12/12/2010

平和賞への対応が言論の自由制限の証拠

 ノーベル平和賞は政治的な選考とならざるを得ない。平和に貢献するためには政敵も作らなければできないからでもある。昨年のオバマ大統領の受賞はそれと違い、平和に貢献予定のスピーチだけが理由だった。選定委員会は将来の貢献を期待したのだ。金大中もと韓国大統領の場合は後年になってみれば、平和の達成に失敗している。もちろん相手(北朝鮮)のあることだから、彼だけの責任ではない。以上、そんなに客観的な選考ではないことがわかる。
 中国は自国の犯罪者・劉暁波氏を対象とされたのだから、国の立場としては当然反対するだろう。そのようなものだ、平和賞は、というだけのことだ。問題なのは、中国の反対の仕方だ。冷静さを欠いたのだろうか、ありとあらゆる嫌がらせ的な手段を用いた。また、自国民に世界の世論が厳しいことを知らせなかった。国内に言論の自由がないことを、劉暁波氏からだけでなく、今回の対応で示すことになった。
 劉暁波氏に続く中国国民の多数がその状態を問題としない限り、言論の自由を保障する自由民主国家には決してならないだろう。ソ連はそれをして、ロシア連邦という「共和制」国家となった。

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