6/12/2016

知事はドイツ大統領同様お飾りと思えばよい

舛添知事不適切支出問題だが、つまるところ、政治家の人格問題ではないだろうか?

とくに都道府県の知事は「県父」扱いで、とくに人格が要求される。政治力と人格を兼備の人物は少ないだろう。県知事は後述のように政治力はそうは必要ないから、人格だけは厳密に要求される。

政治力が必要ないのは、地方自治がないからだ。県の政治はすべて国の法律に基づいて実行される。条例といえど法律の下に決められる。地方自治は米占領軍の置き土産だが、米国の各州なみの自治の権限は与えなかった。知事は国の機関の長の扱いで、昔の官選でも差し支えない。

市町村も含め地方政治は二元代表制で首長と議会が対立すると泥沼に陥りやすい。そこで、議会の解散権とリコールの制度があるが、手続きが悠長で即効性がない。それでも特別支障がないのは、地方政治が混乱しても実害は少ないからだろう。

国政が混乱すると致命的だ。だから、議院内閣制をとって立法と行政に矛盾が生じないようにしている。米国などの二元代表の国政では大統領と議会の権限が厳密に分けられている。トランプ大統領になってもそこは安心だ。ドイツでは大統領はお飾り的存在だ。日本の知事も同様と思えばよい。


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