8/23/2006

記憶の修正・昭和天皇

昭和天皇発言メモがみつかった。これについて文藝春秋九月号「人声天語」で坪内祐三氏が昭和天皇に「記憶の修正」があったのではないか、と興味深い見方をしている。
昭和天皇も人間であり、戦後43年間に、靖国参拝などに関する世の中の議論に接し、終戦直後の記憶が知らず修正されたことも考えられる。靖国参拝に関し、公人私人の区別の政教分離、A級戦犯の合祀、など論点に対するお考えのうち、天皇の戦争責任が問われた当時のご判断の記憶が修正され、晩年のこの発言になった、というのだ。これこそ、人間・天皇というべきか。
そうでなければ、部下である松岡、白鳥らに責任転嫁などはできない。昭和天皇は立憲君主制の模範君主だったのだから。(同じ九月号で、福田和也氏は、だからスターリンの独裁ソ連に負けた、と言う。勝ち負けだけを議論すれば、立憲君主より戦時独裁体制がよいと)

似たような「記憶の修正」で、戦場の白兵戦の回想文がある。
銃弾が飛び交う、敵味方が接する前線全体の記述があるが、各兵は匍匐射撃しているので、高い位置から全体を見られるような記憶というのはあり得ない。あとで色々聞いたことも付け加えて記述しているのだ。
だから、戦記というのはその時に書いたものでなければ、創作部分が多いと、たしか山本七平氏が言っていた。

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