8/28/2012

丹羽大使襲撃は北清事変の繰り返し?

1900年の北清事変は北京に駐在する欧米、日本の各国外交官をまずは義和団の民衆がのちに清国そのものが襲撃したことから始まった。

宗教団体の義和団はシナの民衆の愛国心から起こった対外排撃組織だ。清国はその運動を抑えきれない。清朝末期で統治能力が衰退していたからだ。清国政府は最初は義和団を弾圧していたが、あるときから、義和団に共動して北京駐在諸国との戦争になったのだ。

シナの歴代王朝(国民政府、現在の中共政府も)は民衆を統治する能力に欠けている。だから、諸外国にはその点が不安で、正常な外交関係にならない。

北京で丹羽大使の公用車が襲われた。日本政府は中国外交部に厳重抗議をしたが、いまも、民衆を完全統治できない中国政府が一番困っている。「愛国無罪」などという法治国家を無視するスローガンを放置したつけが回った。

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