4/30/2012

結果護憲は日本人全体の責任

BS8プライムニュースで憲法特集シリーズが始まった。今年は憲法65周年で独立(すなわち憲法改正の権利開始)60周年だ。
このように長い間憲法が改正されなかったのは憲法のみならず法律そのものに基づかない日本人の不文律主義のなれのはてだと思う。問題の九条だって、解釈で曖昧化し、支障がないように「運用」(実態を優先する、ということ)してきて平気な顔だ。

決して、少数派の護憲勢力が勝ったためではない(番組の結論より)。早めに改憲を繰り返すという道もあったかもしれないが、少数ではあっても護憲派との面倒な議論を厭ったのかもしれない。

事故を過酷にしない道路構造

バス事故について昨日書いたものは、関越道経由(通常は上信越道経由)で、よくある居眠り運転だったようだ。
言いたいことは、この居眠り運転も京都の無免許運転もできるだけ防止することは必要だが、それでも事故が起きたときに過酷事故(死者あり)にまでならないような道路構造にしておくことも必要だ。高速道路は正面衝突があれば過酷になるから、中央分離帯が設けられている(右側への事故)。もう一つの過酷事故の可能性は左側にある。昨日のバス事故でもガードレールの位置に一工夫必要だ(昨日書いた)。

4/29/2012

ガードレールの設置位置に問題?(関越道バス事故)

関越道の藤岡JCT付近でのバス単独事故は過酷なものになった。TVから見て取れるのは高速道路下で交差する一般道への転落防止を図るコンクリート壁(高さ1m程度)へバスが縦につっこんだことによるものと思われる。
なぜ、固い壁に縦に突っ込んだかというと、その手前に設置されていたガードレールの設置方法に問題があったのではないか?ガードレールも道路外への転落を防止するためにあるが、衝突するとそれに沿って車体が誘導され、衝突によるダメージも最小にする。そのガードレールの切れる先にコンクリート壁が出ていたらどうなるだろうか?コンクリート壁の内側をガードレールで守る(転落には二重に)、という、より安全な方法もあるかもしれない。

なお、金沢市からのバスは上信越道を経由したのではないだろうか?だとしたら、藤岡JCTで関越道の本線に合流することになる。その合流直後の左側への事故だから、本線左側の合流すべき車線の走行車両を避け損なったとも考えられる(生存している運転手の証言が待たれる)。

それにしても、一年に数千人になる交通事故死をもっと減らせないものか。事故対策への国民の熱意が薄い。一方で恐れられている原発事故での死者はゼロだというのに。死ぬのに放射能も交通事故も関係ない。

4/27/2012

車と歩行者は混合交通させてはならない


 亀岡の死傷事故に根本対策をと書いた後、類似の死傷事故が多発している。偶然なのかもしれないが、道路の構造が根本原因なのは間違いない。
 車どうしの事故だったら、ぶつけられた車の運転手はとっさの回避操作ができるし、なによりも車の殻に守られてダメージは軽減される。歩行者はそれに比べ弱い。
 歩車混合交通が諸悪の根元なのだ。ある程度の車両交通量があり歩行者がある道路は車道から分離して歩道が必要だ。
 実態は、新設される道路では歩行者がまれなのに立派な(むしろ無駄な)歩道がつき、既存の道路では歩道なしで車が疾走するかたわらで歩行者の命は車を運転する人しだいとなる。

4/24/2012

原発再稼働への橋下市長の出来レース


 橋下大阪市長らが藤村官房長官に大飯原発再稼働への条件を談判しに上京した。いろいろと議論があったようだが、双方一致した点が多かったようだ。
 橋下氏は国民的人気政治家で、かれの進める原発再稼働への疑問と解決へのプロセスは結果として国民の支持するところになるに違いない。そのうえ民主党政権打倒宣言をしているから、政府を信用しない国民に対してはその結論の信用度はいっそう増す。
 原発再稼働の後は、(落とし前として)経営が悪い関電など電力会社の刷新と電力事業構造の変革(発送電分離など)が結論となり、一件落着となるのだろう。

亀岡の死傷事故の根本対策を


 京都府亀岡市の府道でおきた無免許の軽自動車居眠り運転による小学生児童らの死傷事件は、直接は未成年の運転者の問題だが、根本原因も考えていく必要がある。
 件の府道は亀岡市内の幹線道路たる国道九号(山陰道)の裏道として使われていた。幅員が狭く、ピーク時には一方通行規制がされていたという(抜け道防止策?)。府道としても失格で、狭いことから当然、歩道の整備もされていない。だから、多分、速度規制として30キロあるいは20キロになっていたと思うが、そこを50キロのスピードで走られたら、人車混在道路では危険きわまりない。居眠り、無免許でなくても、いつ事故が起きてもおかしくない状態だ。
 根本には道路を整備し、危険を除去することだ。ここで整備(四車線拡幅とか信号系統化)すべき道路は国道のほうだ。整備によりそちらの走行性が改善されれば(さらに高規格の京都縦貫自動車道の全線開通)、当該府道の抜け道利用が無くなり、事故の危険性は低下する。その府道は多分昔の山陰道だったのであろう。国が国道バイパス(現国道九号)を建設するにあたって、府道に格下げとなったのかもしれないが、亀岡市道にして、コミュニティ道路としての扱いにすべきなのだ。全時間帯一方通行にして(かつ全線通り抜けできないようにする)、車道を狭め(物理的に許容速度を低下させ)歩道を整備するべきであろう。

脱原発の人が自然エネ発電に寄付する買い取り制度を


 再生可能エネルギー法が昨年夏、菅首相の首をかけて成立したが、全量買い取り制度の肝心の買い取り価格が決まらない。太陽光あるいは風力の自然エネルギーによる発電を促進するのに、価格が安すぎてはいままでと同じで促進策にならないし、高すぎれば電気料金の高騰を招き国民経済生活上の支障をきたす。さらには、文痴はこの買い取り価格保障制度は「商売のモラルを失う」と書いた。
 ここはひとつ、寄付金による補助制度を考えたらどうか?脱原発で再生エネを促進したいと考える電気使用者はその高値となる差額を宣言して「寄付する」のだ。個人でもよいし、会社だったら、その寄付の趣旨を会社PRに使ってもよい。グリーン電気料金といういまある制度を拡充するのだ。
 もちろん、国民全体に負担可能な金額までは一律に課し、それを超える部分を寄付金でまかなうようにする。買い取り価格を決めるのではなく、寄付金総額を発電量で割って、配分するのだ。その金額が安ければ(寄付金が思うように集まらなければ)、自然エネルギー発電に対する国民の理解を得ることが少ない、ということであろう。
 一方で考えるに、全量買い取り制度は時期尚早ではないか?補助金がつくとなれば、つく金額が決まるまでは自然エネ発電所の設置は待つ、ということになりがちだ。

4/23/2012

湖の放射能汚染は比較的心配ない

大飯原発の安全性確保に滋賀県がとくに注文を出すことについて、近畿の水源である琵琶湖の放射能汚染を防ぐ意味がある、と強調する。
 しかし、琵琶湖のような大きな湖だからこそ、放射能他の水質汚染にはかえって有利であることをご存知ないらしい。仮に事故が起きて放射性物質が琵琶湖(北湖・・・面積水深共に大きい)に降り注いだ場合でも、莫大な水量で希釈されるし、放射性のセシウムなどは水よりも重いので、深い湖底に徐々に沈殿し、利用される表層の水からは隔離されてしまう。
 むしろ、通常の流れる河川付近に放射性物質が堆積すると始末に負えない。降雨のたびにいつまでも流出が続くからである。それでも、昨年の3.11のあとでは、1週間程度浄水場での汚染が続いたに過ぎない。その場合でも、浄水処理を念入りにすれば良かっただけのことだ。近くの霞ヶ浦も水源となっているが、放射能汚染の事実はなかった。

4/22/2012

化学工場と原発のリスクを比較すべき

三井化学の岩国工場で爆発事故が起き、作業員が一人死亡、多数負傷したほか、周辺の住宅地にも爆風被害をもたらした。
 文痴は原発の事故リスクを評価するときに、原発のリスクはゼロにはならないと主張した。そのなかで、原発も他のリスクもすべて比較して評価すべきとした。例えばこの化学工場立地は「他のリスク」に当たる。福島第一原発ではなかった直接被害死者が出ていることに注目すべきだ。
 この化学工場も原発なみに周辺の土地利用を制限していれば、少なくとも第三者被害は起きなかったのだが、原発の危険ばかり言う人はどう考えるのだろうか。

4/19/2012

地震はどこでもいつでも起こる

首都直下地震のことでかしましい。予想される地震の規模とか被害想定のことだ。
 これらは将来起こる事実がわかった、ということに過ぎない。それらの事実に変わりがあったのではない。日本の国土どこでも時期と規模を問わなければ地震は必ず起こる。その時期と規模はあくまで計算されたものに過ぎない。計算があたらない場合もある。あたるかは確率の問題だ。
 (起こりつつある)地球温暖化により気候変動が激しくなり、災害が予想されるというのは、事実が変わった、ということになる。

4/18/2012

休まず遅れず、しかし働いていないかもしれない(京都府警)

京都の祇園で軽ワゴン車の暴走による死傷事件(運転手も死亡)があったとき、警察の責任者が部内の懇親会で飲酒したことが問われた。
 責任者たる公務員が「かたちだけ」でも職務に忠実であったかが、問題とされたのである。必要なことは事件の捜査に警察全体で万全を期したかどうかだが、責任者の「かたち」でそれを判断されてしまうことになる。だから、役人は「休まず、遅れず、働かず」の消極的勤務となってしまうのではないか?働いたどうかは「かたち」だけからは容易には証明できない。

4/15/2012

新東名は無駄だったはずだが

新東名の大部分の区間が昨日開通した。マスコミとか一般の声は「すばらしい」の一言だ。

馬鹿じゃないか。新東名の計画・工事中は無駄だとの大合唱だったのに。日本国民には論より証拠でのぞまないとわからないらしい。

むしろ全国プール制の高速道路建設費確保方法が良くなかった。地方の不採算路線が無駄に有料方式で造られる可能性があるからだ。そのような必要路線で不採算のものは税金でつくるべきなのだ、国道と同じように(新直轄高速は無料)。道路は税金でつくるのが原則だ。
 新東名は超採算路線の東名高速のバイパスだ。東名の混雑が酷くなり、海岸沿いの区間が津波被害の恐れがあったら、山間部に増強新路線を建設するのが(中日本)高速道路(株)の企業義務だ。東名のあがりで新東名も建設費の償還など簡単にできる。全くの採算優先の民間会社だったら、猪瀬直樹氏がそうしろと主張したわけだが、バイパスなど新規投資をしない方が儲かる。

福井の知事と町長の政治家としての無責任

政府はやっとのことで関電大飯原発の再稼働の方針を決めた。枝野経産相が地元の福井県とおおい町に早速「同意」を求めに行った。知事、町長の政治決断を求めたのだ。ところが、技術的に検討し直すために委員会に諮るとか、関西圏の理解が得られないとだめだとか、自身の政治家としての決断は示さない。
 無責任だ。まずは自身の判断を示し、それを受けて他の判断が必要なら、政府が聞けばよい。沖縄の仲井真知事は普天間の辺野古への移転については「政治的に反対」を明確にしている。県民の総意とか諸々を判断して自ら政治的に決断しているのだ(この判断の是非については議論があるが)。他人の意見を聞かないと判断できないのでは政治家失格だ。他人の意見を聞いて政府が判断したのだから、あとは、知事町長の個人の判断が求められている。
 もし、同意しないのなら、政府の判断に反対する根拠を説明しなければならない。それほどの自信はないのだろう。責任から逃げているだけだ。

4/12/2012

朝鮮系日本人で不都合はない

昨日投票が行われた韓国総選挙では与党セヌリ(旧ハンナラ)党が過半数を確保したようだ。特記したいのはそのことではなく、今回から在外韓国人の投票が行われることになり、在日(韓国国籍)の人も大阪などの各地域に設けられた投票所で投票する風景がニュースとなったことだ。在日という永住外国人も国籍国の投票に参加できるのは良いことに違いない。
 違和感を覚えるのはその一方で在日外国人への(地方)参政権付与の要求だ。どちらか一方にしたらよい。日本の(地方といえども)政治に参加したいのなら、日本国籍を取る(韓国籍から離脱する)ことだ。韓国人としての誇りを大切にして国籍を持ち続けたい、というが、永続的に住んでいる国の国籍に替えることに何の不都合があるのか?朝鮮系日本人でよいのではないか?移民の国・米国には「日系人」など民族的な母国の存在をずっと意識させる言葉もある。

鳩山外交は世界には通用しない

IAEA(国際原子力機関)の査察がNPT(核拡散防止条約)加盟国の核非保有国に限られている「不公平」については国際的に共通の認識となっている。そのことをイランの大統領に同情し、イランが核武装しないように説得する、半歩譲歩一歩獲得の方法は、日本国内でしか通用しない。世界がイランとの対話と圧力に腐心しているいまは圧力で譲歩を引き出すべきときなのだ。
 イランの大統領も、鳩山氏の少しも譲歩とは言えない日本的アプローチにさぞ困ったことであろう。鳩山氏の言質を少し有利に誤解してHPに載せてはみたが、同氏の抗議を受けすぐに撤回・削除したのは、「困った」末の試みなのだろう。
 東アジア共同体を友愛外交の一環で提案されたときの中国胡錦涛主席も同じとまどいだったろう。

4/11/2012

鳩山イラン訪問強行は民主党の病弊

鳩山由起夫元首相がイランのアフマディネジャド大統領との会談を強行したことでひんしゅくを買っている。
 そんなことは一政治家の信条に基づく行為なので、ほうって置いたらどうか?一国のトップがOBになってからも一定の外交役割を果たすのは、その政治家の能力と考え方による。すべてのOB政治家がそうである保障はない。鳩山氏の場合は、元首相とか民主党外交顧問の立場ではなく、あくまで一政治家としてイランを訪問した、と言っているのだから、成果を上げられなくてもそれ以上のことはない。
 問題となるのは民主党の内部のことだ。こういう政治家を「最高」顧問にしておいてよいのか?ひとの政党ながら心配ではある。よく言えば多様性があるが、実は、バラバラだ。

4/09/2012

日本人の困った放射能ND症候群

NDとはnot detected(不検出)の略で、計器の検出限界以下のことを意味し、ゼロということではない。放射性物質の食品kgあたりのベクレル値が最近500から100に厳しくなった。この100でも安心ではなく、ゼロを目指す市民運動があるという。しかし、それはゼロではないことは知らないらしい。精密計器の限界一杯がんばれ、ということか。もし、計器の精度が500ベクレルまでだとしたら、500で安心、ということらしい。
 ICRP(国際放射線防護委員会)による放射線の管理基準は安全基準の医学的なものと違い、事故後の状況に応じて、被曝の限度を望ましい(可能な)レベルに設定している。それが誤解されて、放射性物質のベクレル値は少ないほどよい、と信じられているのだろう。必要なことは日本国政府が安全基準(最低限、安全性を保障するもの)を科学的根拠をもって示すことだ。

4/05/2012

原発は運転しながら改良を

今日明日にも野田内閣は原発の再稼働の安全確認のための「暫定」基準を発表し、政府としての大飯原発再稼働の判断を下すだろう。暫定の意味は、福島第一原発の事故原因にさらに新しいことが加われば、そのたびに安全基準は改訂されていくべき、ということだろう。今後、新たな基準に適合させる措置は運転しながら実施することになる。自然災害からの事故対策だから、まったく安全ということはなく、常により安全な状態にしようということだ。
 その意味で、ストレステストも運転しながらの実施が好ましかった。欧州ではそうしているらしい。我が国での、定期点検に入ったときからストレステストが終了するまで運転休止状態のままにする、というのは国とか電力会社への不信からくる担保的なものであり、お互いに意味がないのではないか?

4/03/2012

原発のリスクはゼロにならない

関電大飯原発の再稼働をするかどうかで政治が揺れている。経産省原子力安全保安院ではストレステストの結果、問題ないとの結論を出している。あとは首相、経産相はじめ四大臣の「政治判断」の段階に入っている。政治判断には国民感情などを斟酌する以外に、原発以外の政治問題も考慮しろ、という意味もあるに違いない。原発のリスクはゼロにならないので、ほかの諸問題とのリスク同士を比較考量して(リスク評価)、政治判断しろ、ということだ。
 政治の問題には、まずは電力需給問題。また、いま東電と大口需要家のあいだでもめているような電力料金高騰の問題。また、世界を見れば、化石燃料市場へ日本そしてドイツなどの原発忌避国による需要圧力。
 最後の問題は、日本はカネがあってどうにか増大する燃料購入資金をまかなうことができるかもしれないが、最貧国に必要な燃料も同時に高騰する、それら国民の命の問題にもつながっていることを大国日本の政治は考えなければならない。
 また、なによりも、エネルギー資源供給の多様化が日本の資源安全保障に不可欠であること。これは、二度にわたるオイルショックで勉強済みの日本人ではなかったのか。

4/02/2012

内閣府の予測は当たり前のこと(西日本巨大地震)

内閣府の検討会が3/31に発表した西日本の大地震による津波の高さの予測は従来の中央防災会議想定のものより大幅に大きなものになるようだ。
 しかし、このように従来の予測を超過すること自体は十分想定されてきたことではないだろうか。東日本大地震による今回の大津波も史上最大の貞観津波のデータを想定すべきところ、たまたま間に合わなかった。震災後に1,000年に一度の規模として、避難する際の対象津波として検討することになった(防護対象には出来ない)。自然現象には規模上限はないものと覚悟した方がよい。
 地震列島日本では時期と規模を問わなければ、どこでも大地震と海岸沿いの大津波は「必ず起こる」(首都圏直下地震も同様)。(今回の予測のように)その時期と規模を予測したところで、それはある確率のもとでの計算に過ぎない。当たる確率ということは、逆に外れる確率もある。現に、今回の東北大津波の場合、宮城県沖地震の震源は十分予想していたが、より沖合で同時に起きた震源のものは0%の確率だった。計算には限度があるのだ。
 西日本の大地震の場合、歴史上、東南海と南海地震の複合はあったが、東海との三複合はごくまれだ。それにたぶん、より沖合の震源と日向灘とあわせた五連動での予測なのではないか?ごくまれな現象なので確率はごく低いものになるだろう。戦後に南海と東南海地震が相次いで(二三年の間に)起きたが、時期がずれれば津波の複合は避けられる。