2/26/2007

ローマ人の物語完読

塩野七生「ローマ人の物語」全15巻を読了した。
他の古今ヨーロッパ人によるものとの違いは、「何故」が書かれていること。
昔、ギボンのローマ帝国衰亡史も読んだ(正確に言うと途中でギブアップ)が、皇帝が殺され次の皇帝へ、という事実しか書いてない(だからつまらない)。

塩野版ローマ帝国本が各国語に翻訳されることを望みたい。

2/23/2007

建築家が知事は危険?

民主党の都知事候補が未決の今、無所属の建築家・黒川紀章氏が名乗りを上げた。
石原都知事は、その感想を聞かれ、「建築家が知事になるのは危ない」と、わたしの感想と同じことを言った。奇抜な建物を建てて都政とする恐れが濃厚だ。

でも、小説家が知事になるととんでもないことになる。田中康夫氏の例でも明らかで、現実と架空を取り違えている。
お笑いの宮崎・東国原知事はといえば、ノック知事と同じ、PRマンには最適だ。所詮、知事とはそのようなものにすぎないのかもしれない。建築家あるいは小説家のように知性をひけらかすことがないだけマシだ。

2/13/2007

尾見財務相も長女を

石原都知事が四男を登用したとき、李下に冠を正さず、に反すると言った。
尾見財務相も長女を登用した。
身内がその能力故に登用されてもよいのではないか、と言い訳するのかもしれないが、たとえ部下がそう進言しても断固断るべきだ。
能力あるその身内は偉い人を父に持った上の悲哀だとあきらめてもらうしかない。

2/07/2007

言葉だけ取り繕っても

柳沢大臣の女性産む機械失言の決着後、また、健全な家庭論(二人の子供)が出て、女性政治家が騒いでいる。
もういい加減に言葉尻をとらえるのをやめにして、少子化対策を議論したらどうか。国会はその方向で再稼働している。
差別用語の言葉狩りというのがある。差別の実態がなくならないのに、言葉だけなくせばよし、とするものだ。今回はこれに似ている。
同和問題も同じで、行き着くところ、エセ同和(同和を騙る)になる。中身の改善をしないとこうなる。

江戸時代、キリスト教徒に対する踏み絵というものがあった。隠れキリシタンをあぶり出す意味だったろうが、ぼくは、踏み絵を踏めば許す、心の中まで変える必要はない、ということだったのかとも思った。
同じく、奉行所のお白州で、名奉行が罪人に対して、「恐れ入ったか」と宣言し、罪人は恐れ入って(振りをしてもよい)放免される、のにも似ている。
狭い島国日本の中では、違いを荒立てるより、表面の一致でうまくことを纏めるほうが賢明だったからだ。

2/05/2007

地球温暖化は政治運動

人為的地球温暖化理論に数々の疑問が呈されている。
私も書いた。http://home.e08.itscom.net/21water/co2.htm
この冬、世界的に暖冬だが、このときをねらって、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が再度の地球温暖化の警告を出した。
数々の疑問に答えておく必要があると判断したものだろう。新聞報道を読むだけでは、数々の疑問への答えは見つからない。今回までの観測データの積み重ねが人為理論の更なる裏付けになった、とあるのみだ。

疑問を出す側としては、暖冬のとき(あるいは前回は酷暑の夏)に(わざわざ・・・と思えるが)発表するのは、一般大衆へのデマゴーグとしかとらえられない。

昨年の冬は厳冬だったのをもうお忘れでしようか?地震後の旧山古志村に豪雪の追い打ちがありましたね。ことしの暖冬の原因はエル・ニーニョ現象だけだということは気象学者の一致するところだ。

2/02/2007

柳沢大臣には少子化政策を質すべき

柳沢厚労大臣の「女性は産む機械」発言が問題となっているが、大臣は陳謝・訂正しているのだから、それはそれでよいのではないか。
講演の発言のときにも「・・・機械、こんなことを言ってはいけませんよね・・・」とその場で否定している。ポロッと出てしまうのは、日頃の考えとして持っているから、との指摘はあたっているのだろう。でも、内心はどう思っても、大臣として適切な政策を実行することの方がずっと重要だ。
女性を機械として扱う政策を出してきたら、そのときには阻止したらどうか。それが議員によるチェックというものだ。

言葉だけきれいでも、実態が伴わなければ何にもならない。

なお、少子化問題の混乱は、少子化政策を自己の女性グループの地位向上に利用する傾向があるのが問題であって、全女性の(産む産まない)事情を見わたして適切に各政策を配置することが必要だ。それをこの大臣ができるかどうか質すため、国会質問するべきだ。