全部で37の章にわたる大部だが、最後の章「最後に」では、「朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されなければならない」と結論づけている。明治期の日本の進んだ社会体制との比較もあったろう。日本には明治に飛躍する素地としての江戸時代の蓄積があったが、李氏朝鮮の500年では両班(やんばん、支配階級)の害悪が社会をむしばんでいた。結果として、日本がその大本である清国を日清戦争で追い出し、外部の改革者としての役割を果たしたのだろう。
そのあとの日韓併合時代での日本からの影響も戦後の韓国の飛躍「漢江の奇跡」のもととなったといわれるが、残念ながら、そのときにはイザベラ・バードのような第三国からの公平的な観察者はいない。
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