6/05/2011

絶対の危険はない、すなわちリスク評価の人生だ

 世の中には絶対の安全はない、それは原子力の専門家の間でも認識されていたはずだが、一般の人にも専門家から「騙されることなく」今回は認識されたはずだ。逆に「絶対の危険」もないことは容易に理解されない。
 放射線の危険性について、累積量100mSv/年まではほぼ危険性はない(閾値である)ことは色々な議論を聞いて文痴は理解した。ただ、あまねく言われるのは、その許容値はあくまで成人のものであって、子供は成長の過程にあるから、できるだけ放射線を浴びない(被曝ゼロを目指す)ことが望ましいというものだ。でも、「できるだけ」といっても限度はあるのではないか?早い話、ゼロを目指すのであれば、放射線源から限りなく遠ざかる(疎開する)ことが有効だ。疎開することでその子供が別の意味で不利(これもリスク)になることもあるから、要は比較(リスク評価)してどちらを取るかの問題だ。校庭の汚染土砂を取り除くのもお金がかかる。金がなければ死ぬ人もいる(これもリスク)。
 このような議論はリスク評価の問題という。有限な人生において人々は死ぬ危険のリスクを避けながら生き延びているわけだが、世のリスクは放射能だけではない。全てのリスクを勘案し最適生存行動をとるのに、リスクの一つである放射能の許容値はあいまいすぎる。
 許容値は人の行動基準を決めるのに必要なリスク評価に耐えうるものにして欲しい。それなのに、放射能関係はすべて行政の責任を決める(逃れる)ための厳しめのものになっているとしか思えないのである。

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