7/31/2009

国が道州政府に分割される

 自民党のマニフェストに載る予定の「道州制」について一言。民主党は将来の課題としている。
 47都道府県の合併・少数化・広域化で、近年の交通改革などのおかげで、行政事務の繁雑化に対応しようとするのは、国-県-市町村(基礎自治体)の三層構造の矛盾を解決することにならない。国を道州に分割する、ということでなければならない。日本が複数の道州により競い合うことにもなり、地域の事情をふまえた行政が可能となる。今の中央集権は明治以来だが、国の成長時期には必要だったものが、これからは成熟した社会を構築するのに、なんでも東京からの指令ではうまくはいかない。
 日本国には外交、防衛など最小限のものを残す。道州政府にいまの国家公務員の大部分が移行するイメージだ。都道府県も道州に吸収される。1770あまりに合併した市町村の数はもうこれ以上減らない(合併が進まない)のであろう。基礎自治体は住民の一体感が必要だからこれ以上無理をするべきではない。だから、11程度の道州-1700程度の市町村(道州毎には平均160)の二層構造となって合理的な行政が可能となるのである。

7/30/2009

民主党政権になったらカーディル議長をどうする?

 来日中の世界ウィグル会議ラビア・カーディル議長の活動に関し、中国政府が日本政府にイチャモンをつけている。麻生政権になってから、中国政府の不快人物の日本入国がまったく問題なくなった。
 中国政府はその一方で、日本マスコミ向けにウィグル暴動問題についての正義を主張している。自由主義の日本国内では双方自由な議論ができる。その自由でマスコミ攻勢をかける一方、相手方は議論どころか入国もさせないぞ、という身勝手な態度だ。本来は、中国国内で両者の自由な議論が必要なのに、それをさせないので、日本国内で議論の場を提供してやっているのだ。
 それにしても、米国にラビア議長はそもそも亡命・滞在しているのに、中国は米国には抗議しない。米国は恐れられているのに対し、日本は軽く見られているからだ。日本の歴代(自民党)政権がそのような中国へのへつらいの態度に終始していたからだ。
 麻生政権への総選挙の洗礼にも、以上の観点を加えるべきだ。民主党はこういう場合どうする?

7/29/2009

ばらまきのルール

 自・民の与野党はばらまき合戦をエスカレートさせ、まさに究極のばらまき状態だ。自民党のマニフェストがまだなので、予想したうえでの論議だが。
 ばらまきにはカネが要る。カネの総量は一定だから、ゼロサムにするためには、誰かが損をしなければならない。民主党のばらまきのひとつ、子供手当からの損は独身者と現役の一人所得・子なし家庭になるが、「社会で子供を育てる」意味で理解を求めている。
 損を押しつける対象(階層、社会グループ)は全体からの割合が小率でなければならない。そうでないと票が集まらない。それらは、金持ちグループ、公務員グループだ。後者は損を押しつける以外に、社会的におとしめるという方法も票につながる。
 しかし、今までの日本では、以上のルールが勝ったためしがない。多数派も少数派をいじめるのはおかしいという矜持は持っているのだろう。今回はどうなるか、自・民ともよく考えて欲しい。

7/28/2009

INDEX2009は在野意見の寄せ集め

 民主党のマニフェストINDEX2009が公表された。マニフェストは「政権公約」だから、政権に関係ない万年野党の出すものは実現されないので、内容が後年どうだったかの検証を受けることがなく気楽なものだった。今度の民主党のものはそうではない。だから、鳩山代表の記者会見も真剣そのもので、鬼気迫るものがあった。責任を感ずるとああいう顔になるのだろう。
 ざっとみて、いままで自公与党政権の政策に反対の主張を寄せ集めそのまま束ねた感じとなっている。反与党を標榜し、それら勢力を糾合するのだから、そうなるのかもしれないが、政策どうしの整合が取れているのかどうか精査されていないのでは実現不可能となる。選挙までの期間で是非、そこのところについて与野党で意見を戦わせて欲しい。

7/24/2009

「尊皇攘夷」のスローガンは使えない

 幕末、薩長は倒幕のため、できもしない「尊皇攘夷」を幕府に迫ったが、倒幕後の明治新政府は「攘夷」の反対の「開国」を推し進めた。孝明天皇が「攘夷」の考えだったので、倒幕のための方策としてこのスローガンを利用しただけだ。だまされた孝明天皇は新政府発足前に亡くなった。
 以上は民主党が自民党政府を倒そうとしている現在と似ている。但し違うのは、マニフェストの存在だ。孝明天皇に代わる主権者・国民をだますわけにはいかない。総選挙を前にし、民主党は「政権交代」へのスローガンを大あわてで現実的なものに替えようとしている。万年野党だった日本社会党には不必要だったものだ。

7/22/2009

小選挙区制は第三の政党以下をなくす制度

 小選挙区制は二大政党の政権交代にふさわしい制度だと言われる。オセロゲームみたいに両党の当選者数が劇的に入れ替わるからだ。中間の結果に終わることは少ないという。
 でも、その典型例だった四年前の小泉首相による郵政解散・総選挙はどうだったのだろう。文痴は自民党は勝ち過ぎだったと思う。おかげで、衆参ねじれのこの二年間を乗り切ったのだが、矛盾の二年間を解決の努力もせずに延命したともいえる。勝ち過ぎだと思うのは、小泉チルドレンといわれる大勢の新人議員の存在だ。今回、その多くが落選・失業するだろう。民主党が今回、大勝すれば、同じことが起きる。二大政党どちらにも同じ人材を用意しなければならないが、これらの人たちの面倒は誰が見るのだろうか?先日の都議選の民主党新人議員も同じだ。
 日本人は単一民族だから、各選挙区毎に違う政治選択があまりなく、全国的になだれ的にどちらかの大勝となるのだろう。二大政党制とは、小選挙区制により弱小政党を存在させない、ということにすぎない、という定義通りだけにならないものか?

7/21/2009

解散に閣議決定はいらない(総理決定でよい)

 麻生内閣で、衆議院が解散された。その閣議決定のさい、署名を拒否する閣僚が出るかどうかが注目された。
 閣僚は総理大臣の任命による。だから、拒否したら、罷免し、総理が兼任すればよい、と解説されている。そうであるならば、憲法の閣議決定の手続きがおかしいのではないか?どうせ、最後は総理の意のままになるのであれば、閣議決定でなしに、総理の一人の決定でも同じことだ。戦前の明治憲法は天皇が閣僚を任命した格好になっていた(形式的には総理による組閣があった)。そのときのままを引きずっているのではないか?

7/19/2009

解散で政治空白は生じない

 今回の解散は7/21だとすると、選挙の8/30まではかなりの長期間になる。それが「政治空白」になり、問題だという意見があるが、文痴はそうは思わない。
 次期首班が誰になろうと、その前日までは麻生政権だから、必要最小限の政治決定は行えばよいし、行わなければならない。麻生さんと違う総理になるのだったら、その人と相談して行えばよい。米国でも昨年11月のオバマ当選から今年1月の就任までの期間はそうだった。
 問題なのは、次期首班が長期に決まらない、すなわち選挙後の特別国会でもめる事態だ。今日のサンデープロジェクトで森元総理が自社連立政権樹立時の苦労話をしていた。あのとき電光石火で、自社両党の互いの妥協で、連立を成し遂げた。それができなかったときこそ、言われている政治空白となるのだと理解した。いまの自民党内のごたごたも選挙後のかたちを決める予行演習だと理解できなくもない。

7/18/2009

マニフェストがなければ政党でない

 8/30の衆院選を前に各党ではマニフェストの作成が急ピッチだ。文痴にいわせると、マニフェストとは政党がもともと持つべき政策体系だから、今ごろ作るのはおかしい。各所属議員だって、その政策にあったから、入党しその後、議員になったのだろう。
 マニフェストは他党との違いを際立たせるものにして欲しい。お互いに。誰もが一致して政策に掲げるものは、大切かもしれないが、選挙のさい政党を選ぶのには役立たない。

7/16/2009

もうすこしで非核二原則になったのに

 非核三原則は核を、作らず、持たず、持ち込ませず、のようだが、最後の持ち込ませずは三原則の語呂の調子良さで決まってしまったような雰囲気だ。ヨーロッパの非核国・ドイツなどは米国の核を持ち込ませて、ソ連の核の脅威を取り除き、平和を獲得した。民主党の鳩山代表は歴代政府の密約(持ち込ませずは形骸化させる)を明るみに出し、改めて、二原則に縮めようとするものだった。それを党内あるいは社民党の絶対非核勢力の前に屈して前言を取り消した。そのままでいけば、名代表となったものを。米軍は核の装備艦あるいは航空機の日本寄港(航)にさいして、従前と同じく、事前協議などしないだろうから、密約状況あるいは密持ち込み状態が続くのだろう。日本の外交にとって、多大な汚点が続くことになる。
 このことで民主党への票は減ったのだろう。

7/15/2009

表紙党首戦術はバレバレ

 党首(総裁又は代表)を代えて、選挙戦を有利に戦うとはなんだろう。党首にふさわしい人まで選挙には不利だからと代えさせられるのを「表紙を代える」というのだろう。または、人気だけの人にその場しのぎに党首になってもらい、ほとぼりが冷めたら、本格党首に戻すというような。
 東国原総裁が誕生していたらまさにその通りとなった。自民党で言えば、つづきで宇野、海部総裁。小泉総裁は救世主で本格総裁。福田総裁は表紙気味かな。だって、意欲のない表紙だからこそ自ら辞めた。麻生総裁は当初の国民人気で「表紙」として利用されたが、本人は本格党首のつもりだった。こういうのは結果的には表紙とは言えない。
 問題は、小沢→鳩山代表だ。「実力者隠しの代理代表」。「院政」といわれたが、そうはなっていないので・・・
 いずれにせよ、表紙を代える戦術は国民にばれているから、中川秀直氏一派はもうあきらめたらどうか?それとも自分が(自派の誰それが)本格党首にふさわしいと言って、立候補しないと(させないと)、さっぱり理解できませんぞ。

7/14/2009

都議選でお灸をすえておしまい?

 日本に二大政党制はそぐわないのではないか?島国で誰もがほぼ同じ価値観に生きている。無理に二大政党を目指すものだから、たいした違いはないのに、現政権党に「お灸をすえる」意味で、浮気をしてみたりする。昔はそれが共産党だったものが、民主党という適当なものが出現した。これだと浮気が本気になってしまうので、万年与党・自民党はあわてて、軌道修正したら、民主党と変わらないものになった。
 今回の都議選で、お灸の効果が出た、と国民が判断すれば、衆院選はノーサプライズの結果に終わるのではないか?

7/13/2009

マスコミの自作自酔、解散日程

 麻生首相は都議選敗北の翌日の今日、自民党の役員会で、解散の日程を明らかにしたらしい。マスコミ観測の都議選敗北後、自民党内の麻生おろしを封ずるための、電光石火の明日解散ではない。天皇陛下が帰国後、来週の余裕を持った解散で八月末の投票日となるようだ。
 マスコミが自民党内の内紛を過大視したようだ。自民党議員は自分たちで選出した総裁の命に従うだろう。今回の騒ぎはマスコミの自作自酔ではないだろうか。

都議選の後宴、国政選挙では政策で

 都議選で予想通り自民党が敗北した。問題は、敗因の分析だ。このところの地方選挙はすべて国政の影響下にあった。自民党の国政が不評のため、地方まで悪影響を被った。自民党の国政はなぜ不評なのかの分析が人によって異なる。不評なのは政権与党・自民党の政策であるべきなのではないか?小泉~安倍~福田~麻生のトップ交代でどの政策が変わったのか、変わらなかったのかがわからない。
 民主党の岡田幹事長が「自民党は麻生首相で戦うべきだ」との名言を吐いた。真意は自党に有利だからとは思われるが、一般的に総裁という「表紙」を替えるだけの選挙戦術はおかしいとの正論とも考えられる。
 解散時期の違いはいまとなっては長短二ヶ月に過ぎない。そのようなことを気にするよりも、政策の違いで戦ってほしい。

7/12/2009

知事は知事で、国政は国政

 橋下大阪府知事らの全国知事会の支持政党を決めようという動きには笑ってしまう。東国原宮崎県知事と同じく、保守系候補として知事に当選した過去を忘れているのではないか?東国原氏のほうが自民党の総裁候補にと言ってるので、正直だ。「地方分権」をテーマに自分を高く「自民党に」売りつけようというだけではないか?ほかの知事経験者北川氏の「せんたく」のほうが余程ストレートだ。でも、それもいつのまにか相手にする人は少なくなってしまった。
 知事は地方自治をしていればよいのであって、国政に新規参入するなら、知事時代の実績を新規まき直して始めたらよい。賢明なる有権者はそこの所の区別はついている。

7/05/2009

首長の本音は交付税が減って地方財政が成り立たないこと

 地方自治体が地方分権々々と大騒ぎしているのには(もちろん大義名分はあるが)背景として地方財政の逼迫がある。その原因は小泉内閣の時の三位一体改革だ。三位の三つとは、補助金改革、税源委譲、交付税改革だ。最初の二つと最後は趣旨が違うので、2+1改革と言われる。2つは不徹底な改革に終わっているのに対し、交付税改革は完了している。交付税とは国税五税の一定割合を地方の財源として配分するように機械的に決められているものだ。ところが、税収が国地方共にダウンしている時代に、国債を発行してまで、必要な交付税財源を確保してきて、国の借金が増えすぎ問題となっていた。その措置をやめるのが交付税改革だったから、理屈は通っていたが、地方は財源が急縮してたいへん困っているというわけだ。
 税源委譲などの国と地方の仕事の配分の問題は引き続きすすめるべきだが、交付税が本来の額に急縮した問題は、地方がそれなりの歳出改革をして解決すべき問題なのではないだろうか?

7/02/2009

大臣任期は短くすべきではない(というだけだ)

 内閣改造と党役員人事を断行すると総選挙へのはずみとなる、と解説されているが、なぜそうなのかさっぱりわからない。昨年の福田内閣末期(結果的に)の8月になって、福田さんとしては初めての閣僚人事を行った。そのときは福田首相はその気でなかったが、周りから強制されたかのような感じだった。大臣の任期を極端に短くするのはよくないからだ。麻生政権になって、新布陣となって、一年もたっていない。麻生首相も同じ考えなのだろう。結局、二大臣の補充にとどまった。それだけの話ではないか?

7/01/2009

麻生首相は何も言っていない

 解散と党・内閣人事の時期で混乱しているのはマスコミのほうだ。麻生首相の片言隻語をああでもないこうでもないと推測し、勝手に記事にしている。それらによると明日7/2に人事のほうがある、ということらしいが、眉に唾をつけた方がよいのか。麻生さんにしてみれば、何も言っていないのだから、ぶれてはいない、ということだろう。
 首相番には各社若い記者が当たることになっている。同じ質問を飽きずに、回答者の迷惑を顧みずに、繰り返すとは、知性のかけらもないことだ。