希望的観測解説だとサッカー国際試合の日本人解説者を酷評したことがある。
今度のオリンピックでも、「予選で七位でも構わない(上村選手)」は希望的観測解説の典型だ。本戦でメダルをとる力があれば、なぜ、予選でとらない。
日本のスポーツ解説は大本営と同じではないか?大本営は国民を確かにだましたが、大日本帝国軍を愛する国民の方もだまされても戦果を信じたかったのではないか?大本営側からの戦意高揚のため、は、国民の「スポーツ愛国心」高揚感、に通じる。結果は負けでも、それまでは期待感をもって見たい、が昔も今も本性だ。
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