10/01/2012

杞憂とオスプレイと完全除染

取り越し苦労を意味する「杞憂」は中国の故事から来た言葉だ。杞の国のひとは天が落ちてくることを心配したが、それは物理的にはあり得ない。しかし、空を飛ぶ飛行機さらには人工衛星は落ちることがあり得る。杞憂ではない。人工衛星は老朽化すれば、重力に負け、大気圏に突入、燃え尽きるというが、たまには燃えがらとなって、地球上のどこに落ちるかはわからない。だから、人間の上に落ち、害をなす確率はゼロではない。

オスプレイも空を飛ぶ人工物だ。安全性が確かめられたといっても、危険性はゼロにはならない。よく安全安心の確保と、安全と安心を並べることがある。安全が確かめられたと言ってもそれは100%の安全ではないから、安心はできないというのであろうか。

安心にいつまでもこだわると、何もできなくなってしまう。それこそ杞憂を嗤えないことになる。飛散した放射性物質の完全除染にいつまでもこだわるのも杞憂と嗤われる。

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