3/13/2016

一チャンネル内でもセグメント分割して多様な内容の放送を

ワンセグ放送とはスマホ向けに地デジ放送に割り当てられた13セグメントのうちの一つのセグメントを使用するものだ。
残る12セグメントがテレビ放送に使用されるが、場合によっては、それを二分割、三分割して別々の放送内容に使用できる。いまでも、NHKなどはスポーツ中継が延長になっているときに二分割してその一つで延長分、残る一つで予定通りの番組を放送している。(画質は粗くなるが)
これを常時利用したらどうか?いま、放送法の政治的公平性の確保が議論となっているが、放送局全体でバランスをとることが要請されている。ところが各局は各番組の中で公平性をとるため、番組が総花的になっておもしろみのないものになりがちだ。一つの局で同時に複数の放送内容を放送できるなら、多くの(政治的)番組を編成でき、個々の番組ではバランスにあまり偏重しない内容とできる。
ただし、民放はCM料金に頼る営利企業なので、以上の結果であまりにも視聴率が低くなる(そのような政治的立場の人の視聴が少ない)場合は、放送法とは無関係にそのような番組を作製しないかもしれないし、そのような場合が多いのではないか?
その点、新聞には放送法のような内容規制の法律がない。誰でも自由に発行でき、内容如何では廃刊の憂き目にあう。だから、この自由競争状態の言論媒体が実は最適と言える。テレビなどの電波媒体にはあまり期待できない。むしろ教養娯楽目的に徹したらよい。ニュースも伝えなければならないが、その場合、解説は政治的主観を混ぜないでとおりいっぺんのものにすべきだ。

3/11/2016

マスコミの「無難」体質

3.11五周年の今日、TVは地上波各局(Eテレを除き、また一部のBSも)特集で埋め尽くされた。他の番組を見たい視聴者には最悪の日となる。既視感があるのは昭和の終わりの大喪の日と二年ごとのオリンピックの期間だ。新聞はそれらで埋め尽くされても全面ではないので、無視して好みのニュースなりを探して読むことができる。

TV局は多数あるのだが、横並びの体質がある。無難な番組編成にしておけば問題ないという。いま、安倍内閣との距離感が放送法の中立原則から問題となっているが、これも政治的立場と言うより以上の無難の態度の現れだ。

週刊文春などの週刊誌がいまはTV、新聞に代わって真実を余すことなく伝える媒体となっている。しかし、週刊誌も誤った真実を伝えてしまうことも多く、裁判で多額の賠償金をとられることがある。そこで、老練な従来からのマスコミはあらかじめそれらの損失を出さないように「無難」な内容を伝えるようになったのだろう。

3/07/2016

五周年でも遅々としているのは理由がある

3.11五周年になるが復興は遅々としている。なぜ遅いのか?

理由は予算の都合でもなく地元の合意が遅れているからでもない。もともと過疎化が続いていた地域だ。震災の後の復興の支援がいくら強力でも、その自然のすう勢には逆らえない。それに逆らって復旧というより震災前より復興を目指しても無理なことだ。

被災地への強力な支援がかえって地域のあるべき姿を誤らせているとはいえないか。

2/27/2016

選挙後、合流ないし連合政権、が正しい

民主党が維新の党と合流しても票は増えない。

民主党が政権を失った原因を克服して民主党単独で選挙で躍進する。その結果、他の野党と合流ないし連合すれば過半数になる場合はそうすればよい。自民党が下野した三年間そのようにして政権復帰した。

民主党だけでも自公政権に対してどのような対抗政策を打ち出しているのかわからないところがある。党の中で割れているのが見え見えだ。まずはそこから始めないと。そのままにしてさらに違う維新の党と合流したらますますわからなくなり、有権者は「危険だ」と見なすだろう。

2/15/2016

「日本橋に青空を、日本橋川に光を」請願

http://www.nihonbashi-renaissance.com/p…/1409/shomei1409.pdf
日本橋川上空に首都高を建設したのは、前のオリンピック時の緊急措置だった。用地買収をしていたら間に合わなかった。「仮設備」扱いだったが、半世紀以上も使われてしまった。いま、首都高中央環状線が全通し、一番外側の圏央道も全通間近だ。首都高の日本橋川区間を含む都心環状線(環状機能はなく通過交通を許すことになっている)は地下化するのではなく廃止が適当だと、この請願は言っているのではないか?
ちなみに地下化には日本橋区間だけで5,000億円かかる。石原都知事(当時)は「ばからしいから日本橋のほうを移転せよ」と言ったとか。

2/05/2016

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、でよいはずがない

少し古いニュースだが、民主党岡田代表は安倍首相のもとでは改憲議論はしない(改憲は必要だが、できない)と公言した。誤解があるのは、改憲の発議をするのは国会であって安倍内閣ではない。多数党のトップが安倍総裁だが、議会各党で議論をするのに多数党に遠慮する第二党ではないはずだ(現に遠慮していない)。

一般にも、アベノミクスも安倍氏が言っているから反対、という(好き嫌いの)議論が多すぎる。アベノミクスはおかしいから安倍内閣を評価しなくなった、というのが順序だ。

1/30/2016

予算委では予算審議を

甘利前大臣の政治倫理を予算委員会で追及するという。いままでも、閣僚の不祥事など内閣の弱点を予算委員会で野党は追及してきた。

その追及に異議はない。国会議員同士の倫理などの議論は国会で行うのが正道だ。法律にもとることがあれば、司直の手によっても追求される。しかし、予算委員会は予算の審議のための場だ。追求するなら、併行して政治倫理審査会などの場を活用して、予算の審議を停滞させてはならない。

そもそも予算政府案は与党協議を経ているので、可決されることはほぼ決まっている。野党はその点無力だが、予算の問題点を質疑で明らかにすることはできる。可決時点を遅らせるだけの戦術は意味がない。

1/29/2016

政治資金はすべて記録の残る銀行振込などで

甘利側「パーティ券にしてください」献金側「個人的なお金ですから」

ということで現金の授受となってしまった。政治献金は銀行振込などの記録が残るものに限定するという規定にすべきだ。政治資金規正法での政治資金への記載漏れに厳罰を課すこととしてもよいが、現金を受領して闇に個人的に使ってしまったら、贈与税の脱税になる。

政治資金は授受双方でもちろん無税だ。それを政治資金の法律通りに処理しないのでは、国民の最低の義務である納税規定を議員が破ることになる。議員辞職はもちろんのこと一般庶民以下になる。

冒頭のパーティ券にしても少額の場合は匿名(購入者の氏名記録無用)になっているが、これらも含め、一円からすべて献金者の記録を残すべきだ。

1/24/2016

15人死者もタクシー事故一人死者も同じ悲惨さだ

乗客乗員15人が死亡したスキーバス軽井沢の事故だが、大型二種免許保持の運転手にもかかわらず大型バスに慣れない、運転ミスによることが濃厚になってきた。

国道18号碓井バイパスの入山峠を越えた下り坂で、スピードを制御できなかった。上りの難所を過ぎて、カーブも比較的緩やかで下り勾配もそんなにきつくなかったので、ついスピードが出てしまい、出てしまってから制御不能になったのだろう。

通常の交通事故と考えられないだろうか?通常でも死者が多く、乗客死者が将来ある若者だったことが特異だったと。タクシー乗車の一人の乗客死者も同じ命だ。ここは交通事故死をすべて回避する方策を考えるべき時だ。


1/13/2016

メルケルの「ヒューマニズム」からすべては始まった

 イスタンブールの観光スポット近くで起きた自爆テロ、被害者(標的?)は主としてドイツ人観光客だった。トルコ当局が推定したようにISによる犯行だとしたら、ISはテロの標的をフランスからドイツに替えたのではないか?
 昨年末にケルンの中心で難民による集団暴行事件があった。年が明けてからはその仕返しとも言えるドイツ過激派による難民襲撃も発生。トルコでの事件はこれらの応酬の続きなのではないか?
 最初はメルケル首相の「ヒューマニズム」から難民の無条件(に近い)受け入れは始まった。無条件だったら、ある程度の確率でテロリストが紛れ込む。さらには、ドイツ国民とは異なる言語、文化、宗教の何十万人の難民がドイツの都市にあふれたら、住民との摩擦が起きるのは必至だ。
 ヒューマニズムはそれだけですむなら美しく非難すべき何物もないはずだ。しかし、因果がこのように回るのであれば政治家メルケルとしても少しは考えてから決断する必要があったのではないか?