東京で一日の新規感染者報告数が2,000人を超えたとして大騒ぎになっている。昨年の45月での200人程度からは10倍になっている。しかし、2,000人が3,000人に急増するのと200人が300人に増えるのとでは同じ感染現象が起きていることに留意すべきだ。要は感染状況には微分値を見るべきだ、ということだ。これは実効再生産数の動きでもわかる。その数値は一年前もいまも1.5以下だ。これがいずれ1.0以下に収束しないで、逆に2.0以上になれば警戒してよい。
7/28/2021
感染者数でなく、その微分値、積分値のほうを見よ
7/23/2021
1.3倍伸びがずっと続くわけがない(ピークがある)
西浦先生がまた等比的計算(だけ)で「予測」した。それだけだったら、中学生でも計算可能だ。実効再生産数が1.2から10%減少しても、3,000人を超えると言うが、この数が1を超えたから増えているので、1以下になったら減少に転ずる。実効再生産数がこの先どうなるかを予測するのが先だ。それが感染症数理モデルのポイントだと思うが。
最近、TVなどで前週同曜日比(差)とか一週間平均前週比などのトレンド紹介が多いが、これは報告数に人為的ばらつきが多いことがわかりやすさに欠けたので、国民向けにわかりやすく処理したものだ。しかし、学識者までがこの方式で説明してしたり顔になるのはやめてほしい。世の中の現象ではトレンドでの説明が突然できなくなる質的急変があることが激変と言われ、それへの対処ができないようでは国が滅ぶだろう。
7/21/2021
立花隆は民意に追随する週刊誌記者の側面が残っている
「安保法案騒動のなかで、国民の相当部分が、安倍首相の平和マインドそのものを疑いはじめている」(「文民統制の危機」立花隆・文藝春秋2015年11月号巻頭随筆を再録)
安保法案の国会審議で、(強行?)採決時に(元)ヒゲの隊長(佐藤正久参議院議員)が影で指揮をとっていたことをもって、シビリアンコントロールに問題が生じている旨の文章だ。
徹底抵抗の野党が「強行採決」されたことを演じた。それが大衆の印象で、その意味では野党の作戦勝ちだった。
そのことに立花が同様の感想(だけ)を持つのでは情けない。巻頭随筆なら、もっとこの法案自身の深い問題点を簡潔に説明したうえで、上記の安倍首相への危惧の文章になるべきだ。
私からすると、明治憲法の統帥権の独立条項のみでシビリアンコントロールが侵された。戦後はその反省で、文民統制を法定化する努力がなされ、この安保法制で米軍との集団自衛権行使時も「存立危機事態」などの内閣・国会での決定が必要なことが法定され、自衛隊の独走を許さないようになっている。
それにヒゲの隊長は元軍人であっていまは民間人の国会議員、立派なシビリアンだ。

7/19/2021
1日3,500人に遭遇してそのうち1人が陽性者だ
新型コロナが極めて稀な感染だと言うことを7/11に書いた。「東京都(1,400万人)で毎日1,000人の感染者でも都民全員が感染するのに1.4万日(38年)かかるほどの少なさだ」と。
7/18/2021
著述家は書いてあるものがすべてだ
ある論者の個別の文を評価する場合、その人物への全般的評判から判断を下してしまう場合がある。しかし、それら論者の一つ一つの文章は書いてあるものがすべてなので、ほかの既往の文での評価だけから類推してしまうことには無理がある。
それが全般的悪評価の場合はさらに読み加えていくことには忌避感があるが、すべて門前払いはよくないだろう。
逆に全般的「良」評価している場合で個別の文章すべてを類推して信じてしまうのは、それこそ「信者」に成り下がってしまう。
書いて(描いて)あるものをそれだけで評価する態度を養いたい。これは芸術家(絵画、音楽など)でも言えることだ。他人の余計な作家評論は参考にしないほうがよい場合が多い。
7/17/2021
都知事の遠吠え
梅雨明け最初の土曜日は高速道路の下り線が午後になっても渋滞が続いている。夏で晴れて週末だったら、郊外にお出かけだ。都県境をまたぐ抵抗は全くない。これで感染者が増える要因は全くなく、人口密度の少ない近県に出かけるのだったら、感染が都内繁華街で少なくなるかもしれない。
それにしても「お家でTV観戦を」という都知事の威令は全く届かない。それに効果があることが前提の感染対策は意味がない。そもそも感染症対策は社会心理学的な反応も加味すべき総合科学だが、相も変わらず、感染症数理モデルなどの社会の動きを無視した机上の空論となっていて、反省する兆しもない。
7/14/2021
静岡県は逃げているだけ
難波氏はこの盛り土について、周囲から水が集まりやすい谷の最上部に設けられた▽法令に反して届け出と異なる工事が行われた▽届け出の高さの15メートルを超え、工法が不適切だった――と説明。盛り土の高さは最大50メートル以上で、適切な排水設備はなかった可能性が高いとの推測を示した。(ニュースより)
論争点は、違反盛土となるような行為になぜ熱海市は許可したのか?違反盛土でなくても崩壊した異常降雨だったか?違反となるような行為を見逃した熱海市の怠慢、などだ。県条例違反なのでその点の懲罰はあるべきだが、それ以上は自然現象だ。また、懲罰対象の埋めて業者が消滅している。所有権も善意の第三者に移転している。
一昨年の台風19号の異常降雨にも耐えているので、異常自然現象によるものかの検証は不可欠だ。そもそも人家密集の谷の最上流に盛土を認めること自体が熱海市による不適切許可行為と言えないか?
難波副知事の「いまはない」業者だけに責任を押しつける発言は結果として無責任にならないか?その不法行為に対する現在での解決にならないし、今後の土木工学的解決にもいたらない。静岡県当局の政治的な逃避行動だけだ。
7/13/2021
接種回数を毎日集計すればよい
ワクチンが日本全体では十分供給されているのに各自治体などの接種現場では足りないという。
7/11/2021
国民の分断こそが日本を失わせる
西村大臣の飲食店包囲発言で国民の分断が生じた。これが大問題で、感染状況は諸外国と比べてもたいしたことはなく、五輪も無観客で開催するケースとなることは解決しつつあった。
7/07/2021
危険なところを取材してこそマスコミだ
災害(災害中でも復旧中でも)でのTVマスコミの現場からの実況に決まり文句がある。「 安全は十分確保してお伝えしています」という枕詞がつく。
放送局の人も被災する可能性があるから、私も見ていて十分そうして欲しいとは思う。しかし、わさわざそれを断り文句として添える必要はない。何よりも自分のことで、警察などの規制ラインの先にはマスコミと言えど安全のために立ち入れない。視聴者も見れば一目瞭然でそれは理解できる。
これは放送局内の自主規制ではないのか?それとも視聴者で文句を言う人がいるのか。
マスコミは事実を伝えるためなら少々危険なところにも行って、取材とか撮影をして、真実を世界に知らせるという使命感がある。ところが、紛争中のシリアにはフリーのカメラマンに任せて、放射線被曝の危険がある福島第一発電所付近には決して近づかないようにしてきた。全くリスクはとらないでマスコミの使命は果たせるのだろうか、甚だ疑問だ。
7/02/2021
自粛方式の日本で困る、さばが読まれている
新型コロナ感染対策で日本では法律で強制するのではなく自粛で行動を規制してもらう方式だ。これは世界に誇れると思っていたが、1年経ってみてその欠点がわかってくる。
自粛の呼びかけにすべての人が従うかはわからない。だから、その呼びかけは少し脅かすものにして、従う率を高めようとする。1年前、都知事は「ロックダウンになるかもしれない」西浦先生は「40万人死ぬかもしれない」と「さばを読んで」呼びかけた。それがうまくはいって第一波は無事収まった。その成功体験で、第二波以降でも都県境を跨ぐなとか実行不可能な「さば」を出し続けた。都民はバカではないので、さばを読まれていることはわかっている。だから、1年後には自粛要請の効き目が薄くなっただけのことだ。
困ったことにさば読みは医療関係者に多い。ポジショントークとしてやむを得ないことだが、菅首相の横で、そして国会の委員会で「責任者のようにさばを読む」(尾身会長)と、受け取る国民は政府の一員の責任発言ととらえるから、ますますそれらの専門家発言を割引いてしまうことになる。
次回のパンデミック対策のためにもこの自粛方式の悪習は改めたほうがよい。