10/28/2012

小党乱立になったら政策連合で

維新の会が乱立している。本家本元の明治維新はまずは徳川幕府を倒すことから始まった。倒す側の官軍にも薩長の対立があったが、大同小異で始めたのだ。明治維新になってからも、旧士族側からの反乱が相次いだが、西郷隆盛の乱(西南戦争)で収まった。そのあとも自由民権運動など維新後の勢力争いは続いた。

いま、平成維新を始めようとして、この大同小異に反対したら、民主主義の議会で物事を決める過半数を制すことができない。小党乱立で何も決まらない。

石原新党党首(予定)の石原都知事の言うとおりだ。過半数を制する重要政策テーマでまとまるしかない。その他の重要だが後回しできるテーマは小異として保留するしかない。いわゆる政策連合で重要テーマ順に片づけることだ。消費増税は最重要だと思うが、もう決まったこととして反対の政治家も目をつむることはできないのか。

10/27/2012

残念ながら個人財産復旧には補助できない

復興予算が被災地の復興に役立っていない、との指摘がある。十分な予算を確保したが、被災地で認められるのは公的な性格のものだけだ。個人とか私企業の財産被害の復旧には補助されない。

それも助けてやったらどうかというが、災害は今回の東日本大震災だけではない。比較的小規模の災害でも一軒の家が全壊したとすれば、その個人にすれば、全壊であることは変わらない。大災害での被害と区別すべきではない。だから、補助するとしたら、全ての災害での損害を対象にしなければならない。そもそも補助すべきかどうかの議論もあるし、そんなことは予算の制約上不可能だ。

10/26/2012

「右傾化」という一次元かつゼロ点不動思考

石原都知事が辞職し国政新党を立ち上げる発表に日本政治の「右傾化」と論評する向きがある。

政策というのは左翼があって、中道、右翼があるという「一次元分布」になってはいない。政策論点は多いので、それぞれに違いがあれば多次元の広がりを持つ。

自分の考える思想がゼロ点で、それより左か右かというのもおかしい。石原新党が多数の支持を得ることができれば、それがゼロ点・中道になる。

10/22/2012

軍隊には慰安婦が必要、という乙女にはわからない真実

異国に展開する軍隊には(従軍する)慰安婦が不可欠だ、ということをいい加減に認めるべきだ。在日米軍で高級将校など家族連れで勤務するものはよい。独身の男性兵士の性処理はどうする?

だからといって、沖縄の一般女性をレイプしてよいはずはない。合法的性処理のためには慰安所が必要だ。

旧日本軍に従軍した慰安婦が軍の強制によって売春婦にさせられたかが問題となっている。売春婦は古くからの商売だ。強制などしなくても軍の慰安所は民間の手で自然と開設される。旧日本軍に限らない。日本を非難する韓国、中国、さらには米国でも事情は同じだ。

若い兵士の性処理問題を正視すべきだ。清純な乙女でもあるまいし。

10/21/2012

復興法に全国事業が被災地のためにもなる、と書いてある

(東日本大震災)復興基本法に基づくH24復興予算の使い道に被災地以外の事業が多いことに異論が続出している。法律には「被災地の復興だけでなく、大震災を教訓に社会基盤の防災対策や国の庁舎の防災機能の強化などに努める」ことが明記されているので法的には問題ない。しかし、その法律が国民に周知されないまま制定されたのが問題なのだろう。

現今の財政政策として、被災地の復興はもちろん、全国のその他の地域においても、デフレ経済対策としての予算が必要なことを説明すべきだ。大震災前には毎年、経済対策としての補正予算が組まれてきた。大震災が起きたので、その復興予算に潜り込ませた方が何かと便利、と考えたことがよくなかった。復興予算の財源のかなりの部分は臨時の増税に頼っている。だから、使い道は厳選して復興地のためだけにせよ、というのは狭量だ。全国の経済が建て治ることが被災地復興の基本であるということも法律制定時に議論されたはずだ。

被災地だけで19兆円ものカネは必要ない。そんなことをしたら、逆に被災地バブルで東北三県の経済がダメになってしまう。

10/17/2012

竹島付近で日本漁船は操業し、その安全確保に海保巡視船がパトロールを

竹島領有問題が日韓両国で決着していないため、付近の日韓漁業協定では暫定的に竹島がないものとして線引きがされている。つまり、竹島周辺まで日本の漁船は暫定操業ができる状態にある。

出漁しないのは、韓国漁船とのトラブルを恐れるのと、韓国海洋警察が昔の李承晩ラインでのように拿捕あるいは銃撃することまで恐れているのかもしれない。最近は中国漁船の違法操業取締にはゴム弾を使うそうだ。実弾の世の中ではない(ゴム弾でも殺傷能力があるそうだが)。

尖閣諸島周辺も日中間の漁業協定は同じような考えだと聞いている。中国の漁船が尖閣諸島付近(の領海外)で操業しているのと同様に竹島周辺で日本漁船も操業してよい。そのさい、日本の巡視船が操業の安全を確保すべく(韓国海洋警察と共同でも)パトロールしたらよい。

10/15/2012

杉原千畝が助けたリトアニアに学べ(原発)

リトアニア政府は日立製作所と原発建設協定を締結した。福島の事故の後だが、リトアニアの首相は、ロシアへのエネルギー依存は安全保障上問題があり、福島の事故原因は自然災害であって技術の問題ではない、としている。ロシア(ソ連)はバルト三国を弾圧した専制国だ。その国にエネルギーの大半を頼ることはあり得ないことなのであろう。

ソ連支配時代に残したチェルノビィル型原発を廃止したばかりだ。くらべると日立の最新型原発(改良型沸騰水軽水炉ABWR)は限りなく安全だ。

日本にとっても、原油と天然ガスの大部分は世界中で最も危険なホルムズ海峡を通過輸入されるというエネルギー安全保障上の問題がある。また、福島の事故は千年に一度のまれな大災害が直接の原因。それでも原発を採用するリトアニアの合理性(冷徹性)がなぜ日本人にできないのか?

かつて弾圧されたユダヤ人をリトアニア駐在の外交官・杉原千畝は「命のビザ」を発行して救出した。今度はリトアニアという国の生存本能を日本が学ぶ番だ。

P.S.
リトアニアでは原発国民投票がおこなわれ、野党の肝いりで「反対」が多数となった。しかし、野党は政権をとったら、日立との原発はすすめる、という。この冷徹性がうらやましい。

10/14/2012

政治主導はどうなった(復興予算配分問題)

復興予算が一見目的外の「全国防災」などに使われていることが問題となっている。役人の隠れた意図を問題にしているようだが、その役人を使っているのは各省の大臣等の政治家だ。いまこそ政治主導が待たれているのではないか?

実態は民主党の各大臣も了解済みのことだ。役人のせいにしてはいけない。

関連するが、山中京大教授がノーベル賞を授与されることになって、三年前の科学技術予算の大幅カットの事業仕分けが問題となっている。二位じゃダメなんですか?の考えではノーベル賞はとれない。事業仕分けという政治主導作業で問題なのは、科学技術予算を一括査定したことだ。その予算の範疇内では数多くの補助金があるが、それらを取捨(減額)選択する「査定」が必要なのだ。各省役人はその道のプロだ。大臣は大所高所で査定の方針を示せばよい。自ら個々の査定をするのは無理だ。ましてや、事業仕分けというショウの場では。

10/11/2012

原発再稼働停止は国の立法で

浜岡原発の再稼働に反対する静岡県民の住民投票運動が進んでいたが、県議会では住民投票条例が修正案でも否決された。

以下、なんべんでも言う。
浜岡原発の再稼働問題は発電所地元と言えど、静岡県だけで決めてよいはずがない。現に、国の前首相菅直人氏にしてようやく中電に「停止要請」ができた。反対する静岡県民は次の国政選挙で浜岡原発再稼働に反対の議員を当選させ、それが多数となって、立法をもって中部電力に再稼働を禁止する措置をとるしかない。

10/07/2012

解散は野田首相の一番有利なときだろう(いまではない)

野田首相が福島第一原発事故現場を視察した。前首相と違い、現場の迷惑とならない時期の励ましの視察だ。

首相の視察の様子を見て、当分解散はないなと感じた。解散は首相の専権だ。野田という政治家にとって一番有利となる時期に解散を打つ権利が認められている。今は首相(与党)にとって一番不利な時期だ(任期切れまで有利とならないかもしれない)。

だから、外からの理屈でそれがいくら正論だといっても、解散をすべきだと強制できない。

10/03/2012

秦以来「焚書」がつづく

日本から中国国内(日本人)向けに空輸された新聞雑誌が中国税関に没収された。没収理由はわからないものの、現代版「焚書坑儒」の焚書にあたるのではないか。この故事は秦王朝時代のもので、その後の王朝では教訓として否定されてきたものと思われるが、今日の国際社会に於ける国家として資格なし、と断ぜざるを得ない。

尖閣領土問題でも民衆のデモまでは当然是認されるが、暴力的行為に至った点とそれを取り締まらない権力、これも資格無しの典型例だ。

10/01/2012

杞憂とオスプレイと完全除染

取り越し苦労を意味する「杞憂」は中国の故事から来た言葉だ。杞の国のひとは天が落ちてくることを心配したが、それは物理的にはあり得ない。しかし、空を飛ぶ飛行機さらには人工衛星は落ちることがあり得る。杞憂ではない。人工衛星は老朽化すれば、重力に負け、大気圏に突入、燃え尽きるというが、たまには燃えがらとなって、地球上のどこに落ちるかはわからない。だから、人間の上に落ち、害をなす確率はゼロではない。

オスプレイも空を飛ぶ人工物だ。安全性が確かめられたといっても、危険性はゼロにはならない。よく安全安心の確保と、安全と安心を並べることがある。安全が確かめられたと言ってもそれは100%の安全ではないから、安心はできないというのであろうか。

安心にいつまでもこだわると、何もできなくなってしまう。それこそ杞憂を嗤えないことになる。飛散した放射性物質の完全除染にいつまでもこだわるのも杞憂と嗤われる。