許容値は人の行動基準を決めるのに必要なリスク評価に耐えうるものにして欲しい。それなのに、放射能関係はすべて行政の責任を決める(逃れる)ための厳しめのものになっているとしか思えないのである。

6/03/2011

原発事故は予定のこと、しかし、後始末を早く

 原発大国フランスの原子力発電所は狭い国土に数多くちりばめられている。のどかな農村地帯で農民はすぐ近くにそびえる原発の事故について聞かれ「そのときは避難するまで」と当たり前のように答えていた(TV)のが印象的だった。
 今回の福島第一原発もそのように捉えられないものか?事故後の放射線などによる死者は出ていない。ここにいたるまでの出来事も、フランスの農民が達観するように、予定のことだ、と理解するのである。それにしても後始末が長引くのはその迷惑を甘受するにしても限度がある。もう少し早く冷温停止が出来、周辺の除染作業に取りかかれないものか?

6/02/2011

菅直人氏は早期の新代表選出の後、退陣すべき

 今回の内閣不信任案否決に至るプロセスは政権与党の民主党内の主導権争いにとりあえずの結論を得た、ということだ。その結論で、菅直人氏は条件付きの時期に辞任することを公言した。その条件を尊重するのではなく、震災後の難問山積の今日、民主党内で次期代表を可及的速やかに選出し、新内閣を組織するのが国民に対する義務ではないのか?菅政権が未練の仕事を残すかどうかは国民的には全く問題とはならない。
 新首班を選ぶには野党と一定の了解を得ておくことが必要だ。今回の騒ぎは昨夏の参議院選の敗北で与野党ねじれが生じたことがすべて原因なので、このねじれを実質上棚上げできることが、次期総選挙(文痴はなるべく早くを主張するが)までの間、不可欠だ。