7/29/2024

別姓でも「選択的」だから合理的、という判断は?

選択的夫婦別姓制度は別姓を必要とするカップルが選択するから反対はできない。ほかの同姓を拒否しているわけではないからというのは合理的考えだ。

日本社会にはこのような非合理的な制度が多い。同類で言えば、人の名前は姓(家族名)と名(個人名)との二つからなり、順番が姓の次が名となる型式で、法定化もされている。これらもすべて合理的ではないから違う型式の名前も認めろとはならない。

そのような社会の慣習は長く続けられていた。全国民の姓名を戸籍に登録しだしたのは明治時代からだ。それでも150年以上の伝統になったが、2,000年の歴史の日本社会からすると短いようだが、明治以前は大部分の庶民階級は名(個人名)しかなかった。「武蔵」だけでは識別に不便なので、宮本(村の)武蔵、と勝手に名乗った。社会が広くなると同名が多くなるからだ。

合理的だからすぐにでも採用すべし、というのでは社会の伝統を見間違える危険がある。「別姓」を必要とする関係者だけでなく、すべての国民が関心を持って議論していくべき、日本社会の伝統だ。わかりやすいのが、天皇皇位の男系継承だ。欧州各国では長子(男女いずれでも)継承で代々続いている。日本の皇室は困難ながらも男系家系を遠縁からも探し出して男系継承を守ってきた。その理由はいろいろ考えられるが、確たるもの、合理的説明のできるものはない。それでもその伝統を守る、というのは合理的判断を超えたところにあるのだろう。

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