1/27/2013

死ぬほどの主張だったとしても検証を

人間同士の争いの解決には関係者の異なる「主観」をたたかわせて「客観」的事実を究明する必要がある。

関係者の一人が体罰による自殺、あるいはいじめによるものでも、亡くなっていると、その者の主観を客観に発展させていくすべがなくなってしまう。遺書も主観だ。

今回の大阪市桜宮高校の事件でも、できるだけ客観的事実を究明していくことが今後のためにも必要だ。日本では死者の遺志が尊重される。死ぬほどの主張だったからと。必要なことはその遺志も客観的に検証していくことだ。

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