9/20/2015

立憲主義は制定当時の守旧行為

 平和安全法制が成立したいま、今後はこれら法律が違憲かどうかの司法の判断に移った。日本の法制では法律がそもそも違憲かどうかの司法審査(憲法裁判所)は行われないので、具体的な事件に即してその根拠となった法律が違憲かどうか争われることになる。今後、反対派がどのようにこの段階を進めるのか興味あるところだ。
 1960年の新安保条約反対運動の時は、その前の1957年に砂川基地をめぐる事件で政府が提訴されたが、二年後には最高裁で憲法九条に自衛隊は違反しない、という「国家統治行為論」の判断が示された。それでも「自衛隊は違憲だ」が安保反対のひとつの根拠となった(三権分立を理解していない)。
 今回の憲法論議を聞いていて、憲法の性格がわかったのが収穫だ。それは立憲主義は一見正義と思えるが、じつは、自由であるべき立法を制約する上位法たる憲法という別の見方だ。昔日の憲法がいまの法律の束縛となる。どちらも民意だとしたら、現在の国民は過去の国民の制定した憲法による制約を受けるのはおかしいと思うだろう。
 実際、1947年に定められた憲法を根拠に現在の国民の民意(衆参両院で可決した、ということ)である平和安全法制を否定しようというのは、過去の一時点の国民の意志でもって将来にわたる束縛をすることになる。将来のその時点での判断は国権の最高機関である立法府に任されるべきだ。だから、立憲主義とは旧き判断をいつまでも守ること、すなわち、守旧行為になる(護憲しか反論の根拠がない)ということだ。憲法は時々の国民の総意で改正することができる。だから、「護憲すなわち守旧」に対抗するには現在の民意での憲法改正で当たればよい、という正道に戻すべきだ。

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