2/06/2011

大相撲八百長は「やわらかなボール」とは違う

 大相撲は日本古来の神事を引き継ぐものだから、勝負一辺倒ではなく、ある程度の「人情」が入ってよい、との根強い意見がある。江戸時代から「八百長的」なものは存在していた、と。
 文痴は違うと思う。神事には違いないし、その意味でガッツポーズが許されないのは賛成だ。しかし、そのうえでの実力のスポーツだから、本場所は人気を持ち続けたのだろう。世の中には実力以外の「人情」がありすぎる。人情に無関係のものにとっては「情実」に与れなかったことになり、いくら実力を磨いても、無駄だと言うことになる。だから、実力100%のスポーツに人気があり、その証拠に外国人すら横綱になれる、ということがあったのだろう。
 もし、人気を持ち続けられたいのなら、曖昧な決着は許されることではない。
 テニスの美談で戦前の日米の試合で、相手が滑って転んだので、「やわらかなボール」を打ち返し、拾えるようにした、というのがあった。これは美談かもしれないが、誰にでもその意味がわかるので、隠れた取引となる八百長ではないだろう。

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