長井さんはビルマ語ができない。そこでインド系ビルマ人を通訳として雇っていたが、デモの撮影取材は単独で行っていた。一般的な危険情報はもってはいたと考えられるが、警備の兵士の発する警告は理解できなかった。再三の警告後、射殺されたという。インド系通訳を雇った限界だった。ミャンマー人の通訳を雇っていれば、危険情報に熟知していたから、通訳だけでなく、適切な安全誘導もなされていたはずだという。
なお、戦場で殉職した日本人カメラマンは沢田教一(ベトナム)、一ノ瀬泰造(カンボジア)など多数だが、いずれもフリーで、費用の関係とか功名心とかがあって、単独で危険地帯に飛び込むケースがあとを絶たない。現地人の協力者に撮影を依頼すればよほど良いアングル・タイミングで名ショットが撮れるのに、ということだ。
下のブログをみてください
返信削除http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927
長井健司さんの会の男性の方へ
返信削除文痴の投稿へのコメントをいただきありがとうございます。
ミャンマーを旅行して聞いた話です。貴ブログの文によると、そのような話は出回っているようですね。しかし「地を這うような取材」のこともよくわかりました。ただ、死んではもったいないな、と単純に思った次第です。