2/28/2018

Sep 28, 2001 :蟹壺

「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」だったっけ、昔「日本共産党の研究」というのが、「角栄研究」のあと出た。共産党が反対陣営を攻撃するやり方が、自己の発想の域から抜けきらないことをおちょくった言葉だ。
 
今日のニュースで世界各国の市民の声が紹介されていたが、平和ぼけニッポンの若者は「話し合えばいいのでは?」だし、アメリカは西部劇の世界から抜け切れていない報復スピリットだった。所詮人間は自己の現在どっぷり浸かっている環境からしかものを考えられない。
 
今回の事件で何を主張するかで、その人の「甲羅」のかたちが分かるヒントになるのは面白い。我が輩は、以上の人間の限界から抜け出すことを最大の努力目標としている。それには、「想像力」の研磨が必要だと思っている。想像力とは如何に自分の現在の環境にとらわれない考えが出来るかだ。

2/26/2018

Sep 28, 2001 :異敵とは3度目の遭遇

アメリカは今回で3回目の異敵と戦うことになる、と猪瀬直樹氏は言う。「異」とはアメリカが近代だとすると、敵はあたかも中世の如くの意味。 
 
先の大戦末期、日本軍は特攻隊で決死の体当たりをした。アメリカはそのような戦術を想像だにせず、日本人最後の一兵とまでこのような戦いをするのかとパニックになって、原爆を落とした、と言うのである。真珠湾の復讐では決してない。
 
ベトナムでは最強のゲリラ「ベトコン」を相手に負けたが、枯れ葉剤とか、虐殺とかを繰り返した。これも異敵との非対称の戦争でのパニックの結果だという。
 
今回は、3度目の正直になるのか。ジハードとか旧日本軍の戦術と似ているが、アメリカはうまくやるだろうと言っている。  

2/24/2018

Sep 25, 2001 :国産崇拝の誤り

農水大臣は問題の肉骨粉の輸入を禁止すると言った。一方、国産肉骨粉は豚鶏用に必要なので、禁止は見合わせるという。 
 
これって、逆なのではないか?EC諸国などの管理の方がずっとましだ。日本は例の狂牛病の牛を肉骨分に加工していたことを隠していた(農水省は知らなかった)。えらい違いだ。豚鶏用の肉骨粉飼料を良さそうだからと、牛に与えていた畜産農家もあった。
 
吉野屋、マックでは米豪産の牛肉を使用しているから安全と、いままでは低級感を隠すためわざわざ言わなかったことまで、PRに使う始末。
 
いま、農水省など農業生産側の横柄さの前に、国産のイメージが地に堕ちた。国産という名前だけで勝負できると考えたのが誤りだ。
 
昔のように「舶来がよい」時代となったのか。

2/22/2018

Sep 24, 2001 :ゲリラの限界

ゲリラは人民の海で不敗だと言ったのは、毛沢東だ。でも本当だろうか? 
 
肝心の重慶国民政府は日本に対抗したが、実は援蒋ルートでビルマ経由で米英からの補給があった。ベトコンは北ベトナムから、北ベトナムは中ソから補給を得ていた。ゲリラとて人間だから、食料武器弾薬の補給がなければ、永く戦うことが出来ない。アフガンのソ連侵攻もそうだ。ゲリラを助ける隣のパキスタンそしてその後ろには米国がいた。だからソ連は負けた。
 
ゲリラとかえらそうなこと言っても、大国同士の代理戦争でしかない。ポルポトは国際的に孤立無援になったから壊滅したのではないか。
 
タリバンは報道によると、国内的にも評判が悪いし、世界のどこからも補給を受けることが出来ないから、難攻不落と見える岩山を背に戦っても、近代兵器の米国の前に壊滅するのは明らかだ。

2/20/2018

Sep 24, 2001 :ドイツは「平和」国家というゴカイ

ドイツ・ヴァイツゼッカーの(過去に反省すべきという)「お言葉」を日本サヨクは金科玉条にしている。でも本人の考えを誤解しているので、迷惑なようだ。
 
ドイツはもともと先の大戦の戦争責任に謝罪なんかしていない。謝罪したのは、ナチの個人犯罪たるホロコーストにだ。戦争観で言えば、国土で戦争したから、平和を獲得するには何が必要か知っている。平和主義者チェンバレンがヒトラーに甘かったので、戦争を拡大した教訓も。戦争そのものに謝罪していない証拠だ。戦争責任はいつでも両方にある。
 
日本(とか韓国)は国土が戦場になっていない(沖縄と朝鮮戦争は例外)から、戦争の本当の恐ろしさは知らない。焼夷弾と原爆は恐ろしいが、そこでは悪意ある敵は見えず、敵と戦ったわけではない。だから8/15以降は見事に親米に変わることが出来たし、そのあとは、国内左右別れて疑似冷戦の平和ぼけの状態を続けていられる。
 
ドイツは欧州各国の常識として、平和をかちとる戦争というものもある、という考えで国内一致し、ユーゴに派兵したに過ぎない。今度のタリバンに対しても同じだ。ドイツだけが平和を志向するという誤解が日本にはびこっている。
 
タリバン大戦後のテロ撲滅恒久平和へ向けての始末は誰もが考える(べき)事だ。

2/18/2018

茶の間の総意で金銀インタビューのオンパレード

表彰台に並んだ、羽生・宇野両選手がTV番組を独占したかのようだ。ニュース番組でも前半の半分はインタビューと演技の録画で占められた。熱心なファンは中継で見ているはずなので、その後の余韻を何回でも楽しみたいのだろう。そのような視聴者に対応した番組作りになるのは仕方ない。

テレビは視聴率がその死命を制する。誰がどのようにテレビを楽しんでいるかを分析した内容とならざるをえない。茶の間で家族で見るケースが多いのだろう。チャンネルを選ぶには家族の総意で、となる。複数の人に好まれる(嫌われない)平均的な内容とならざるを得ない。だから、番組すべての半分に金銀メダル関係を入れないと他番組にチャンネルを回されてしまう。

選挙での小選挙区制に似ている。有権者半分以上に訴える政策が必要で、特殊政策に通じている有能な政治家では、落選の憂き目にあう。テレビも同様、一部の人に特殊感動的なものは淘汰される。

さらに言えば、放送法の不偏不党の原則が番組をつまらなくする。すべての番組で反対意見の出演者を配置すると、総花的でわかりづらくなる。不偏不党はその局全体の番組でバランスがとれていればよいと思う。このままではテレビを積極的に楽しむ人がいなくなるであろう。

2/17/2018

Sep 23, 2001:世界ののけ者日本人

世界サロンの中の日本人奇言録 
 
 その1「証拠がない」…ビンラディンをかくまうタリバンがテロには反対、しかし、客人を引き渡すには証拠がいる、と言っている(当然言い逃れだが)。同じく日本のS党も確たる証拠が必要な論者らしい(当然戦争を忌避する小理屈だが)。
…最近の若者が悪いことをして大人に見つかったときに必ず口に出す言葉だ。
 
 その2「報復合戦になる」…実は次に自分がテロの目標になることを恐れている。卑怯者・臆病者というより、自分だけ安全ならよいという身勝手者というか。
…暴力団対策を困難にしている、お礼参りを恐れ被害を告発しない小市民達に似ている。
 
 その3「死んだ者はかえらない」…生き返るはずはないから、仕方がない。6000人と20数人とで規模は違うものの、アメリカほどに復讐の念がわかない。すぐにあきらめの境地にはいる。次の犯罪を防止しようという考えがない。過去F首相が、人命は地球より重い、と言って、テロリストを釈放したが、そうすれば他の犠牲者が出ることが想像できない。
…元の木阿弥。ご破算。謝ればいいよ。これらは日本社会をあらわす何と甘い言葉か。

2/15/2018

Sep 23, 2001 :差別用語「風評」

「風評」って、誤った情報による消費者の商品忌避のことだ。
 
でも今回は、誤りでなく本当だった。消費者を無知の状態にして、風評で片づけたかったのかもしれない。
 
食べ物など健康(厚生省という役所があったね)の問題については、情報公開を徹底して、賢い消費者を馬鹿にしないことが重要だ。消費者からの「風評」というボイコットで困るのは、大事な生産者ですぞ。
 
無力な消費者にとって、ボイコットしか強大な生産者側に抵抗するスベがない。

2/13/2018

Sep 21, 2001 :おくびょう自衛隊?

今晩のNewsステーションで、安倍副長官と久米宏が「武力行使と一体化しない活動」の議論をしていた。 
 
法律議論が厳密になると、より後方でも一体化の恐れありとなりがちだという。そしたら、ナイチンゲールの看護活動もそうなると、笑い話で終わった。
 
自衛隊が、なぜ武力行使現場に行って支援(武力ではない)活動が出来ないのか?それは、そこで戦闘行為に巻き込まれると、旧日本軍のように暴走して、平和憲法をないがしろにしてしまうという。でもシビリアンコントロールがあり、命令で戦場から離脱すればよいはずだ。それより、笑ってしまうのは「危ないから」という主張があった(S党)。「危ない」から武力集団の自衛隊が派遣される。危なくない補給だったら、民間運送業者の商売の邪魔になる。
 
ことほど左様に、法律屋(家でない)のすることは、?の一字だ。
 
小泉さんは、まずは内閣法制局長官を馘(くび)にすればよいとの議論まで出ている。

2/11/2018

Sep 21, 2001 :中国はテロの土壌

タリバンはバーミヤンの石仏を破壊した。それは仏教徒の立場で極悪のことだ。それと今度の無差別テロとは話が違う。イラクのサダム以外の国家指導者で、無差別テロを是認している人はいない。タリバンもそう。民衆レベルではいろいろあるが、それはどこの国でもある。 
 
アラブ=テロと考えることが一番危ない。アメリカ人にその傾向があった。先の大戦で、日系「アメリカ人」を隔離した。今回は、その反省もあるのか、米国内アラブ社会との協調をまずはかった。敵はテロリストとその支援者だということを常に思い起こさなくては。金だけ出してのうのうとしている富豪の支援者がどこかにいるのだろう。
 
社民党はテロを起こす土壌をまず解決しなくてはと言う。きれい事だが、それを言うなら、まずは隣の大国に言うべきだ。
 
他の民族、異教徒を無理矢理漢民族の国に統合して何がおもしろいのだろう。

2/09/2018

Sep 20, 2001 :テロリストのしもべ、日本人

街角インタビューによると、2~3割の日本人が武力報復への自衛隊による(後方でも)支援に反対みたい。理由は、テロに報復される危険があるから、が本音のようだ。口では、報復の繰り返しになるからと言ってはいるが、アメリカだけが報復の対象なら関係ないのだろう。 
 
テロリストの狙うところが日本人の一部にはある程度成功しつつある。(臆病だから?)脅しがきく。アメリカ以外の国をこうして屈服・離反させていくのが彼らの作戦。今回は日本人も被害にあっているのに。
 
このままだと、「日本人は卑怯だ」と、世界の除け者になってしまうだろう。かってのユダヤ人のように。
 
このような日本人の不安感をうまく利用しているのが、社民党だ。どこまで合憲かと、長い議論に巻き込んでいる。
 
法制局の官僚の法匪も共犯者。

2/07/2018

Sep 20, 2001 :ニューオータニは最低

日本以外は階級社会だから、ホテルのグレードも階級に基本的には対応していると思う。問題は、最近わかった日本のホテルのインチキグレードだ。豪華ホテルに高い金を払うようなハイクラスの人は日本に少ない。だけど外務省御用達の豪華ホテルが活況を呈するのは、国丸抱え(国営ホテル)だから。内外の高官はもちろん外交公務でただ。課長補佐は、ホテルマンとつるんだからくりで、やはりただ。公費天国だから、実態のないホテル料金だ。 
 
誰も自分の懐から出さないので、東京のホテル料金が異常に高いのを知らず、問題にならないのではないか。銀座のバーもタクシーも同じだったが、社用族が激減し、最近は商売方法を変えざるを得ない。
 
三等車の話で似ているのが、マダガスカルの「タクシーブルース」。長距離バスで、おんぼろ牛詰め長時間の三重苦だが、雨期で泥にはまった場合は、もち、乗客全員で押すことになる。全員四等乗客か?最南端から真ん中の首都まで、三日三晩かかる(これは乾期の話で、雨期は一週間かかる)。

2/05/2018

Sep 19, 2001 :金ですませるその金がない

アメリカは、敵は死んだ実行犯だけでなく、支援した(金を出した)全ての人、国がテロ同罪だと言っている。戦争とはそういうものだ。金を出す人がいなければ、戦争は出来ない。小泉さんは今夜、日本もアメリカを支援するため、自衛隊を後方支援に出すと表明した。湾岸戦争の時、金だけで世界の笑いものになったからだ。 
 
対する反対マスコミは、金だけで良いではないかと今回も主張する。
 
でも、金を出すことと、自衛隊等の人的貢献をすることとは、戦争相手のテロ組織にとっては同じ事、テロ組織の敵と見なされる。味方の理屈は敵の理屈でもある。
 
今回も金だけで対応すると、日本人は臆病だから、との悪評は世界的に定着する。それが心配だが、日本のマスコミ人は国内のことしか考えない。それほど視野が狭い。

2/03/2018

Sep 17, 2001 :「目には目を」は民主主義

米国が必ず報復すると言って、小泉さんもできる限りの支援をするとしているのは、一市民としてみてもごく常識的な、民主主義社会でも当然の対応だと思うが、日本の社会の特殊性なのか、それらに反対の人がいるらしい。理屈は、報復は報復を呼び、泥沼化する。だから、できるだけ話し合いで解決する努力を、というもの。 
 
でも、今回のテロリスト達の主張はそれなりとしても、それを認めさせるため、相手に対し犯罪という手段をとったあと、こちらから話し合ってみても得られるものはない。話し合いという方法はまずは彼らがとるべきだったのだ。
 
我が国では、犯罪者の犯罪的行為を棚に上げ、犯罪にいたった心理から犯罪者を理解すべきだ、という議論が必ず出てくるが、民主主義を全く理解しない行為だ。各自が何を主張しても良いが、それを暴力的方法でしてはいけないという、「プロセス」の正しさこそが民主主義だ。
 
教科書議論の際もあった。物理的力での暴力ではなかったが、「暴力的」言論の方法ではあった。

2/01/2018

Sep 16, 2001 :国産食料は安全というデマ

NHKスペシャル「狂牛病」を見ました。日本の食をあずかる農林水産省のでたらめが分かった。 
 
千葉の狂牛病を疑われている牛を焼却処分しないで、問題の肉骨粉にして(狂牛病を広めようとして)いたなんて、商業主義が日本の食料生産に蔓延していたことが分かった。国産(牛肉とか)は安全なんて誰が言い出したのだろう。EUでの対応と比べると、日本が一番危ない。農産物でも。
 
潮来の農業地域にいたときの経験。隣は米作農家だったが、見ていると、自家消費米は特別の田で作り、出荷用とは絶対に混ぜない。野菜農家も同じだと思う。安直な輸入飼肥料を使い、危険だけれど見栄えがよく、姿形が出荷用に高く売れるものを人様に食わす。自分の家族には絶対に食べさせない。恐ろしい話だ。
 
国産が安全だというのは、それを食糧自給率を高める理由の一つにして、食産業を輸入の競争から守り、国民に高いものを売りつけようとする、業界の巧妙な宣伝だ。
 
まともに信ずる人達はかわいそうだ。今回のことで、目が覚める人も出てくる。