2/29/2012

3.11一周年その3被災後再建の考えに

絶対に安全な原子炉は作れないのと同様にどんな津波にもまちを守れる津波防波堤というものはない。東北地方の太平洋沿岸で被災した津波防波堤の復旧工事が行われようとしている。その考えは、明治三陸津波のような数十年あるいは百数十年に一度の確率の大きさの津波までを防護対象として計画し、今回のような千年に一度の規模は対象にしていない。絶対安全を目指してもきりがないし、費用が莫大になるだけだ。津波が来ない999年では大きな堤防はまちづくりの邪魔になるだけだ。
 そのような極大な津波にはどうしたらよいか。人間はとにかく高所へ避難する。そのための避難地避難路の整備はしておく。家屋などの被害はあきらめざるを得ない。1000年に一度の希な災害だから、財産被害はあきらめるのが「確率的」に言って正解なのだ。1000年も耐用する建物はないからだ。
 被災後再建の考えだ。

2/28/2012

3.11一周年その2「予防原則」なる軽い理論

「予防原則」なる屁理屈がまかりとおっている。一般庶民はただ単に放射能は恐ろしいと感じているだけなのに、それを理論化しようとする。放射線の人体に対する悪影響が科学的に確定しないことから、十分安全側に対処しようというのである。水俣病の有機水銀原因説も当初から予防原則で排除しておけばあのように悲惨なことにならなかったと理屈補強の材料にしている。
 違うだろう。有機水銀の生産をストップしても国民経済上は大した影響を与えない。しかし、福島県ほかの1mSv/年(積算線量)以上の土地の除染をしておこうというのは莫大な費用がかかる。一説には数十兆円かかるという。おまけに、除染された土などを最終処分することもましてや一時保管する場所も目処がつかない。「予防原則」なる軽い気持ちで対応するのは不可能だ。いま一番確からしい放射線医学の知見で行動すべきだ。それは100mSv/時(線量率)を境に除染あるいは帰宅可能の判断基準とすべきだ。

2/27/2012

3.11一周年に言わねばならぬ その1(重大事故だったか)

原子炉というのは絶対安全なものではない、という常識が不幸な被災によってやっとわかるようになった。絶対安全なら電力消費地に近いたとえば東京湾埋め立て地に立地したほうが合理的だと言われていた。「安全神話」だということは皆知っていたのだろう。
 万一にしても、炉心冷却ができなくなれば、水素が発生し、それが溜まれば水素爆発し、放射性物質が飛散する重大事故になる。メルトダウンは容易に起き、その結果圧力容器などに損傷を生ずれば、それも飛散の要因になる。
 ただ、重大事故の「重大」かどうかは見解が分かれるところだ。事故が起これば避難すればよい。距離を稼げば危険は容易に減ずる。おかげで、チェルノビィルの時と比較して、住民はもちろん現場対応者にも死者・放射線障害者は(いまのところだが)ゼロだ。この結果を見て、重大な事故だったといえるか。ある程度想定された事故だったのではないか?事故時の避難は訓練の対象となっていた。より重大な核分裂反応暴走(核爆発につながりかねない)は避けられたのだ。(続く)

2/25/2012

放射線の恐怖はあるとしても全国で分かち合うべき

被災地の可燃性瓦礫を全国で分担して焼却処理する「美談」を拒否する日本人が多い。
 日本国政府が定める焼却灰の放射性セシウム濃度基準(ベクレル)をクリアしてもダメだという。その基準にしても、広島長崎の疫学的知見からの年100mSvの安全基準を大幅に厳しくして、当初は20ミリだったものを5ミリに更に厳しくしたものだ。さらには、医学的に評価されるべきはそれらの積算線量(年間値)ではなく、瞬間線量(強度、時間値)だと言う。それは100mSv/時だというから、年間の時間数(8,760)倍も違う。だから、100/5*8,760=約20万倍も厳しくなっているのだ。
 そこで、反対の住民が持ち出したダメにする屁理屈は、政府の言うことはまずは信用できないし、よくわかっていない現状では、ゴミの全国での分担焼却は放射性物質を拡散することになるから、というものだ。
 違うと思う。よくわからないと思うなら、その「危険性」(恐怖・・だけかもしれない)を福島の住民と分かち合うのが、震災時発揮された「絆」であり諸外国から称賛された「日本人同士の思いやり」なのではないか。

「支那」「中共」も言い続ければよい

何度でも、河村市長の南京事件なかった発言に関連して言わなければならない。
 ニュースによると河村市長は南京市訪問団に対して発言した非礼はわびなければならないと言っているらしいが、発言は自己の考えで、撤回するつもりはないという。
 この騒ぎの結末を予想すると、当の市長から歩み寄ることはないので、うやむやのままに終わるだろう。似た例で、李登輝台湾元総統の日本への入国ビザ発行問題がある。中国政府はビザを発行しないように日本政府に圧力を掛けてきたが、無視していれば次第に文句は言わないようになった。南京事件の評価についても日本の要職政治家は自由にものを言ったらよい。何回も繰り返せば、中国はさすがに非常識だと分かるであろう。
 中国を「支那」「中共(産党あるいは華人民和国の略)」と呼ぶのも自由だ。金正男氏も母国北朝鮮を「北韓」と北朝鮮ではタブーとなっている呼称を使ったという。呼称とか歴史的認識を強制することにより、中国は外国を服従させる道具として使ってきただけだ。

2/23/2012

真相は戦死便衣兵が民間人だと間違えられた(南京事件)

1937年の南京事件の真相は、民間人の大虐殺ではなく、制服を脱ぎ捨てた国民党軍の便衣兵がゲリラ戦中に戦死したのが民間人と誤解されたケースがほとんどであろう。証拠はないが、一部民間人が戦闘に巻き込まれて死んだこともあったかもしれない(どの戦争でもあり得る話だ)。しかし、「虐殺」というのは軍司令部が命令したか、黙認した場合をいうのであろう。上記のような場合があったとしても、突発的なものは虐殺とはいわない。
 米中両国がねつ造した「事件」であることは間違いない(動かぬ証拠は文痴は持っていないが)。だから、河村市長の提案する「討論会」で双方の証拠を持ち寄ることは大変意義あることではないか。両国国民にとって、真相がよくわからないままのほうが友好に害となるはずだ。

2/22/2012

討論会で「動かぬ証拠」を出すべき(河村発言への抗議の前に)

河村名古屋市長の「南京事件はなかった」発言に中国側が憤慨している。
 憤慨する前に、中国側が主張している「動かぬ証拠」を提示すべきだ。河村市長はそれも提示してもらうための討論会を提案している。討論する前に結論を言うのは討論の意義を損ねる。

2/20/2012

南京事件はなかった、との討論会は必要(河村市長の素朴論)

名古屋市の河村たかし市長が中国共産党の南京市委員会の訪問団に対し、南京事件(虐殺)はなかったとし、そのことを明白にするために討論会を提案したという。「なかった」とするのは、南京市で終戦を迎えた同市長の父が、市民から親切にしてもらっていた、という素朴な証拠からだ。
 グッドアイデアだ。韓国とは竹島の帰属の史料についての議論もしたらよい。政府レベルでなく、地方あるいは民間レベルで。中国とは尖閣問題あるいはチベット問題でも。
 政府間の正式なものだったら、議論の自由度の制約がある(公式論の応酬で終わる)。民間あるいは地方公共団体なら本当の議論ができるかもしれない。「両国間でよく話し合って解決すべき」という素朴な外交議論(田嶋陽子もと参議院議員など)があるが、これは民間レベルで(の単なる話し合いに終わるもので)は当てはまるかもしれない。

2/19/2012

基礎年金だけを公的年金に(再び言う)

国民年金の加入者は、厚生、共済年金のサラリーマンと違い、大組織に属さない 個人事業主などだ。国民年金だと老後、基礎年金部分しか受け取れず、それでは生活ができないと心配する考えがある。
 大きなお世話だ、と彼らは思っているのではないか。もし、サラリーマンと同じ年金制度に含めるということにすると、公平のためいまより所得の捕捉率を高めなければならない。そうなると所得税(補足率)の不平等性に切り込まれる恐れがある。サラリーマンでいう雇用者負担分も払わなければならない(倍になる)。サラリーマンでいう年金の二階三階部分を受け取るにはデメリットが多すぎる。
 だから年金の二階三階部分は公的年金とは考えずにその企業(役所)の独自の福利厚生制度と仕分けするのがよい。だから、その部分には税金は投入しない。基礎年金のみを公的年金とし、全国民一致の制度とするのだ。そのうえで、公的には最低保障の月7万円がよいのかどうか。サラリーマンが余計にもらっているのはその組織への入社時の条件(退職金と共に生涯賃金の一部)だし、退職したら個人事業者とは違い、収入ゼロになってしまうのだ。
 文痴は以前にも「基礎年金だけを公的年金に」を書いた。

2/17/2012

グローバル化は拒否するものでなく対処するもの

昨夜のBS8プライムニュースは京大佐伯啓思教授がゲストで、同氏の著書「反・幸福論」からの議論だった。同氏はグローバル経済に反対の立場で、日本人には日本の価値観で生活が進められるべきだ、という論調だった。
 文痴はそれを否定するものではない。しかし、グローバル経済とは反対とか拒否できるものではなく、交通物流手段が近代化高度化すれば必然的にグローバルに市場が形成されてしまう、というものだろう。だったらどうする、というのが正しい対処方法で、グローバル経済に組み込まれずに「鎖国」するというのは無理だ。

2/15/2012

最終製品工程は低技術でよい

自動車と家電製品が韓国のメーカーなどに太刀打ちできず、海外への立地とか撤退をせざるを得なくなっている。
 このいずれもが、最終製品への組み立て工程の仕事だ。これらは韓国、中国以下の新興工業国に得意な分野だ。技術は必要なもののそんなに高度なものではない。むしろその部品となるものに高度な技術力が必要なものがある。自動車でいえば薄型鋼板、車載電子部品とか、TVでいえば液晶用ガラス板とかだ。日本はこれらの部品、素材で輸出を稼ぎ、韓国などはその輸入で対日大幅赤字となっている。
 最終製品組み立て工程は海外へ全面移転せざるを得ないのではないか。問題は国内のそれら部門の労働者の雇用対策だ。世界汎用技術での国内の高賃金を維持するのは難しい。

2/13/2012

経済性となにより多様化が必要なエネルギー源

福島第一原発事故後の原発見直しの動きで日本の今後のエネルギー政策のあるべき姿が議論されている。そのなかで経済性の観点以外で忘れられがちなのがエネルギー安全保障と温暖化ガス削減の前提条件だ。
 安全保障には純国産の再生可能エネルギー源も今後必要となろうが、火力発電の燃料の種類とその輸入元の国も含めた多様化が不可欠だ。いま、原発の稼働基数が最少になって、代替としてLNG燃料のガス発電がそのほとんどとなっており、多様化とは逆の動きになってしまっている。日本がLNGを集中調達することによる価格の高騰も問題となっている。
 もう一つの問題点であるCO2ガスはLNGからの排出量は他の石油石炭よりも少ないもののバカにならない。原発からは運転中の排出はゼロなので、排出量を地球規模で減じていくプログラムに破綻を来すことになる。(文痴は人為的温暖化理論には懐疑的だ)
 ベストミックスにすべきなのである。原発も事故前の計画では50%のシェアを目差していたが、これでは、事故が起きて今回のように全ての原発が止まるようなことになれば、半分がなくなってしまう危機となる。LNGも石油あるいは石炭もそれぞれ例えば30%を超えるようなシェアにしない。そうなれば、ホルムズ海峡危機で湾岸地域からの石油とガスが全て止まっても30%カットくらいですむ。LNGの一つシェールガスとかメタンハイドレートは原産国が石油とは異なる。後者は日本近海での産出が期待されている国産エネルギー源だ。原発もウランという「燃料」の輸入が必要だ。その量を最小にする増殖炉の技術も今後発展する芽をつんではならない。そのために原発運転を一部で続けるという発想も必要だ。

2/10/2012

家電不振はエコポイントの後遺症

パナソニックとかソニーとかの日本の代表的家電メーカーが軒並み数千億円の赤字決算だという。韓国のサムスン、LGに価格競争で負けつつあるからだという解説だ。
 でも、それは世界での話だ。先進国以外では品質より価格が競争条件になっている。日本には韓国メーカーの製品はそんなに入っては来ていない。
 不振の理由はただ一つ、需要の先食いだ。デフレ対策と称し麻生内閣時より何回か家電エコポイントによる需要促進を図ってきた。地デジ化に際しTVを買い換える動きもあった。TVの需要はそのことがなければ、10年に一度かの買い換え需要しかない。これだと少ないものの毎年コンスタントに売り上げが期待できる。エコポイントはそのペースを乱したにすぎない。計画的生産・販売に有害そのものだった。

2/09/2012

「金(かね)で解決できるなら」のその金がない

日本人は「金で解決するなら」という安易な態度でトラブルなどの問題に接してきたのではないだろうか。右肩上がりの経済の時代はそのほうがすべてうまくいった。時間(インフレ)が自然と問題を少なくしてくれたのだ。いまは、デフレの時代だ。今後成長が見込めないとなると、余分な金など無い。そのように態度を改めるべき時だ。
 たとえば福島第一原発の後始末だ。責任論からいえば、国と東電は完全な原状回復義務がある。ただ、東電の資産からその金が出せないとなると、税金か電気料金かいずれにしても一般国民の懐から出すことになる。そのようなときに完全除染に数十兆円も出せるのか?規定どおりの除染だとしても数兆円だという。それだけの金を出しても得られるのは「安心」だけだ。もっと少なくても放射線の影響はない、という科学的証明があるのに、それだけの金を出させる、というのがわからない。一昔前だっら「金で解決できるのなら」という言葉で終わっていただろうが。

2/05/2012

選挙政策はその権限区域のことに限れ(宜野湾市長選)

宜野湾市長選が告示となった。元市長の伊波氏と新人の佐喜真氏の一騎打ちだが、両氏共に普天間基地の県外移設を主張している。
 市長選だから「(最低でも)市外」移設を主張するまででよいのではないか。県外かどうかは県知事か移転先の名護市(市長、市議)の言うことだ。沖縄県知事も(最低でもの)県外を主張しているのであって、国外に固執はしていない。沖縄県の言うことではない。
 それにしても、両候補共に防衛省の所管事項で言えば同じ政策なのだから、沖縄防衛局の真部局長が何を狙って講話したのか分からない。

2/02/2012

民主党政府だから許されない議事録不作成

昨年の大震災時における政府の諸会議議事録が作成されていなかったことが大問題となっている。これをみるポイントは、ただ単に公式会議の義務づけられた記録がなかった、ということではない。そんなことは役人の怠慢という通常のスキャンダル(大いにあり得る、という意味)にすぎない。
 菅内閣が大震災への対処とりわけ福島第一原発の事故処理に際し何かを隠しているのではないか?という根強い疑惑があるからだ。民主党は党是として何よりも情報公開を徹底してきた。また、政治主導で官僚を従えるはずだった。となると、その政治主導で、官僚の疑惑隠しに暗黙の了解を与えた、と疑われて当然なのだ。