9/30/2015

マイナンバーだけでは個人情報が漏れたことにはならない(ポイントカードと仕組みは同じ)

 明日10月よりマイナンバーが個人あて配布される。
 これから始まるマイナンバー制度への危惧のうち、個人情報漏出の心配が未だ多数となっているが、ナンバーだけでは個人情報とは言えない。いまでも、取扱機関別々の個人番号が普及している。基礎年金番号(日本年金機構)と住民基本台帳番号(自治体)だ。ほぼ全国民にこれら番号が振り分けられているのに、これら番号の漏出は問題になっていない。なぜなら、本当の個人情報はこれら番号を入力してそれぞれのシステムのコンピューターシステムにアクセスしないと得られないからだ。
 もちろん、過日の日本年金機構システムへの不正アクセス、情報流失があれば個人の年金情報が漏れる心配となる。共通の番号の扱いを心配するより、個人情報を管理する機関からの情報流失のほうを心配すべきだ。
 マイナンバーカードを携帯して消費税還付のためのレジでの登録(財務省案だった)は、そのカードを紛失、内容が漏出する心配からも反対が多かった。でも、そのカードには基本的には12桁の数字が入っているだけで、たとえば、購買履歴などの個人情報は国税のコンピューターに集積されるのみだ。いま大普及している各種ポイントカードの仕組みも同じで、カードにはお店のコンピューターにある個人客ポイント情報にアクセスするための数字(バーコード)が表示されているだけだ。

9/20/2015

立憲主義は制定当時の守旧行為

 平和安全法制が成立したいま、今後はこれら法律が違憲かどうかの司法の判断に移った。日本の法制では法律がそもそも違憲かどうかの司法審査(憲法裁判所)は行われないので、具体的な事件に即してその根拠となった法律が違憲かどうか争われることになる。今後、反対派がどのようにこの段階を進めるのか興味あるところだ。
 1960年の新安保条約反対運動の時は、その前の1957年に砂川基地をめぐる事件で政府が提訴されたが、二年後には最高裁で憲法九条に自衛隊は違反しない、という「国家統治行為論」の判断が示された。それでも「自衛隊は違憲だ」が安保反対のひとつの根拠となった(三権分立を理解していない)。
 今回の憲法論議を聞いていて、憲法の性格がわかったのが収穫だ。それは立憲主義は一見正義と思えるが、じつは、自由であるべき立法を制約する上位法たる憲法という別の見方だ。昔日の憲法がいまの法律の束縛となる。どちらも民意だとしたら、現在の国民は過去の国民の制定した憲法による制約を受けるのはおかしいと思うだろう。
 実際、1947年に定められた憲法を根拠に現在の国民の民意(衆参両院で可決した、ということ)である平和安全法制を否定しようというのは、過去の一時点の国民の意志でもって将来にわたる束縛をすることになる。将来のその時点での判断は国権の最高機関である立法府に任されるべきだ。だから、立憲主義とは旧き判断をいつまでも守ること、すなわち、守旧行為になる(護憲しか反論の根拠がない)ということだ。憲法は時々の国民の総意で改正することができる。だから、「護憲すなわち守旧」に対抗するには現在の民意での憲法改正で当たればよい、という正道に戻すべきだ。

9/18/2015

憲法も政府も主権者・国民の総意ということでは同列

 憲法九条の不戦条項が絶対に守られなければならないのなら、この条項を憲法改正の96条の対象外にしておけばよいはずだ。そうなっていないのは半世紀前の不戦条項は国民投票の結果、廃止ないしは改正することが必要な世界情勢になることもあるからだろう。すなわち憲法より主権在民の価値の方が上なのだ。不磨の大典、ということはない。
 相手から仕掛けられる戦争は突然起こる。その緊急時に憲法あるいは自衛隊法などの法令をすぐにはその事態に対応できるよう改正できない。それでも自衛隊などは国民を守らなければならないが、法令を無視(超法規措置)するのは法治国家としてどうしても避けなければならない。
 結論は、あらかじめ事態対処の予想がつきにくい武力行使については法令のしばりをなるべくつけない。現状で想定して法令化することが困難だと理解すべきだ。だから、最低限、禁止事項だけは決め、それ以外は指揮官(内閣総理大臣)に任せる、ということをしないと、戦争に負けることになって自衛隊を持つ意味がなくなってしまう。そのときの政府は議会制間接民主制(憲法の国民投票と同様の過半数支持)によって選ばれているから、同じく昔日制定した憲法とくらべて、主権在民から言って同列だと考えるのである。
 シビリアンコントロールを厳密に守っていくための自衛隊法制の整備が重要なことは言うまでもない。

 何を言いたいのかというと、そうであるならば、憲法が武力条項などの不変でないものを対象とすることは不合理ではないのか?憲法学者には「そもそも憲法とはなにか」のこのようなことを研究して欲しい。

9/14/2015

簡単入手できる防災情報に基づき自主避難すべきだ

 常総市役所が鬼怒川沿川のすべての地区には避難指示を事前に出していなかったことが問題視されている。災害対策基本法では市町村が住民に対して避難勧告、指示を出すことになっている。しかし、行政改革などを経て人員削減などを受け、かつ、広域合併で行政区域が広がったいまの市町村にこの法律の義務を果たす能力はないのではないか。
 日本は災害列島だ。太古の昔より住民は自主防災あるいは地域ごとに互助的に防災活動してきた。毎年繰り返す自然災害にはそれが当然だったし、ふさわしかったのではないか。
 今回も堤防沿いの住民には河川水位が堤防高満杯でいつ破堤してもおかしくなかったことがわかっていたそうだ。それをより遠方への住民に知らせるのにさらに遠くの市役所経由になるのはおかしい。地域互助的な水防活動でその地区全体に知らせるべきだったのだろう。
 さらには、情報伝達技術の近年の高度発達がある。昔にはなかったTVにより誰でも河川水位が危険なほどになっていることはわかる。より詳しく知りたいのなら、防災情報は国土交通省などによりインターネット網に載せられている。忙しい市役所から聞き、指示を待つまでもないことだ。

9/13/2015

憲法を廃止せよ(憲法なしの日本)

 憲法を廃止せよ。
 
 といっても、石原慎太郎氏らが主張するような、現憲法は被占領時に制定された無効なものだから、廃止して新たに制定せよ、というものではない。憲法そのものが必要ない。憲法なしで法治国家を運営したらよい、との主張だ。
 憲法がなかったら天皇制の立憲君主制がなりたたないとの反論が出そうだが、英国の不文憲法による制度もある。
 最近の安保法制議論を聞いていると、国の安全保障より憲法のほうが重要だ、という倒錯したものになっている。憲法は制定時の国民の意思を子孫の時代にまで強制する愚かな制度だ。いまの立法を制限するのが昔の憲法だ。
 憲法九条を廃止すべきだ、という主張もある。国の安全保障に関する政策は時代時代で変化するものだから、憲法で制約するのになじまない、とするものだ。これにも賛成する。

9/07/2015

世論調査政治の危うさ

 安保関連法案への世論調査で、今国会での成立を急ぐべきでない、という意見が多数だという。ここで確認したいのは、日本は間接民主制をとっており、代議士が国民に代わって国会で議論を尽くして立法を図る、ことになっている。世論調査あるいは国民投票で直接国民の賛否を求める直接民主主義にはなっていない。なぜ間接制かというと、複数の政策は互いに関連するので、個々の政策毎に国民の賛否を問うと合理的なものにならないおそれがある。したがって、代議士の選挙時の政策開示を信頼して任期中は立法判断を任せるという方法にならざるをえない。
 もう一つ世論調査で問題なのは、「成立を急がない」理由を聞いていないことだ。推測になるが、日本人の心情として争いを好まないことがある。そのため国論を二分するような争点には賛成、反対以外に「もっと話し合うべきだ」という特殊な意見が多く出る。この「もっと」が「急ぐ必要がない」とイコールではないのか。
 さらに、国民の法案への理解が進んでいないから成立を急ぐべきでない、という一部マスコミの意見は、間接民主主義の主旨を理解していないものと思われる。理解が進んだほうがよいものの、「選良」たる代議士に任せてよいのではないのか。任せた結果がよくなければ、次の選挙で代議士を変えることが可能だ。

9/03/2015

経済難民まで受け入れたらEUの社会が壊れる

 EU諸国への難民流入が数万人単位となって困難に直面している。政治的に迫害を受けている難民を受け入れるのは先進国の人道的義務だ。しかし、それも年間数十人から数百人までが受け入れ能力からして限度だろう。数が増えたら質的に転換する問題となる。
 本来受け入れるべき政治難民に経済難民が紛れ込んでいる。難民供出国の内戦国でも国民は必要で、迫害をして追い出すことはしない。一時的に隣国に逃れて戦火を避ければよいはずだが、便乗して、さらに暮らし向きがよくなるEU中心国を目指すのは自然だ。
 こうなったら、一時的に難民受け入れをストップしたらどうか?ハンガリーがEU国境で阻止しているのが正しいと思う。

9/02/2015

憲法改正政局になったが、96条の2/3条項が先だ

 9月に入った時点で政局は、安保法案成立後の局面に入っている。維新の党分裂騒ぎはその前哨戦だ。すなわち、憲法九条改正(第二項削除)への道筋になっている。参議院での2/3確保争いだ。
 ここで、文痴は第96条改正が先だと思う。この条項は衆参両院の改正発議に2/3以上が必要というものだが、国会はあくまで発議するだけで、改正するかどうかは国民投票によることになっている。すなわち、国民の意思が改正ということになっても、衆参どちらかの1/3を超える勢力が反対なら国民投票に持ち込めない。これは少数勢力の横暴と言えないだろうか?
 憲法に改正手続きがある限り、改正発議は改正非改正イーブンでないとおかしいのではないか?