3/31/2011

水戸納豆の買いだめは濡れ衣(文痴の間違い)

 昨日、納豆もスーパーの棚からなくなり、買いだめされたらしい、と書いた。TVによると、納豆の容器のまわりを包む商品名シート(透明のもの)の調達が困難らしい。だから、売り惜しみでもなく、生産者、消費者以外の理由だったことがわかる。
 それにしてもそのようなシートだけで商品にならないとは。

3/30/2011

風評に抗してほうれんそうを買う

 風評に抗してほうれんそうを買い求めた。茨城県産のものは店にないので買いようがない。かわりに千葉県産のものがいつもより安価だったので得をした気分になった。政府が大丈夫だと言ってるので、普通に接すればよい。それも過剰に安全を持って言っているから、少々のことでは買わないという手はない。
 納豆はスーパーの棚から消えた。水戸産?だからと思ったが、買いだめらしい。他家の冷蔵庫が満杯になるまでは仕方ない。
 その他生鮮品も買いだめし、冷蔵庫にため込んだあと、東電が停電させ、腐らせたら、笑い話にもならない。
 新聞TVを見、人から聞いた話で、あわてふためいて買いだめ、また風評を信ずる日本人が悲しい。あなたが、いつもより(一つでも)余計に買うこと、それが「買いだめ」というのですよ。逆に風評におびえる生産地のものを買うことがその被災地支援の大きな一歩となるのですよ。

3/29/2011

個人のリスク管理に役立たない放射能基準

 福島第一原発から20kmの圏内は避難指示区域となっているが、避難所から留守の家に忘れ物を取りに行く住民が絶えないという。
 危険な区域だから政府は避難を指示(命令)しているのだろうが、最終的に住民の行動を決めるのはその個人だ。放射能を浴びるリスクと必要品がない生活とを比較し、一時帰宅を自分なりにリスク管理し決めたものだろう。
 ということは、放射能の安全基準が素朴な実感から明らかに厳しすぎるのではないか?多分一桁、あるいはひょっとしたら二桁も大きくてもよいのかもしれない。ギリギリ安全が守れる数値にはもちろん安全率を掛けて(少ない数値にして)基準にする必要はあるが、それでも小さすぎる。ひょっとして基準を作る役人側の責任逃れ、でなければよいが。安全側であればそれでよし、というのは個人がリスク管理したうえでの行動の基準には役立たないし、すべて行政不信につながる恐れもある。
 買いだめ行為は非道徳だが、リスクはほとんどない。家中が当面必要ない商品であふれるだけだ。少しでも汚染の疑いがある野菜などを忌避する(供給者側からは風評として片付けている)のもリスクはない。ほかのものを食べればよいからだ。だから、リスク管理と言うより、こちらはノーリスク管理になっているのだろう。

3/28/2011

停電生活のネパールに見習えニッポン

 ネパール旅行から帰ってきて、日本の街が引き続きの省電力による減灯で、落ち着いた雰囲気で世界に向け恥ずかしくない状態なのを見て一安心した。「恥ずかしくない」というのは、ネパールはヒマラヤの水力による発電大国だが、いまは乾季、発電所はあっても水が足りなく、毎日が「計画停電」で日本と同じだ。違うのは、この時期の停電生活は毎年余儀なくされることだ。
 日本人もやれば出来る。ネパール人が出来て、日本人に出来ないわけはない。地震津波後の東電の苦境を見て、すべての国民が協力できる国なのがわかった。さらには今回のことによりいままでの豊富な電気生活が「もったいなかった」という気持ちで反省できれば、この省電力生活は毎年のことになるに違いない。二酸化炭素の削減も自動的に達成されているはずだ。

3/19/2011

自粛列島・日本(民放)

 地震直後は民放TVはCM時間をなくし地震特番を流し続けた。しばらくして、CMが復活、番組も通常番組が復活した。このCMのほとんどにAC(旧公共広告機構)のものが繰り返し放送されて、不評を買っている。内容が暗く、道徳を押しつけるものだからだ。みなで助け合いをしようというときに「道徳の押しつけ」をするタイミングではない。
 問題なのは、なぜ通常の商品などのCMではいけないのか、ということだ。被災地で苦しんでいる避難民に申し訳ない、のかもしれない。それなら、TVそのものを止めたらよいのではないか?情報はNHKと民放一波だけで十分だ。そうしたほうが東北関東地方では節電にもなる。
 自粛をすることで自分に対する言い訳にしているなら、それは日本人の悪癖だ。

3/18/2011

醜い「買いだめ」日本人

 近所のガソリンスタンドには入荷のたびに給油を待つ自動車の列で交通渋滞まで引き起こしている。列のなかには燃料残量がカラに近い車もあろう。しかし、それだけだと列になるはずがない。オイルショックの昔とは違い、輸入原油は豊富だ。念のため満タンにしておいたほうが安心だ、という理由で、未だ必要のない段階で給油する車がいるから渋滞になるし、GSも入荷待ちで休業となる。そのニュースを聞いてドライバーがさらに殺到する。群集心理そのものだ。
 大災害時に略奪などが皆無の日本人の美徳を諸外国は賞賛する。しかし、この買いだめ行為は恥ずかしくないのか?40年代のトイレットペーパー買いだめのときは、製紙メーカーは増産に増産を続け、結局は家庭でのトイレットペーパーの山が残った、という(買いだめするメリットがなかった)苦い経験を忘れている。懲りないのは日本人に残った醜いDNAなのか?

昼間の灯りは「もったいない」(鉄道駅)

 自宅では電気料金を節約するため昼間明るい部屋では消灯することにしている。問題は公共空間の照明だ。とくに、駅のホームの屋根裏にある蛍光灯が鉄道の営業時間の限り点灯している。今回の東電管内の計画停電に対応する鉄道会社の常時節電の努力で、駅構内は少し暗くなって気がついたが、晴れている日、ホームで消灯しているのはよく見ないとわからない。つまり、点いていても消えていても変わりがない。こういうのは「もったいない」というより「意味がない」というのだろう。
 ついでだが、車内は暖房が切れて、乗客みながオーバーの襟を立てていた。これでよいのではないか?寒冷地を走る電車でドアが手動式となってるのは暖気を逃がさないためだが、暖房を切っていれば必要ないことだ。

3/17/2011

選挙カーは「もったいない」

 選挙カーは「もったいない」ばかりか無駄だと再確認させられたのは今回の震災後の統一地方選挙を巡る議論からだった。いま統一地方選挙は被災地では延期することにしている。投票所に来られないのでは選挙にならない。しかし、それを全国一律に延期すべきだという意見がある。理由のひとつとして、選挙カーのガソリンが確保しづらい、というのがあった。
 選挙カーからの選挙活動は別に不可欠のものではない。有権者に立候補者の政見を伝えるのに選挙カーからの「連呼」だけでは役に立たない。たぶん立候補者の熱意を伝える効果しかないのではないか?一昔前なら、名誉職の議員は誰でもよく、有権者の判断としては「一生懸命やっているから」というのがあったのだろう。それに選挙カーからの連呼はぴったりだった。
 名古屋の河村市長のように自転車で回ったら、節電(ゼロ電)になってもっとアピールするのではないか。さらにはインターネットを駆使すればより細かく政見を訴えることが出来る。こちらは少しの電力があれば可能な省エネ方法だ。

3/16/2011

言葉狩りに使われやすい日本語(天罰)

 石原都知事は天罰発言を取り消し謝罪したそうだが、知事の発言をよく点検すると、天罰が下りたのは国民(一般)のほうで被災者へではない、と言っている。「天罰」という言葉は被災者への天災被害と連想されるのが通常だから、この時期に使うと誤解される典型だ。
 日本人はこの日本語で意思疎通を図っている。こんなにも使い勝手の悪い日本語なのか、それとも、意図的な「言葉狩り」なのか?

3/15/2011

省エネ必要理由の虚実(地球温暖化と地震災害)

 東電管内の一都八県を五つのグループに分け、深夜を除き計画停電(輪番停電)が始まった。おおざっぱに言えば、電力使用量の二割減を目標とし、第1日目の14日は節電に成功した。混乱はしたが、自主的節電が行われ、目標量を達成できている時間帯は計画停電はする必要がなかっただけだ。
 やればできる。日本国民は電気が原子力発電に多くを依存し、大地震のためそれらが機能停止になったら、節電しなければ市民生活が継続できないことを完全に理解し行動した。今回は原発の代替として休止の火力発電を急遽運転したので、地球環境温暖化ガスの二酸化炭素の排出増にはなる。しかし、国民の理解が得られれば、省エネの二割減は出来る、ということではないか?
 鳩山前首相が一昨年、世界に向けて25%の削減を約束したが、肝心の日本国民はそっぽを向いたまま二年が過ぎた。約束された世界も忘れているのではないか。そして日本国民は今度の危機対応とは違い、人為的地球温暖化対策の必要性は「絵空事」だと薄々感じているからではないか?

3/14/2011

東電の値上げで半強制節電を

 蓮舫大臣が節電啓発担当相に任命され早速仕事に取りかかるそうだ。
 節電はかけ声だけではたいして実行されないだろう。だから、東電では輪番停電という強制を用いている。5グループに分けて三時間ずつ、ということになっているから、需要を二割減にすれば減少した供給力に見合うらしい。
 二割減になるように臨時に電力料金を上げたらよい。そうすれば不要不急の電力使用から先に脱落し、需要が順次減少する。足りなければさらに値上げを繰り返す。企業も採算を重視するから、工場などの操業は東京電力管内以外のところを優先にするにちがいない。当面のデフレには供給力を絞るのが一番の対策だから、それにも合致する。
 もし、東電がそれらの値上げで収益の増加があれば(使用電力量が減るので何とも言えないが)、それは政府に上納し復興税のような資金手当に使えばよい。

3/13/2011

月から金の平日を1/5づつ休日に

 東電が原発の被災に起因する総供給電力の減少による不時停電を避けるため、輪番停電を実施する予定だ。これは工場事業場の稼働する平日対応だという。東電管内を五グループに分け日中の三時間程度を計画停電させる。
 これからわかることは、平日のみ需要量が超過する。それは産業用だ。
 だとしたら、産業用では一日のうち三時間だけ操業停止するのは合理的ではない。平日5日間のうち1日だけを非操業すなわち休日とする。週休2日を3日とするほうがよいのではないか?各産業グループで月~金の5日に分散するように週休三日目を設定すればよい。

3/11/2011

ラッピングトレーラーは「もったいない」

 ラッピングカーの代表は定期バスだ。車体の外側をまるまるペイントして走る広告になっている。「もったいない」のはこれではない。繁華街をときたまトレーラーのような大きなトラックがゆっくり走って、正確に言うと、巡回している。トレーラーの荷台にはワイド画面の広告が両面に描かれている大きな板状のものが載っているのだ。道の両側から見えるので、走る広告というより、広告のために走っている格好だ。
 広告を繁華街に常設するのは莫大な金がかかるのだろう。広告を走らせれば、トラック代と運転手の人件費だけで省マネーだし、動くので注目を浴びやすい。しかし、道路をその分、占有するので、渋滞の原因になるし、燃料など資源の無駄遣いだ。

言葉狩り二例(メア部長、土肥議員)

 米国務省日本部長のメア氏が沖縄問題における発言のなかでの「ごまかし」と「ゆすり」は比喩として使ったのだろうが、もう少し穏当な言葉を選ぶべきだった。メア氏が言いたかったのは、日本社会には建前と本音があり、その本音の部分を学生相手だから興味を持ってもらうように伝えたかったのではないか。日本に長期に住み、日本人と結婚し、日本語も堪能な氏には日本と沖縄問題への知識が豊富だろうし、アメリカ人がそれらをどのように感じ解釈しているかは日本人にとって興味深いものがある。
 言葉狩りのようなまねはしない方がよい。使った用語の問題はあるが、発言の内容で判断すべきだ。事実誤認の部分はあるが、大部分は正しい(建前と本音の切り口で説明できる)。
 同様のことが、民主党土肥衆議院議員の竹島領有権放棄の共同宣言署名問題にある。土肥氏はミスだったと認めているが、喩え竹島は韓国のものだという考えでも、その考えを日本の国会議員がそもそも持ってはいけないということはないのではないか?国会は言論の府なのだから、言論の自由の方が上位なのは当たり前だ。

3/10/2011

折り込み広告は「もったいない」

 紙の無駄のもう一つは新聞折り込み広告だ。わが家は朝刊だけだが、毎日10~20枚の折り込みがある。新聞店の事業らしいが、広告を必要としている人だけでなく、全世帯に一律に配るから、無駄になるものも多いのではないか?ちなみにわが家ではそのまま新聞紙ストッカーへ行き、最後は古紙利用へと回る。再利用はされるが、配達され見られることなく古紙利用へ直行とは大いなる無駄だとやるせない気持ちだ。せめて新聞店で配達先の家庭に要不要を聞いたらよいのに。

3/09/2011

紙爆弾は「もったいない」

 「もったいない」の典型は駅前などで無闇に配られ無理矢理受け取らされる政党宣伝用のビラだ。それがA党のものだったとして、A党支持の人には自明なので渡す必要がないし、A党不支持の人は読みたくもないから、受け取ったらすぐに捨ててしまう。いずれにしても無駄で資源の浪費そのものだ。
 それよりもインターネットのHPとかツイッターなどで周知すれば、省資源そのものとなる。紙爆弾と同じだとし、選挙期間中は厳禁されているようだが、以上の趣旨からすればこれらのみ許可あるいは推奨すれば、「もったいない」気持ちで満足がいくようになるのではないか?

二酸化炭素削減より「もったいない」を

 二酸化炭素などの人為的排出による地球温暖化メカニズムは未だ非科学的状態に留まっていると言わざるを得ない。さらには京都議定書により先進国の一部(EUと日本)だけにそれらの削減義務を課しているという基本的矛盾もある。
 石炭石油などの化石燃料を地下から採掘したら、その分は時間差はあるが最終は二酸化炭素の排出になるし、それがイコール二酸化炭素の人為的純排出総量となる。燃料としての使用ではすぐに、また石油化学製品では最後は廃棄物になり、結局は分解(あるいは焼却)され、二酸化炭素の排出となる。だから、ゴミの減量でいう3RのうちReduce(ゴミになるものを最初から作らないこと)が必要だ。この意味で「もったいない」気持ち、行動に徹すれば、小難しい温暖化理論に頼らずとも、結果はよいものになるのではないか?
 「もったいない」とは、無駄なものは買わないこと、そうすれば、売れないから作らない、で無駄にゴミになるものが最初からない、究極の環境対策となる。中東情勢の悪化により原油価格が高騰している現在、この「もったいない」精神で石油資源を省いていくことがすべての解決策につながる。

3/07/2011

在日でなく日本人になっていれば辞めないですんだ(前原外相辞任問題)

 前原前外相へ支援のため献金していた焼肉店の女性は政治資金規正法の外国人からの献金禁止のことを知らなかったという。今回それを知った上で、さらには在日韓国(朝鮮)人は外国人だということを再確認したことだろう。日本人のなかで普通に暮らすため、(日本人的な)「通名」を使って献金したというから、前原氏本人がチェックするのでなければ、前原事務所の職員には献金禁止対象者のチェックを見逃す誘因にもなったのではないか。
 日本で普通に暮らし、政治献金も問題なくできるには、日本に帰化し、(韓国系)日本人となることが一番だ。そうしていたら、前原大臣も辞めないですんだ。

中国人あっての中国政府だ

 中国の政治は中国人が決める。日本人のような外国のものがやきもきすることはない(内政干渉はよくない)。中国には民主主義がない。それで困っているのはその国の国民だ。リビアも同じだ。
 それにしても毎日曜日に大都市の目抜き通りに市民が集まるのを妨害する政府は本当にその国民の支持を得られているのか疑問だ(しかし、それは国民がよいならよい)。中国政府の姜瑜副報道局長は「ニューヨークの広場で何十人か集まったら米政府はどうするのか?(解散を命じるはずだ)」と米国の記者に反論していたが、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」(自分の発想でしか考えられない)類の典型だったのには笑ってしまった。

3/03/2011

抜け殻は寄せ集めの民主党B

 民主党は立法府の中の一政党なのだから、打ち出す政策は所属の国会議員でよく議論して変えるときは変えなければならない。それをする前に、公明党などと子ども手当などの根幹政策を変える可能性がある、と執行部が勝手に言い出すものだから、下っ端の議員、採決要員と蔑まされた例の16人が怒るのは当たり前だ。愛知県小選挙区の佐藤夕子議員が離党にまで踏み切るのも同じ心情だろう。
 そもそも民主党は政党か、という疑問がある。民主党出身の各知事、市長は党の外に出てことごとく反民主の政策を標榜することになる。抜け殻が原口元総務相の名付けた民主党Bになっているようだ。

3/02/2011

児童手当に戻ったら税額控除(還付金)で支給するとよい

 子ども手当が所得制限のある児童手当に戻ると、市町村での住民への配分事務が煩雑となり、児童手当が廃止となっている今、さらに手間がかかるという批判がある。
 そもそもはこのような国の手続きを地方自治体に押しつけることがおかしい。国には税務署という立派な徴収機関がある。住民の所得を把握しているので、税金の確定時にその所得・家族構成に応じて児童手当分を「税額控除」してやれば済む。税金より戻す額の方が多くなれば(負の税金)、確定申告時に還付する手続きと同様に銀行振込などで戻せばよい。
 国民年金保険料徴収も国税事務に統合する民主党の歳入庁構想はどうなったのだろう。
 児童手当も自民党時代の定額給付金も民主党政権の子ども手当もすべて選挙対策のバラマキ給付金だから、税金がいつの間にか安くなっていた、ではまずいのだろう。また、景気対策上、目に見えるかたちで現金が支給された方が消費しやすくなり、よい、という説もあるが、国民はそんなに馬鹿ではない。税金(給付金)を差し引きした手取額で家計全体の消費額(貯蓄額)を決めるはずだ。そうしないのはその日暮らしの低所得層だけだろう。

3/01/2011

16人は採決要員ではないが除名されるべき

 民主党の会派離脱16人の衆議院議員がとうとう予算案採決に欠席した。
 16人は比例単独で当選した議員ばかりで、「採決要員」と揶揄されてきた。国会は個々の議員からなり、法律などはそれらの総意で決まる。政党とか会派は二次的なものだ。民主党の比例単独選出だから政治行動に制約が多い、と考える必要はない。すべての議員は平等に一票の採決に加わることができる。欠席(棄権)も立派な一票だ。
 問題は民主党という与党が数多くの議員を完全掌握できなかったことにある。だから、除名などして、党としての規律を後追いでもよいからはっきりさせることが必要だ、最低限。