12/26/2015

外交交渉では門前払いが常道(慰安婦問題)

 日本国政府は過去に強制連行した「従軍慰安婦」に謝罪せよ、という韓国の要求に、1965年の日韓基本条約で(各種紛争問題は)「完全かつ最終的に解決済み」と「公式」にはねつけてきた。
 となると、(史実でなかった)強制連行した、かどうかには答えていないことになる(答える前にすべてを拒否している)。
 だったら、強制連行はあったのかもしれないという世界の世論となってしまうのではないか?役人同士の折衝(外交交渉も)ではシビアになればなるほど、入り口での議論(議論の対象ではない、という)で終始することになりがちだ。
 「強制連行はなかった」し、(あったとしても)「補償、謝罪要求期限は終わっている」という両睨みの対応にならなかったものか?

12/18/2015

「夫婦別姓」を裁判所に訴えること自体が間違い

12月16日、最高裁から夫婦同姓義務の民法規定が違憲ではないという判決が出た。
 民法を改正して、もし、夫婦別姓を選択できる、という規定にしてもそれも違憲ではないだろう。つまり、裁判所が決める(憲法判断する)ことではない。むしろ、国民の声が集約される国会とその議院内閣制のもとの政府が決めることがふさわしいのだろう。
 国会で多数をとれないから裁判に訴えて少数の意見を通そうというのは三権分立の趣旨に反する。

12/03/2015

「帝国の慰安婦」起訴からみえる東アジア「民主主義」

「帝国の慰安婦」の著者・韓国セジョン大学パク・ユハ教授が同書で元慰安婦の名誉を毀損したとの罪でソウル東部地方検察庁から起訴された。同庁は、「秩序の維持などのためには言論の自由や学問の自由は制限される」という判断を示している。
http://blogos.com/article/145600/
 社会秩序維持が自由に優先する「(西欧型とは違う)民主主義」というのは共産党独裁の中国だけではない。この韓国を始め、北朝鮮、ベトナムもそのようです。これから民主主義を成熟させる途上にある、ということではなく、もともとそのような社会風土・価値観なのだろう。そして先進国のシンガポールもそうかもしれないので、華人あるいは儒教世界にみられるものかもしれない。
 東アジアでは例外的に、日本と影響を受けた台湾は西欧型民主主義を採り入れている。これは、儒教によらない独自の社会の歴史を紡いできたからだろう。
 思い起こせば、韓国においての、産経新聞元支局長起訴も朝日新聞誤報判明のあとでも慰安婦強制連行にこだわる不思議も、以上のような理由があればいっぺんに解明するのではないだろうか。(ことの善悪判断は別にして)


11/27/2015

軽減税率範囲を均衡予算の考えで決めてよいものだろうか

 デフレの要因は貯蓄が投資(消費も)を上回って世の中に出回るカネが減少することにある。経済心理的に言えば、企業も個人も将来に不安があるので、流動性のあるカネの形で財産を所持しようとする。設備投資をしたり過剰な消費をしたら先々困ることになるかもしれない、というのが日本人の心理だ。
 貯蓄に回ったカネは誰かが使わないと計算が合わない。それが国債の過剰発行(国債購入という貯蓄)となる。国債で調達できたカネは公的投資に回さないとカネが環流しない。
 そこで、財務省が財源なき減税に反対する矛盾について指摘したい。均衡予算を目指すというなら、反対の根拠はわかる。しかし、いまはデフレから脱却の時だ。赤字予算を組んで国債をより多く発行して財源を確保しなければ上記のデフレ脱却の理屈に合わない。
 再来年の消費増税に際して、軽減税率の対象範囲を別途に財源確保できる規模(生鮮食料品まで)にとどめる、というのは均衡予算の考えだけだろう。

11/22/2015

テロの目的はあとの恐怖心を利用すること

 ISからワシントンへのテロ予告またニューヨークには映像でテロを暗示され、大騒ぎとなっている。
 ISなどのテロ集団は襲撃予告はしない。9.11のニューヨーク、ワシントン、バルセロナの鉄道、ロンドンの地下鉄、そして今回のパリ同時テロ、すべてが突然だ。そのほうが成功の確率が高くなる。
 逆に今回のパリテロの効果を最大限に高めるために、事件後の世界の人々の恐怖をあおる、という当然のことをやっているに過ぎない。テロの語源はterror(恐怖)だ。相手を脅して恐怖を植え付けて有利な立場に立つ、暴力団で言えば「恐喝」だ。
 テロの目的は人を殺すことではなく、殺したあとの恐怖心を利用することにある。

11/14/2015

政治資金から香典を出したらまずい

 民主党の北澤参議院議員も政治資金から香典を出していた(議員本人は記憶がないという)。その民主党は自民党の高木大臣の香典問題を追求している。政治家の年金未納問題の時と同じで、香典問題も与野党の泥仕合となってきた。
 そもそも、政治資金から香典を出したらまずいだろう。政治活動が冠婚葬祭だけだったら、政治屋となってしまう。政治資金を公費から支出し、献金が収入でも免税扱いにして、政治資金の使い方から活動を改めさせるという方向になっているのだろう。現行法では本人が会葬すれば政治資金からでも支出できる。
 でも、政治家になったら「香典は疑われるので出しません」というくらいにして、政治家を辞めても出す親族への香典は例外扱いぐらいとしなければ。

11/10/2015

ミャンマーだけ?

 軍事独裁政治のミャンマーがとうとう選挙の結果、議会制民主主義の国へと脱皮する。こうなった大きな要因は中国を除く世界からの経済制裁だろう。
 中国も一党独裁の国だ。中国共産党の力の源泉は人民解放軍だから、ミャンマーと同じ軍事独裁政権だ。なぜ世界は、経済制裁などの平和的圧力で、中国も民主化できないのか、また、そうしようとしないのか?中国は大きすぎてできない、そして制裁する側の経済にもはねかえってくる、というのが理由だろう。中国国民の人権が侵害されているかは諸外国にとってどうでもよいことなのだろう。
 ベトナムもラオスも現在のタイも同じ軍事政権だ。米国など人権外交を標榜する国々は、平和的な圧力を駆使してこれらの国の国民の権利のために尽力する必要はないか?ミャンマーだけ、というのはいかにも不公平だ。

11/06/2015

世間をお騒がせした(だけを)謝罪

 NHK特報首都圏「過剰反応社会」をみた。内容概要は

 「昆虫写真は気持ち悪い」という声に配慮して、学習ノートの販売を中止したメーカー。子ザルに英国王女にちなんだ名前をつけて批判が殺到した動物園。インターネットを介して、批判が一気に高まる事例が増えている。こうした事例の裏にどんな社会心理があるのか。批判への配慮が行き過ぎて、自由かったつな表現が損われる恐れはないのか。番組では、頻発する「過剰反応」と「配慮」をめぐる動きについて、専門家とともに考える。

 山本七平氏はこのような現象を(世間の)「空気」と呼んだ。この「世間」は日本特有のものかもしれない。実態がよくわからない世間からの過剰反応におびえる。
 反対に、世間にお詫びしておけば、すむ、という安易な日本でもある。「世間をお騒がせして・・・」というのは、とりあえずは世間だけには責任があるが、特定個人には(そのあとの訴訟等もあるので)謝ってはいない、という便利な謝罪方法だ。

11/04/2015

核は「正義の戦争」にも使えない

日本の核廃絶決議採択=「被爆地訪問」奨励、中国は反対―国連総会委
まずは、日本が提出した決議に米国が棄権した。米国が二票持っている、というのは都市伝説に過ぎない。
また、中国が反対したが、その理由として、被爆を「日本が始めた侵略の必然的結果だ」と述べた。核兵器廃絶の基本精神はいかなる戦争にも核兵器を用いてはならない、とするものだ。中国は日本のような国には用いてもよい、と言っているらしい。
広島の原爆公園には「過ちは繰り返しません」と主語不明に書いてあるが、書いた日本人と中国の理屈は似ている。
(以下、引用ニュース)
【ニューヨーク時事】国連総会第1委員会(軍縮・国際安全保障)は2日、核兵器の全面廃絶に向け、すべての国が共同行動を取る決意を新たにする日本主導の決議を、加盟国の約8割に当たる156カ国の賛成で採択した。決議は今年が広島・長崎への原爆投下から70年に当たることを想起するとし、「指導者や若者らの被爆地訪問」など、核兵器の非人道的影響に関する認識を高めるための取り組みを奨励している。
 日本は1994年から毎年、同趣旨の決議案を提出し、採択は22年連続。今回、被爆地訪問の奨励を初めて盛り込んだ。北朝鮮のほか、核兵器保有国の中国、ロシアが初めて反対した。
 中国の傅聡軍縮大使は広島と長崎への原爆投下に関し「(核兵器の非人道性の問題が)歴史を歪曲(わいきょく)する道具として特定国に利用されるのを見たくない」と反対理由を説明。被爆を「日本が始めた侵略の必然的結果だ」と述べた。
 中国は5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、指導者らに被爆地訪問を促す文言を文書に明記することに強く反対。先月の第1委員会の討論では日本が核開発に乗り出す恐れを指摘するなど、「抗日戦勝70年」を意識した強硬発言が目立っている。
 日本の佐野利男軍縮大使は記者団に「(中国の批判は)極めて遺憾。被爆70年目の核廃絶決議で広島、長崎に言及するのは当然」と反論した。
 昨年賛成した核保有国の米英仏など17カ国が棄権した。佐野大使は核軍縮の進め方などで立場に隔たりがあり、「最終的に収れんできなかった」と述べた。 

10/30/2015

中国の錬金術は為替と土地から

 中国経済は日本の特技だった加工貿易ならぬ組み立て貿易に特化している。技術力がないので、素材、部品は日本などから輸入して、国内の安い労働力で簡単な最終組み立てをして輸出に回す。いままでは労働力人口が過剰だったので、賃金水準が押さえられていて輸出競争力が保たれていた。これからは老齢化と一人っ子政策の弊害があって、賃金水準が漸増していわゆる中進国の罠に陥るものと思われる。
 これまでの間、輸出競争力を保てたもう一つの要因は管理為替水準を低めに誘導してきたことだ。人民元の対ドル水準を低めに管理すれば、輸出競争力が高まる。しかし、それでは国民の所得が対ドル換算で増えないから、いつまでも内需主導の経済にならない。つまり、国民窮乏化の結果、輸出余剰の外貨が増え、AIIBなどの対外投資の余力につながったとも言える。
 また、土地は国有のものだという政策で、農民から二束三文で農地を召し上げ、地方政府が開発後、高い時価で転売することで、農民の富を収奪してきたことが国家の莫大な資金のもととなった。つまりは、中国の錬金術は人民元安操作と土地転売利益、によると言っても過言ではないだろう。なぜあれだけの「爆買い」が政府にもできるのかが不思議だった。

10/15/2015

痛税感を言うのだったら小売店軽減税率方式は?

 軽減税率の適用が2017年4月からの10%への増税時から導入されることが安倍首相の指示で決まった。新国立競技場のデザイン変更のときも首相の最終判断だったので、何ごともいつまでも決まらないで宙ぶらりんとなるよりはよいことだ。
 食料品など生活必需品への軽減税率は低所得者対策と思われがちだが、消費者すべてに恩恵を与えるものだから、複数税率導入の最初になる、と見たほうがよい。低所得者対策だったら、まずは、間接税による逆進性をカバーするため直接税の所得税で対応すべきものだ。所得税は累進性があるからその逆累の程度を調整する、というふうに。または、低所得者だけに還付する方法も種々考えられるが、そのうちの日本型軽減税率方式として考えられたマイナンバーを利用した還付方式(財務省案)が国民の拒否を受けたので、これら還付制度すべてが道連れとなって不採用になった。
 軽減税率にこだわる公明党は複数税率制度を提唱しているのだろう。贅沢品は10%以上の税率をと主張し始めた。なんのことはない、昔あった(贅沢)品目毎の税率制度の復活だ。
 これはこれで、国民の支持を得れば立派な政策だと思う。しかし、流通段階で仕入れ価格にかかる税額を控除して納税するインボイスなどの伝票制度が面倒だ、という声が出ていて、首相もこの作業負担軽減も工夫するよう付言している。
 そこで、最終小売り価格には8%の軽減税率とし、仕入れ価格すべて10%に増税することで割り切ればよいのではないか?小売店の仕入れ価格が半分だとして、それにはすべて10%かかるのだったら、小売店の付加価値(利潤、人件費など)のみ8%の軽減税率とする。上記の計算だと、実質税率は9%となるが、レジでの消費税額は8%表示となるので、痛税感は薄れ、公明党などの政策目標は満足されるのではないか。

10/10/2015

ユネスコという世界化ビジネス

 舞鶴への引き揚げ資料が世界記憶遺産に登録された。あえて言うが、世界で記憶するべきことなのだろうか。もちろん日本国内としては貴重な資料だ。
 登録を決めるユネスコは登録ビジネスで権限をふるっている。世界遺産もそうだ。真に貴重な遺産は登録しなくても貴重なものだ。それをユネスコが商売にした。大した世界遺産でなくても登録されれば観光客誘致に資する。
 このような世界化ビジネスにはFIFAもあげられる。ワールドカップの開催国を決める権限で収賄的行為を疑われている。IOCもそうでないとよいが。一国内機関だっら不正は厳しく取り締まれるが、世界機関だから免れている。
 今回の世界記憶遺産に同時登録された南京の日本軍による虐殺資料も、たいして事実を検証せずに、中国の要求により「ビジネス」をしたということだろう。日本はユネスコに協力をしないに留まらず、このような世界化ビジネスをすべてボイコットしたらどうか。
 話は逆になるが、中国はノーベル平和賞の世界化ビジネスに抗議して、孔子平和賞をでっち上げたのだろう。心情だけは理解できる。

10/04/2015

シリア難民はヨーロッパだけで解決すべき

 シリア難民を世界中で分担して受け入れよう、というのには無理があるのではないか?
 似たような背景で安倍首相が国連で演説したが、主として一部の日本人の間で「人道的でない」として非難の声があがった。
 政治難民(戦争難民とも、経済難民は対象外)は戦地の祖国から一時避難して、戦争が終わって平和になったら帰国する。その避難場所を提供するのが難民引き受けとなる。ほんの一時だったら、隣国のトルコとかヨルダン、レバノンに避難するのが合理的だ。これらの国には受け入れ経費がかかるので、日本は金銭的負担を申し入れている。
 そのトルコからギリシアそして、ハンガリーなどEU諸国に移動する必要はない。最終的にドイツなどに移住したいのは、経済的理由があるからだ。戦乱が絶えず、平和になっても社会が崩壊しているだろうシリアには戻りたくない。新天地のヨーロッパで生活を始めたい、ということだろう。だから、まずは政治難民かどうかは厳格に審査しなければならない。さらには、ドイツまで到達できるのはシリア人のうち英語ができ移動の経費も負担できる金持ちないしエリート層だ。それらの階層だけをシリア社会から引き抜いたら戦後のシリア復興に支障とならないか。良質な移民だけを受け入れればドイツは得する、という考えかもしれない。
 「人道的かどうか」より、受け入れ国として日本が適当かどうかという議論になるべきだ。難民を受け入れるには難民側の意向もある。日本語を習得しなければならないが、世界で孤絶する日本語を学ぶのは困難を極めるだろう。また、一神教ではない仏教、神道の社会にイスラム教徒がなじめるのか、という宗教問題。日本社会に無理なく入れるのは言語が似ている朝鮮民族、漢字が共通な漢民族、さらには生活習慣に共通性がみられる東南アジアまでだろう。安倍首相は難民受け入れ分担地域のことも言っているのだろうと思う。
 さらには、シリアなど中東でたびたび戦乱になるのは、遠因をたどれば、英仏両国のアラブ(イスラム)分割統治の結果だ。ヨーロッパだけでシリア難民(その他のアフリカも)を解決するのは当然のことだ。

10/03/2015

騒いだことを忘れる日本人

 日本人の「絶対」反対というのはそのときだけだ、ということがわかった。「絶対」というからには死ぬまでその主張を変えない、というのが日本語の意味だ。
 マイナンバーが今月から始まる。過去にはこれより小規模の住民基本台帳番号が「絶対反対」された。しかし、反対(首長)の横浜市、国立市とすべて陥落。いまそれよりも広範なマイナンバーに反対するものはいない。
 町中に監視カメラが配置されるようになり、警察の捜査には不可欠な手段となった。これも当初はプライバシー侵害とかで反対を受けたものだ。「悪事を働くときにプライバシーは尊重されなくてよい」という常識が勝った。
 自衛隊のPKO活動にはいまは反対する人はいない。始める当初の国会審議では、今夏の国会騒ぎと同様だった。今回の安保法制も同様の道をたどるであろう。
 TPPが妥結寸前になった。自民党を含み野党が一緒になって「聖域を守れ」という大合唱だった。いま、その声は中国の脅威の前にかすんでいる。貿易交渉だから、聖域を各国が主張したら最初から交渉にならない。お互いに妥協して(国内勢力を説得して)、対中国経済戦略を立てようということがわかってきたのだろう。

9/30/2015

マイナンバーだけでは個人情報が漏れたことにはならない(ポイントカードと仕組みは同じ)

 明日10月よりマイナンバーが個人あて配布される。
 これから始まるマイナンバー制度への危惧のうち、個人情報漏出の心配が未だ多数となっているが、ナンバーだけでは個人情報とは言えない。いまでも、取扱機関別々の個人番号が普及している。基礎年金番号(日本年金機構)と住民基本台帳番号(自治体)だ。ほぼ全国民にこれら番号が振り分けられているのに、これら番号の漏出は問題になっていない。なぜなら、本当の個人情報はこれら番号を入力してそれぞれのシステムのコンピューターシステムにアクセスしないと得られないからだ。
 もちろん、過日の日本年金機構システムへの不正アクセス、情報流失があれば個人の年金情報が漏れる心配となる。共通の番号の扱いを心配するより、個人情報を管理する機関からの情報流失のほうを心配すべきだ。
 マイナンバーカードを携帯して消費税還付のためのレジでの登録(財務省案だった)は、そのカードを紛失、内容が漏出する心配からも反対が多かった。でも、そのカードには基本的には12桁の数字が入っているだけで、たとえば、購買履歴などの個人情報は国税のコンピューターに集積されるのみだ。いま大普及している各種ポイントカードの仕組みも同じで、カードにはお店のコンピューターにある個人客ポイント情報にアクセスするための数字(バーコード)が表示されているだけだ。

9/20/2015

立憲主義は制定当時の守旧行為

 平和安全法制が成立したいま、今後はこれら法律が違憲かどうかの司法の判断に移った。日本の法制では法律がそもそも違憲かどうかの司法審査(憲法裁判所)は行われないので、具体的な事件に即してその根拠となった法律が違憲かどうか争われることになる。今後、反対派がどのようにこの段階を進めるのか興味あるところだ。
 1960年の新安保条約反対運動の時は、その前の1957年に砂川基地をめぐる事件で政府が提訴されたが、二年後には最高裁で憲法九条に自衛隊は違反しない、という「国家統治行為論」の判断が示された。それでも「自衛隊は違憲だ」が安保反対のひとつの根拠となった(三権分立を理解していない)。
 今回の憲法論議を聞いていて、憲法の性格がわかったのが収穫だ。それは立憲主義は一見正義と思えるが、じつは、自由であるべき立法を制約する上位法たる憲法という別の見方だ。昔日の憲法がいまの法律の束縛となる。どちらも民意だとしたら、現在の国民は過去の国民の制定した憲法による制約を受けるのはおかしいと思うだろう。
 実際、1947年に定められた憲法を根拠に現在の国民の民意(衆参両院で可決した、ということ)である平和安全法制を否定しようというのは、過去の一時点の国民の意志でもって将来にわたる束縛をすることになる。将来のその時点での判断は国権の最高機関である立法府に任されるべきだ。だから、立憲主義とは旧き判断をいつまでも守ること、すなわち、守旧行為になる(護憲しか反論の根拠がない)ということだ。憲法は時々の国民の総意で改正することができる。だから、「護憲すなわち守旧」に対抗するには現在の民意での憲法改正で当たればよい、という正道に戻すべきだ。

9/18/2015

憲法も政府も主権者・国民の総意ということでは同列

 憲法九条の不戦条項が絶対に守られなければならないのなら、この条項を憲法改正の96条の対象外にしておけばよいはずだ。そうなっていないのは半世紀前の不戦条項は国民投票の結果、廃止ないしは改正することが必要な世界情勢になることもあるからだろう。すなわち憲法より主権在民の価値の方が上なのだ。不磨の大典、ということはない。
 相手から仕掛けられる戦争は突然起こる。その緊急時に憲法あるいは自衛隊法などの法令をすぐにはその事態に対応できるよう改正できない。それでも自衛隊などは国民を守らなければならないが、法令を無視(超法規措置)するのは法治国家としてどうしても避けなければならない。
 結論は、あらかじめ事態対処の予想がつきにくい武力行使については法令のしばりをなるべくつけない。現状で想定して法令化することが困難だと理解すべきだ。だから、最低限、禁止事項だけは決め、それ以外は指揮官(内閣総理大臣)に任せる、ということをしないと、戦争に負けることになって自衛隊を持つ意味がなくなってしまう。そのときの政府は議会制間接民主制(憲法の国民投票と同様の過半数支持)によって選ばれているから、同じく昔日制定した憲法とくらべて、主権在民から言って同列だと考えるのである。
 シビリアンコントロールを厳密に守っていくための自衛隊法制の整備が重要なことは言うまでもない。

 何を言いたいのかというと、そうであるならば、憲法が武力条項などの不変でないものを対象とすることは不合理ではないのか?憲法学者には「そもそも憲法とはなにか」のこのようなことを研究して欲しい。

9/14/2015

簡単入手できる防災情報に基づき自主避難すべきだ

 常総市役所が鬼怒川沿川のすべての地区には避難指示を事前に出していなかったことが問題視されている。災害対策基本法では市町村が住民に対して避難勧告、指示を出すことになっている。しかし、行政改革などを経て人員削減などを受け、かつ、広域合併で行政区域が広がったいまの市町村にこの法律の義務を果たす能力はないのではないか。
 日本は災害列島だ。太古の昔より住民は自主防災あるいは地域ごとに互助的に防災活動してきた。毎年繰り返す自然災害にはそれが当然だったし、ふさわしかったのではないか。
 今回も堤防沿いの住民には河川水位が堤防高満杯でいつ破堤してもおかしくなかったことがわかっていたそうだ。それをより遠方への住民に知らせるのにさらに遠くの市役所経由になるのはおかしい。地域互助的な水防活動でその地区全体に知らせるべきだったのだろう。
 さらには、情報伝達技術の近年の高度発達がある。昔にはなかったTVにより誰でも河川水位が危険なほどになっていることはわかる。より詳しく知りたいのなら、防災情報は国土交通省などによりインターネット網に載せられている。忙しい市役所から聞き、指示を待つまでもないことだ。

9/13/2015

憲法を廃止せよ(憲法なしの日本)

 憲法を廃止せよ。
 
 といっても、石原慎太郎氏らが主張するような、現憲法は被占領時に制定された無効なものだから、廃止して新たに制定せよ、というものではない。憲法そのものが必要ない。憲法なしで法治国家を運営したらよい、との主張だ。
 憲法がなかったら天皇制の立憲君主制がなりたたないとの反論が出そうだが、英国の不文憲法による制度もある。
 最近の安保法制議論を聞いていると、国の安全保障より憲法のほうが重要だ、という倒錯したものになっている。憲法は制定時の国民の意思を子孫の時代にまで強制する愚かな制度だ。いまの立法を制限するのが昔の憲法だ。
 憲法九条を廃止すべきだ、という主張もある。国の安全保障に関する政策は時代時代で変化するものだから、憲法で制約するのになじまない、とするものだ。これにも賛成する。

9/07/2015

世論調査政治の危うさ

 安保関連法案への世論調査で、今国会での成立を急ぐべきでない、という意見が多数だという。ここで確認したいのは、日本は間接民主制をとっており、代議士が国民に代わって国会で議論を尽くして立法を図る、ことになっている。世論調査あるいは国民投票で直接国民の賛否を求める直接民主主義にはなっていない。なぜ間接制かというと、複数の政策は互いに関連するので、個々の政策毎に国民の賛否を問うと合理的なものにならないおそれがある。したがって、代議士の選挙時の政策開示を信頼して任期中は立法判断を任せるという方法にならざるをえない。
 もう一つ世論調査で問題なのは、「成立を急がない」理由を聞いていないことだ。推測になるが、日本人の心情として争いを好まないことがある。そのため国論を二分するような争点には賛成、反対以外に「もっと話し合うべきだ」という特殊な意見が多く出る。この「もっと」が「急ぐ必要がない」とイコールではないのか。
 さらに、国民の法案への理解が進んでいないから成立を急ぐべきでない、という一部マスコミの意見は、間接民主主義の主旨を理解していないものと思われる。理解が進んだほうがよいものの、「選良」たる代議士に任せてよいのではないのか。任せた結果がよくなければ、次の選挙で代議士を変えることが可能だ。

9/03/2015

経済難民まで受け入れたらEUの社会が壊れる

 EU諸国への難民流入が数万人単位となって困難に直面している。政治的に迫害を受けている難民を受け入れるのは先進国の人道的義務だ。しかし、それも年間数十人から数百人までが受け入れ能力からして限度だろう。数が増えたら質的に転換する問題となる。
 本来受け入れるべき政治難民に経済難民が紛れ込んでいる。難民供出国の内戦国でも国民は必要で、迫害をして追い出すことはしない。一時的に隣国に逃れて戦火を避ければよいはずだが、便乗して、さらに暮らし向きがよくなるEU中心国を目指すのは自然だ。
 こうなったら、一時的に難民受け入れをストップしたらどうか?ハンガリーがEU国境で阻止しているのが正しいと思う。

9/02/2015

憲法改正政局になったが、96条の2/3条項が先だ

 9月に入った時点で政局は、安保法案成立後の局面に入っている。維新の党分裂騒ぎはその前哨戦だ。すなわち、憲法九条改正(第二項削除)への道筋になっている。参議院での2/3確保争いだ。
 ここで、文痴は第96条改正が先だと思う。この条項は衆参両院の改正発議に2/3以上が必要というものだが、国会はあくまで発議するだけで、改正するかどうかは国民投票によることになっている。すなわち、国民の意思が改正ということになっても、衆参どちらかの1/3を超える勢力が反対なら国民投票に持ち込めない。これは少数勢力の横暴と言えないだろうか?
 憲法に改正手続きがある限り、改正発議は改正非改正イーブンでないとおかしいのではないか?

8/31/2015

野党統一候補、という考えは有権者無視だ

 維新の党が分裂寸前になっている。松野代表の野党共闘路線と橋下(前)最高顧問の自民でも民主でもない路線との違いと言われている。そのなかで、松野代表は民主党との合流を目指すのではなく、選挙協力をまずは実行するとしている。
 その一環で野党統一候補とか言うが、政党側から見た勝手な考えにすぎない。有権者は野党ならばどこでも投票、という選択でないかもしれない。維新の党が候補を出さないから統一候補の民主党へということには必ずしもならない。現に、野党の共産党に投票させられるくらいなら、与党の自公候補へ、という有権者が大部分ではないのか。それが、共産党と民主党などの共闘がない理由だ。野党の或る党の支持者だからその他の野党にも投票するだろう、というのは有権者をバカにした話した。

8/30/2015

首相が国民を代表して謝罪する権限はない

 70年の首相談話に盛り込まれるかどうかの、すなわち、侵略、植民地支配、お詫び、反省の四つのキーワードがバカのひとつ覚えのようにマスコミを賑わした。
 そもそもだが、以上の四点は政府の権限に属することなのだろうか?政府は国家間の法的取り扱いにのみ権限がある。前二者の歴史評価は歴史家に任せるべきで、後二者は道義的なものなので、国民に代わって政府が謝罪反省するのはおかしいし、できないことだ。国民一人一人の判断で、謝罪をしたければその人はすればよい。
 政府のすべきことは戦後の講和条約を厳格に守ることと、これからの国際関係をどのように進めるかを世界に示すことだ。

8/15/2015

中国と違う韓国の戸惑いの理由(安倍70年談話へ)

 安倍首相の70年談話を聞いた韓国政府のとまどいをみている。
 国の外交は安倍用語でもある「戦略的互恵関係」を目指すべきで、その反対の内政干渉的な行動は禁じ手でもあるし害にもなる。首脳会談に条件をつけるのはこの内政干渉の最たるものだ。
 韓国政府は談話の翌日になる今日も公式な反応を示していない。報道によると、韓国国民の反応を見ているらしい。善意に解釈すると「戦略的に」日本と対応したいのだが、国民の評価が逆になる場合を恐れている。ひょっとして、その韓国国民の評価のもととなる日本の「良心的」マスコミの評価を待っているのかもしれない。
 他の評価を待って自分の態度を決めるのでは政策をリードすべき政治家ではない。 

8/12/2015

東アジアでいつまでも戦後処理が終わらない理由

 中韓両国が日本に謝罪を繰り返し要求するのは日本人の「謝っておけば何とかなる」という便宜的態度が裏返しの真因だ。
 戦争は対戦両国の憎しみもあって悲惨なことになる。戦争が終わったら、その憎しみ、悲惨の感情を精算しなければ未来が築けないので、講和条約を結んでチャラにするのが世界の常識だ。中韓両国とも日中共同宣言とか日韓基本条約で過去の憎しみも清算し未来に向けて出発したはずだ。ところが、小沢野党連合に政権を奪取されて困った自民党が自社さ政権という奇手をとった代償として、戦後50年も経って社会党の村山首相が出した謝罪談話が折角チャラになっていたものをチャラでなくした。日本以外では謝罪すれば何とかなる、ということはない。際限なく謝罪させられるとか金銭補償などを重ねられる。
 これが東アジア国際関係で続く世界から見た奇観の原因、すなわち日本が原因なのだ。

8/10/2015

「原発の費用」は再稼働の場合は違う

 川内原発の再稼働一日前となった。ゼロリスクでないから危険だという議論は素人にしか通用しない。
 相手にする必要があるのは、原発の売り物であるコストは安くはない、という議論だ。廃炉費用とか放射性廃棄物の処理費用が適正に見積もられていないから、それらを加えると、従来型の発電方法と比べてむしろ高くなる、というものだ。
 しかし、それらのバックエンド費用の見積もり方の是非もあるが(その議論を飛ばしても)、再稼働のコストの場合は、すでに建設済みの施設を使うものであり(コストに含まなくてよい)、廃炉費用は再稼働により増加するものではない。新規制基準に対応するための費用が発電量単価にどれだけ増加要因になるかを見積もればすむ。
 九州電力は民間の株式会社だ。だったら、費用のかさむ発電方法をとるはずがないし、疑念があれば、株主が株主総会で説明を求めればすむことだ。

8/09/2015

自衛戦争で死ぬのも嫌、は議論の対象だ

 武藤貴也衆議院議員の「戦争に行きたくないは、利己的個人主義だ」のツイートに対象となっている(反対派の)若者が反応して議論になっている。しかし、その年齢以上の識者が武藤議員のことを腫れ物に触るように「死ぬのは誰でも嫌ですから(議論にならない)」と片付けているのはおかしい。
 もちろんだが、若い武藤議員は所属する自民党が進めている安保関連法案への、民主党など反対勢力の「戦争法案」だとの、プロパガンダに結果的に荷担していることまでには思慮が回らない政治家としての問題点はある。
 しかし、それを別にすれば、「死ぬ覚悟で国を守る」かどうかは議論の対象だ。シールズとか言う団体の若者達は「(集団的自衛権ではない)自衛戦争で死ぬのも嫌だ」と言っているように見える。この点は自衛隊が合憲になって時間が経つが、この機会に再度議論してもよいのではないか?決して「片付け」てよいことではない。

7/31/2015

安全保障環境の変化>安保法案>憲法、だろう

 似たような話になるが、安保関連法案が合憲か違憲かで国会審議が回っている。でもこれは順番が違うだろう。
 まずは、日本の安全保障関係の変化でこの法制が必要かどうかを審議する。もし、九条の解釈変更でもそれに違憲の疑い有り、ということになったら、憲法改正(の発議)につなげる。国会議員が発議しないと国民は憲法改定(国民投票)ができない。主権在民なのだから、国会にしかないその義務を果たして欲しい。

7/26/2015

日米安保をどうする、という議論から

 安倍内閣提出の安保関連法案に対し、違憲の恐れ有り、の議論に国会が集中している。
 おかしいのではないか?国会議員は国民に対して改憲の発議をする存在だ。だから、違憲かどうかより、憲法がそもそも国際情勢に対応できているかを議論すべきで、その上での(やはり)護憲なら議論としてわからないでもない。
 国際情勢を見ると、60年改定日米安保のままですでに55年経過し、現状にあわなくなっているのではないか?という観点から安保法制の議論が欲しい。国家間の条約は両国の継続の意志がなければ、続くものではない。永遠の同盟関係は歴史上存在しなかった。米国には日本のただ乗り論が以前より出ていると聞く。このままでは、米国から破棄条項に基づき日米安保が終了することもあり得ない話ではない。
 この日米関係にどう対処するか、という議論から始めるべきだ。そうであれば国民にもわかりやすくなる。

7/20/2015

8万人収容だから建築費がかさむ

 新国立競技場のバカ高い工事費が国民の拒否感情を生んでいる。当初のザハ案の巨大アーチ構造が主な原因とされているが、8万人収容の観客席規模も関係するだろう。IOCもコスト削減五輪に舵を切っているので、規模を縮小すべきだ。
 8万人の根拠は、サッカーのワールドカップを再招致したときの、決勝戦競技場の基準だけという。日韓ワールドカップの決勝戦は横浜スタジアム(7万人収容)でだったが、6万人規模が要求されていた。それがその後8万人に増加されているのだ。
 第一に、サッカーのワールドカップに立候補していないし、その可能性を残すことをいまなぜ決めなければならないのだろうか?第二に、サッカーはできるだけ専用スタジアムで、陸上のトラックを隔てずに選手とともに熱狂を感じたい。第三に、サッカー大国と違い、日本は通常はサッカー観客が8万人も集まることはない。
 そのほか、コンサートなどの室内イベントも企画できるようになど、多目的は無目的になりやすい。つまり、多目的を目指す貧乏根性でさらに貧乏になる典型ではないのか?

7/17/2015

昔天皇いま首相の決断にかかっている

 新国立競技場のデザイン変更可否について世論が沸騰している。事業関係者もそれをみて、決断ができない手詰まりの状態になっている。こういうとき日本が陥りやすいのが、「仕方なく」失敗の道を選択せざるを得なくなることだ。
 太平洋戦争の開戦時、積極的に戦争を望んでいた勢力はなかった。補給が続かず、長期戦になったら敗北必至は誰の目にも明らかだったからだ。最高権威者の天皇が御前会議で「考え直すように」とご聖断(立憲君主制なので断ずることはできないから示唆でよい)すれば戦争とは別の歴史となったであろう。
 今回は天皇を持ち出すまでもなく、戦前より権限が強力となった首相が決断すれば、議院内閣制のもと最適計画への道を始めることができる。

7/15/2015

参議院の抜本改革を改憲で

 一票の格差が五倍程度となって違憲の疑いが司法から指摘されている参議院議員選挙制度だが、いま出ている、二合区あるいは五合区による方法では地方の代表が手薄になるという欠点ばかりでなく、いままでも含め、衆議院のコピーという根本的欠点は解決されないままとなる。
 憲法を改正して参議院制度を抜本的に解決する必要がある。一票の格差という衆議院の考え方を脱するために憲法に明示すれば、違憲にはならない。
 全国を11のブロックに分け(これが道州制のもととなる)、各州定員三とし、二年ごとに一名改選とし、各任期は6年とする(米上院に類似)。この33に加え全国区(比例制ではない)選挙33を設ける(計66となる)。この全国区選挙では政党を排除するため、得票数の比例配分でなく、個人票のみの順位とする。もちろん、現在の衆院勢力政党も立候補できるが、弱小政党以外は「票配分」が困難となるであろう。ここがミソだ。

7/14/2015

中国の民意は民主主義でない

 香港の民主化学生運動を一般市民が見殺しにしたことをもって、中国(香港を含む)の民意は民主主義にはないことがわかった。さらには民主主義に不可欠な言論、報道の自由も不要なのだろう。人権派弁護士がつい最近、大量に拘束されても、中国国内の抗議は広範には見られない。
 一般市民の希望は「食うこと」にあるのだろう。経済的に満足していれば、政治は中国共産党任せでよい。
 これを世界の民主主義勢力が非難するのはそれこそ「内政干渉」になる。一党独裁資本主義がうまくいくか眺めていればよいのではないか?このような国との外交は「戦略的互恵関係」でわりきればよい。

7/10/2015

forced to workを誤解される懸念に対し

 明治産業遺産の世界遺産登録に際して韓国が韓国人の「強制労働」があったことの言質を取ろうとした。これは国民徴用令による日本人(朝鮮半島出身者も含む)全員への法令上の強制であることを説明すれば足りることだ。
 いわゆる従軍慰安婦の騒ぎでは外務省が国家強制の慰安婦はいなかったとの説明をせず(河野談話があったから)、日韓基本条約で解決済み(国家補償はしない)との説明にとどめた。これでは強制慰安婦を否定したことにはならない。
 今後、韓国が自国の主張を国際的に繰り返すようであれば、その都度、日本国として「強制労働はなかった」と反論すればすむ。今度は相手国に通じる朝日新聞のようなものはでないだろうから。

7/07/2015

ギリシャも民主党も衆愚頼み

 衆愚政治というのは国民全体が衆愚化するのではなく、エリート層が衆愚をたのみに国を運営することに陥ることではないか、と思っている。
 ギリシャは一回、それで滅んでいる。今回も、なのか?
 日本の最近の政治を見ていると「徴兵への道」とか「戦争ができる国」とかの衆愚相手のスローガンに明け暮れている。民主党をはじめとする国会議員はエリートだから、わかってわざとやっているに違いない。日本国民は衆愚でないからこのスローガンには聞く耳を持たないだろう。かえって、民主党の野党安住路線に二大政党制の危機をみてしまう。

7/03/2015

ギリシャ破綻は貸し手と借り手の問題につきる

 ギリシャ政府がユーロ圏諸国からの借金を返せなくてどうなるか、と世界中が大騒ぎだ。
 しかし、借金だから国際間とはいってもこれは単なる金融の問題ではないのか。返さないギリシャの責任はもちろんあるが、貸すほうだって貸し手責任というか貸すに際しての覚悟があったはずだ。金銭の貸借には100%の信頼度というのはない。今回は踏み倒され(そうになっ)ただけのことだ。
 銀行が倒産するのは市民生活に多大な影響を与えるから、金融当局は緊急融資など支援すべきだが、ギリシャの銀行はギリシャ政府の監督下にある。だから、ギリシャ政府にその支援能力がなくなれば、ギリシャ国民はそのようになった政府を選んだ責任から、結果は甘受しなければならない。EU諸国(IMFも)からギリシャ政府に公的支援がなされそれも返済の見通しがない。これは支援したほうの公的決断の責任で、各々の政府が国民に責任を負う問題だ。
 いずれにせよ極東の日本とは関係ない。世界経済がこの始末の過程でうまくいかなくなる影響を受けるのは仕方ない。

6/29/2015

言論の自由を制約する言論も「命をかけて守る」べき

 シャルリエブド社へのテロ行為を非難するデモは、ヴォルテールの名言「私はあなたの意見には反対だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」に照らして、同社の風刺画に賛成できなくても言論表現の自由は守る、という決意の表れだった。
 今回の自民党若手の言論・報道の自由を制約する発言もこの「賛成できない言論だが」のはずだ。制約の仕方が、戦前の治安維持法あるいはイスラムテロ組織の暴力など強制力に基づくものでない限り、すべて「守るべき言論」でないだろうか。

6/28/2015

百田氏と自民党若手の言論は盗み聞きされたもの

 言論の自由には責任も伴う。ただしそれは公言された場合だ。電話とか内々の話での「言論」はプライベートなものだから、それを盗聴なり、盗み聞きして、「責任を問う」ことにはならない。
 日本の家屋構造では隣の部屋の会話が筒抜けになることがある。でも、ふすま一つ閉めれば「聞こえていない」とするのが日本の文化だ。
 自民党の会議室のガラスに耳を押しつけて会話を盗み聞きするのでは、まずは日本人であることを疑われるだろう。

6/27/2015

言論の府の議員は議論をすればよい

 自民党の若手議員による文化芸術懇話会で一民間人の百田尚樹氏が極論を言ったからとして新聞社の組織である沖縄二紙が「抗議する」というのは馬鹿げたことだ。紙面で反論すべきだし、その手段を自ら持っている。
 その懇話会の場で、国会議員が極論を言ったから、国会の委員会の場で政府の責任問題にするのもおかしいのではないか?極端に言って、民主主義を否定する意見も民主主義下の言論の自由だ。問題にするなら、当の若手議員と議論したらどうか?それが言論の府に属するもののやりかただ。

6/21/2015

憲法よりまずは法案が必要かどうかだ

 立憲主義とは政府の統治を憲法に基づき行う原理だが、立法府のほうでは少し違う。
 憲法改定の場合、それを発議するのは国会(憲法96条)で、国会にしかできない。だから、改憲の必要性が生じたとき、それを議論できないようでは立法府の意味がない。
 そこで、今回の安保関連法案だが、憲法違反だから法案は認められない、というのは国権の最高機関の国会の議論ではない。法案が国民のために必要なら、憲法を変え(る発議をし、そのあとの国民投票に委ね)てまで成立させようというのが正しい。

6/17/2015

イラク軍は同一宗派と戦って強くなるはずがない

 米軍に教育訓練を受けてもイラク正規軍は弱い。米軍から支給の武器を捨てて敗走する。それらを使って敵のISは強くなった。世界一の武器だから。
 イラク正規軍の兵士は内心は、同じスンニ派同士が戦っているから、敵という気持ちがもてないのだろう。ISへの好敵はクルド兵だ。クルド人はイラク内に事実上の独立国を持っている。民族と国が一致すれば祖国防衛戦になるから強兵となる。

6/14/2015

憲法改正が遠くなる

 安倍自民党の党是は憲法改正だったはずだ。いま、九条二項の解釈(拡大?)で、集団自衛権の一部まで可能にしようとしている。その安保法制が成立すれば、当面、憲法改正を急ぐ誘因はなくなってしまう。
 解釈に解釈を重ねた憲法を続けてよいのだろうか?

6/13/2015

安保法制議論、まずは、必要性から

 安保法制の議論でわかりづらくなっているのは二つの論点がごちゃ混ぜになっているからだ。
 一つは本質的な、自衛隊の活動を集団的自衛権の一部にまで拡げることの可否(AとB)、もう一つは法律技術的な、集団的自衛権の一部は現憲法の解釈でできるか(a)、改憲しないとできないか(b)、だ。
 Aの論者にはAaとAbがいる。Bの反対陣営はAbまで自陣に巻き込んでいる。まずは、AかBで議論し、もし、集団的自衛権の一部にまで踏み込む必要があるという結論に至ったら、そのあとの解釈aか改憲bかは枝葉末節に過ぎないのではないか。

6/10/2015

うそつき東京五輪招致活動

 2020年東京オリンピックの招致に成功したのは「コンパクト」と「新国立競技場」の売りではなかったのか。
 招致後、8kmに8割どころか、開催都市・東京都以外にも競技施設が広がった。新国立競技場の斬新なデザインも大幅に変えられ(縮小され)ようとしている。詳細を検討時に改善を加えるのは悪いことではない。しかし、招致したときに結果的に嘘をついたことにならないか?

5/23/2015

大阪市で否決された特別区設置を名古屋市等はどうする?

 大阪都構想が住民投票で否決され、結果として、政令市の矛盾が残ったままとなっている。これをどう解決するかはこれからの大阪市民の決断にかかっている。地方自治の問題なので、全国ほかの地域あるいは国レベルでは見守るしかないのだろう。良くなるのも悪いままなのもすべてそこの自治体だけの問題だ。
 政令市は名古屋市ほか大阪市を含め20ある。それぞれが今後考えて行く問題だろう。国の法律・大都市地域における特別区の設置に関する法律が特別区の設置を認めているので、これら19の政令市の住民の意思が問われている。都市は一般に企業体になぞられ、都市間競争の時代で、魅力ある都市が他の都市を凌駕することになる。

5/21/2015

安全保障法制がわかりづらい理由

 集団的自衛権の解釈変更に伴うなどの安全保障法制の国会議論が始まった。
 法律内容を見てわかりづらいのは素人にだけではなさそうだ。原因は、自衛隊ができること、ポジティプリスト、を延々と列挙するからだ。実際の戦闘では何が起きるかわからない。そのときそのリストに載っていないから対応しない、ということは軍隊ではありえない。
 論理学的に言えば、禁止事項、ネガティブリスト、を議論するほうがずっとすっきりする。軍隊は戦場で、何でもやらなければ、勝利につながらない。負けるくらいなら最初からやらないことだ。その場合、禁止事項をあらかじめ決めておかないと「文明に基づいた戦い」にならないからだ。

5/20/2015

欧州の悲惨史からみた東アジアの捏造

 バルト三国とポーランドに行ってきた。
 三国は北からエストニア、ラトビア、リトアニアだ。三国ともに旧ソ連の構成(を強制された)共和国だった。ポーランドはその首都ワルシャワの名を冠したワルシャワ条約(東側陣営)機構国だった。いまではこの四カ国は「反ソ反露」だろう。かつての敵であったNATOに加盟するまでになった。
 旅のテーマはソ連あるいはナチスドイツから受けた被害の大きさとユダヤ人などへの迫害の歴史だった。前者について言えば、凶暴な軍事大国に挟まれた小国の悲哀、後者は民族差別の圧倒的な悲惨さだろう。
 東アジアの中韓が言うのはほとんど捏造史だが、あったとしても欧州のそれに比べると量的にも無視できるほどだ。

5/09/2015

ドイツ国民がナチスを作った(再)

 5/8はヒトラーナチス政権の敗戦記念日だが、メルケル首相は「敗戦」の言葉は使わず、ナチスからドイツ国民が解放(訣別?)された日だとしている。日本人が8/15を終戦記念日としているのと似ているようで似ていない。
 「ヒトラーを支持したドイツ国民」によるとヒトラーはドイツ国民の広範な支持があって「独裁」を始め続けることができた。ヒトラーとか秘密警察のゲシュタポが国民の密告ブームに辟易していた、と書いてある。
 中国の一党独裁者・習主席も中国国民の人気取り政策に腐心している。
 メルケル首相のナチス訣別論はドイツ国民の免罪符を求めているだけだろう。

5/07/2015

危険回避に完璧を求めるのが風評の実態

 箱根山に火口周辺警報がでて、観光客が激減する風評になっていると、関係者が訴えている。 噴火警戒レベル2だから、大涌谷周辺だけ立ち入り禁止でよいはずだが、箱根全山への観光客が減っている。
 楽しいはずの観光旅行だから、少しでも危険を感じるのであれば、行くのすらやめよう、ということになるのが日本人だ。原発事故でもそうだった。福島産の農水産物はどんなに放射能レベルが下がっても食べない。ほかの県産のもので代替できる。

5/04/2015

護憲というより蔑憲(ないがしろにする)

 日本人は成文憲法というものに慣れていない。英国には成文憲法はない。両国とも歴史ある国だからなのか、日本に憲法を押しつけた米国のような歴史の浅さはない。
 でも、英国と違い、そもそもは法典というものに重きを置いてなく、社会の空気のようなものが規範となってきた。憲法九条第二項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と陸海空自衛隊の存在は明らかに矛盾する。法治ということからは、自衛隊を否定するか、この項を少なくとも改正するべきだろう。
 このように無理な解釈を重ねて、条文をないがしろにできるのなら、これからも憲法を守ると称して実際は現実にあわせて規範は変えていくことができるだろう。護憲というより蔑憲(憲法を蔑ろにする)とでも言えようか。

5/01/2015

ナチスのホロコーストとは違う日本軍

 「ヒトラーを支持したドイツ国民」によると、ナチスのホロコースト的な虐殺被害はユダヤ人ばかりでなくポーランド人、ロマ(ジプシー)にも見られた。また、ナチスドイツ軍への捕虜あるいは占領地国民も虐待(虐殺される場合も)を受けていた。
 日本軍が比バターン半島から米軍捕虜に死の行進をさせ、結果的に一部死者を出したのは、以上のナチスの残虐性と変わらない、と断罪するのは、ナチスへのニュルンベルグ裁判の類推に過ぎない。
 それほど残虐でなかった(全面戦争だから少々の残虐性は免れない)証拠に、当事者のマッカーサーが戦後になって日本の戦争立場について擁護することを言っていることからわかる。

4/29/2015

70年前もの戦勝を祝賀するのは現在の利益から

 5/8は70年前、連合国がドイツを降伏させた「ヨーロッパ(対独)戦勝記念日」だ。日本が太平洋戦争で敗北したのは、70年前の9/2。戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印の日に当たる。
 今年はロシアが対独戦勝記念(翌5/9)を、中国が対ファシズム戦勝記念(翌9/3)を企画・予定している。戦勝各国がその記念を祝うのは自由だが(中華人民共和国は戦勝国ではない)、70年前と言えば大昔だ。70年も経ってことさらに戦勝を回顧・祝賀するのは、現在的利益があってのことだろう。

4/26/2015

安倍・習会談のソファの座面が高かった理由

 安倍首相と習主席の二回目の会談で、主席の表情が一回目の仏頂面から少し改まったとの日本人の安堵感がでている。
 とんでもない。大国(だった)中国の権力者は周辺国に対して「位負けさせる」外交を常とする。安倍氏以前の日本のトップは日中友好の位負け外交に終始していた。安倍氏になってそうではなくなったため、中国側は戻そうとしてことさらに仕掛けてきているのだ。
 今回、安倍首相が座ったソファのクッションが厚すぎて足が床に届かなかった。小中華を自称する朝鮮でも小泉首相(当時)が金正日に会ったとき対面するテーブルが高すぎて、肘をつけることができなかった。いずれも、日本側が「小人」であることを密かに揶揄する目的だろう。

4/24/2015

「ヒトラーを支持したドイツ国民」

 連合国はナチスの罪とドイツ国民とを分離した。中国(中華民国)も日本の軍部指導層と日本国民とは戦争責任において別だとしている(だから、戦犯合祀を非難している)。
 タイトルの書物はそのタイトル通り、ドイツ国民がヒトラーの非人道政策を導き出した実例を多数解説している。
 ドイツ第三帝国ではユダヤ人を隔離・抹殺する計画をたてたが、それにはドイツ国民の密告に頼ることになった。今も昔も警察は主として密告に頼って活動する。ところが、国民からの密告が相次ぎ、その中には信憑性に欠ける私怨・私利に基づくものが多かったところから、さすがのヒトラーもそれらの多くを信用しなかったと言われる。つまり、ナチスの民族浄化政策もドイツ国民の要請によるものだった、ということだ。
 同時代、フランス、イギリス、さらにはイタリアにさえもそのような国民性はなかった、としている。

4/22/2015

すまじきもの、韓国大統領

 すまじきものは韓国大統領だ。現大統領の朴槿恵氏は良識ある政治家かもしれないが、韓国の政治、社会の混乱のなか残任期で取り得ることはごく限られてきた。彼女が腐敗撲滅の追求対象としたのは李明博前大統領だ。過去には大統領を退任してから死刑宣告を受けた人物もいる。自分が退任後そうならないために必死なのだろう、朴槿恵氏も。
 「日本人に生まれて、まあよかった」ではないが「韓国人に生まれなくて、まあよかった」ではないか、日本人から見たら。

4/21/2015

一帯一路は世界的な景気対策事業だ

 中国習主席の提唱する一帯一路とは現代版のシルクロード(一帯)と海のシルクロード(一路)を意味するらしい。しかし、必要ないのではないか?
 陸のシルクロードはシベリア鉄道がある。東アジアと欧州をつなぐのなら、比較的短距離になる北側ルートの同鉄道が有利だ。運行管理が非効率なので改善を要する。
 海のシルクロードはマラッカ、スエズ経由ですでに整備されている。マラッカ海峡に海賊などの難点があるなら少し遠回りのロンボク海峡経由もある。さらには、地球温暖化の副産物として最短となる北極海航路が開発されつつある。
 中国はリーマンショック後の世界的経済落ち込みに莫大な公共投資を実施してきた。その実施体制遺産、勢いを一帯一路へ再活用したいのだろう。無駄なもので景気浮揚を図ろうとしているのだろう。

4/20/2015

サバイバルできたものだけ難民受け入れ、という非人道

 アフリカ各国とシリアからの難民がリビアに集まり、そこから小船で地中海を渡り、イタリアに押しかけている。悪質な渡航仲介業者が介在するので、老朽満載の船は途中で転覆することが多く、生き延びた人が無事イタリアに上陸できる。
 イタリア(そしてEU)はサバイバルできたものだけを受け入れる方針なのだろうか?受け入れを拒否したいのだが、入ってきたものは仕方なく許可する。その結果、多くが命の危険に侵される。
 難民受け入れを拒否するか、受け入れるなら、リビア沖合にでも派遣する大型船に乗り換えてもらったらどうか?

権力の圧力で筆を曲げない

 NHKとテレビ朝日の両TV局の役員が自民党に呼ばれ不祥事の事情説明を求められた。自民党がなんのためにこのようなことをしたのか不思議だが、両TV局にとってこのことはかえって勲章になるだろう。事情は説明しても、社員の記者に悪い指導をしなければそれでよい。記者も自民党からの間接的な圧力は感じないだろう。そんなことで筆を曲げることはありえない。
 韓国政府から告発された産経新聞元支局長も、帰国できないなどの不利益は被ったが、それら圧力にもかかわらず、従来からの対韓国報道姿勢を変えなければ、これもむしろ勲章だ。

4/14/2015

AIIBへの台湾加盟拒否は一国二制度に反する

 AIIBが加盟申請「地域」のチャイニーズ・タイペイ(中華台北)の創設メンバー入りを拒否した。一方のADBは67加盟国・地域のなかに台湾も入っている。
 香港はいまでは中国の一部なので「地域」扱いだが、ADB、AIIB双方に加盟している。AIIBで中国が香港を地域として加盟を許しているのは一国二制度を堅持しているためだろう。同制度は台湾向けにアピールし、将来の台湾の中国への統合のハードルを下げることにある。だったら、地域として申請している台湾を拒否するのは矛盾している。台湾の地位を低めるため創設メンバーから外すというのでは、経済の世界に政治を持ち込む、という危惧が本当になった。

4/12/2015

AIIBはADBとの競争に耐えなければならない

 アジアの開発融資に対しふたつの国際金融機関が並び立つことになる。既存のADB(アジア開発銀行)と予定されているAIIB(アジアインフラ投資銀行)だ。
 ふたつあったほうがよいのではないか?何よりも競争環境ができ、きめ細かな融資ができるようになるだろう。日本は総裁を出すなど、中核的な国となっているADBのほうで競争すべきだ。中国主導のAIIBに疑念をもつ考えが多いが、案ずるより産むが易しだ。発足後、運営が悪ければ、開発債券が売れなくなる(そのまえに金利が高くなる)し、融資条件が厳しければ、借り手国が少なくなる(貸出金利が低くなる)。

4/06/2015

テレビは新聞雑誌の活字媒体と違う

 テレビのニュースなり近頃のニュースショウ(ワイドショウ)を見て考えるに、新聞雑誌の活字媒体と決定的に違うことがある。後者は読者が(好みとか思想信条により読むかどうかを)部分的に取捨選択できるのに対し、テレビ(ラジオも)録音録画状態でない限り、否応なしに聞かされることになる。
 局側にしてみれば、取捨選択されるより全体を捨てられる(スイッチオフ)こともありうるから、極端に偏った言説は最初から自主的に排除するしかない。その一部だけで視聴率が稼げないのであれば、CMに頼る放送が続かない。

4/05/2015

テレビは公共電波からの制限がある

 反体制のテレビ朝日がそのニュースステーション番組から反アベの古賀茂明氏を追放したのには訳がある。それは、公共の電波免許を受ける放送局の制限だ。電波は有限で、だからこそ公共のものだと言える。何紙でも自由に発行できる新聞とはそこが違う。CATVとかインターネット放送とも違う。
 テレビ朝日ほかの民放局はそこがわかっているから、自主的に放送内容が偏りすぎないようにしているのだろう。NHKともなれば聴視料を国民から徴収しているのでなおさらだ。
 古賀氏ほかは自由に意見を言いたいのなら、活字媒体で、あるいはインターネット上で活動されたらどうか?

4/03/2015

電波芸者、古賀茂明氏の失敗

 テレビ朝日とその報道ステーション出演ゲストコメンテーターの古賀茂明氏とのトラブルには「電波芸者」の問題点が凝縮されている。
 古賀氏は元官僚で産業政策の専門家だ。コメントがその範囲にとどまっていれば聞くに堪えたが、テレビのコメンテーターはそれ以外にもコメントを求められる。そうなると、電波芸者としての振り付けが局側から求められる。あらかじめのシナリオ通りに発言する、と。しかし、古賀氏はそこにとどまらず、「I AM NOT ABE」にまでエスカレートした。知らないことで失敗したのだ。

3/28/2015

AIIBの貸し手国は中国だけでよい

 AIIB(アジアインフラ投資銀行)が中国の主導のもと立ち上がりつつある。参加国のメリットだが、借り手国はADB(アジア開発銀行)以外にも融資を受ける多様性が出てくるので、まずは参加する意義がある。個々の融資条件が自国のメリットにならないときは断ればよい。
 貸し手国のメリットは何だろう?欧州先進国は米国主導のIMF、ADBを牽制する意味がある。日本はADBの融資方針をもっとアジア開発国向けに改善するだけでよい。ふたつも銀行は必要ないからだ。
 中国は有り余る外貨(米ドル)を米国の財務省証券(国債)に塩漬けさせる愚を避ける意味がある。だから貸し手国は中国だけでよいのではないか?あとはAIIBと既存のADBとの競争になる。

3/24/2015

公有水面埋立法は都道府県の法定受託業務

 米海兵隊辺野古への移転に際し、沖縄県が免許した公有水面埋立法の処分の解釈が議論となっている。
 それは前知事の処分内容に埋立許可区域外のアンカー設置が含まれているかどうか?というものだ。新知事は辺野古基地自体の工事を止めさせる政治目的を持って、埋立法の処分内容で争いをかけようとしている。
 そもそも公有水面埋立法は国土交通省所管の国法だ。地方分権一括法では従来の機関委任事務は廃止されたが、この法律の処分権限は一括法でも法定受託事務となっている。したがって、疑義が生じた場合は法律を所管する国土交通省の有権解釈に任される。裁判になる前には、行政組織内でそのような手続きとなる。
 免許を受けた区域の埋立工事に必要な、区域外の行為については、工事の付随事項として、当然、免許に含まれると解釈できるのではないか?

3/18/2015

川内原発再稼働反対なら選挙だ

 関電の美浜と日本原電の敦賀が一部の号機で廃炉を決定した。一方で原子力規制委員会の安全審査が進んだ九電川内原発の再稼働があと二ヶ月以上かかるまでの段階に来た。いままでの長期の審査期間を省みるともう二ヶ月ということになる。
 原発すべての再稼働に反対の人たちはデモをするだけでなく、もう少し実効的な手段を講じたらどうか?安倍内閣発足からもう二回も選挙の洗礼を受けている。「安全性が確認されたら再稼働する」と公約した上で政権を維持してきた。だから、反対なら、選挙で安倍内閣与党を少数に追い込めばよいし、それしか方法はない。
 維新の党の江田代表は世論調査の国民の声を尊重せよと言うが、同調査に「原発再稼働反対」と答えるだけでは無意味だ。

3/17/2015

バヌアツの高潮はハリケーンが近くを通ったことによる

 3/13から14にかけてバヌアツ共和国(諸島)をおそったカテゴリー5の超巨大ハリケーン「パム」は75m/sの強風などで主として風害をもたらした。一部で高潮被害も見られた。これは、パムがすぐ東を通過したために、強風の吹き寄せと低気圧効果で海水面が高くなった(これが高潮)ためと思われる。地球温暖化で海水面上昇が危惧されているが、それよりも、もともと珊瑚礁の島では高所が無く、高潮の被害が全島規模になったことの被害だろう。
 海水面上昇は主として南極とグリーンランドの陸氷が溶けることが原因となるが、いままでのところ海水面が高潮災害に脆弱になるほど上昇(数十センチ)したという観測結果はない。

3/13/2015

TV中継画面でぼかしが入る理由

 TVの中継画面には報道対象以外の人物、看板等が写ってしまうことがある。そのため、それらの録画放送の場合、ぼかしを入れる場合がある。それらの関係者からプライバシー上の抗議が来る、あるいは、商品看板、政治看板の場合、対立者から抗議が来る。
 TV局は臆病になりすぎではないか?問題化したときの訴訟を恐れているのではないか?

3/12/2015

ティクリートとモスルの間は撤退行軍できない

 イラク政府軍がイランの助力を得て北部ティクリート奪還にISILと戦っている。その後、北部最大都市のモスルでの戦いとなる。ISILは都市の点を押さえているに過ぎない。線の都市間道路とか面の砂漠の支配は無意味だし空爆の好対象だ。
 ティクリートをISILは放棄し撤退する意向だと言うが、モスルに撤退するには途中での行軍が空爆にさらされる。点だけを押さえる砂漠の国の攻防はあっけなく終わるだろう。

3/10/2015

襲撃されたのが日本大使だったらどうだったか?

 リッパート駐韓米大使の治癒を韓国国内では官民挙げて願っている。
 明治時代の日本で、ロシアのニコライ皇太子が巡査に襲われたときも、国民あげての快癒を願った。もちろん、帝国主義時代のロシアの報復を恐れてのことだ。韓国も米国に安全保障を依存しているので、米韓離反を心配してのことだろう。
 明治の日本では犯人巡査の死刑を求める声が大きかったが、司法の独立が公正な裁判の結果を生み、無期懲役の適正な判決となった。韓国の場合は現代といえども司法の完全な独立があるのかどうか、疑われるような事例が続出している。対外国事件の場合、関係する国毎に司法判断が異なっているように見えるのである。

3/08/2015

神戸とは違う東北三県被害農水産地域の復旧のありよう

 東日本大震災からの復旧・復興が四年近く経ったにもかかわらず遅れている。阪神淡路大震災のときは神戸市は三年で見事に復旧した。
 四年前の被災地は東北三県の海岸部に偏在している。地震被害ではなく、そのあとの津波による被害が大部分だからだ。これらの地域では水産業、農業が主要産業だ。もともと、これら産業の不振が続き、地域が衰退しつつあったさなかの災害だった。被災を機にもとに復旧しないでいっそ他地域へ移転しようという動きが底層であるのかもしれない。
 単純に復旧する、ということではなく、そういった将来を踏まえた地域づくりに転換すべきだ。この点にコンセンサスがないから、「遅れている」という表面的な見方になっているのではないか?

3/07/2015

愛国無罪の社会が米大使襲撃の土壌になっている

 米国のリッパート駐韓大使が左翼の暴漢に襲撃された。こうなったのも、韓国でも「愛国無罪」の風潮が法治国家を蝕んでいたからだろう。反日なら伊藤博文暗殺者はテロリストではなく民族英雄になる。ソウルの日本国大使館の前の不法行為はすべて見逃される。そのあげくが、米国大使を殺めようとしても動機が正しければよい、という社会風潮につながる。

3/04/2015

「力に力」「話してもわからない」が日本以外

 「力には力を、は対立の無限連鎖を招く」「話せばわかる」のような意見を持つ日本人が多い。
 でも、話してもわからない勢力は世界には多い。(自称)イスラム国とか北朝鮮だ。前者は力に話を持っていった日本人ふたりを力で拒否したし、後者は話し合いに応じているふりをしているだけだ。
 上記意見は日本人同士だけに通じるものだ。

3/03/2015

「性質上利益を伴わない」補助金はない

 政治資金規正法では国からの補助金を受けている法人からの献金を制限している。補助金の例外として「試験研究、調査又は 災害復旧に係るものその他性質上利益を伴わないもの」をあげている。
 この場合の利益とは何であろう?補助金すべてに不当な利益は随伴していない。正当な利益、それは、補助対象となる業務に必要な法人の利潤などであろう。災害復旧の仕事でも通常の仕事と変わりなく補助申請時に積算される。試験研究でも調査でも同じだ。直接必要な費用だけで、その法人に業務を依頼することはできない。

3/02/2015

二八対策の春節旅行

 今年は2/19になる春節の一週間の休みは終わったようだ。華人(中国、台湾、シンガポール)と韓国、ベトナム、モンゴルではこの旧暦の正月を祝う。正月は長期休暇を利用しての帰省あるいは海外旅行のチャンスだ。新暦の正月には日本人などの旅行客が世界中を席巻する。混雑するし費用も割高となる。
 世界最大の旅行客を抱える、この華人を中心とする部分が「ずらして休暇」をとってくれれば旅行業界にとって平準化の利益が転がり込む。まして、二八という日本国内での接客業不況月の二月を少しでも潤してくれる。

3/01/2015

前農水相でなく農水相(当時)が正しい

 「国からの補助金交付が決まった企業からの寄付が問題とされ、西川前農水相が辞職したばかり。」との記事がみつかった。ほかにもこのような書き方が多いと思われるが、辞職したとき西川氏は農水相だ。前農水相はその職が農水相ではない。
 もし、いまは「前」なのでそう書きたいのなら、西川農水相(当時)、だろう。

2/28/2015

政治資金は公的に全議員監査を受ける制度を

 昨日の予算委ではある野党議員が持ち時間70分すべてを使って献金疑惑の大臣を追求したそうだ。貴重な予算に対する質問機会を逸した。きっと、予算の内容では質問することがなかったのだろう。
 こんなことに予算委の議論を費やすのはばかげている。全国会議員の政治資金報告書を毎年監査機関にチェックさせたらどうか?問題があるのはすべてミスからだろう。故意に隠して報告している議員はいない。

2/25/2015

問題大臣追求は予算委以外で

 国会の予算委員会で政治とカネの問題など大臣の適格性について追求がなされている。予算委員会で追及すれば予算を質にとれる、との作戦だろうが、予算委員会は予算の審議のためにある。予算の成立にこのような予算以外の問題で遅れが生ずるのはおかしい。
 予算委員会でなく、大臣の資質に関する党首討論会を開催したらどうか?任命責任は首相にあるので、ちょうどよい。

2/24/2015

原発使用済み燃料は敷地内プールで仮保管を

 原発はその使用済み燃料の再処理から始まる核燃料サイクルの技術が確立していない。だからといって、原発はやめてしまえ、という意見が出てくるのはおかしい。
 いま、日本に使用済み燃料で仮保管されているものは1万7千トンあるという。これが六ヶ所村と各原発の燃料プールにある。2万トンとしてもよいが、比重が20として1,000m3にしかならない。ぎっちり詰めたとして1ヘクタールの土地に10cmだ。
 再処理技術が未確立ならいずれ確立されるまでの間、各原発敷地内で仮保管したらどうか?東電福島第一原発敷地を見ると、汚染水タンクを並べているように広大な土地がある。そこに使用済み燃料を沈めておく広大なプールを作るのだ。原発の格納容器の上方にあるプールは地震などの災害時に倒壊の危険がある。大地上に確固としたプールを設けるのである。
 地中処分あるいは保管の方法より地上のプールで十分監視が可能な保管のほうが安心できる。

2/18/2015

戦後70年談話も集団的自衛権解釈変更も内閣の仕事

 安倍内閣の戦後70年談話の内容に野党(公明党も)が口出しをしている。
 野党も与党も国会議員だったら、戦後70年国会決議を出したらよい。同様に、昨年の集団的自衛権解釈変更の閣議決定の時もそうだ。国会に法案が提出されたら議論すればよい。これからそうなる。

2/15/2015

アパルトヘイトが終わったあとの人種住み分けだ

 曾野綾子氏が産経新聞コラムにアパルトヘイトの復活をと書いたと誤解されている。曾野氏は「人種隔離政策が終わったあとも南ア国では人種毎に住み分けている」との趣旨で書いている。
 「(自主的な)人種毎の住み分け」の文句をみて、パブロフの犬のごとく条件反射したに過ぎない。
 欧州ではホロコーストを弁護する言論は(言論の自由にもかかわらず)禁止されている。このことの是非はともかく、「ホロコーストがなかった、という主張もある」と伝聞を書いただけで非難されることに似ている。

2/14/2015

危険国に入国するのを阻止できない

 旅券法の規定では所持者の生命の危険があるときなどは返納させることができるらしい。新潟のフリーカメラマンの場合は、シリアに入国するとマスコミに明らかにしていた。黙って、トルコなりに行って、そこからシリアに入国すれば目的は達せられたはずだから、社会的に問題化するのが目的だったのだろう。移動の自由などを阻害すると憲法問題を持ち出したマスコミがおかしい。
 強固な意志で(自己責任でもって・・・当たり前だが)シリアに邦人が入国するのを政府は防止できない。米国のように、人質となったあとの対応を、原則化すればよいだけではないか?外務省には在外邦人を保護する役目がある。

2/11/2015

アサド政権側から見ると「イスラム国」は延命して欲しい

 シリアのアサド政権に対抗する勢力が自由シリア軍などと(自称)イスラム国に別れていることで最大の受益者はアサド政権だ。三つ巴だから、三国志なみに膠着状態になってくれれば、アサド政権は生き延びることができる。もし、アサド政権なりが「イスラム国」を滅ぼすことになれば、残る自由シリア軍に反政府勢力が一本化し、アサド政権も危なくなる。アサド側からはそう見えてくる。
 だから、「イスラム国」を小さく延命させるのがベストなのだろう。「イスラム国」が滅びない理由の一つだ。石油を密輸入しているのはアサド政府かもしれない。

「I am Kenji」への違和感

 フランスのシャルル・エブド社へのテロに対し、「Je suis Chrlie」の標語を掲げて大規模なデモ行進が行われた。その連想からか今回の後藤さんへのテロに対しても「I am Kenji」の標語で世界中連帯の動きとなった。
 でも、後藤さんのケースは前者とは違うような気がする。エブド社の風刺には必ずしも賛同できない、という人が多数だろう。それでもテロには反対、ということで、前者の標語となったものと思われる。戦場カメラマンの行動に異議を唱える人はいないと思う。

2/06/2015

文民統制の文民は内閣のことだ(議会ではない)

 今回の人質事件を教訓に自衛隊の邦人救出体制など整備するという(もっとも今回は自衛隊が出る幕ではないと思うが)。その場合、いつも問題となるのがシビリアンコントロール(文民統制)だ。国会開会中は速やかに派遣決議をすると。
 文民統制は中国の宋代にその必要性が出てきたものだ。皇帝の軍隊が反逆したら、防ぐ勢力はなく、クーデターが成功してしまう。そこで宋の皇帝は科挙で選ばれた文民が軍隊を統制する仕組みとした。
 内閣は文民だ。内閣が法律に基づき自衛隊を指揮するのは問題ない。立法府はその法律を作るのが役割だ。ローマ時代の皇帝をチェックする元老院とは違い、日本は議院内閣制だ。内閣の決断とその与党が多数を占める議会の判断が違うはずはない。

2/05/2015

政府に無関係の日本人人質に身代金を払う理屈がない

 湯川さん後藤さんを人質として身代金をISは当初は家族に秘密に要求していたという。20億円とかいう高額だから、払えるはずはない。だから、その減額交渉になるのではなく(していたかもしれないが)、代わりに日本国政府に240億円を要求するのは「筋違い」ではないか?所属して派遣命令されていた会社団体などに要求するのならせめて理解ができる。
 日本国政府が払うのは国家公務員たる外交官などが人質となった場合だ。

2/03/2015

かねてよりの主張を強化しているに過ぎない

 日本は外圧で動く国であることは書いたことがある。
 今回のISILの人質脅迫事件でも、この脅迫声明に便乗して、「安倍首相の中東外交が原因で犯人側を刺激した」との「外圧頼みの内政」を繰り返した。
 「かねてよりの主張」の強化に事件、世界の出来事を利用している。

2/01/2015

米軍の空爆でも市民が巻き添えになる、という心情

 「イスラム国」が国になりたいのなら、その必要条件をクリアしなければならない。国は交戦権はあるが、戦争規定は守らなければならない。非戦闘員を殺害しない、捕虜は虐待しない、とかだ。
 やっていることがテロだから、以上のことはすべて無視している。
 米軍などの空爆では一発ごとに数十人、その中には巻き添えになる住民も、死ぬことから、敵対国なら無辜の人も殺してよい、と対抗上そういう心理になっているのだろう。

日本人を人質に取った目的は恐怖心植え付け

後藤健二さんは最後まで生かされるだろう」とはならなかった。

 日本には身代金以外にはテロリストとの交換材料がないからだ。ヨルダンには件の自爆犯とか「イスラム国」の囚人も多数居るらしい。人質のパイロットの生命を奪った(かどうか)と伝えないのは、これらの取引材料があるからだ。
 日本(人)に最後にユーチューブで脅したのが、唯一最大の目的ではなかったのか?

1/31/2015

「イスラム国」の命運を握るトルコ

 「イスラム国」は「国」外との交易で成り立っている。外からは軍事物資、戦闘員、内からは石油の密売。これらのほとんどすべてがトルコ国境越しに行われているようだ。現にトルコのシリア国境には「イスラム国」の検問所がある。
 トルコがこの国境を厳密に管理しないのは、国内にも敵対的勢力として居るクルド人勢力が、シリア内でも「イスラム国」と戦っているからだろう。クルド人が勝ってもトルコには不利な状況になる。
 トルコへの対策が米欧は足りないのではないか?それともできない理由があるのか?

1/25/2015

後藤健二さんは最後まで生かされるだろう

 日本政府が人質犯の要求に屈しないせいか、犯人は人質の一人の湯川さんを殺して、もう一人の後藤さんがそれを伝えるビデオをアップした。脅迫をエスカレートする最大の局面だ。
 殺されたどうかの真偽は定かではない。しかし、後藤さんの命はそんなに簡単には奪わないだろう。人質は一人でもふたりでもたいした違いはない。しかし、最後の一人を殺したらそれで人質脅迫は終わりになる。冷静な犯行グループはそのことはわかっているだろう。

1/24/2015

被害者と無関係の日本人までもが人質犯にひれ伏す

 ストックホルム症候群とは人質被害者が犯人に対して、感謝の念を抱くようにまでなる現象だという。
 今回のイスラム国人質犯に対し、被害者ではない一部の日本国民までがこの症候群にかかったみたいだ。犯人に迎合すれば助かる、その一念で、テロ組織を刺激すべきでない(徳永議員)、2億ドル支援を撤回せよ(山本太郎議員)、果ては、後藤被害者のご母堂までが「日本は原爆の被害国」とまで言い始めた。これらは犯人の主敵である米国とは日本は一線を画しているから許して欲しい、と言っていることになるのだろう。
 安倍内閣までが、2億ドルはあくまで難民支援金とPRに余念がない。でも、日本はイスラム国の壊滅に賛成なのだろう。

1/23/2015

徳永エリ議員は日本の弱い部分

 民主党の徳永エリ参院議員FBより「いくら人道支援とはいえ、資金援助を大々的に記者会見でアピールする、テロ組織を刺激したことは否めないと私は思います」
 イスラム国のような「立派な」組織が安倍首相ごときに刺激されて、どこかの立てこもり犯のように、感情的に反応するということはないと思う。むしろ、書き込みをした日本の徳永議員のような弱い部分を狙った冷酷な対応をする組織だろう。その思うつぼにはまったFBの書き込みだったのだろう。

1/22/2015

EV,FCVはエコでない

 EV(充電池自動車),FCV(燃料電池自動車)は走行中に排ガスを出さないという大気汚染ゼロという意味ではエコ(環境汚染に直接結びつかない)だ。ところが前者は従来の発電による電気を使うので、発電所でエコでない。後者の燃料である水素は、化石燃料などの従来燃料(バイオアルコールも)から生産、あるいは電気分解によるので、その電気がエコでない。
 最終的には、電力の質が問題とされる太陽光あるいは風力の発電現場で水を電気分解し水素の形にして貯蔵、需要地に輸送するようになるのであろう。その場合でも輸送手段に難がある。

日本の難民支援のカネは軍事費に回される

 イスラム国の誘拐犯が日本の周辺国援助の目的を誤解しているのではないかと、政府は難民支援のためであるとPRに努めている。
 イスラム国はネットを駆使しているので、そのようなことはすでに知っているだろう。問題は、難民支援をすればその浮いた金額で軍事攻撃にあたる国は軍事の費用に回せる。カネは天下の回りもので、色がついていない

1/21/2015

2004年のイラク人質事件対応の再来を狙っている

 日本人ふたりを人質にとったイスラム国の脅迫声明は、日本国政府に対するもののほか日本国民に対するものもある。日本国民は政府に圧力を加えよと。
 なぜこのような手法をとるかというと、日本国政府は国民の声に弱い、と言うことを知っているからだ。民主主義国だったら当たり前かもしれないが、先進諸国ではこのような危機の時は政府を全面的に信頼して一致団結する。日本だけが、国民間で動揺が広まる。2004年のイラクでの邦人3人人質事件では犯人側の自衛隊撤退の要求をめぐって世論が割れた。

1/19/2015

70年前のことを謝罪するのはそもそも非常識

 戦後70年にあたって総理談話が予想されている。その中に先の大戦への謝罪が含まれるかどうかが話題となっている。
 謝罪すべきことがあったとしても、もう70年もたって今更謝罪も何もないだろう。謝罪する方もさせる方も非常識だ。直接の被害関係者はほとんど存命していない。もっと未来のことに関して談話として欲しい。

ユーチューブの画面をぼかしてなんになる

 十九歳「悪事」投稿犯の肝心のユーチューブ動画をTV各社はぼかして伝えている。インターネットだから原画は誰でも見ることができる。ぼかすのは真実を伝えるという報道の義務をかえって放棄しているのではないか。
 人権侵害などの提訴に対して、本能的に防衛しているに過ぎない。

1/18/2015

思うつぼ、はよくない

 十九歳のユーチューブ投稿の「犯人」が捕まった。未成年なので実名は出ない。彼の目的はたぶん「ニュースになること」だから、目的は十分達せられた。こういうのが「思うつぼ」だ。
 シャルリエブドに対するテロも恐怖でもって表現の自由を躊躇させることだ。その意味で、この低俗風刺漫画は自由の例外だと議論するようでは犯人側の「思うつぼ」になる。
 靖国参拝は日本国内でいろいろ議論があってよい。しかし、中韓から言われたから、配慮して止める、というのも両国の「思うつぼ」になる。内政干渉がある限りは意地でも参拝すべきだ。シャルリエブドが事件後も発行を続けたのと同じだ。

1/16/2015

二兎を追う者は一兎をも得ず(デフレ脱却と財政再建)

 H27年度予算政府案が決定された。総額96.3兆円が過去最大なのは問題としないが、税収増の4.5兆円のほとんどを新規国債発行の削減とするのは問題だ。
 アベノミクスはいまだデフレからの脱却を目指しているらしい。だったら、公的需要(その額の大半は歳出額)を最大限確保しなければならない。デフレを脱却したら、あとは財政再建だ。この二つを同時に追求するのは「二兎を追う者は一兎をも得ず」だ。

1/14/2015

風刺の低劣性をいま言う必要があるのか?

 言論の自由を守る、ということは、その言論の内容の如何を問わずに守る、ということだ。Charlie Hebdoの風刺漫画がどんなに低劣だとしてもそれも言論の一つとして守る、これがフランス人の共通認識なのだろう。
 日本などでは、この動きに賛同すると同時に、この風刺は内容が不適切的言論が見られる。この言論自身も守る対象だから、文句を言う筋合いではないが、あわせて言うのなら、いま言わなくてもよいのではないか?バランスをとっている(両論比較)だけかと疑われる。

1/13/2015

日韓国民感情が一致するまでは慰安婦問題は解決しない

 韓国の朴大統領は新年会見で「(慰安婦)合意案が出てきても、国民の目線に合っていなければ何の役にも立たない。」と述べた。
 吟味すると、両政府で合意案を作れないことはないが、国民が納得しなければ意味がない、ということを吐露したものだろう。韓国の国民感情が「慰安婦強制連行の虚構」に気がつけば解決する、韓国政府はわかっている、ということかもしれない。

1/12/2015

いまは「テロの矛先」を問題とすべきではない

 CHARLIE HEBDOの風刺漫画が「テロの矛先」となった。この風刺が適当かどうかを問題視するのではなく、テロのみをいまは断罪すべきなのに、日本国内の論調はこの風刺漫画の低劣性もやり玉に挙げる。これは日本人特有の「大岡裁き」からきているのだろうか。

1/11/2015

野党再編をしないと政権を取れない

 民主党の代表選挙で三候補とも野党再編には否定的だ。再編が野合となると前政権時と同じ失敗になる、と恐れているようだ。
 でも、衆議院議員の政策幅の50%以上を集めないと政権は取れない。自民党は数十年それをやってきたからこそ、政権の座につき続けている。民主党政権の失敗は、「野合」的幅の広さでなく、党内意志決定手続きの未熟ではなかったのか?自民党では総務会での全員一致(反対の議員は退席する結果)という妙手がある。

1/09/2015

「花燃ゆ」番宣のNHKを憂う

 今年の大河ドラマ「花燃ゆ」の番組宣伝(番宣)をNHKはくどいようにくりかえす。番宣だけでなく、他の番組内でも吉田松陰あるいは長州がらみの内容を設定する。視聴率が例年低迷するのを事前に察知しているかのようだ。
 民放で、有料のCMの流すものがないときにこの番宣が繰り返されることがあるが、NHKとCMは無縁だ。NHKはいつからこのように無様になったのか?

1/07/2015

首相が要請したから賃上げとはならない

 安倍首相が新年の会見で経営者各団体に「賃上げ」を要請した。
 労働者の賃金を上げる判断は団体ではなく各企業の経営者にある。彼らは労働市場の動向をみて判断するだろう。労賃ばかりでなく同じく原価を構成する資材費、外注費なども市場価格によらなければ、高い買い物となって原価の高騰を招く。経営するもののいろはだ。
 だから、労賃を上げるかどうかはとくに同業他社の様子をみて判断するだろう。一国の首相の要請とはいってもそのまま「そうですか」とはならない。

1/03/2015

マスコミが帰省ラッシュがあるはずだという「角度をつけた」

 本日からが年末年始のリターンラッシュのピークになると言う。高速道路はいつもの渋滞箇所の渋滞予測が発表になった。でも、通常の日曜日の上り渋滞と大して変わらない。年末年始は休みが多いので交通がその分、分散するし、長い休みに一日だけでもと日帰り交通も多い。なにも帰省交通だけではない。
 マスコミには「帰省交通で例年通り渋滞がある」との既成概念がある。「理由」が先で「現実」をそれにあわせようとしているのではないか。

1/02/2015

韓中と日本は違いすぎるから別の国になっている

 上海の正月惨事にすぐに習近平主席が指揮をするとか、過去の地震、大事故の時は首相が陣頭に立って対応するとか、中国は民意を大事にする、(しかし)専制政治だ。
 韓国も陣頭指揮の瞬間に大統領が不在だったことが問題視され、それを記事にした日本の記者が不法な扱いを受けている。こちらも民意(なかば)専制政治だ。
 日本であれば、まずは知事あるいは担当大臣の対応だ。首相とか天皇陛下はすぐには対応されない。
 この両国とも日本からみれば異常な隣国だが、違うからこそ国が違う、と考えれば何でもない。むしろ、似た台湾とは日本は連邦制をとって合併してもおかしくない。そうなれば、台湾州と沖縄州(九州)のどちらに尖閣諸島が入ってもたいした問題とはならない。