衆議院議員の任期は四年だ。その期限が10月にやってくる。その前月にも解散するかどうか議論になっているが、たった1ヶ月の違いだ。ここは七条解散のその意味を問われる解散を敢えてする大義名分が見つからない。
8/26/2021
政策の結果が出ないと選挙できない?
8/22/2021
かかりつけ医が大病院を探す
コロナ前から町医者と大病院の役割分担が厳格化されてきた。患者はまずはかかりつけの町医者に行く。簡単な治療で済むもの以外は大病院に紹介状を書く。町医者(総合医だ)はその大病院にツテがあることが名医の条件の一つだと聞いた。
コロナでは保健所を通して受け入れの大病院を探すことになる。町医者に通っていないときは保健所に電話しなければならない。電話はなかなかつながらない。保健所と病院の連携が良くないと受け入れ先がなかなか見つからない。
保健所を介在させるのはある意味権力が介在するので社会主義的だ。病院同士の連携だと自由市場主義的と言える。感染症法の適用を受けて、まん延状況を調査しながらとなると、保健所が要となるのは仕方がないのかもしれないが、変異株も含めてウイルスの性状がある程度わかってきたので、いずれ感染症法の縛りを緩くすることも考えていくべきだ(そうなりつつある)。
千葉の早産妊婦のかかりつけ産婦人科病院はあったはずだが、そこからの大病院ルートは探せなかったのだろうか?それでも感染妊婦のベッドは逼迫していたかもしれないが。
8/20/2021
今回はつまらない五輪だった(57年前と比べ)
オリンピックが終わって半月以上たつが、この東京での五輪は何だったのだろうと考えてみる。とくに57年前と今回の二回を見ていたので比較して考える資格はある。
8/17/2021
感染症の感染率、致死率と死亡率(デルタ株で)
致死率と死亡率、違いの定義の確かなものはないが、致死率は感染者が死に至る率、死亡率は全人口のうちその感染症で死亡する率、とする。感染率=感染者/人口、致死率=死亡者/感染者、死亡率=死亡者/人口だから死亡率=感染率×致死率となる。
致死率が低くなったとしても感染率がより高くなれば死亡者は増えてしまう。だからこの死亡率の多寡が「死に至る病」かどうかの程度評価の基準となる。
新型コロナウイルスが変異すると「感染率は高くなり致死率は下がる」と一般的には言われている。変異株の代表のデルタ株がそうなるかはわからない。変異を繰り返すとこの一般論に当てはまるかは変異を繰り返した結果のインフルエンザの感染率と致死率とを比較の対象とするとわかりやすいかもしれない。毎年のインフルエンザの感染者数は1,000万人と言われる。その感染率は8%、致死率は0.1%、死亡率は1,000万人×0.001/12,600万人=8人死亡/10万人となる。これが新型コロナが「普通のインフル」になったとしたらその目標数字だ。
新型コロナのいままで1.5年間の感染者総数は120万人弱だ。感染率は1%。死亡者は15,000人強。致死率は1.3%、死亡率は8人/10万人。
デルタ株での感染率はいままでの1%よりかなり高い(1.5年間分の同一日数に換算して)。死亡率は最近の死亡者数の経緯を見ても明らかに低いと思われる。これらから致死率は計算できるが、だれか計算して欲しい。
8/12/2021
コロナ緊急の軽重を問う
「鼎の軽重を問う」ことがあるが、「緊急の軽重を問う」場面だ。コロナの緊急事態はおかしいと思っていたが、もう一つの緊急事態の洪水の恐れになって、これらの軽重を比較する場面になって「ボロが出た」。
8/10/2021
行き過ぎた国際分業をどうする?
8/08/2021
ウイズコロナでハッピーマンデー廃止を
そもそも観光業などの曜日依存商売では需要平準化が念願だった。毎週の土日の休日は社会全体の都合なので受け入れざるを得ないが、月曜日に祝日を移動させて3連休にするハッピーマンデーは余計なことだった。とくに夏休みだったら、子供の学校夏休み期間の土日の前後に父親も有給休暇をとればよい。その時期がバラバラになれば少しは平準化される。
そのトップシーズンの夏に4連休、3連休を今年は特別に作ってしまった。コロナ対策では有害そのものだ。五輪をコロナ下でやろうと決めた段階で祝日を元に戻す(逆)法制化をすべきだった。
コロナとこれからも共存していくためには人為的な混雑をできるだけ作らないことだ。そのためには3連休を濫造するハッピーマンデー制度は廃止して、本来の祝日の日にちに戻すべきだろう。
かつてJRのどこかの社長が3連休待望論を広めたが、それは昔の日本人の感性に基づくもので、観光地もその行き帰りの交通機関でも混雑を是とする(というか混雑が風物詩だった)社会だったのだ。最近でも著名な観光業界代表者がGWなどの一斉休みを地域毎に変えたらどうかという主張をしている。これはこれで運用上の問題点が指摘されているし、中途半端な平準化で終わってしまう。混んでいないことが観光の価値である、という常識にかえりたい。
8/07/2021
ウイズコロナでオンラインにならないもの
オンラインで会議、そして飲み会をやれば、直接会うことがないので感染は防げる。しかし、すべての会議をオンラインで画面を見ながらやるのは限度がある。社長は居並びかしこまる部門責任者を眼前にして号令をかけるのでなければ威令は届きにくい。下っ端は隣の同僚と相哀れむ雰囲気が共有できない。話している相手同士の会議ではない。参加だけしているメンバー同士も目配せなどで以心伝心がとれる。
オンライン飲み会はリアルの飲み会に必要な、場の雰囲気の共有、隣同士の情報交換(秘密のことでも騒々しいので可能だ)、席移動しての話し相手の交換などが、オンラインでは不可能だ。誰か1人がしゃべって他は聞いている、これの連続だ。同時多発的会話が飲み会の利点だ。このオンライン飲み会は二度とやりたくない、という人が多いと思う。
おまけ。オンライントラベル、というのを旅行業界は苦肉の策として広めようとしている。旅行には実際に行ってみた先での肌感覚、湿気と微妙な臭い、人々の喧噪などが必須だ。オンラインでの現地紹介ビデオではこれらがすべて体感できない。旅番組が人気なのは視聴者が旅した先が出てくるからだ。その番組を見て過去の旅のことを何回でも思いおこすことができる。
8/06/2021
遠くに行くのが旅行だ。ウイルスを連れないで
旅行って遠くに行って異質の世界を見ることが本質だ。「遠くへ行きたい」(永六輔作詞)というのは旅行のキャッチフレーズだ。その点で感染症対策上のマイクロツーリズムというのはわかりづらい。同一県内での旅行は自宅での生活を違う屋根の下での1泊2日に替える効果しかなく、旅行の魅力とはならない。
8/04/2021
五輪放送がTV局の夏休み
いつもの夏だったら、いまは夏休み本番の時期だ。子供は長期休み、親は夏期休暇をとって遊びに行く。ところが休めない業界がある。その代表がマスコミ関係だ。新聞はひと月に1回休刊日がある。これは月曜だが、新聞社は日曜にあたる(配達の人は月曜の朝)。しかし、長い夏休みとか正月休みもとりたいとき、どうするか。
8/02/2021
ワクチン効果は100%でない
例えばファイザーのワクチンとしよう、その有効率は種々発表されているが、いずれも100%ではない。二回接種で95%として、5%はワクチンが効かない被接種者がいる。
新型コロナの悲惨例としてこの効かない人の例(エピソードだ)を出してくる。ファイザー社としても困ってしまう。最初から100%とは公表していないので例外事例は覚悟の上だ。個人によって抗体ができない、長続きしない、抗体が効かないウイルス(変異?)などがあるし、工業製品なのでごく少なく不良品もあり得る。
95%の有効率で社会全体としては感染が徐々に収まる。その方の効果があるから、国家主導でワクチン政策が進められる。それが公衆衛生の考え方だ。個々の患者でたまたま5%の効かない場合があるが、それは担当の臨床医の努力で病状悪化が食い止められる。
すべては確率の問題で、100%の確率(ゼロリスク)を求めるのは「無い物ねだり」だ。