9/16/2022

国葬は法的に妥当だが政治的には?

安倍元首相国葬の是非は法的側面と政治的側面からとに分けて考える必要がある。いま法的には内閣の権限で国葬ができるし、裁判所の判断もそれが定着している。

 問題は政治的な効果だ。政治家の国葬はその功績を否定する政治的勢力にとって国葬にも値しないと考えるのは当然だ。法的に整っていてもこちらの政治的妥当性が問われる。国民の大多数が妥当と見做せば国葬になって当然だが、その「多数」を確認するのは国葬を主催する岸田内閣への国葬後の評価になるだろう。その指標の一つとなるのが世論調査だが、他の政策評価も含んだ全体評価を正確に反映できるのは次回の国政選挙だろう。

 なお、わたしはいかなる(国民の義務を伴う)国葬にも反対だが、内閣が(国民の義務を伴わないかたちで)判断したのなら、それはそれで見守るしかないと考える。その前提で故安倍晋三氏が国葬に値するかと言えば、長期にわたる政権運営にあたり、その間、安倍内閣のもとで国政選挙を何回も勝った(支持された)ことから、国民の長期間の支持を得ていたことになり、その期間の長さは判断基準となるのだろう。

9/07/2022

デフレは日本人が選んだ

消費者にとって、モノの値段が上がっても給料がそのぶん上がれば同じではないか、とはならない。

物価は直線的に毎日上がるが、給料はその分を見て一年に1回程度階段状に上昇するだけだから、差の三角形分損する。また、そのインフレ時には収入が上がる人と少ししか上がらない人に格差が生じてくるので、等しく豊かになろうとする日本人には耐えられない。

その日本人の「物価上昇ゼロ」社会へのマインドが経済の方向を決めてきたと言って過言ではない。日銀がインフレ目標を掲げてマインド誘導するのも同じメカニズムからだ。

バブル崩壊以来30年、日本はデフレ社会が続いたが、それは日本の消費者が選択したからだ。値札が上がったものが売れないのなら、消費者物価は上がらない。いま、コロナ後の世界でインフレの猛威が襲っている。日本にまではそれが襲来していなく、資源高、円安輸入物価高によるコストプッシュの物価高のみにとどまっている。日銀景気対策が目指すデマンドプルインフレにはなりそうにない。経済浮揚策は別途考える必要があるのではないか?

8/31/2022

国葬への反対とっかかりは予算しかないから

9月に開かれる安倍元総理大臣の「国葬」をめぐり、岸田総理大臣は、国会の閉会中審査に出席し、実施の意義などを説明する意向を明らかにしました。(NHK)

 国葬には反対の国民もいるが、それだけで実施不可となるわけがない。国葬は行政権に属する。実施費用には予算の範囲内での支出は任されているし、不当不正な支出があれば後日の会計検査の対象だ。もちろん国会などでの実施意義の説明はあったほうがよい。一部の野党は国葬反対なら、実施の意義に反対すればよい。日本は死者を敵味方なく弔うという社会なので、反対まではできない。だから(国会の権限でもある)予算に注文をつけているに過ぎない。国葬反対の支持者にも、それだけやったならと、納得させることになる。

 アベノマスクのときもそうだった。緊急用マスクは不必要なわけがない。しかし、反安倍の人たちは予算が多すぎるとケチをつけた。しかし全国民への数では巨額だが、1枚1枚は妥当な額だったので、結局は黙るようになった。

8/26/2022

沖縄戦は米軍が選択した

今年は沖縄返還50周年だ。沖縄ものが種々放送されているが、いずれも旧日本軍に巻き添えになった県民の悲劇だ。ただし、攻めてきたのは米軍で日本軍の守備隊が応戦したに過ぎない。米軍はマッカーサー指揮で、蛙跳び作戦をしていた。跳ばされて安寧だったのはラバウル、台湾。攻められたのはフィリピン、これはマッカーサーの個人的執着の故だ。

沖縄に執着したのは戦後の米国のアジア支配のことを考えてだろう。日本を降伏させるには九州に直接上陸作戦したほうが速い。九十九里浜でもよい。サイパン、硫黄島を激戦で攻略したので本土上陸が筋だ。

結果として沖縄は戦後返還が遅れて、返還後も基地は残った。これが米軍の最初からの沖縄上陸作戦の目的だった。

恨むなら米軍のほうにだ。広島の原爆碑のように主語があいまいなのも困るし、目的語が間違っているのも混乱の元だ。 

8/15/2022

若者の感染確率の高い行動が解禁になって感染者が増えた

新型コロナ感染が始まって2年半が経過した。この間、公的な防疫部門はよくその仕事を遂行してきたが、国民との間に感染症対策の基本に誤解が残ったままだ。

それは公衆衛生の観点と臨床医療との考え方の違いだ。

個々の国民が重病にかかる、そしてそれが死に至る病の場合はとくに、臨床医は個別にその救命医療に全力をあげるのは当然だ。しかし、それと公衆衛生の観点は違う。感染症などの社会全体に広まる病の場合、その拡大防止を社会的に強制実施しないと、いずれ医療の崩壊状態に陥ってしまう。だから、公的機関が感染の拡大を防ぐ、あるいは、拡大のスピードを遅らせることが不可欠だ。個々の患者の救命の観点とは違う。

個人がその感染症にかかりたくないのは当然で、そのためには当該病気への知識が必要だ。二年前の流行開始時には新型コロナの特性がよく分かっていなかった。その探究の時間稼ぎにも社会的な行動規制が行われた。いまはその変異株である、順次、デルタ、オミクロン(BA.5まで)の感染力、病原性(重症化率、後遺症など)がほぼわかってきている。各人はその知識を元に感染のリスクと行動制限のリスクを比較してその人にとって最適な行動をとることができる(リスク管理)。現在はこのような状態にまでなった。

個人にとって、感染のリスクを図るにはマスク、手指消毒、三密を避けるなどいろいろ手段があるが、いずれで(併せて)も感染確率ゼロにはならない。感染確率を大幅に低下させるだけだ。ゼロにするには絶海の孤島にひとり暮らしするしかないだろう。いずれにせよ感染対策は感染確率との関連で選択されるべきものだ。若者はそれが本能的に分かっているから、病原性が低いと言われるオミクロン株になって感染確率のより高い行動まで解禁することになった。オミクロン感染者が桁違いに多くなったのはそのような理由もある(感染力も高い)。

もちろんだが、この先更なる変異あるいは新新型ウイルスが出現するかもしれない。そのときは当然だが、公的防疫部門が以上のプロセスを最初から繰り返すことになる。「出現が心配」だからとずっと行動規制を繰り返すには及ばない。

8/05/2022

統一教会が名称変更したから欺されたのではない

「世界基督教統一神霊協会」(略称:統一教会)が名称変更して「世界平和統一家庭連合」になった。韓国では1994年、日本で改名が認証されたのが2015年のことだ。違いは「基督教」「神霊」がなくなり、「平和」と「家庭」が入った。「世界」と「統一」が残っているので、偽装の目的だけではなさそうだ。「勝共連合」で名をはせた時代は「統一」「教会」だけでだれもが怪しい団体だと認識していた。いまの「家庭連合」だけで取り違えるのは旧統一教会も知らない世代だ。

 「平和」、「家庭」とかの麗句だけで判断できない。名は体を表さないことが多い世の中だ。

 それにしてもオウム真理教改めアレフは衆人の知るところで、その活動には公安調査庁はじめ引き続き注意している。家庭連合もそうなっていなかったのはマスコミが何かに遠慮して報道していなかったことが大きい。改名を阻止することなど監督官庁にできるわけがないからだ。

7/30/2022

知事会のオミクロン対策が現実的

黒岩知事は「2類相当」となっていることで保健所業務や医療機関の負担が大きくなっており、オミクロン型では実態に合っていないと指摘した。

 後藤厚労相はインフルエンザより致死率が高く、感染力が強いことや病床逼迫の恐れがあることなどから、2類相当のまま対応するとした。(NHK)

 感染症対策は医療選別(トリアージ)が中心だ。従来の医療体制で数的にも対応できるなら、公的に対応しなくても、そのうち集団免疫となる。重症化と後遺症が心配な人は個別に用心すれば良い。その安心より行動の自由が大切だったら、感染確率が高くなっても行動するというリスク判断となる(BA.5では行動の自由のほうを選択しているので、感染が爆発的になった)。すべてはその個人の考えだ。問題は公的対応しつづける保健所、コロナ病院の繁忙で、このままだと従来の大病への対応までしわ寄せが行く。命を守るリスク判断としては新型コロナだけに重点を置きすぎる期間は過ぎた。

 百年前のスペイン風邪(インフルエンザ)も2年間であらかた沈静化した。政府はワイドショー世論におもねすぎる。参議院選も終わったので知事提案の現実的政策に戻って欲しい。

7/12/2022

家族内トラブルが社会に最後まで残った

母親が入信した頃、山上容疑者は高校生で、母親はまもなくして自宅を売却し、02年に破産宣告を受けていた。時期的に多額の献金が原因だった可能性がある。(読売)

 社会の支配構造が民主的になっても、社会のいざこざを裁定する裁判機能は必要であり続ける。民主社会以前の鎌倉幕府は武士の間の紛争仲裁を期待されて成立した。

 現在は司法制度は完備されているが、唯一介入できれていないのが、家族内のトラブルだ。山上容疑者の気持ちに立ってみれば、母親の入信とそれに伴う経済的損失問題はどこにも持って行きようがない。そのような出口が見えない失意を抱いたとき、ほとんどの人はあきらめるが、解決しようとする一部は自暴自棄的になりやすい。何か大きな騒ぎを起こせば、この苦境が社会に分かってもらえると、自己の破滅を賭けてする。安倍氏はその何か大きなことの対象になってしまった。

 殺人事件で一番多いのは親族間のトラブルによるものだ。関係ない人を通り魔的に殺しても意味が全くないからだ。社会の最小単位での家族内のトラブルを解決する、これが子どもの虐待防止などにもなる、こども家庭庁の最大の仕事となると思うが。

 幸い政治思想的な背景はなかったが、残ったこれらの問題を解決しないと幸福な社会とはならない。

7/09/2022

日本の街頭演説ではもともと危険だった

安倍元首相遭難死(7/8)の翌日の今日も投票日前ラストデーで街頭演説などは継続するそうだ。

 警備を厳重にしても、街頭で不特定の有権者と触れあうようなスタイルでは危ない。米国みたいに防弾ガラスで防護するようでないと今後日本でも難しくなるのではないか?

 管理された屋内の空間などでの出席者を選んだ個人演説会のスタイルが適当だろう。もちろん有権者多数に呼びかけたい、とする運動方式は必要だが、大部分の国民はTVでの録画でその政権演説などに接する。要はTVに映るに最適の場所での演説ができれば良いのだろう。それは管理空間での個人演説会だろう。

 それと政権与党の閣僚まで東京を留守にして応援演説に駆け回る。確実な行政の観点からみたら困ったことだ。

7/04/2022

太陽光発電(風力も)はkwでなくkwhが期待されている

電力需給がひっ迫するのは、日中から夕方遅くにかけてで、電力需要の少ない深夜の発電分などはほぼ関係がないから(太陽光発電の発電出力kwだけに注目すべきだ・・・日経XTECH)

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00138/062801072/

 再エネ発電批判論にアップデートが必要だというこの記事の論はその通りだ。しかし、上記引用部分の論には太陽光発電の発電特性と電力需要との時間的(季節も)制約を細かくは把握していない。

 1日の電力需要変動は人間活動の時間帯に集中していて、必ずしもそれが昼間だけとは限らない。今夏の危機である冷房需要も夕方から夜間にかけても相当量残る。

 さらには冬期晴天時、曇雨天時には出力も相当落ちる。だから定格(最大時)出力のkwをそのまま当てにはできない。当てにできるのは太陽光発電時にはその発電分kwhにあたる火力化石燃料を省ける省マネー(省CO2)だけだ。だから、バックアップの火力まで連結した計算にしないと意味がない。風力発電も有風時だけなので同じ構造だ。再エネでもバイオ燃料火力、地熱発電はkwとkwhは同じ評価を受けられる。