11/25/2013

放射能過敏恐怖の理由

 津波では二万人が死に、水害でも今年も伊豆大島など数十人が死んで、原発事故では直接死者がゼロなのに、日本人が(世界も?)その残留放射能を恐れる理由はどこにあるのだろう。
 ひとつは、慢性被害の、すぐには悪影響がでない、時限爆弾に似た恐怖だろう(クラスター爆弾の禁止に熱が入る理由も不発弾の多さだ)。慢性的な被曝には「できるだけ」毎日の被曝量を下げることに越したことはない。ガンで死ぬ確率は30%にも上るが、ガンになった原因は被曝かどうかはわからない。
 被曝許容量がどの程度なのかは学者によって諸説あるし、実際の被曝者を追跡調査するしかないから、データは限られ、確立された値は将来も明らかにならないだろう。だから素人としては値を問わず「できるだけ」さけるしかない。
 原子力あるいは放射線医学が素人には難しすぎる。専門家の方も学説が分かれているだけに説明がしづらいところがある。
 しかし、一番は放射線が目に見えず、五感で危険を察知できないことだろう。
 以上のようなところが、放射能過敏恐怖のもととなっているのであろう。核兵器の恐怖を増す効果はあったが、原子力の平和利用のためには逆効果だ。

11/19/2013

「役所」が役所をだますのは簡単

 「役所」(括弧付き)とはいま虚偽報告で問題となっているJR北海道(括弧なしの役所は本当の役所)。以前の例では同じJRの東日本、それに東電などだ。これらの官庁的会社はもとはそれぞれ三公社の国鉄あるいは日本発送電㈱(国策会社)だった。いまは民間会社として監督官庁の許認可の元にあるが、もとは役所だったので、その審査をごまかすなどは朝飯前だ。
 レールの幅が基準以上に広かったら、脱線の恐れがある。だから、監督官庁(国交省)への報告が間違えているかどうか以前に、自社の安全対策として不可欠だ。たぶん、レール幅の基準は実態に合わない厳しさなのだろう。「役所」のつもりで、「安全」と自己診断し、本当の役所にはウソをついたのだ。
 以下は過去の話になる。JR東は信濃川発電所で河川法の規定をごまかした。公益より自利益を優先させたのだ。監督の国交省(河川局)はまさかJRが虚偽報告をするとはとびっくりしただろう。昔は同等の権限を持つ役所仲間だったからだ。東京電力は国交省の河川法に違反し、経産省への報告もごまかした。いずれも民間会社の利潤追求を元役所の優位性でずるした、半官半民の弊害が出たものだ。官の悪いところと民の悪いところを継ぎ足しただけになった。

11/16/2013

熊本県は「くまもん」しかないのか、悲しむべきことだ

 TVで「くまもん」の人気ぶりをやっていた。熊本県の蒲島知事は国際派なのでニューヨークに行ってまで、くまもんのPRをしていた。
 知事がすべき地方自治の課題は多い。ゆるキャラのくまもん(だけ)をやっている場合でないだろう。蒲島知事は県内の国交省直轄の川辺川ダムを中止させた。国交省は知事の決断を尊重したのだ。その知事がゆるキャラしかやることがないように見える。悲しいことだ。

料理の味は「事後評価」にまかせるべき

 日本人がホテルなりの高級レストラン(割烹)に行って食事をする目的はいろいろだ。その一番大きな部分は店の雰囲気とか洗練されたサービスではなかろうか?もちろん味はまずくはないだろうが、とびきり美味かどうかはあまり問わない。それほど舌が肥えているわけではない。庶民は超高級店の味の比較などできるほど経験していない。
 いま、それらの店の料理の食材に偽装があったとして問題になっている。メニューにはウソを書いてあったわけだが、メニューのお品書きで選択したかどうかは、高い料金を払った理由のほんの一部にしか過ぎないだろう。
 ウソ食材でも、食事後はクレームなく帰ったわけだから、まあまあ満足したに違いない。食事のうまさはたいしたことがなかったにしても、全体の評価として。(いままでの経験から)「比較しておかしい」と感じたら、すぐに問い詰めるなりすれば、その場で解決する問題だ。
 この手のトラブルは「事後評価」に任せたらどうか?いま、ウソが次々とばれている。信用をなくしたわけだから、次からは客はその店に行かないだけだ。それが商売の信用というものだ。「事前規制」が必要なのは健康上問題のある食材の場合だけだ。

11/15/2013

原発ゼロを即断すべきでない理由

 自動車各社が工場海外展開を進める中で、ホンダは埼玉県寄居町の小型車工場を増強している。理由は、日本国内で組み立て技術などをさらに開発し、海外の工場に普及させていくのだという。国産では割高にはなるが、技術の海外展開にはベースとなる国内技術が必要だ、ということらしい。
 似たようなもので、原発技術があるのではないか?日本では原発事故以来、原発は新規禁止どころか既設のものも次々と廃止の憂き目にあいそうで、建設・運営の原子力技術も尻つぼみとなりつつある。一方で、現在の日本の技術が期待されて、世界各国への原発輸出も盛んだ。だとしたら、国内に採算を度外視した新型原発の運営を一部でも続けていくことが不可欠だ。
 その意味でも、「原発即ゼロ」は即断しすぎだ。

11/13/2013

すばらしい日本の技術なら核のゴミ対策もできる

 小泉元首相の原発ゼロ発言は「即ゼロ」だという。再稼働を申請している停止原発もそのまま廃炉だ。理由として、政治が決断して原発ゼロの方向性を示せば、日本の技術はすばらしいから、原発代替の再生可能エネルギーによる発電が可能となるからだそうだ。
 そんなにすばらしいなら、核のゴミのネックとしている10万年も管理しなければならないことについて、解決策が見つかるのではないか?たとえば、超長期半減期の核種(プルトニウム239など)を分裂させ数百年半減期の核種に変換させる、など。さらには地層処分が不安なら、地上のプールで常時監視して保管するとか、モンゴルなどの安定地層の国に処分を依頼するとか。
 代替エネルギー発電は既存の大規模水力を除けば現状でシェアは1%以下だ。これを原発代替に30%程度にするには「すばらしい日本の技術」をもってしても不可能だ。これだけのシェアになると時間平準化のための莫大な蓄電池設備が必要だ。揚水発電にはその機能があるが、そんなに立地場所があるわけでない。
 どちらが困難性が少ないかと言えば、核燃料サイクルと高レベル核廃棄物処分技術の組み合わせで解決する方だろう。こちらは実用化の一歩手前に来ている。再生可能エネルギーの方は先進国・ドイツでも苦労している。

11/10/2013

政治が不可能なことを実質できてしまうマジック二例

 政治で不可能に近いことの二例は、増税と賃(金水準の切り)下げだろう。いまデフレの日本経済で実はやらなければならない喫緊の課題だ。前者については菅内閣で提案して、その後の二内閣をへてようやく実現しようとしている。
 もっと簡単で抵抗のない方法があった。増税についてはインフレを起こせば自動的に累進課税表の高税率段階に移行して実質増収となる。苦労して増税(税率アップのこと)する必要がない。インフレになれば、国の債務残高も実質減少する。いま日銀はインフレターゲット策を進めているが、このことが動機だ。
 後者については賃金の下方硬直性と呼ばれる、経済をコントロールするうえで必要だが困難なことになる。しかし、円建てで給料を下げられないなら、ドル建てで下げれば実質下げたことになる。それが円安誘導だ。輸入品物価が高くなるから、同じ給料で実質賃下げと同様となる。いままで、円高で実質給与アップがなされてきたものを元に戻すだけだ。

11/08/2013

アフリカは日本型資本主義を求めている

 BS8プライムニュースを見た。アフリカ特集だ。
 アフリカの国家指導者の中には旧宗主国の再度の資本主義攻勢を嫌っているものもある、という話だ。資本主義には、米国などの株主資本主義、中国の国家資本主義があるが、いずれも、国民の利益にならない。日本の「公益資本主義」が望ましいと考えているらしい。
 資本主義は共産主義より勝ったが、その宿命的欠点があった。そのため混合経済資本主義に変貌したと理解している。資本主義の欠点を福祉社会の構築で補うというものだ。しかし、資本主義の性格も根本的に変えていく必要がありそうだ。それが日本型で、株主だけでなく、すべてのステークホルダー(利害関係者・・・株主以外に消費者・顧客、従業員、関連会社、地域社会・・・)のために株式会社はある、という考えだ。それが長期的に見れば、その会社の利益になる。米国みたいな株主資本主義だと、短期利益の追求のみになって、会社の長期存続にはつながらない。それは利益の短期追求だけを求める株主には興味ないかもしれない。
 アフリカの一部の国ばかりでなく、ミャンマーのテインセイン政権もそのような考えだという。これから発展途上国の仲間入りをする国々は資本主義の習う先を選択することができる。それは日本だ。


11/07/2013

安易な道を選ぶ政治の責任は重い(三例)

 政治に安易な道を選んでいると、後で困ることになる(なっている)。
 非核三原則というのがあった。「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」になっているが、当初は二原則の「もたず、つくらず」だけではなかたのか?米軍の核の傘にはいることが冷戦期の国防の大前提だから、米軍が核兵器を持ち込むかどうかは日本国の決められるところではない。当時の佐藤内閣が国会を安易に通過させるために選んだ方便だと思う。いまになって困ったことになっている。
 同様に、武器輸出三原則も最初は共産圏国家向け禁止だけだったが、三木内閣のとき対全世界になってしまった。
 菅内閣のとき福島汚染地域の除染基準は社会的に面倒のない数字の1mSv/年の下限値に決められてしまった。いま、その除染費用の莫大さに困惑している。いずれ、20ミリに引き上げるのだろうが、かえって面倒になるであろう。