5/23/2015

大阪市で否決された特別区設置を名古屋市等はどうする?

 大阪都構想が住民投票で否決され、結果として、政令市の矛盾が残ったままとなっている。これをどう解決するかはこれからの大阪市民の決断にかかっている。地方自治の問題なので、全国ほかの地域あるいは国レベルでは見守るしかないのだろう。良くなるのも悪いままなのもすべてそこの自治体だけの問題だ。
 政令市は名古屋市ほか大阪市を含め20ある。それぞれが今後考えて行く問題だろう。国の法律・大都市地域における特別区の設置に関する法律が特別区の設置を認めているので、これら19の政令市の住民の意思が問われている。都市は一般に企業体になぞられ、都市間競争の時代で、魅力ある都市が他の都市を凌駕することになる。

5/21/2015

安全保障法制がわかりづらい理由

 集団的自衛権の解釈変更に伴うなどの安全保障法制の国会議論が始まった。
 法律内容を見てわかりづらいのは素人にだけではなさそうだ。原因は、自衛隊ができること、ポジティプリスト、を延々と列挙するからだ。実際の戦闘では何が起きるかわからない。そのときそのリストに載っていないから対応しない、ということは軍隊ではありえない。
 論理学的に言えば、禁止事項、ネガティブリスト、を議論するほうがずっとすっきりする。軍隊は戦場で、何でもやらなければ、勝利につながらない。負けるくらいなら最初からやらないことだ。その場合、禁止事項をあらかじめ決めておかないと「文明に基づいた戦い」にならないからだ。

5/20/2015

欧州の悲惨史からみた東アジアの捏造

 バルト三国とポーランドに行ってきた。
 三国は北からエストニア、ラトビア、リトアニアだ。三国ともに旧ソ連の構成(を強制された)共和国だった。ポーランドはその首都ワルシャワの名を冠したワルシャワ条約(東側陣営)機構国だった。いまではこの四カ国は「反ソ反露」だろう。かつての敵であったNATOに加盟するまでになった。
 旅のテーマはソ連あるいはナチスドイツから受けた被害の大きさとユダヤ人などへの迫害の歴史だった。前者について言えば、凶暴な軍事大国に挟まれた小国の悲哀、後者は民族差別の圧倒的な悲惨さだろう。
 東アジアの中韓が言うのはほとんど捏造史だが、あったとしても欧州のそれに比べると量的にも無視できるほどだ。

5/09/2015

ドイツ国民がナチスを作った(再)

 5/8はヒトラーナチス政権の敗戦記念日だが、メルケル首相は「敗戦」の言葉は使わず、ナチスからドイツ国民が解放(訣別?)された日だとしている。日本人が8/15を終戦記念日としているのと似ているようで似ていない。
 「ヒトラーを支持したドイツ国民」によるとヒトラーはドイツ国民の広範な支持があって「独裁」を始め続けることができた。ヒトラーとか秘密警察のゲシュタポが国民の密告ブームに辟易していた、と書いてある。
 中国の一党独裁者・習主席も中国国民の人気取り政策に腐心している。
 メルケル首相のナチス訣別論はドイツ国民の免罪符を求めているだけだろう。

5/07/2015

危険回避に完璧を求めるのが風評の実態

 箱根山に火口周辺警報がでて、観光客が激減する風評になっていると、関係者が訴えている。 噴火警戒レベル2だから、大涌谷周辺だけ立ち入り禁止でよいはずだが、箱根全山への観光客が減っている。
 楽しいはずの観光旅行だから、少しでも危険を感じるのであれば、行くのすらやめよう、ということになるのが日本人だ。原発事故でもそうだった。福島産の農水産物はどんなに放射能レベルが下がっても食べない。ほかの県産のもので代替できる。

5/04/2015

護憲というより蔑憲(ないがしろにする)

 日本人は成文憲法というものに慣れていない。英国には成文憲法はない。両国とも歴史ある国だからなのか、日本に憲法を押しつけた米国のような歴史の浅さはない。
 でも、英国と違い、そもそもは法典というものに重きを置いてなく、社会の空気のようなものが規範となってきた。憲法九条第二項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と陸海空自衛隊の存在は明らかに矛盾する。法治ということからは、自衛隊を否定するか、この項を少なくとも改正するべきだろう。
 このように無理な解釈を重ねて、条文をないがしろにできるのなら、これからも憲法を守ると称して実際は現実にあわせて規範は変えていくことができるだろう。護憲というより蔑憲(憲法を蔑ろにする)とでも言えようか。

5/01/2015

ナチスのホロコーストとは違う日本軍

 「ヒトラーを支持したドイツ国民」によると、ナチスのホロコースト的な虐殺被害はユダヤ人ばかりでなくポーランド人、ロマ(ジプシー)にも見られた。また、ナチスドイツ軍への捕虜あるいは占領地国民も虐待(虐殺される場合も)を受けていた。
 日本軍が比バターン半島から米軍捕虜に死の行進をさせ、結果的に一部死者を出したのは、以上のナチスの残虐性と変わらない、と断罪するのは、ナチスへのニュルンベルグ裁判の類推に過ぎない。
 それほど残虐でなかった(全面戦争だから少々の残虐性は免れない)証拠に、当事者のマッカーサーが戦後になって日本の戦争立場について擁護することを言っていることからわかる。