2/09/2012

「金(かね)で解決できるなら」のその金がない

日本人は「金で解決するなら」という安易な態度でトラブルなどの問題に接してきたのではないだろうか。右肩上がりの経済の時代はそのほうがすべてうまくいった。時間(インフレ)が自然と問題を少なくしてくれたのだ。いまは、デフレの時代だ。今後成長が見込めないとなると、余分な金など無い。そのように態度を改めるべき時だ。
 たとえば福島第一原発の後始末だ。責任論からいえば、国と東電は完全な原状回復義務がある。ただ、東電の資産からその金が出せないとなると、税金か電気料金かいずれにしても一般国民の懐から出すことになる。そのようなときに完全除染に数十兆円も出せるのか?規定どおりの除染だとしても数兆円だという。それだけの金を出しても得られるのは「安心」だけだ。もっと少なくても放射線の影響はない、という科学的証明があるのに、それだけの金を出させる、というのがわからない。一昔前だっら「金で解決できるのなら」という言葉で終わっていただろうが。

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