前川喜平氏と3,4年先輩の寺脇研氏の対談となっている。両氏共に文科省(旧文部省)一筋の文教官僚だ。両氏価値観が一致するのは被教育者としての日本国民の幸福のためどうすべきかを見ていることだ。それが文科省の大切な役割で、両氏のそれにかけてきた熱意は十分伝わる。
問題なのは、日本国民は文科省が対象とする側面だけの人間ではない。私のいた国交省では国土インフラを利用する国民と産業を対象とする。国民の幸福は行政部門すべてにわたって総合した政策で決まる。それをどう実現するかというと、霞ヶ関では法律、政令、予算などの決定に各省折衝を経て内閣の政策にし、国会の承認を経ることにより国民のための行政となる。縦割りの弊害が指摘されるが、各省の役人は他省の行政需要もわかった上で(つまり、日本の統治者の目で)、切磋琢磨している。
この文科省OBのお二人はそこのところがわかっているのだろうか(わかっていると思うが)。「弱小」官庁の文科省はたぶん各省折衝でも負けがちなのだろう。役人の折衝と言っても最後は政治家たる大臣同士になるから、政治的に通る施策でないと実現しない(大臣の説得が必要)。教育への熱意がすべて通らないことを「面従腹背」と表現するのでは、他省の役人に馬鹿にされるだけだ。総理の指示で動き全体調整の任に当たる内閣府との折衝に最初から負けている。
わたしは国土交通省の旧建設省分野と環境省(旧環境庁)を経験しているので、少しは「統治者の目」は持っているつもりだ。中央官庁のキャリア官僚はすべからくそうだと信ずる。
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