1/30/2009

補正予算関連法案は早く参院否決、衆院再可決へ

 第二次補正予算は自民党内の造反がなく衆院では可決、参院では給付金部分を除いた案が可決され、衆院優位で、政府原案が通った。問題は執行するための財源確保の関連法案の行方だ。民主党はこちらには政局からの妨害をするようだ。結果とし、民主党が景気対策予算の執行を遅らせ、その効果を減じたことになる。民主党の評判のためにも、参院で早く否決したらよい。成立が即日か60日後かの違いだ。どうせ予算は通ったのだ。
 昨年四月のガソリン税暫定税率切れのときは一ヶ月暫定税率分安くなった。文痴はおかしいと思ったが、安くなって助かりそれは民主党のおかげだ、と思った有権者もいただろう。今回は、そのようなことはない。給付金は反対だが、決まったのなら、反対だった人も早くほしいはずだ。経済にもいくばくかの効果はあるだろう(効果が少ないと言っている人はいるが、ないと主張している人はいない)。高速道路が安くなるのは、民主党の政策でもあり、こちらも急いだ方がよい。
 予算案の衆院優位があるなら、関連法案も同じ扱いにしないとおかしい。執行できない予算は予算とは言えない。それとも一気に参院廃止、一院制か?

1/29/2009

海賊警備と集団的自衛権とは無関係

 海自護衛艦がソマリア海賊対策のためアデン湾まで派遣されることになった。活動の根拠は自衛隊法に基づく「海上警備行動」。ここまではよいと思う。相手はちんけな海賊だ。戦闘行為ではなく、警察(海保)なみの活動で十分だ。相手にあわせ武器は高度なものを携行するから、海自でないとできない。
 問題なのは、日本に関係(日本船籍、日本人船員、日本の貨物)ない外国船の警備が出来ないことだ。日本の税金で行動するのだから、それらに専念するわけにはいかないが、たまたまそれら船舶への海賊行為を発見しても対応できないとさ。どうも、集団的自衛権を行使しない、ことが関係しているみたいだ。でも、相手はどこかの国の軍隊ではない。「警備行動」という戦争ではない行為なのだ。集団的自衛権を行使しない実の理由は国家間の紛争に巻き込まれるのを避けるためだろう。内閣法制局という法匪に、法律の厳密解釈を委ねた結果、国が滅びてしまった、ということになりかねない。
 海難の現場ではどの国の船舶も救助活動をしなければならないのと同じだ。

1/28/2009

臓器移植は国内で

 NHKクローズアップ現代「制限される海外臓器移植」を見た。日本人への臓器移植がなぜか海外の医療機関で多くなっている。医療技術が劣っているのではなく、移植用の臓器が不足しているからだ。おまけに小児用の臓器移植は日本では禁止されているから、海外移植しか方法がない。これも含め、日本の移植の基準(脳死判定)をゆるめるべきだ。提供者とその家族が拒否しているわけではない。脳死だけでなく、心停止に至らないと死亡ではない、との頑なな考えがあるのではないか?そのようなことから、植物人間になって(心臓は動いているのというので)生かされ続けるようになる。

1/26/2009

職は一次、三次産業へ

 自動車あるいは家電関係の製品需要が世界的に落ち込んでいる。これら二つは耐久消費財の代表だ。作り販売しつづければ、いずれは飽和状態になる。耐久的なものだから、あとは長年月後の買い換え需要しかない。その時期がついにやってきたのだ。両産業の経営者も予測していたことだ。米国車は大型車でエコでないから売れないというだけでなく、日本車のようなエコで価格もリーズナブルなものまで売り上げは激減した。経済が恐慌状態の中、そのように売れゆき減の傾向だったのがいっぺんに顕在化したのだ。
 日本国内で、両産業に従事する非正規労働者が雇用調整で職を失うようになった。彼らは他の産業に転職すべきだが、求人がないと訴える。でも、農林水産業は人手不足だ。都会ではサービス業に人手が集まらないと聞く。介護など人間の労働が不可欠な分野も人がいない。これらには外国人であっても労働者が必要だという。年齢、性別、資格の有無など、個々の失業者すべてにぴったり当てはまるものはないだろうが、職は多くから探せば見つかるものである。麻生首相の諭す、何をしたいのか?ではなく、選り好みせず何んでもすれば暮らしては行けるのである。
 それは世界の各国では当たり前のことではないか?場合によっては、食うために仕事をする、ということもやむを得ないことだ。

1/24/2009

オバマで確実に変わったこと

 オバマ大統領が何を変えようとし、変えることができるかは、これからの問題だ。今後の推移次第では、期待した人たちもガッカリすることはあるだろう。
 それよりもオバマがすでに変えたことは、米国で初の黒人大統領となったことだ。人種差別が社会の癌であった米国がとうとう差別なき社会になった。オバマ氏も夫人ファーストレディも大変な学歴・キャリアを持つ。黒人だから、と差別され、能力を発揮できない、ということはなくなっていたのだ。その様に社会が変わってきて、その最後に象徴的にオバマ大統領の就任になった。
 これからは自分は黒人だからキャリアアップできない、というのは理由にならない。全てが能力社会、逆に言えば自分の能力にしか頼れない、そのような米国になったということだと理解した。「差別されている(と感じる)人」にはそのように気持ちを持ち直すチャンスだ。

1/21/2009

オバマニュースはもうたくさん

 米国時間1/21の大統領就任式は日本時間では1/22未明だった。だから、日本のTVニュースでは1/22の今晩がピークだ。おかげで、どのチャンネルのニュースでもオバマオバマ、もうたくさんだ。許せないのは「オバマに期待すること」だって。米国の大統領が日本のための施策を考えてくれるはずがない。結果として日本と世界のためになることはあるが、ブッシュ前大統領と同じく新大統領も米国の国益が第一だ。
 少しは日本の首相に期待したらどうか?なにも麻生さんだけを支持しろと言っているのではない。日本の国内を良くし世界に貢献できる日本国首相を祭り上げたらどうか。

支持が不支持に変わった理由を世論調査せよ

 ご祝儀支持率というのがある。ご祝儀相場が損得無関係に景気づけのために高値取引をするとあるのに類似して、政治家の就任当初は未知なものを(とりあえずは)支持する意味のようだ。米国ではあるのだろうか?オバマの支持者はずっと支持するように思えるし、不支持(のものも多いはずだ)の人は最後までずっと不支持だろう。政策が変われば支持不支持が変動するのは当然だ。
 安倍さん、福田さん、麻生さんの場合もご祝儀支持現象はあった。安倍さんと麻生さんの場合、とくに祝儀後の支持率下落が著しいように感じた。日本人の場合、本当に就任後未知なるものへの一時的な高支持だったのだろうか。両首相の場合は、「事前のイメージと実際が大きく異なった」と捉えたグループが多数だったのではないか。そのあたりを世論調査で調べてほしい。「当初支持していたのにいま支持しない理由は何ですか?」との質問を当該グループに。

1/20/2009

麻生首相は2011年の国政をも牛耳るのか?(消費税増税)

 麻生首相は提出を予定している税制関連法案の付則に2011年からの消費税増税の(予定)記述を入れたいらしい。景気対策給付金に2兆円もの埋蔵金を使うことの財政健全化への悪影響を心配してのことらしい。埋蔵金といっても、もともと国の資産だから、資産が減ることは純債務が増えることになる。埋蔵金が天から降ってくるわけではない。その意味では立派な考えだが・・・
 景気対策中に、将来といっても、増税の話をしたら、効果が台無しになる。心理的なものが大きいのだ。
 また、現在制定中の法律に将来の改訂の義務を書くのはおかしい。そのときの立法府のメンバーが決めることだ。消費税増税のための条件・・・景気が回復して行政改革ができて・・・がついているといっても、それもそのときの判断だろう。

1/19/2009

環境・安全は本予算で審議せよ(小沢代表へ)

 民主党小沢代表は二次補正予算に含まれる2兆円の定額給付金に反対し対案として「環境」「安全」に投資すべきとの考えを発表した。18日の党大会でのことだ。
 遅い。衆議院で二次補正が可決されてから言っても。
 「環境」「安全」には与党も投資の考えで、21年度本予算にも盛り込まれている。小沢代表がその投資が少ないというなら、本予算の審議時に主張すべきだ。「環境」「安全」は景気対策と言うより、継続施策だから、補正予算のそのときだけの投資にはなじまない。

1/16/2009

予算は終わり。政策論争は別に

 二次補正予算が衆議院で可決、参議院に送付された。参院多数を占める野党がこれをどう扱うかが焦点となっている。野党には不満な予算案だとしても、早く否決(否決すれば予算の衆院優先で原案通りとなる)すればよい。関連法案は予算執行に必要だから、60日みなし否決を待たずに、否決(衆院再可決させる)したらよい。野党の主張は旧年内に二次補正を審議、早く執行せよ、だったはずである。だから一二ヶ月遅れでも早いほうがよい。定額補給金の部分は反対なようだが、衆院多数の与党の案が結局は通ってしまう。予算は本予算だけでなく補正予算も含めて、与党政府案が修正なしで可決されるものだ(と理解した方がよい)。もちろん審議は必要だが。来るべき総選挙ではこの予算(補正、本予算)の是非を争点に戦われることになる。
 むしろ、公務員制度とか地方分権のこととか国の基本のことで争ってほしい。予算はこの経済危機で与野党だいたい同じ考えではないか。経済対策が不必要という政党はないはずだ。細かい差異はさておき、迅速性が求められるのである。

1/14/2009

需要確保と貧困者対策がごちゃまぜ

 100年に一度の経済危機に財政の出番となっている。混乱しているのは、財政の役割の二つの面の区別だ。
 ひとつは総需要確保のため公的需要追加の機能だ。公共事業がそれで、一時的に経済規模が過小となっているのを底上げし、通常規模の経済活動に戻し、あとは、市場の機能に任せる方法だ。ケインズ経済学だが、いまの状況にも有効だ。2兆円の定額給付金は財政からの国民への消費増加奨励の現金贈与そのものだ。一部が貯蓄されるので、効果は少ないが、需要確保に有効なのは間違いない。
 もうひとつは、経済危機に際してセーフティネットの構築のための財政だ。給付金は貧困者に、というのもその趣旨となる。あるいは、松浪もと政務官がばらまき給付金より雇用、医療関係へ、というのもこの趣旨かもしれない。
 以上の二つがごちゃ混ぜに主張されているから、混乱している。最初の機能だけでも、結局は経済が立て直されることにより迂遠なようだが、なによりも貧困者対策になることを理解すべきだ。

1/13/2009

景気対策給付金を雇用対策予算にはまわせない

 松浪健太衆議院議員(自民党)が定額給付金の2兆円の使い道を批判し、むしろ雇用、医療関係に回すべきだとして、二次補正案採決に棄権した。
 野党の言い方だ。野党は政府予算案に反対するため、何々の何億円をこれこれに代えて使うとこれだけの効果が得られる、と一部の差し替えを要求する。予算というのは、すべての必要な施策をバランスよく実施するため、最適に配分作業を経た後、提案される。その一部を差し替えるのなら、全面的に配分し直さないと、バランスがとれない。松浪議員の要求する「雇用」「医療」にもぎりぎりの折衝の末、必要最少限の予算がつけられている。全然つけてない、のではない。反対するのなら、定額給付金をゼロにすべきだ、あるいは別の方法で、という論理展開をしなければならない。定額給付金は全国民による消費を刺激する景気対策なのだから、景気対策になるほかの施策を。

1/11/2009

地方議会は要らない、が正しい

 テレ朝サンデープロジェクト1/11の「地方議会は変わるか」を見た。たしかに形骸化している都道府県・市町村議会は活動内容を合理化する必要はある。
 文痴は地方議会は必要ないと考える。三権分立は国の権力機構の話だ。地方には司法がないし、立法も厳密に言えば、条例制定は国の法制度の範囲内のことで、ないと言ってよい。問題は行政(首長)のチェックを、議会がない場合、どこで行うかだ。究極にはリコールがある。定常的には監査組織を有効・独立なものにする必要がある。行政から切り離すために、首長による任命でなく、独自に住民による選出方法を確立すればよい。何十人もの議員より、少数の監査委員の監視があればよいのだ。
 国の権限を分散する道州政府構想の場合は、立法機関がそれぞれに必要だ。州法を制定しなければならない。

1/07/2009

伊丹は廃港が正しい(橋下知事へ)

 大阪府橋下知事はかねてから関西国際空港の発展の阻害となっている伊丹空港を問題としてきた。伊丹~成田便が近畿から海外へのルートになって、関西空港の利用を低調にしているので、JAL、ANAに対し廃便を要求した。当然ながら二社は利用者の利便のためこの要求を拒否した。橋本知事の一本負けだ。
 文痴の考えは、狭い日本に国際ハブ空港はひとつでよい。もちろんだが、近隣東アジア各国の空港間とは全国各県の空港と結ぶ便があってよいしそうなっている。遠距離の北米とか欧州便は総便数が少ないので、関東地域(羽田も含む)に集約すべきだ。全国各空港からは成田、羽田と結び、乗り継げばよい。米国でもその意味で意味のあるハブ空港はニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、アトランタなど、また、欧州ではロンドン、パリ、フランクフルトなどに集約されているのではないか?むかし、イベリア航空(スペイン)で成田からバルセロナに飛んだことがあったが、いまは廃便となっている。上記のハブ空港から乗り継いだ方が便数などが多く便利だからだ。
 ただし、伊丹空港は国内線も分散し、関空の不便を来し効率化を妨げているから、「廃港」とすべきなのは言うまでもない。

1/04/2009

日本人の貧乏根性(道路渋滞が日常)

 ニュース番組で、Uターンラッシュによる道路渋滞を伝えていた。アナウンサーは「いつもの」渋滞が「戻ってきた」と。(「」内は実際は言っていないが、文痴にはそのように聞こえた)
 渋滞が日常でそれに戻ったことは喜ばしいのか?おまけに不景気の今、渋滞は吉兆だと。道路がいつも空いていること、が価値になる日本になってほしい。

1/02/2009

若い日本人は米国人になったのか

 紅白歌合戦を見たら、若い人の初めて聞く歌が過半を占めていた。それは文痴の歳のせいで仕方がないのだが、問題なのは、それらの歌の内容だった。メロディーが単調(まるでメロディなしの朗読に聞こえる)なのは前から何故だろうという意識があった。だが今回、歌詞も問題あることがわかった。
 詩としても駄作で、恋なら恋、別れなら別れに際し、ただ単にその気持ちを直接歌い上げるストレートなもので、詩作とはとても言えない。アメリカのカントリーなどもそうで、テネシーワルツの恋人を盗られたという歌詞などで、米国は多民族、直接表現でしか共通認識ができないのかと思っていたが、日本人もその様になったらしい。亡くなった大作詞家・阿久悠が嘆くだろう。
 文痴などの時代の歌詞は、地名が入っていた。地名は函館なら函館で単なる地名ではなく、その土地の情緒を伝えるものだ。心の表現も直接表すことはなく、比喩で間接的に分かるような言い方だった。
 日本人の若い層に、これらの共通理解事項(地名、比喩で認識が一致する)が無くなったとしか思えない。