12/26/2007

新聞はアジテーター

福田首相の「年金問題解決は・・・選挙公約だったのかな」発言を聞いたとき、選挙公約の軽さを選挙人、被選挙人の共通理解として内心納得していた。町村官房長官はその主旨を大胆にも記者会見で公言した。
ところが、新聞等マスコミが問題にするや、内閣支持率が急落。
新聞等紙媒体の報道が、電波媒体のTVラジオに速報性で劣り、多様性双方性にインターネットに負けて久しい。
新聞が生き残る道は、この例のように、国民に問題提起(福田首相の発言は実はけしからんと)する、酷な言い方であれば、けしかける(増幅)のが唯一なのではないか?
各新聞はその読者層に特定性が見られるが、その読者の気持ちを代弁し、うっぷんを晴らす機能が残った。「残った」とは、明治の新聞草創期はそうだったのである。
明治のインテリは「新聞は子供に読ませると有害」と考えていたと聞く。

12/02/2007

限界集落消滅は必然

山村部の限界集落が消滅の危機に瀕している。
中山間地の農林業が経済的に成り立たなくなっているのが深因だ。次世代の若者が都市に移住するのは仕方がない。当の世代の老人は年金があれば、自給自足を加え生活していくことはできるが、その世代が消滅すれば、当然のように集落も消滅するので、いま「限界」の集落と言われている。

消滅するのは仕方がない。はるか昔、人間活動が山間地に及び、いま、撤退していくのだ。何の不思議があろうか?大切なのは、それら経済条件の変動に柔軟に対応していくことだ。
小沢一郎も「変わらずに生き残るためには、みずから変わらなければならない」と言っている。

11/19/2007

「ブランド」より「味」で

船場吉兆が但馬牛のブランドで九州産の牛肉を偽装販売していた。
味にうるさい吉兆の客でも苦情を寄せなかったことから、九州産牛肉も同様に美味なのだろう。
偽装販売は違法だが、客のほうも「ブランド」に頼らず、「味」(と値段)で食品を買うようにしたらどうか。

それとも、贈答品なので、贈り主の悪口は言えなかったのかもしれないが。

11/01/2007

賞味期限切れも売ろう

賞味期限切れ商品のラベルなどの食品表示の改ざんが問題となっている。これらは商道徳にもとる行為だと思う。
しかし、売る方では、それは消費期限でなくおいしく食べられる期限だからと、健康上の被害はないのだからと、甘く考えたのではないか?
これから是正はされるのだが、賞味期限切れのものを(きちんと)廃棄するようになるのではないかと推測するが、「もったいない」ので、そうしないで欲しい。
賞味期限切れのものは、割引して売ったらどうか?ブランド価値が低下するとか、真正ものまで値崩れをおこすとか、心配する必要はないのではないか?贈り物(他人への土産)には真正もの(定価)、自分用には割り引きもの。おいしければよいと自分だけなら納得できる。
もちろん、割引ものの包装には「期限切れ、買い得品」と印刷すべきなのは当然だ。

10/24/2007

ゴルフは身を滅ぼす

守屋前防衛事務次官はほぼ毎週ゴルフ接待を受けていたことになる。
接待一般が受けたくて、たまたまゴルフとなったのではなく、ゴルフが好きだったのだろう。
ゴルフは一人では出来ない。メンバーで一人でも、あとは知らない三人と回らなくてはならない。
しかし、接待ゴルフを受ければ、金銭負担も少なく、VIP気分でプレイできる。
だから、ゴルフが好きな人は接待ゴルフの誘惑へ陥ることになりやすい。

ゴルフが好きで、贈賄対象の身分だと、以上のようになりやすい。そのような身分の人はゴルフをやらないことだ。

10/13/2007

地球温暖化理論が平和賞?

地球温暖化を防止する運動の先頭に立つアル・ゴア元米国副大統領がノーベル平和賞を受ける。彼は科学者ではなく、むしろ、政治家としての活動だから科学部門以外の「平和賞」しかないのだろう(文学賞でもないし)。
同じ理由のもう一つの受賞はIPCC(政府間パネル)だ。科学に基づく活動の団体だが、これも平和賞だという。
科学的には疑問のつく「人為的地球温暖化理論」に基づくので、例えば(地球)物理学の賞は駄目だと言うことか。

10/05/2007

歴史認識のまえに歴史の「事実」

沖縄での日本軍による住民自決の強制に関する教科書検定文について「騒ぎ」となっている。
もともと全ての事例が強制だったとの主旨の記載が、一部は強制でなかった「事実」が見つかり、教科書検定により修文されたものだ。それを元に戻せと言って「騒いで」いる。
歴史「認識」を正しく、との議論があるが、議論するためには、歴史「事実」を共有していかなければ、「認識」だけを同じくは出来ない。
また、検定の経緯も正確な事実に即して共有する必要がある。「一部は強制でなかった」から、そのように修文したのに、「全部が強制でなかった」ように修文したとの事実誤認が沖縄県民に流布されている。

10/01/2007

アフガンの燃料は天下の回りもの

テロ特措法の船舶給油で法律目的外使用(イラク方面)がなかったかどうか、問題となっている。
・燃料タンク空の状態で、満タンに給油を受け、アフガン任務の次にイラクに行った場合は×だろう。
・半分残っていて満タンにした場合、イラクへは当初の半分で行ったと出来るのか→アフガンでは当初の半分で活動でき、追加給油分でイラクに行ったと解釈だと×
・海自給油艦から給油を受けて、時日を経たあとイラク方面でそのぶん給油しなくても活動できるから、いずれ、両方面で活動する軍艦には給油できない、と見るのが常識的だ。

湾岸戦争で日本が金で解決したとき、その金は直接戦争に使わなかった(使わないよう要請した)としたが、お金は天下の回りもの、色は付いていないから、そのような要請、弁解は笑いものとなった。

似た話で、北朝鮮に援助していた時代、お米の現物なら、あるいは、発電用重油なら、軍には行かないとする議論があった。両方ともに換金できるから、笑われる話になる。

9/28/2007

デモとテロは違う

ミャンマーの元首都、ヤンゴンで僧侶を先頭のデモが広がっている。無抵抗のデモ参加の人々に軍事政権の兵隊は発砲し、死者が出ている。
イラク全土でも、匿名の自爆テロにより市民などに死者が続出している。
ミャンマーはデモで、イラクはテロだ。明らかに違う。
イラクでは選挙でマリク政権が樹立された。米軍は治安維持にあたっているだけだ。文句があるなら、自国の政権を平和的に代えることは出来る。
ミャンマーでは選挙の結果が軍事クーデターでひっくり返されて、平和的に解決する方法が閉じられている。デモの参加者数で、現軍事政権への(不)支持の程度がわかる。それしか方法がない。

ミャンマーの北の大国は、その区別をせずに、ただ自国の都合だけで、現状維持(デモはよくない)を主張する。

9/20/2007

金融の専門家だって?

サブプライムローンが組み込まれた証券の破綻が問題となっている。
大銀行、大証券会社からいろいろ勧められてはいたが、手を出さなくてよかった。この手のものの危うさを第六感的に拒否していたのがオーライとなった。
それにしても、以上の大組織の金融専門家は格付け会社の格付けをそのまま信用して、我々無知のものに小売りしていたことになる。専門家とはとうてい言えない。

似たもので、
バブル前の銀行は借り手の返済能力の審査を担保の土地だけで判断し、失敗した。そんな審査だったら僕だってできる。
年金基金の運用も素人のやり方だった。(こちらを問題とすべきだ。民主党さん)
村上氏もホリエモンも捕まってみればインサイダー取引だけに頼った(古典的犯罪)ことがわかった。
日銀の委員会も現下の景気には無関係の公定歩合を無駄に審議し、専門家ぶっている。

金融の専門家はいない。

9/13/2007

マニフェスト主義に反対

民主党の小沢代表は、参議院選のマニフェストにテロ特措法反対と書いたから、賛成できないと主張する。 (実際は、マニフェストには書いてないそうだ、過去に反対したから今回も、という理屈だけだ)
民主党候補に投票した有権者が民主党マニフェストの全項目に賛成したわけではないだろう。代議制・間接民主主義だから、議員としての政治活動はその議員にまかせた、というのが正しい。その実績次第で、次の選挙の当落につながるから、「まかせて」よい。

政党間の論争において、最後に妥協がなされると、個別政党のマニフェスト各項目政策間で矛盾が生ずることがある。
単一項目毎に国民投票すればよいという極論、直接民主主義については、この類似で実行不可能だ。

マニフェスト万能主義に反対だ。

9/12/2007

小沢党首の断りが原因

安倍総理が辞意を表明した。その時期が、国会開会冒頭の所信表明二日後だったことにいぶかる声がある。
たしかに、変だが、安倍首相が辞意記者会見で述べていることをよく聞いていればわかることだ。
小沢民主党代表を説得しようとして、できなく、あきらめたのだ。
小沢代表も今日、党首会談が正式に申し入られていたかどうかで、弁解じみた発言をしている。

安倍首相は民主党の理解も得られた上でテロ特措新法の成立を考えていたのではないか?できれば。
与野党分かれたままの安全保障の重要案件の強行採決(衆院での再議決も)には忸怩たるものがあった。安全保障問題のもう一つ、北朝鮮による日本人拉致問題には与野党一致していたのだから。

等しからざるを憂う

最近の政治資金会計ミス問題など政治家どうしのあら探し合戦を見ると、政局を転換させたい(させない)という政治運動なのだが、政治家のレベルが庶民のそれに落ちてきているのか、と疑っている。
それも問題だが、庶民の気持ちは「等しからざるを憂う」なのであろう。いままでは、一部週刊誌が取り上げてもっぱら庶民の鬱憤晴らしに貢献していたが、大手新聞、政治家までがこのレベルに落ちてきて、一億総鬱憤晴らし現象となっている。

「等しからざるを憂う」とは、我が国は絶対レベルでは世界から見たらまあまあだが、国内の一部特権者が、機会の平等どころか不正手段で、庶民に対し格差を誇っている(逆格差問題)という、比較レベルに我慢できないのだろう。

それにしても、ホリエモンに留まらず、あまたの政治家までがそんなにお金を貯めたいのだろうか?死ぬまで使えるのか?それとも他人に配るのが権力そして名誉につながると思っているのだろうか?

8/30/2007

記者晒しの刑

法律による刑罰の対象にならないまでも、日本にはTVカメラあるいは記者インタビューへのさらし者にされるという刑に似たものがある。
つい最近では横綱がそうだ。
TVカメラマンとか記者は失礼な手合いが多いので、この刑は一層悲惨なものとなる。

むかしのTVで「必殺仕置き人」というのがあった。「仕置き」のほうが良いネーミングかな。

8/23/2007

わからないことの理由付け

異常な気象現象に直面すると、人はわからないとあきらめるのではなく、何かに理由を求めようとする。一件理解となりひとまず安心だからだ。(実際は安心できないのだが)
その理由付けに「人為的地球温暖化現象」がうまく使われている。自分も加害者の一翼だとするのが、かえって免罪符「告白したのだから」となるので言いやすい。

似たようなのに、サヨク言葉で、全ての不都合なことは「当局の陰謀」となる。「自作自演」という大韓航空機爆破事件への北朝鮮の主張もそれだ。

むかし、「郵便ポストが赤いのも、みんな・・・のせいなのよ」というのがあった。それにも似ている。

8/17/2007

賞味期限切れ食品を売り出せ

北海道石屋製菓のヒット菓子「白い恋人」の賞味期限改竄が問題となっている。

ウソはいけないが、それでは賞味期限切れの商品は捨てるしかないのか?コンビニでは賞味時間切れ食品を廃棄しているという(豚のえさになるのか?)。
この日本の常識は世界の非常識だ。(日本オリジナル精神の)「もったいない」にも反する。
おいしく賞味できないだけで、お腹をこわす「消費期限」ではないから、その旨表示して、すこし安値で売り出すべきだ。
おいしさの賞味期限を行政が監督するJAS(食品規格)とはなにものか?健康被害が出るかどうかが、行政の範囲ではないか?

8/14/2007

衆議院は単純小選挙区制、参議院は比例区制

7.29での自公惨敗後、安倍政権の今後について議論が盛んだ。

参議院選挙は政権選択選挙でないから、総辞職する必要はない。ただ、国民の総意はくみ取る必要がある。自公政権にノーと言っているわけではなく、反省のためにお灸を据えている、と解釈すればよい。
反省したかどうか国民が審判を下す意味で、一、二年のうちに解散し信を問うべきだ(間違っても衆議院の任期満了まで待つべきでない)。この間、野党民主党のほうが良く、政権担当能力を感じさせれば、政権交代となろう。民主党こそ国民の信頼を勝ち取るべき期間と理解すべきだ。

それはそうと、衆参で多数党が逆転した意味で、いまだけ、二院制の意味が出てきた。同じような選挙制度で、結果、同じ政党構成だと意味がない。

だから、選挙制度を以下のように衆参全く変えることを提案したい。
衆議院は、300小選挙区の単純小選挙区制(ブロック比例区をなくし、その分減員する)。
参議院は、全国比例区のみとし、職域代表とか二大政党以外の弱小政党を救う意味での代表。衆議院で議席を持つ政党の政党登録は不許可とする。定員は200?単純比例制なので一票の格差問題は解消する。
国会議員総数は500となる。まだ多すぎますか?

7/06/2007

舌禍による政治家の沈黙を心配する

久間防衛相の「原爆しょうがない」発言での辞任のほか、政治家の舌禍事件は引きも切らない。昨年の柳沢厚労相の「産む機械」発言は沈静化したようだ。
両発言は同じようで違う。
後者は真意を説明すれば理解されるもので、たとえ方が悪かっただけだ。(それでも許さない女性政治家はいたが)
前者は発言内容そのものが久間氏の持論で、政治家だから撤回はしないので、(与党)世論と違う同氏は辞任せざるを得ない。

心配なのは、これに懲りて、政治家の発言がなくなる、あるいは、無味乾燥化する、ことだ。
確率から言ったら、何も言わない「沈黙は金」のほうが安全だが、政治家たる唯一最大の使命は、有権者に対して、自己の政治信条を「わかりやすく」説くことにある。

7/04/2007

愚民蔑視に平気な賢い?国会議員

久間防衛大臣が「しょうがない」発言で辞任した。
かたやの民主党・平岡、郡両議員のTVバラエティ番組「太田総理」での、少年法に基づく加害者少年の更正のみに偏った被害者親族の感情を無視した発言は、いまのところ大手マスコミの問題とするまでにはなっていない。しかし、ネットでは、この発言で「民主党には絶対投票しない」と決意した国民も多い。
両方に共通しているのは、政治家の大所高所からかもしれないが、国民感情を捨象し、(賢く)割り切るべきだと諭した態度だ。政治家は頭がよいに決まっている。愚昧な国民はその選良から親身になって考えてもらうからこそ、民主主義の代表と言えるのではないか。

ハニカミ王子は何故ハニカムのか?

ゴルフアマチュアの15才、石川遼選手が「ハニカミ王子」として人気絶頂だ。マスコミ「デビュー」時こそ抜群の成績だったが、いつもいつもそうではない。
宮里藍、横峰さくら両選手もいつもいつもトップとは限らない。
なのに何故、彼らは毎回TVに出るのか?それには理由がある。

ゴルフ選手は1試合何人も出て、誰が優勝するかわからない。TV用に撮影・収録するときは、放送する選手を事前に決めておかなければならない。
というわけで、それを人気選手にしておけば、たとえ良い成績でなかったとしても、なんとかなる、ということなのだろう。

それでも、優勝選手の軌跡を見たいのは私だけだろうか?

6/26/2007

列の間隔を詰めよ

バス停は屋根付きで雨の時にも濡れずに待てる。バスを待つ人が一人二人と集まり列をなす。最初は少人数だから、隣との間隔をあけて並ぶ。だが、だんだんと多くなると、そのまま列が間隔をあけたまま伸びるので、屋根の下からはみ出し、雨の時は濡れることになってしまう。

みなで、列の間隔を、列の長さに応じて、詰めなければならないが、それが日本人には出来ない。誰かが「並び直しましょう」と声をかけれはよいが、それもしない。

6/22/2007

国産の食が安全という神話

北海道の「ミートホープ」社が牛ミンチに豚肉ほかを混入していたことを白状した。パート従業員の密告からだが、それがなければ牛肉で通っていた。
原材料表示のいい加減さが改めて認識させられた。これからは、少し安価なものは、その理由を怪しんで、混入とか手抜きを覚悟しなければ購入できない。中国原産のものは特にその注意が必要だったが、国産も同様だ、ということが今回の教訓だ。

考えを変えるべきだ。
豚肉混入でも、安くてそれなりにおいしければよいという人もいる。原材料表示を正確にすればよい。あとは、消費者の選択になる。
米国産牛肉のBSE問題が完全には解決していない。以前、輸入禁止直後の吉野家の在庫肉を使った牛丼に列が出来ていたところから、これも牛肉の産地表示を正確にすればよいだけの話ではないか。

6/11/2007

中国は社会主義国か

中国は資本主義国になったのではなかったか。
6/10のNHKスペシャル「激動中国」を見て、そう思った。これはシリーズもので、今回は北京の渇水対策での貧者の悲哀と富者の奢りの話だ。
北京周辺の省で目の前のダムの水さえ使えず、貧困を強いられる農民と、首都北京の繁栄のなか、都市住民がその水を浪費する。

違和感を覚えたのは、節水対策だ。節水の呼びかけまではよいが、浪費を監視する役人が少ないので、民間人を任命し、(相互)監視役とすることだった。
浪費を強制的に防止する方法は「水道料金値上げ」しかない。料金により、資源の適正使用が達成される。
社会主義では人民の「心」を強制したが、資本主義では「お金の怖さ」で国民の行動を合理化させる。

6/08/2007

お金が怖い

交通違反で警官に呼び止められて怖いのは、警官にでなく、罰金を取られることにだ。
NHK「ためして合点」で、エコバッグ(250円)を買わずにスーパーの袋で済ますかどうかの実験があった。サクラの買い物客の大勢にエコバッグを持たせたら、(恥からなのか)エコバッグを買う客が増えた。250円程度だから、体裁を考えて買ったのだ。決して、環境意識の表れではない。

お金が怖い(惜しい)のだ。
エコバッグを使ったら、スタンプか何かで、一回一円でも還元すればよい。または、スーパーの袋を原価有料にしたらよい。
すべては市場経済の貨幣価値で換算される社会だ。人の(環境意識などの)善意に期待してはいけない。

6/01/2007

貧乏だった昔に

ロシアが生きたカニを禁輸するという。
いままでは、北方四島のロシア漁民が捕ったカニを直接根室港などへ水揚げ(密輸)していた。
だから、カニは安く日常的に食べられるものとなっていた。これからは「ごちそう」になる。昔はそうだったから、昔に戻るだけだ。
モノが安くなり、庶民にも手が届いていたのが、また、高級品に戻るようになることがこれからはよく起きるのではないか。カニと並ぶエビも、数の子だって。

ガソリンとか航空燃料が高騰している。これからは車とか飛行機にむやみに乗らないことだ。

5/28/2007

電線ドロは日本社会主義の終焉を象徴

電線など金属類の盗難があとを絶たない。それら原材料の高騰が原因だと言うが、諸外国では外に金目のものがあれば必ず盗まれる。その意味で、日本も「普通の国」になったのだ。
言い方を変えれば、最後の社会主義国・日本が崩壊し、弱肉強食の真の資本主義国入りした。 誰もが礼節を保っていた不思議な国から、じつは衣食が不足すれば礼節を欠くという当たり前の、普通の国になったのだ。
かって、ソ連崩壊直後のロシアに行ったことがあるが、百ルーブル=一円の交換レート(一ルーブル百円ではない)で、百ルーブル未満の紙幣がなく(当たり前だが)、お店の人がお釣りに困り、ガム一枚をその代わりとしてくれたことがあった。いまだ社会主義の影響下にあった国民の良いところだ。

社会主義が崩壊することは、公平(結果の平等)から公正(機会の平等)の価値観に変わることを意味する。泥棒というリスキーな職業も機会の平等を得られた結果だ(捕まれば厳罰、という前提で)。

中国、ベトナムは全体主義一党独裁の資本主義国、北朝鮮、キューバは全体主義国そのもの。いずれも社会主義にはずっと前からあきらめている。
日本が最後に社会主義から脱皮することが、二十世紀末の共産主義崩壊からつづく、二十一世紀はじめの世界的事件ではなかろうか?

5/07/2007

環境問題は隠れ蓑

ニッポン放送によると(大量廉価の)割り箸の供給は中国からの輸入が大部分で、同国は近時、環境問題を理由に全面輸出禁止の動きだという。同放送の解説では、中国国内では原料となる材木がすでに枯渇し、ロシアから材木を輸入し、中国国内で割り箸に加工し、それを日本に輸出しているので、中国国内の環境問題を理由にするのはおかしい、とのこと。
韓国では、割り箸禁止の措置をとっている。もともと金(かね)の箸の国だからだが・・・

そもそもだが、(割り箸のように)木材資源を使用することは木材産業の育成になるし、再生可能資源なので、限りある地下資源の乱用にならないメリットがある。また、割り箸は使い道の少ない間伐材(小径木)の貴重な使途ともなり、間伐奨励となり、結果として森林育成に割り箸使用はつながるのである。
使い捨てだから資源乱用だ(もったいない)との、短絡的思考はよくない。

中国の禁輸は環境問題ではなく、価格高騰をねらったものだ。
環境(を)問題(とすること)を表向きの理由にして、別のことをねらっているのはよくあることだ。
国際資本によるサハリン天然ガス開発をロシア政府が環境問題を理由に差し止めたが、国内資本のガスプロム社に有利になるようにするためだったことは見え見えだった。

4/25/2007

謝罪は死者に対する冒涜

日本国がその歴史の事実に謝罪するとは何なのであろう。
それが数世代以上前のことだったら、当時の日本国を形成していた国民は生存していない。その国民のしたことに対して、現在の国民が現在の日本国として謝罪しても意味がないし、越権行為でもある。当時の国民は「謝罪しない」かもしれないのだ。死人は自己弁護ができない。
戦争責任とか従軍慰安婦問題など、さらに歴史研究は必要だが、それがどうなっても、日本国が謝罪することにはならない。
それら歴史を省みて、いまの日本がこれからどうする、という話にはなる。慰安婦を戦争に連れて行かない、もちろんその前に戦争はしない、といういまの日本国の姿だけで全てクリアである。

4/23/2007

選挙の結果に見る既成概念の間違い

行政マン(長崎市長選)が当選。
市民派(東京都知事選)が落選。
スキャンダル芸能人(宮崎県知事選)が当選(当選後、まじめだということが判明)
風がどこを向いているということではなく、その地方の選択だ、というしかない。
都民はタレントも市民派も飽き飽きしていたのでしょうね。宮崎は今後次第。長崎は堅実。

4/19/2007

安倍首相は警察を統括する

伊藤長崎市長へのテロ事件に対し、安倍首相のコメント第一声に批判が集まっている。
最初のコメントはその夜のうちに文書で寄せたもので、厳正なる捜査によって真相を解明を、というもので、その簡単さに批判が集まり、翌日にはTV画面で、言論の自由に対する脅威は許せない、との他の政治家と同様のコメントで、カバーしたようだった。
でも、第一声として前者は大切だった。総理大臣は日本国の警察を統括する立場だから、長崎県警を指導すべき立場がまずはあるべきだ。翌日の第二声は政治家・自民党総裁としての声だ。

つまらないことで、揚げ足をとらない方がよい。ほかの政治家で言論の自由的なことを言っていたものも、月並みといえば月並みで、月並みでもよいとする「政治家の義務」「通過儀礼」アリバイ監視はやめるべきだ。

4/17/2007

トウモロコシは食用に

再生可能資源としての自動車用バイオ燃料が化石燃料の代替として注目されている。米国などではガソリンの代わりにトウモロコシなどから作るエタノール、欧州では菜種油をディーゼル燃料へと。
しかし、いずれの原料ともが、食料用あるいは食料生産のための飼肥料としてかけがえのないものだ。化石燃料は減量でき二酸化炭素排出量は確実に減らせても、食糧難になっては本末転倒だ。その結果、発展途上国の国民がまずは飢えることになるから、結果は金持ちのわがままともとらえうる。
あるいは、金持ち国・米国の主要産業・農業を助けるだけに終わってしまう。

各資源にはその資源でなくてはならないものと、エネルギー源のように競合資源があるものとがある。
前者は石油化学原料としての石油とか、前述の食料資源とかだが、後者には石油、石炭、太陽エネルギー(熱、発電)、風力、原子力などがあり、相互に融通でき、そうすべきものだ。
前述の自動車燃料はガソリンとか軽油とかによるのが最適なので、それはそれで賄った上で、発電、暖房などのためを石油以外に求めるほうが合理的となる。

4/09/2007

浅野候補の戦い方

都知事選は石原現知事の圧勝に終わった。石原氏は今回は色々と問題があったのだが、浅野氏側の敵失に助けられた。
民主党でまともな候補が出ていたら、石原氏は危なかったろう。浅野氏の弱点は支援者のウイングが左に広すぎることだ。宮城のときに勝手連と称するそれら支援者に助けられたから、その勝手な支援者を避けるわけにも行かず、仕方がなかった。
ウイングが広すぎると、石原氏との中間の人たちを石原氏側に追いやることになる(無党派層の半分が石原氏に行った)。
左ウイング(勝手連?)は人民戦線方式をねらっているのだ。コミンテルン時代の国際共産党は独自に権力が握れないとわかると、当面妥協し、民主主義勢力の左の一角に寄生したのだ。
その歴史は、民主主義勢力には学習済みだから、二度と引っかからない。

4/04/2007

言葉尻狩り

県庁新採職員への知事訓辞は面白くなければ、若い人だから、心には入っていかない。
東国原宮崎、神田愛知、上田埼玉の三知事の挨拶が言葉尻狩りを受けている。
政治家の発言だから、内容勝負だ。いずれも内容は問題ないものだった。面白くするために、言葉を工夫したのだ。
これに懲りて、言葉を慎重にしたら、役人と同じになって、政治家としての知事の持ち前をつぶすことになりかねない。
柳沢厚労大臣の「産む機械」も同じだった。

3/30/2007

粗製濫造TVコメント

在京キー局が5局もあって、CM収入総額から言って多すぎるし、その弊害が出ている。
視聴率争いから、奇を衒ってニュースショウなどに有名人をコメンテーターとして出演させる。それが優秀な人だとしても、全ての分野に通じているはずがない。
よくわからない分野でも無理にコメントするから、なるべく視聴者にとって耳あたりのよい(権力側にとっては耳痛い)言葉を並べれば格好が付くというもの。
その連続がTV世論となるとすると恐ろしいことだ。(本当は井戸端会議のようなものなのに)

3/28/2007

ばらまき福祉は票にならない

統一地方選挙の時期に突入した。
「わたしは福祉をやります」などという、政治スローガンを掲げる候補が出てきた。
票を多数集めるためには、最大多数の層に利益になる、この種の(福祉)政策を掲げればよいようなものだが、そうならないところが民主主義日本の特徴だ。
結果の平等が欲しい(貧困)層でも、機会の平等を使って更に上にあがりたい(あがる可能性を持ちたい)のが日本人だ。

3/27/2007

TV界は護送船団

TV局は春の番組改編時期で、再放送ものばかりでつまらない。NHKも民放のこの悪習におつきあい。
TV関係者はこの春休みと秋休みと年末年始のお休みがある。ニュース以外は不要不急だから構わないが。
日本経済が頭打ちでCM収入も右肩下がりだというのに、相変わらずの高給と以上の長い休み。これでは下請け安値制作にしわ寄せして、第二第三の「あるある大事典」事件が起きるはずだ。

それでも安閑とし、内部からの改革が起きないのは、放送免許という既得権のなせる技だ。

3/14/2007

天に唾する米国など(従軍慰安婦問題)

「従軍」慰安婦問題も南京「大虐殺」問題も、事実関係を正確に捉えれば解決する。「従軍」と「大虐殺」の証拠が今のところないに等しい。
状況証拠だったら逆に問題がなかったと言える。
「従軍」のほうは、当時売春が民間事業として十分成り立っていたこと、「大虐殺」のほうは、あったとしたらたぶん便衣兵(正規兵が軍服を脱ぎ捨て民間人をよそおってゲリラ的に抵抗)の殺害はあったし、それなら戦闘行為で全く問題はない。
以上だが、百歩譲って問題があったとしても、数十年を経た今になって問題にする理由がない。
当時は当時として問題の解決は決着している。
現在の日本が未だ従軍慰安婦を利用し、他国に侵略した際、大虐殺をしているなら、問題事例を再度問題にするのはわかる。
問題事例を他山の石として反省すべきは、問題化しようとしている国々だ(U国、K国、C国)。

3/07/2007

都外の人が石原都政にNO?

浅野前宮城知事が都知事に立候補する。その理由として、石原都政にはもうたくさん、という声が充ち満ちている、としている。
問題なのは、それらの声は全国から寄せられているからとの一言。
他の46道府県在住の非選挙民が都政に何故文句をつけるのか?権利も義務もない。石原氏の放言が目障りなだけではないか?地方による地方への内政干渉といえないか。地方自治とはその地域の住民がその地方のことを決める、ということを忘れている。

3/01/2007

君が代日の丸を強制しない都知事

石原都政では君が代日の丸を公立学校の行事で地方公務員たる教職員に「強制」している。教職員の雇い主は都民で、その代表たる都知事の命令だから従わないと職務怠慢になる。
命令に従わない教職員とそのシンパの人たちは石原慎太郎氏を「生理的」に嫌悪しているのではないか?であるなら、浅野前宮城県知事を都知事候補に担ぎ出したらよい。
浅野氏が都知事となれば、「強制」が各先生の「自由」となるのだろうか?

都知事選とかの選挙は有権者の想いを代弁する人が立候補することが社会的には必要だ。棄権するほど精神的によくないことはない。
その点、共産党はほとんどの場合、独自候補を立てるから、当選の可能性からして無駄だとは言っても、その意味では必要なことではないか。

2/26/2007

ローマ人の物語完読

塩野七生「ローマ人の物語」全15巻を読了した。
他の古今ヨーロッパ人によるものとの違いは、「何故」が書かれていること。
昔、ギボンのローマ帝国衰亡史も読んだ(正確に言うと途中でギブアップ)が、皇帝が殺され次の皇帝へ、という事実しか書いてない(だからつまらない)。

塩野版ローマ帝国本が各国語に翻訳されることを望みたい。

2/23/2007

建築家が知事は危険?

民主党の都知事候補が未決の今、無所属の建築家・黒川紀章氏が名乗りを上げた。
石原都知事は、その感想を聞かれ、「建築家が知事になるのは危ない」と、わたしの感想と同じことを言った。奇抜な建物を建てて都政とする恐れが濃厚だ。

でも、小説家が知事になるととんでもないことになる。田中康夫氏の例でも明らかで、現実と架空を取り違えている。
お笑いの宮崎・東国原知事はといえば、ノック知事と同じ、PRマンには最適だ。所詮、知事とはそのようなものにすぎないのかもしれない。建築家あるいは小説家のように知性をひけらかすことがないだけマシだ。

2/13/2007

尾見財務相も長女を

石原都知事が四男を登用したとき、李下に冠を正さず、に反すると言った。
尾見財務相も長女を登用した。
身内がその能力故に登用されてもよいのではないか、と言い訳するのかもしれないが、たとえ部下がそう進言しても断固断るべきだ。
能力あるその身内は偉い人を父に持った上の悲哀だとあきらめてもらうしかない。

2/07/2007

言葉だけ取り繕っても

柳沢大臣の女性産む機械失言の決着後、また、健全な家庭論(二人の子供)が出て、女性政治家が騒いでいる。
もういい加減に言葉尻をとらえるのをやめにして、少子化対策を議論したらどうか。国会はその方向で再稼働している。
差別用語の言葉狩りというのがある。差別の実態がなくならないのに、言葉だけなくせばよし、とするものだ。今回はこれに似ている。
同和問題も同じで、行き着くところ、エセ同和(同和を騙る)になる。中身の改善をしないとこうなる。

江戸時代、キリスト教徒に対する踏み絵というものがあった。隠れキリシタンをあぶり出す意味だったろうが、ぼくは、踏み絵を踏めば許す、心の中まで変える必要はない、ということだったのかとも思った。
同じく、奉行所のお白州で、名奉行が罪人に対して、「恐れ入ったか」と宣言し、罪人は恐れ入って(振りをしてもよい)放免される、のにも似ている。
狭い島国日本の中では、違いを荒立てるより、表面の一致でうまくことを纏めるほうが賢明だったからだ。

2/05/2007

地球温暖化は政治運動

人為的地球温暖化理論に数々の疑問が呈されている。
私も書いた。http://home.e08.itscom.net/21water/co2.htm
この冬、世界的に暖冬だが、このときをねらって、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が再度の地球温暖化の警告を出した。
数々の疑問に答えておく必要があると判断したものだろう。新聞報道を読むだけでは、数々の疑問への答えは見つからない。今回までの観測データの積み重ねが人為理論の更なる裏付けになった、とあるのみだ。

疑問を出す側としては、暖冬のとき(あるいは前回は酷暑の夏)に(わざわざ・・・と思えるが)発表するのは、一般大衆へのデマゴーグとしかとらえられない。

昨年の冬は厳冬だったのをもうお忘れでしようか?地震後の旧山古志村に豪雪の追い打ちがありましたね。ことしの暖冬の原因はエル・ニーニョ現象だけだということは気象学者の一致するところだ。

2/02/2007

柳沢大臣には少子化政策を質すべき

柳沢厚労大臣の「女性は産む機械」発言が問題となっているが、大臣は陳謝・訂正しているのだから、それはそれでよいのではないか。
講演の発言のときにも「・・・機械、こんなことを言ってはいけませんよね・・・」とその場で否定している。ポロッと出てしまうのは、日頃の考えとして持っているから、との指摘はあたっているのだろう。でも、内心はどう思っても、大臣として適切な政策を実行することの方がずっと重要だ。
女性を機械として扱う政策を出してきたら、そのときには阻止したらどうか。それが議員によるチェックというものだ。

言葉だけきれいでも、実態が伴わなければ何にもならない。

なお、少子化問題の混乱は、少子化政策を自己の女性グループの地位向上に利用する傾向があるのが問題であって、全女性の(産む産まない)事情を見わたして適切に各政策を配置することが必要だ。それをこの大臣ができるかどうか質すため、国会質問するべきだ。

1/31/2007

「人にやさしい」は環境に厳しい

駅のバリアフリーとかハートビルとかで段差がなくなり、エスカレーター・エレベーターなどが新設されている。
老人とか身体障害者の少数をいたわるかのようだが、実際は健常者の利用が(当然だが)多い。事業者も利用者多数の利便は無視できない。
これが「人にやさしい」の実態だ。
世の中が人にやさしくするのは当たり前で、(主人の)人のことをさしおいても、環境(他の動植物のことでもある)にやさしくし、人は少し我慢するというのなら、それこそ立派な態度と思う。

エスカレーターを設置するには、広い意味で環境を破壊しないとできない、ということを言っている。

1/25/2007

退職金は手切れ金

元フジテレビの横澤彪氏の書いたものを読んだ。組織に働くサラリーマンの給与は「我慢代」で、退職金はその我慢からの「手切れ金」だというのだ。
だから、退職したら自由になるのだから、自分の好きなことをすればよいのだ。
子会社などに行く人は、まだ我慢が足りなかったと思ったか、手切れ金では自由な生活に支障があるからか。

1/18/2007

地球温暖化でよくなること

1.温暖区域が増え、農業生産が増加する。
 地球上の寒冷地はマイナス何十度と限りがないが、酷暑地はせいぜい五十度止まり、百度近くなって人間居住不可能ということにはそうそうならない。地球温暖化では、寒冷地の農業不適地が少なくなるだけ。また、もし、温暖化が二酸化炭素の増加によるものだとしても、光合成が盛んになるから農業にはプラス。
2.北極の氷が溶け、北極航路が開設され、日本(太平洋)と欧州(大西洋)間がパナマあるいはスエズ運河経由の遠回りから最短化する。
 これは、航空路では既に実現。昔はアンカレッジ経由だったのが、いまはシベリア上空を飛べるようになった大圏航空路で直線最短となっている。
3.熱帯になるということは、一年中果実、木の実等が収穫でき、豊かに暮らせると言うこと。(反対に、努力しないから、寒い地方である欧州の植民地にされた歴史がある)

以上、温暖化という変化も悪いものではない。豊かな生活をつづけるためには、変化を恐れてはいけない(「変わらないために変わる」小沢一郎)

1/15/2007

公園を利用する老人は清掃も

最近のまちなか公園は老人ばかりが目立っている。
びっくりするのは、ゲートボールの老人チームの傍らで清掃「奉仕」に従事する老人たちが見られることだ。不公平だ。遊んで散らかす人とそれの後始末をする人とが対照的だ。

ところが、先日NHKのワーキングプア老人版を見て、公園清掃業務が彼らの貴重な収入源となっていることを知った。奉仕ではなかった。

それは別として、生活に困っていない老人の場合は、公園清掃は利用者同志のボランティアとすべきではないか?

1/13/2007

国会議員宿舎は無料でもよい

国会議員の東京赤坂宿舎の家賃が安すぎることが問題となっている。
でも、地方からの議員にしてみれば、国会のある東京で毎日活動するには宿舎は不可欠だ。民間の賃貸マンションを借りる手もあるが、重要国務なのだから、国が用意するのが当たり前だ。
家賃が安すぎると問題視するが、極端に言って、無料でもかまわないのではないか?どうせ歳費から出すことになるから、歳費-家賃=給与と考えれば、家賃はいくらでも給与がいくらかを見ればよいのだ。

公務員の宿舎賃料も同じことだ。
もちろん、本間教授のように公務以外の他目的に使用することは厳しくチェックしなければならない。

1/10/2007

鳥インフルエンザの宿主、渡り鳥対策

今年の冬も中国大陸を中心に鳥インフルエンザが流行している。先年のSARSも同様だが、人から人への感染形質を変異獲得すると、世界的に死者が多出する第一級の伝染病となる。
このウィルス性の病気で有名なエボラ出血熱もそうだが、「宿主」が必要だ。とりついた人間が死んでしまうわけだから、ウィルスは生存を続けるための宿主が必要だ。同出血熱の宿主はジャングルの類人猿の仲間だという。
鳥インフルエンザの場合、夏を寒冷地で過ごす必要があり、そのシベリアと南の土地とをつなぐ渡り鳥が宿主となりかつ寒冷地への移動をしてやっていることになる。
中国あるいはベトナムなどは人間社会のそばで鶏が飼われ、その鶏舎のそばに渡り鳥がやってくる。農村には自然の暮らしがあるから、そこで鳥インフルエンザが毎年発生する。

鳥インフルエンザの根本対策を敢えて言うと、渡り鳥対策または農村の家禽類の飼育に野鳥を近づけない、などの自然あるいは生態系に反することをしなければならないのかもしれない。