3/26/2022

電力需給ひっ迫警報は日本人の瞬間芸への警告だ

太陽光発電は東京電力管内で天気が良く晴れる日などはおよそ1800万キロワット、大型の発電所18基分の出力になりますが、きのう(22日)のように雨や雪が降る日にはほとんど発電しません。また、夜間も当然ですが発電できなくなります。

この不足分を補うため火力発電所が使われます。しかし、火力発電は太陽光による発電が増える日中の時間帯などは需要に合わせて、出力を落とす必要があり、その結果、採算が悪化してしまうのです。(NHK)

電力の需給予備率が危険な3%以内になると警告されて久しい。そのために電力需給ひっ迫警報が制度化されたが、今回が初の発令だった。その3/22はそれで無事やり過ごせたが、必要なことはこの3%以上を確保するための施設整備だ。長期的な努力が必要だが、日本人はこの危機の瞬間を何とかしのぐ芸が得意だ。それで長期の努力の課題をきれいさっぱり忘れてしまう。

コロナを度重なる自粛で乗り切った。これも瞬間芸の一つだ。将来の再変異株、新種のパンデミックに備えて、ワクチンなり治療薬の国内開発体制を抜本的に見直す必要があるが、第6波が明けてみて、サッパリ忘れているようだ。

電力の需給に話を戻すと、日本人は節電に耐えられる、とか、いずれ高性能の蓄電池ができる、とかの根拠がない精神話に終始して、目先で肝心の原発再稼働とかの最も有効な手段への議論を避けている。これでは先の大戦で大敗した歴史を「電力敗戦」でも繰り返すしかない。

3/21/2022

病気になる自由

新型コロナパンデミックでの二年間は「病気になる自由」がなかった。感染症患者が続出して医療体制が追いつかない恐れがあったからだ。だから医療体制を増強するまで、感染のピークを低くし後に遅らせるために様々な社会規制がなされ、それは個人が感染してしまう「自由」まで剥奪したとも言える。2年前の第1波が収まって、その年は夏の第2波、昨年正月の第3波、春の第4波、そして夏のデルタ株の第5波を経ても、医療体制が感染に追いつくまでとの当初の約束は果たされなかった。

第6波のオミクロン株大感染がやってきて、感染者数に対して重症化する比率は少なくなり、やっと、医療体制の範囲内に感染者数を収めることができた。約束した2年後にやっと果たされた格好だ。本日3/21には全国でまん延防止の体制が終了する。

タイトルは、これからは病気になるかならないかは本人次第になった、という意味だ。2年前までもそうだったが、病気になったら医者に診てもらえばたいていは治った。病気にならないように、とまでは医者は強いない。例えば成人病にならないためには食生活などに気をつければたいていは発病しない。でも患者になる人は食生活を抜本的には変えようとしない。だから、医者は成人病になってもたとえばコレステロールを下げる薬を用意して治療する。QOL(ここでは食の人生の質を維持する)を改善するのが医者の仕事になる。

これからも新型コロナは要注意感染症としては残り続けるのは天然痘のように絶滅できたものは少ないからだ。そのウイルスについては変異種出現にも警戒して専門家による監視を続け、適宜国民に対して感染防止に資する注意情報などを伝えることは引き続き必要だ。その上で感染するかしないか(病気になる自由)はその個人に任されるべきで、「感染してはならない」という社会規制は終わりになる。

3/16/2022

バラマキの歯止めがなくなった

第6波の「まん延防止」を全て解除するが、医療体制への補助は当分の間継続するらしい。

「病院で薬をもらう」は日本語として正しくない、と日本語学者から聞いたことがある。「もらう」のではなく「買う」が正しい。患者は3割でも負担するし、残りの7割も健保組合からで医者がくれるわけではない。それが新型コロナでは特措法で全額国費負担になったので、「もらう」が一時的に正しい表現になった。

その無料体制を続けるためには税金が必要だ。でも現下の経済状況から増税はできないので、将来世代の負担となる国債での資金調達になる。それがMMTとかいう経済対策になると政府が聞いて、歯止めがなくなった。バラマキ作戦の狂騒曲の始まりだ。

岸田内閣としても後の内閣が返済することになる国債発行で国民の関心を買えることは政治的に正しい選択になるだろう。

3/11/2022

放射能汚染とウイルス感染

11周年目の311がやってきて、今年も福1の事故の後始末に焦点が当たっている。この三年間は新型コロナウイルスのパンデミックとも重なる時期だったので、これら二つの現象のあいだで何かと比較がされ、日本人の陥りやすい過敏なリスク感覚が露わになるだろう。

放射能もウイルスも目に見えない脅威で、科学的に安全範囲を理解するのが一般には困難だ。陥りやすいのが、数字の絶対値の大きさでビックリしてしまうことだ。何兆ベクレルと聞くとその「何兆」にただ恐ろしく感じるのが、人間だ。100ミリシーベルトは0.1シーベルトに過ぎないのに、100という数字だけで、ミリという接頭語が付いているのを見ずに判断してしまう。マイクロが百万分の1の接頭であることを理解している人はそんなに多くはない。

新型コロナ感染者が東京都で500人を超えたら緊急事態だと判断されたことがあった。流行のさかりの感染症だとしたら、その数はむしろごく少ない。1,400万人都民の0.01%が1,400人だからさらにその三分の一だ。そもそもは10万人あたりで比較すべき感染者数で、3.6人になるから、大きい数字には感じられない。いまオミクロン株で一万人と聞いて、数字の大小の感覚が麻痺し始めている。麻痺したからリスクにも平気になった、と言われてしまいそうだ。

専門の科学者が一般に向け、判断数字の評価方法を教えないのが過敏なリスク感覚に結びついてしまう。その罪は大きい。

3/06/2022

ロシアの国力が毀損されてこそ戦争終結につながる

国際社会は『ウクライナ頑張れ、ウクライナと共にある』って言っておきながら・・・(橋下氏)

 ウクライナ人が国に残って戦い続けると言っている。それを陰ながら助けてロシアとの戦争が長引く、のはウクライナ人の望むところだ。

 そもそもロシアがその縄張りと考える「シマ」のなかの抗争だ。それでロシア側の国力がそがれるなら、最終的に米欧日が勝つ。ロシアが引き継いだソ連はアフガン戦争などでそのように最終的に冷戦に敗退した。ロシアはその負け戦を繰り返している。ここは米欧日の国益第一に事態に対処する以上のことはない。

 もちろん、人道的な支援は必要だが、できもしない停戦交渉を助けることまでしないほうがよい。

橋下徹氏、ロシアのウクライナ侵攻で解決策を提言「国際社会がプーチンと話をする…政治的な妥結しかない」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
NEWS.YAHOO.CO.JP
橋下徹氏、ロシアのウクライナ侵攻で解決策を提言「国際社会がプーチンと話をする…政治的な妥結しかない」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
 元大阪府知事の橋下徹氏が6日、コメンテーターを務めるフジテレビ系「日曜報道 THE PRIME」(日曜・午前7時半)にスタジオ生出演した。  番組では、ロシアのウクライナへの軍事侵攻を報道。その

3/02/2022

ウクライナ危機にコロナが相対化された

ウクライナ戦争でロシアが核戦争も辞さないとかの大きなリスクの前にο株の大感染リスクは影を潜めてしまった。これは日本人のリスク比較の感覚が正常になったひとつの証拠だ。

おかげで世界から「鎖国の日本」として揶揄されてきた入国管理の厳しさも徐々に解除されつつある。正常なリスク感覚から言えば、鎖国のリスクとο株のリスクが比較できるようになった。

核戦争も、ο株の病状も、世界からの入国拒否もそのリスクはゼロにはならなく有限確率比較の対象だ。それらの確率を観察して冷静に比較し、どのリスクをどの程度甘受するかを決めることはいつでも必要だ。感染症の場合、重症率とか後遺症率とかの疫学統計をとる仕事は保健所の最大の役割だ。それがいまだにエピソード的にこれこれの重症者と死亡例があった、後遺症で苦しんでいる人がいる、だけではリスク判断ができない。結果として、国民はお上の発表数字でなく、ο株は感染率は高いが概して軽症以下ですむ、という健全なリスク評価を(無意識にでも)するようになった。だから、若者の人出は減らず、三回目接種は一二回目ほど進捗しない。

これらもプーチン氏の功績だ、といったら叱られるか?