12/25/2022

防衛予算増に必要な税は国全体で確保を

倍増する防衛予算にその財源(増税など)をどうするかが問題になっている。予算査定の財務省の方針は「新規(増額)施策にはセットで財源が必要」としていることからそうなっているのだろう。

 予算査定は要らざるを減額査定して、そこで生じた余剰財源で必要な新規施策を、というものだ。だから財務省の前記の方針は査定業務の放棄に等しい。いまは各省庁から予算要求をするにはシーリング(要求限度)が設けられている。各省庁(の官房)に査定を丸投げしているのだ。

 防衛省の予算の総額は防衛予算がほとんどだ。その五兆円あまりを倍増させるのは防衛省だけの査定では不可能だ。国全体で歳出をやりくりして増加が必要な五兆円を生み出す。全額ができなければ、さらにはそれとともに新規の財源を生み出していく。これが増税だ。

 増税は増税で各税目間のバランスを図らなければならない。かつては直接税が大きすぎたので間接税の消費税を新設、拡充して、これらのバランス、直間比率を理想化(所得税などは減税)した。

 いま、防衛費の増額分の一部を法人税で、との議論が主流だが、以上の観点からは歪んだ議論の方向だ。正しくは、防衛費で五兆円膨らむ歳出を全体にわたって如何に縮小するかの歳出改革、そして、その努力だけで一部足りなければ、どこの税目をどの程度増税するのが全体の税負担のバランスの観点からふさわしいかで全体として歳入増を図っていく、の順になるだろう。

 かのウクライナでは戦費の確保がまず第一の歳出増とならざるを得ない。歳入は増えるどころではないので、ほかの国民一般向け歳出は当然縮減されてしまう。日本はそれほどの緊急時ではないが、少しは似たような思考方法にならないと、議論が終わることはない。

 もちろんだが、GDP2%の防衛予算を確保しても、その中身を防衛力増大に合理的な配分などにする努力は当然だ。

12/23/2022

新型コロナ感染の記

新型コロナ(オミクロンだろう)に罹ってしまったが、自宅療養で完治してから1週間以上が経過した。この機にこの間の経験を記すことにより、未罹患者の参考に供したい。

 いつものカゼとは違うな、と念のためかかりつけ医で受診したのが始まりだ。のどの痛みがいつもより酷い。唾を飲み込むのでも痛くて我慢してしまうほどだ。なので医者にかかることにした。その小病院は発熱外来はないし体温も平熱36℃前後だったので、直接訪問することにした。あとから反省するとたまたま空いていてほかの待合患者はゼロだったのが幸いだった。
医師「高齢者で新型コロナが多いので念のため検査しますね」
防護服に着替えた医師が鼻の奥に検査棒を挿入する。その簡易抗原検査の結果は「陽性」
(オミクロン対応5回目接種済みと説明したが)
医師「ワクチンを接種済みでも感染することはありますが、重症にはならないでしょう」
医師「保健所に届けるので電話番号を教えて」「のどの症状対処薬を処方しますね」「感染した日を推定してその日をゼロ日とし、7日目までが自宅療養になります」
病院への支払い(自己負担額)は初診料などのみだった(検査料などは公費)。

 帰宅後、すぐに保健所から電話あり、自宅療養(外出禁止)の注意を長々と聞く。ヒマな保健師だ。
保健師「同居家人は濃厚接触者になるので、電車バスには乗らないようにして、しかし買物等はOKだが短時間で」

 薬局に行く(外出禁止だが仕方ない)。待合室で待つのは当然遠慮して、外の閑散とした公園でぶらぶらする。担当薬剤師から携帯電話で
薬剤師「薬局の建物の外でお渡ししますね。会計は無料ですから(公費負担)」
 感染推定ゼロ日には忘年会があった。マスク会食にはなっていなかった。翌日の第1日から軽い症状が出始めたので、以降の日程の他の忘年会予定は全て欠席(ドタキャンになるが、当然、幹事から快諾される)連絡した。(感染翌日から症状は出ないそうなので、感染日はもっと前かもしれない)
第4日目:前記のかかりつけ医にかかった日だ。処方薬服用開始。
第5日目:症状が比較的重い日になった。自宅療養と言っても寝続けているわけではなく、ゆったりと生活を続けている。
第6日目:処方薬(のどの鎮痛など治療)効用のためか、症状は軽快に向かう。
第7日目:この日以降、楽になる。治癒した?
第8日目:自宅療養終了初日になるが、とくに外出せず。
第9日目以降本日まで:とくに症状はない。快癒したものと思われる。

 以下、感想。
・毎年かかるカゼ(旧型コロナカゼだ)と大きく変わるところはないが、のどの痛みが大きかったので、いつもと違うと気がつく。インフルエンザは数十年罹ったことがないが、聞くところによるその高熱とは違う。
・どこで感染したかわからない。問題の忘年会の同席者では感染者はいないようだ。
・後遺症はない。時々セキが止まらないことがあるが、毎年のことだ。新旧コロナカゼに共通する後遺症だとしたら納得できる。
・最初から調べて発熱外来に行くのが良い。処方薬の引き渡しも薬局を介さないで済ませてくれそう。

12/14/2022

防衛費も国葬も、増税反対につなげてしまう日本人

「増税反対、だから防衛費倍増に反対する」という論理構造になっているのはおかしい。

 まずは防衛費を増やす是非、そしてそれからその財源はどうする、という順だ。国葬反対の議論で数十億円かかるからというのがあった。これも同じ論理構造に陥っている。国葬が必要だったら、数十億円はかかる、という順だ。本体議論を避けるためにその付随事項で抵抗するのは良くない。アベノマスクも同じだった。

 足下の経済状況からいますぐの増税は好ましくない、のだったら、つなぎ国債で時機を見て増税する(いまは計画しておく)という時間軸もある。MMT理論でまだ国債発行に悪影響はない(景気浮揚効果はある)という考えもあるので、それはそれで基本的なことだ。防衛予算の増額議論を避けて税の話しだけで「ブロック」しようとするのは日本人の悪弊だ。

12/04/2022

日本人の謝り方が悪い

日本人は相手が怒っているとき「とりあえず謝っておこう」と考える。しかしそれでは真の謝罪にならない。謝罪を受けなだめられて以後の関係を良好にしたい、という意図だけが感じられるからだ。

 必要なことは怒りの理由を双方で納得するまで議論することだ。相手は言葉が通じない暴力団ではない。

 「従軍」慰安婦問題でも、日本軍による強制連行などの関与はなかった。それを安倍氏(第一次内閣)は「広義の強制性」はあったかもしれないと相手に謝罪する範囲を広めた。謝罪は便宜で、その後の関係改善の利益を享受したい、というのが見え見えだ。これでは謝罪になっていない。だから半島の政権は何回も謝罪要求する。日本の謝罪の気持ちがウソだからだ。

 その謝罪でなく「不幸な過去の清算」に昇華したのが、日豪関係と日米関係での安倍首相(第二次内閣)の功績だ。生きていればさらに日韓、日中関係にも同様の貢献が期待された。

(下記リンク、第六章「歴史への処し方」を読んで以上を考えた)
文春新書『安倍総理のスピーチ』谷口智彦 | 新書
BOOKS.BUNSHUN.JP
文春新書『安倍総理のスピーチ』谷口智彦 | 新書
安倍外交を支えた言葉の力 米議会演説、70年談話……時代を動かした安倍演説はいかに生まれたか。スピーチライターが明かす舞台裏と、総理が込めた思い。

12/03/2022

いまになっても検査万能主義である不幸

 (北京)市民は「PCR検査は要らない。自由がほしい」などと叫び、コロナ対策の正常化を求めた。(ニュースより)

 ゼロコロナによる不自由を反対すればよいものだが、PCR検査がそのゼロコロナの核心であることを知って反対している。

 そもそもPCR検査は感染拡大初期に押さえ込むために全数調査をする以外は、抽出検査とか確定診断に使うものだ。前者は社会母集団の感染率推定に、後者は適切な診察処置に不可欠だ。

 これだけ感染が世界的に拡大した現在、一国だけで全数検査して感染ゼロを目指すのは不可能で、新型コロナの変異により重症化率も下がりつつあるので、ゼロを目指す意味がない。

 たぶんだが中国の官僚体制で感染者数の数字を最少化するだけが行政目標になっている「役人社会」が原因だろう。ここはトップの政治的判断が必要だが、習主席以下役人だから、それができない。日本にも首相以下その気配があるので注意が必要だ。

11/22/2022

どのみち気候変動支援は必要だ

それ(「損失と損害」)がCOP27の正式な議題になったのは今年、異常気象による破壊的な自然災害が世界中で相次いだことが背景にある。(木村氏)

 異常気象は自然災害の特徴としていつの時代もあるものだ(北極振動と偏西風の蛇行が原因とする説)。もしそれが地球温暖化起因だとしても、そのうちの人為的な二酸化炭素排出だけに責任を求めることができるか。超長期の自然温暖化の結果かも知れない。そして、いまに至るも人為的地球温暖化の現象(海水面上昇とか)がインフラ危機(防潮堤の嵩上げが必要)としてまで顕著にはなっていない(予測のみだ)。むしろ発展途上国の経済発展で地下水の異常くみ上げが地表面の沈下をもたらし、それが潮位の相対的上昇になっている例も多い。

 しかし、異常気象にぜい弱となっている発展途上国に対策インフラの支援は必要だ。その昔は先進国が恩恵的にその支援を実施していたが、「損失と損害」の責任として同じ支援が義務になった、と考えることができる。これも支援を発展途上国への影響力を増したいと考える国々への枠組みの変更を強い、純粋な意図による(影響力という紐付きでない)支援に純化する過程かも知れない。

11/19/2022

インフレ手当が永続すればコストプッシュインフレに

(インフレ手当)支給の理由としては、
「食料品などの値上げラッシュによる実質賃金の減少を補うため」(略)
(NHKより)

 手当というと一時的な支給だ。その理由の一つの上記だと、インフレで上がった物価は元に戻ることはないので、永久に支給しなければならない。つまり基本給に反映しないとおかしい。

 つまり日本の賃金は生活給の考えでその水準が決められているのではないか?いままではデフレで物価は上がらなかったので、賃金は据え置きのままだった。

 賃金を上げるには物価を上げる(デマンドプルインフレーション)というのはその通りだったが、物価が上がったので賃金が上がった(コストプッシュインフレーション)、のが真相で、因果関係が逆だ。それが日本のデフレが30年続いた理由だ。

11/15/2022

激増する患者数から医療体制を見直す

第8波になろうとしても相変わらず第7波までの感染症対策を引き継いでいる。オミクロン株はその変異種を含めて感染力は強く、いままでより多くの感染者を生んでいる。だから、新型コロナ医療の優先度を変え(下げ)ないと医療全体としてトリアージにならない。桁違いに多くなった新型コロナ患者への優先度を下げないと、他の病気患者への医療体制に重大な悪影響をもたらす。現に他の病気の救急車の受け入れが引き続き厳しくなっている。季節性インフルエンザ患者も今冬には激増が予測されている。

感染症の分類を2類相当から変更するかの医学の議論より、まずは患者数激増の実態から、どのように医療体制を組めるか、ということから2類相当対応のままでは無理だ、だから、別の類型を新設しなければ対応できない、という考え方で進めるしかないだろう。

11/05/2022

大入り満員が成功、とする文化

日本人は混雑を厭わない。好きだと言ってもよい。行楽シーズンには道路あるいは交通機関が混雑するのが毎年のニュースとなる。風物詩扱いなのだ。今年もそのシーズンになったと。

主催者が何かの企画を催したとする。その評価は何人が訪れたかの来訪者数の勝負となる。混雑すればするほど良い。

一方の訪問客としては混雑はできれば避けたいはずだ。それが混雑を主催者が意図する、主客が逆のことを考えている。

ソウルのイテウォン群集圧死事故の教訓で、日本各地の花火大会、岐阜の信長の催しもにわかに参加者を少し絞る挙に出た。違うだろう。混雑しないで参加できる人数でよしとする文化が必要だ。ICTの時代だ。催しの内容はオンラインで訪問しない全国の人に伝えられる。そのような低密度「快適イベント」の志向にならないものか。

10/29/2022

西欧の巧妙な非関税障壁、EV化、石炭火力禁止

西欧先進国は昔から産業保護政策には巧妙だ。他地域からの貿易輸入を数量制限する米国のようなことはしない。隠された障壁で自地域産業を輸入品から守る。その代表がISOだったが、日本はじめ世界はこのハードルを難なく越えた。

乗用車生産技術では欧州が得意だったディーゼル車が日本のとくにマツダに追い越された。米国からもVWディーゼル車は不正を指摘された。欧州でのEV化前倒しは地球環境を思ってではなく、日本が未だ完全には獲得していないEV技術で再スタートしたかったからだ。HEVもトヨタが長じていたので、それは環境対策車ではないと厳しくした。

ついでだが、中国もEV化に転じた。中国には国民の自動車購入の莫大な需要がある。それを輸入でまかなわず、生産工場を誘致して国内で付加価値をつけさせようとしてきた。その間にそれら現地工場から自動車技術を獲得しようとしてきたが、内燃機関自動車のエンジン技術は難関でそれは得策でないと見切りをつけた結果、技術としてはより容易なEVで残る大需要にあてる、そのような方針だろう。国家専制体制だから、外国は文句はつけられない。

石炭火力も日本の技術はいまや最先端で発電効率は最高となった。旧来の低効率では発電量あたりの排出二酸化炭素量もそもそも多くなる宿命だが、それも改善されている。だから、再エネ発電でも必要なバックアップ電源ではガス発電(のみ)を奨励し、石炭は禁止した。これも日本の技術で負けることを怖れてのことだ。

EVも石炭火力禁止も地球環境を考えてのことだろうと単純に考えると老獪な欧州にしてやられることになる。脱炭素は途上で、まだまだ技術開発などを待つ必要があるので、それを急がせる欧州には別の魂胆があると考えたほうがよい。

10/22/2022

目の前の蠅を追い払うだけ(旧統一教会と新型コロナ)

旧統一教会が悪事を働いたからと宗教法人解散を要求する人がいる。その程度の悪事だったら、他の宗教でも似たり寄ったりだ。だからここで解散させることができたとしたら、他の宗教にとってもその危険が迫ることになる。つまりは、一宗教だけではない宗教全体への視野を持って、宗教からの不都合をどこまで許容するかのリスク判断が必要な場面だ。

似ているのが、新型コロナ感染症による生命へのリスクだ。

他の感染症、病気などでも死の危険はある。目の前の猖獗を極めた流行症に気をとられて他の病気へはおろそかになってしまう。必要なことは各病気のリスクを比較して全体で少なくなるような判断だ。

目の前のひとつの緊急事にしか対応できないからそうなる。

9/30/2022

弔意を呼びかけ、は言葉の意味に矛盾する

「国葬というからには、全国民が弔意を示すべき」とした上で「強制はダメだが、呼びかけをするくらいのことをしなくてはいけない。しかし呼びかけは内閣の決定だけではできません。(略)」(橋下氏)

 弔意、というのは心の中のことで、要請とか呼びかけをする性質のものではない。呼びかけしないと弔意が全国民に徹底しないというなら、全国民まで弔意を示してもらわなくてよい。国葬はそうあるべきだ、ととらえることに無理がある。これは天皇の国葬(大喪の礼)にも当てはまる。吉田元総理の国葬は昭和42年だったそうだが、全く記憶がない。当然、弔意も示していない。国葬というのはむしろそれでよい。

 似たようなのに「謝罪を要求」がある。謝罪は心からしてもらうものなので、要求しても意味はない。そのような日本人だから、「とりあえず謝っておけばなんとかなる」となる。(隣国に対してとくにそうだ)

9/24/2022

国葬反対は呉越同舟

国葬に「反対」との回答が62%(毎日、9/17,18)

 この記事にもあるが、反対理由は様々だ。

①安倍氏は国葬に値しない ②国葬の根拠がない ③国葬にカネがかかりすぎる

 このうち②③には岸田内閣として反論ができていると考えている。①についてはモリカケサクラと死後問題にされた旧統一教会関与のいずれもが一方的なスキャンダル化で、安倍氏は田中角栄氏が刑事訴追されていたなど法的に問題になっているわけではない。大政治家であるほど政敵は多く、政治対立案件に切り込んでいるので、反対する国民は多くなるだろう。反対62%のうち何ポイントが①の理由なのだろうか?八年間も政権を担ったので、それが過半数を超えることは考えられない。

 むしろ①②③が呉越同舟になっているので、それらをまとめて「反対が多い」とする作戦がそもそも失敗している。

9/16/2022

国葬は法的に妥当だが政治的には?

安倍元首相国葬の是非は法的側面と政治的側面からとに分けて考える必要がある。いま法的には内閣の権限で国葬ができるし、裁判所の判断もそれが定着している。

 問題は政治的な効果だ。政治家の国葬はその功績を否定する政治的勢力にとって国葬にも値しないと考えるのは当然だ。法的に整っていてもこちらの政治的妥当性が問われる。国民の大多数が妥当と見做せば国葬になって当然だが、その「多数」を確認するのは国葬を主催する岸田内閣への国葬後の評価になるだろう。その指標の一つとなるのが世論調査だが、他の政策評価も含んだ全体評価を正確に反映できるのは次回の国政選挙だろう。

 なお、わたしはいかなる(国民の義務を伴う)国葬にも反対だが、内閣が(国民の義務を伴わないかたちで)判断したのなら、それはそれで見守るしかないと考える。その前提で故安倍晋三氏が国葬に値するかと言えば、長期にわたる政権運営にあたり、その間、安倍内閣のもとで国政選挙を何回も勝った(支持された)ことから、国民の長期間の支持を得ていたことになり、その期間の長さは判断基準となるのだろう。

9/07/2022

デフレは日本人が選んだ

消費者にとって、モノの値段が上がっても給料がそのぶん上がれば同じではないか、とはならない。

物価は直線的に毎日上がるが、給料はその分を見て一年に1回程度階段状に上昇するだけだから、差の三角形分損する。また、そのインフレ時には収入が上がる人と少ししか上がらない人に格差が生じてくるので、等しく豊かになろうとする日本人には耐えられない。

その日本人の「物価上昇ゼロ」社会へのマインドが経済の方向を決めてきたと言って過言ではない。日銀がインフレ目標を掲げてマインド誘導するのも同じメカニズムからだ。

バブル崩壊以来30年、日本はデフレ社会が続いたが、それは日本の消費者が選択したからだ。値札が上がったものが売れないのなら、消費者物価は上がらない。いま、コロナ後の世界でインフレの猛威が襲っている。日本にまではそれが襲来していなく、資源高、円安輸入物価高によるコストプッシュの物価高のみにとどまっている。日銀景気対策が目指すデマンドプルインフレにはなりそうにない。経済浮揚策は別途考える必要があるのではないか?

8/31/2022

国葬への反対とっかかりは予算しかないから

9月に開かれる安倍元総理大臣の「国葬」をめぐり、岸田総理大臣は、国会の閉会中審査に出席し、実施の意義などを説明する意向を明らかにしました。(NHK)

 国葬には反対の国民もいるが、それだけで実施不可となるわけがない。国葬は行政権に属する。実施費用には予算の範囲内での支出は任されているし、不当不正な支出があれば後日の会計検査の対象だ。もちろん国会などでの実施意義の説明はあったほうがよい。一部の野党は国葬反対なら、実施の意義に反対すればよい。日本は死者を敵味方なく弔うという社会なので、反対まではできない。だから(国会の権限でもある)予算に注文をつけているに過ぎない。国葬反対の支持者にも、それだけやったならと、納得させることになる。

 アベノマスクのときもそうだった。緊急用マスクは不必要なわけがない。しかし、反安倍の人たちは予算が多すぎるとケチをつけた。しかし全国民への数では巨額だが、1枚1枚は妥当な額だったので、結局は黙るようになった。

8/26/2022

沖縄戦は米軍が選択した

今年は沖縄返還50周年だ。沖縄ものが種々放送されているが、いずれも旧日本軍に巻き添えになった県民の悲劇だ。ただし、攻めてきたのは米軍で日本軍の守備隊が応戦したに過ぎない。米軍はマッカーサー指揮で、蛙跳び作戦をしていた。跳ばされて安寧だったのはラバウル、台湾。攻められたのはフィリピン、これはマッカーサーの個人的執着の故だ。

沖縄に執着したのは戦後の米国のアジア支配のことを考えてだろう。日本を降伏させるには九州に直接上陸作戦したほうが速い。九十九里浜でもよい。サイパン、硫黄島を激戦で攻略したので本土上陸が筋だ。

結果として沖縄は戦後返還が遅れて、返還後も基地は残った。これが米軍の最初からの沖縄上陸作戦の目的だった。

恨むなら米軍のほうにだ。広島の原爆碑のように主語があいまいなのも困るし、目的語が間違っているのも混乱の元だ。 

8/15/2022

若者の感染確率の高い行動が解禁になって感染者が増えた

新型コロナ感染が始まって2年半が経過した。この間、公的な防疫部門はよくその仕事を遂行してきたが、国民との間に感染症対策の基本に誤解が残ったままだ。

それは公衆衛生の観点と臨床医療との考え方の違いだ。

個々の国民が重病にかかる、そしてそれが死に至る病の場合はとくに、臨床医は個別にその救命医療に全力をあげるのは当然だ。しかし、それと公衆衛生の観点は違う。感染症などの社会全体に広まる病の場合、その拡大防止を社会的に強制実施しないと、いずれ医療の崩壊状態に陥ってしまう。だから、公的機関が感染の拡大を防ぐ、あるいは、拡大のスピードを遅らせることが不可欠だ。個々の患者の救命の観点とは違う。

個人がその感染症にかかりたくないのは当然で、そのためには当該病気への知識が必要だ。二年前の流行開始時には新型コロナの特性がよく分かっていなかった。その探究の時間稼ぎにも社会的な行動規制が行われた。いまはその変異株である、順次、デルタ、オミクロン(BA.5まで)の感染力、病原性(重症化率、後遺症など)がほぼわかってきている。各人はその知識を元に感染のリスクと行動制限のリスクを比較してその人にとって最適な行動をとることができる(リスク管理)。現在はこのような状態にまでなった。

個人にとって、感染のリスクを図るにはマスク、手指消毒、三密を避けるなどいろいろ手段があるが、いずれで(併せて)も感染確率ゼロにはならない。感染確率を大幅に低下させるだけだ。ゼロにするには絶海の孤島にひとり暮らしするしかないだろう。いずれにせよ感染対策は感染確率との関連で選択されるべきものだ。若者はそれが本能的に分かっているから、病原性が低いと言われるオミクロン株になって感染確率のより高い行動まで解禁することになった。オミクロン感染者が桁違いに多くなったのはそのような理由もある(感染力も高い)。

もちろんだが、この先更なる変異あるいは新新型ウイルスが出現するかもしれない。そのときは当然だが、公的防疫部門が以上のプロセスを最初から繰り返すことになる。「出現が心配」だからとずっと行動規制を繰り返すには及ばない。

8/05/2022

統一教会が名称変更したから欺されたのではない

「世界基督教統一神霊協会」(略称:統一教会)が名称変更して「世界平和統一家庭連合」になった。韓国では1994年、日本で改名が認証されたのが2015年のことだ。違いは「基督教」「神霊」がなくなり、「平和」と「家庭」が入った。「世界」と「統一」が残っているので、偽装の目的だけではなさそうだ。「勝共連合」で名をはせた時代は「統一」「教会」だけでだれもが怪しい団体だと認識していた。いまの「家庭連合」だけで取り違えるのは旧統一教会も知らない世代だ。

 「平和」、「家庭」とかの麗句だけで判断できない。名は体を表さないことが多い世の中だ。

 それにしてもオウム真理教改めアレフは衆人の知るところで、その活動には公安調査庁はじめ引き続き注意している。家庭連合もそうなっていなかったのはマスコミが何かに遠慮して報道していなかったことが大きい。改名を阻止することなど監督官庁にできるわけがないからだ。