7/10/2011

絶対の安全性(安全神話)を求め続ける一部国民

 原発は絶対安全だ(安全ということで作られて運転されている)、ということではないことが今回の事故でわかった。電力会社(経産省原子力安全・保安院)は原発立地に際して地元に「少しの危険性はある」との真実は説明しづらかったのだろう。説明を誤魔化しているうちに安全神話ができてしまったのが真相だと思う。
 だから、菅首相のストレステストを行ってみても絶対安全にはならない。福島第一原発の事故が起きたからと言って、他の原発の安全性(危険性)の程度が変わったわけではない。変わらぬ危険性について細かくわかったと言うだけだ。安全性を少しでも増すことは常に必要だ。福島の事故の教訓はそれに活かされ、とりあえず完了した緊急改善策で少しは安全性を増したのだから、運転は再開してよいのではないか?従前よりは事態はよくなっているのだから。
 原発の各リスク(電源として機能しないリスクも含め)を評価しながら行動しないと、全体としてのリスクはかえって増してしまうことが、一般国民の一部にはわからない。原発の安全性も絶対ではなく、相対リスクの一つだ。

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