6/26/2007

列の間隔を詰めよ

バス停は屋根付きで雨の時にも濡れずに待てる。バスを待つ人が一人二人と集まり列をなす。最初は少人数だから、隣との間隔をあけて並ぶ。だが、だんだんと多くなると、そのまま列が間隔をあけたまま伸びるので、屋根の下からはみ出し、雨の時は濡れることになってしまう。

みなで、列の間隔を、列の長さに応じて、詰めなければならないが、それが日本人には出来ない。誰かが「並び直しましょう」と声をかけれはよいが、それもしない。

6/22/2007

国産の食が安全という神話

北海道の「ミートホープ」社が牛ミンチに豚肉ほかを混入していたことを白状した。パート従業員の密告からだが、それがなければ牛肉で通っていた。
原材料表示のいい加減さが改めて認識させられた。これからは、少し安価なものは、その理由を怪しんで、混入とか手抜きを覚悟しなければ購入できない。中国原産のものは特にその注意が必要だったが、国産も同様だ、ということが今回の教訓だ。

考えを変えるべきだ。
豚肉混入でも、安くてそれなりにおいしければよいという人もいる。原材料表示を正確にすればよい。あとは、消費者の選択になる。
米国産牛肉のBSE問題が完全には解決していない。以前、輸入禁止直後の吉野家の在庫肉を使った牛丼に列が出来ていたところから、これも牛肉の産地表示を正確にすればよいだけの話ではないか。

6/11/2007

中国は社会主義国か

中国は資本主義国になったのではなかったか。
6/10のNHKスペシャル「激動中国」を見て、そう思った。これはシリーズもので、今回は北京の渇水対策での貧者の悲哀と富者の奢りの話だ。
北京周辺の省で目の前のダムの水さえ使えず、貧困を強いられる農民と、首都北京の繁栄のなか、都市住民がその水を浪費する。

違和感を覚えたのは、節水対策だ。節水の呼びかけまではよいが、浪費を監視する役人が少ないので、民間人を任命し、(相互)監視役とすることだった。
浪費を強制的に防止する方法は「水道料金値上げ」しかない。料金により、資源の適正使用が達成される。
社会主義では人民の「心」を強制したが、資本主義では「お金の怖さ」で国民の行動を合理化させる。

6/08/2007

お金が怖い

交通違反で警官に呼び止められて怖いのは、警官にでなく、罰金を取られることにだ。
NHK「ためして合点」で、エコバッグ(250円)を買わずにスーパーの袋で済ますかどうかの実験があった。サクラの買い物客の大勢にエコバッグを持たせたら、(恥からなのか)エコバッグを買う客が増えた。250円程度だから、体裁を考えて買ったのだ。決して、環境意識の表れではない。

お金が怖い(惜しい)のだ。
エコバッグを使ったら、スタンプか何かで、一回一円でも還元すればよい。または、スーパーの袋を原価有料にしたらよい。
すべては市場経済の貨幣価値で換算される社会だ。人の(環境意識などの)善意に期待してはいけない。

6/01/2007

貧乏だった昔に

ロシアが生きたカニを禁輸するという。
いままでは、北方四島のロシア漁民が捕ったカニを直接根室港などへ水揚げ(密輸)していた。
だから、カニは安く日常的に食べられるものとなっていた。これからは「ごちそう」になる。昔はそうだったから、昔に戻るだけだ。
モノが安くなり、庶民にも手が届いていたのが、また、高級品に戻るようになることがこれからはよく起きるのではないか。カニと並ぶエビも、数の子だって。

ガソリンとか航空燃料が高騰している。これからは車とか飛行機にむやみに乗らないことだ。