5/31/2018

Oct 15, 2002 :拉致生存5人帰国  


羽田空港のチャーター機から降りた5人を迎えたのはたくさんの日の丸の旗だった。
 
強制的に連れて行かれて24年。異国の国旗のもとでの生活から、祖国へ帰還することが出来た。弱い個人を苦しめるのは強大な国家権力だ。それを許した怠慢な日本国政府、鈍感な政治も同罪だ。
 
日の丸というと国家を想起させられるが、羽田空港のそれは、日本国民がもう二度とこんな事を許さないと、意思表明をする日の丸に見えた。

5/28/2018

北朝鮮の体制危機は国内から

 米朝会談で金正恩は核廃棄の見返りに体制保障を求めている。体制とは日本で言えば終戦時の国体のことだ。日本は無条件降伏したことになっているが、明治憲法下の民主主義は継続している。現憲法も明治憲法の手続きで改正された。

 北朝鮮は当時の日本のように米国と戦争しているわけではない。核を廃棄するだけで体制が揺らぐことはない。現在の国際社会で、米国といえど、北朝鮮を一方的に滅ぼすことは許されない。

 体制が揺らぐのは核兵器を持たない金体制が国内統治を続けられるかによる。北朝鮮国内の恐怖政治が継続できるのは敵の米国に核兵器で対峙しているからだ。日本でも「鬼畜米英」、というのがあった。北朝鮮の国際環境が平和なものになったら、国内での金体制の正当性が問われるようになる。それが「体制の危機」だ。リビアも核なきカダフィが国内統治ができなくなり滅びた。それはリビア方式の核廃絶から数年後のこと。

 ついでに言うと、中国も同じだ。

5/27/2018

Sep 26, 2002 :拉致その2  


朝鮮中央通信(北朝鮮)は「騒ぎが大きくなると問題が複雑になる。(従軍慰安婦の)強制連行と比べると大したことはない」と今回の拉致について今日になって外国向けのみに伝えた。
 
従軍慰安婦(の虚像)の問題は、このような反論に使うために今まで伏線とされていたのかと思うと、同調した日本人は不明を恥じるべきではないだろうか。

5/25/2018

Sep 21, 2002:拉致を白状  


「拉致」なんか証拠があるのか?と言っていた人がいた。でも、金正日はせっぱ詰まって、白状した。
 
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」し、「われらの安全と生存を保持しよう」(以上、憲法前文)としたが、見事裏切られた。何と甘い民族、日本人か。
 
従軍慰安婦の問題も逆の意味で同じだ。こちらは証拠が全くないのに、あるようにねつ造されている。従軍慰安婦問題をでっち上げ、拉致を無視したものは、「事実」の前に恥ずべきだ。 

5/23/2018

Aug 19, 2002 :NHK変革の世紀オピニオンボードより  


 上司は自分よりバカしか推薦しない
marines 20代 会社員 埼玉県 2002/06/13
世の中が変わるとき、若者の不満・怒りは大きなエネルギーです。しかしそのエネルギーを生むには「まったく最近の若いモンは・・・」と頭ごなしに叱ってくれるガンコオヤジが必要です。ケンカには相手がいりますからね。
私達の世代はちょうど親が戦後生まれになり妙にものわかりがよくなった世代、ゆえにこぶしの突き上げ方がわからないのです。そして今ちょうど親の世代が会社の上司として部長・課長になっている、ものわかりはいいが何もしない、 若者もものわかりがよくなるだけで元気が無くなるわけです。若者はガンコオヤジと戦ってこそ、鍛えられ、実力をつけることが出来ると考えています。私は叱ってくれる「ガンコオヤジ」募集中です。
 
一昨日のNHKスペシャル「変革の世紀」でインターネット討論が紹介された。
 
その中の「上司は自分よりバカしか推薦しない」のスレッドを追っていたら、以上のような意見が見つかりました。
 
戦後生まれの親とは団塊の世代のことだが、耳痛い話しだ。団塊の世代はどこで闘争心を失ったのか?

5/21/2018

Aug 15, 2002 :「親日派のための弁明」読了  


昔、直言文相藤尾正行氏が、日韓併合後「日本は韓国に悪いことをしたかもしれないが、良いこともした」と言って、中曽根総理から罷免された。著者キム氏は併合はそもそも良いことだったと、明確に言う。
 
当時、大韓帝国の無能力さに韓国民衆から日本への合併を望む声が圧倒的だったが、伊藤博文が消極的だったのが、ハルピンで暗殺されてからは、日韓併合へと進んでいったのだ。
 
朝鮮の人達へは関東大震災時の虐殺など、悪いこともあったが、良いこともしたのは「事実」だ。この厳粛なる事実をなかったかのように否定するのは、そちらこそ「妄言」ではないか。
 
この「妄言」癖の韓国社会で、「親日派」のレッテルを貼られることはどんなに勇気のいることだろうか。
 
日韓併合で日本人になった韓国人が、8月15日に、もとの韓国人に戻らざるを得なかったショックの後遺症が、嫌日現象であり、その反作用が、日本人の嫌韓意識だ。韓国も世界の常識国となるよう目を覚ますべきだ。
 
この間、竹島の韓国自然公園指定の動きがあった。ますますエスカレートしてくる世界の嫌われ者だ。

5/19/2018

Aug 10, 2002 :親日派のための弁明  


キム・ワンソブ氏の同書を図書館で借りて読み始めました。図書館ではリクエスト集中図書なので、速く読まなければ迷惑になります。
 
冒頭に、韓日が反目するのは、アメリカ占領政策の意図が今も続いているためで、アングロサクソン流の「ディバイド アンド コンカー」の影響が今もある、と言うことです。敵同士を争わせるのが自国にとって有利、という白人の論理です。
 
韓国人の嫌日感情は世界の特殊現象で、このままだと、韓国は世界から取り残されてしまう、と心配しています。

5/17/2018

Jul 28, 2002 :全共闘運動とは何だったのか?  


テレ朝シリーズ・戦後史を辿る旅「全共闘運動とは何だったのか?」を見た。
 
討論で、「あいまいな日本」に対する異議申し立てだった、と名解説があった。でも、政治運動になりえず、百姓一揆みたいなものだったという。一揆というのは、直情的で、仲間うちの団結に重きを置くからだ。連合赤軍はそのやりすぎの部分だ。
 
全共闘世代の猪瀬直樹が、その時代の前を評して「たいくつだった」と言っていた。それが「何かを壊したかった」になって、運動が燃えさかる。「経済成長で、学生がすぐには働かなくても、生活できたことが、経済的要因」、全共闘の学生は、その後の時代の学生像の始まり、とも。
 
以上の猪瀬の感想は、われわれと同世代、運動に実際に参加したものの感想として、うなずける。
 
この番組を制作する過程で、全共闘闘士であったいまは名をなしている人に取材を申し込んだが、全て断られたという。その理由は、彼らの心の中で、「全共闘運動とは何だったか?」の整理が未だに出来ていないからだという。
 
当時持った情熱が、当時から今に至る経済大国日本の「豊かさに負け」続けているからではないか?

5/15/2018

Jul 8, 2002 :大国自称病  


イギリス病というのがあった。大英帝国は大国だったが、今は違う。大国意識だけで凋落していたのをサッチャーが救った。でも、国名は今も、Great Britain。懲りない国民だ。
 
デーハーミングッ「大韓民国」とは、先のワールドカップの国威発揚スローガン。よく見ると「大」の字が。ワープロで、「たいかんみんこく」と打つと、退官民国と出る。なるほど。官が退く民衆の国だ。その気持ちが重要。
 
中華(人)民(共和)国という名の国がある。自分で「中華」と名乗るな。今は日本の方が世界の中心。日本が「中国」。「自国」という意味なのだから。そこに「華」の字までつけて。
 
大国に値しないから、屈折した気持ちで、せめて自称だけは「大」の字をつける。もっと謙遜したらいいのに。
 
日本国も昔は大日本帝国と背伸びしていた。

5/13/2018

Jul 4, 2002 :中国の崩壊  


ゴードン・チャン「やがて中国の崩壊が始まる」を読了しました。
 
共産主義政治体制が続く限り、市場経済は、共産主義の象徴たる国有企業の扱いに困り、WTOの圧力という引き金で、「経済」のほうを選ぶ中国人民の前に、共産中国政府は崩壊するというもの。
 
そのことよりも、中国で問題なのは、清朝以来の他国からの支配の恥辱の歴史を意識しすぎることだ。
 
それ以前は、西洋の大航海時代のはじめといえども、中国(支那)が世界の中心だった。食いはぐれたヨーロッパ人が危険を冒して、東アジアにまでたどり着いたのが、実状だ。そのあと大国意識にあぐらをかいていたから、支配される原因となった。幕末日本が抱いた「危機感」が政治の中心になかった。
 
恥辱の歴史は、共産革命後まで続く。毛沢東「大躍進」の悲惨な社会、文革のすさんだ社会で終止符が打たれる。鄧小平がすべてを終わらせたのだ。
 
いま中国は「恥辱の歴史」を挽回すべく、政府人民ともに焦りに似た前進を続けている。ワールドカップあるいはインターネット上での極端な愛国心はその焦りからきているのか。他国の首相に、その行動を厳命できると考えるのも、そこからかもしれない。
 
そのようなことでは、経済だけからよりも、政治・文化の非健康性からも、国が崩壊することは間違いない。
 
過ぎた歴史をどうのこうの言っても、得られるものはない。かえって足かせになるだけだ。韓国も同じ。
 
インドはイギリスへの恨みを持つが、それには何も言わないで国の発展を目指す。国民が幸福になればよい。

5/11/2018

Jun 4, 2002 :非核三原則は日本人のもの  


官房長官が非核三原則の改訂の「可能性」について言及したことで紛糾している。
 
改訂のつもりはないのだから、問題にするほうがおかしい。非核三原則は我々日本人が選択した政策だ。だから、改訂する自由も我々日本人にある。将来仮に核武装するとしたら、その可能性をあらかじめつみ取っておくのは、日本人の大切な権利を放棄することになる。
 
このように当たり前のことがわからない人々が日本にはいる。いわゆる「蟻の一穴論」である。自陣営が不利な状況だから、少しでも押し込まれそうになると、ダメなものはダメと、全否定戦術を採る。日本人のとるべき結論は中間にあるのだが、そこまで妥協する度量がない。
 
不思議の国、ニッポンだ。

5/09/2018

Jun 3, 2002 :防衛庁作成ブラックリスト  


防衛庁の某三佐が情報公開窓口に訪れる市民の詳細なリストを作成していたことが判明。国会で問題となり、中谷長官も遺憾の意を表明しているとか。
 
ここで、注意しなければならないのは、何のために防衛庁あるいは自衛隊を我が国は持っているのかと言うことである。一旦ことがあった場合、すみやかにその紛争を収めて、秩序を回復する、そのために、軍隊というものはある。
 
「こと」はあらわれるのを悠長に待っていたのでは、間に合わない場合もある。「こと」を起こしそうな国を前から監視している必要がある(例えば北朝鮮)。「こと」は何も国が起こすとは限らない。日本国民あるいは外国人居住者の場合も十分あり得る。密かに監視するのは優秀な軍隊の義務である。ただし、監視のために作った資料を平時(の言論統制)に使ってはいけない。
 
エシュロンという地球規模の監視も公然の秘密となっている。今日的なグローバル・テロには、グローバルな監視がないと、防ぐことができない。いいわるいの問題を通り越している。
 
今回、防衛庁の失態は、ただ一つ、密かに監視していたことが漏れたことだ。この点は追求されなければならない。
 
以上のことは正論だと思うが、今は誰も言わない。

5/07/2018

前川喜平氏の問題点は日本全体からの視点がないこと

この書を読み始めて1/5程度で全体の問題点がわかった。もちろん最後までは読むつもりだ。


前川喜平氏と3,4年先輩の寺脇研氏の対談となっている。両氏共に文科省(旧文部省)一筋の文教官僚だ。両氏価値観が一致するのは被教育者としての日本国民の幸福のためどうすべきかを見ていることだ。それが文科省の大切な役割で、両氏のそれにかけてきた熱意は十分伝わる。


問題なのは、日本国民は文科省が対象とする側面だけの人間ではない。私のいた国交省では国土インフラを利用する国民と産業を対象とする。国民の幸福は行政部門すべてにわたって総合した政策で決まる。それをどう実現するかというと、霞ヶ関では法律、政令、予算などの決定に各省折衝を経て内閣の政策にし、国会の承認を経ることにより国民のための行政となる。縦割りの弊害が指摘されるが、各省の役人は他省の行政需要もわかった上で(つまり、日本の統治者の目で)、切磋琢磨している。


この文科省OBのお二人はそこのところがわかっているのだろうか(わかっていると思うが)。「弱小」官庁の文科省はたぶん各省折衝でも負けがちなのだろう。役人の折衝と言っても最後は政治家たる大臣同士になるから、政治的に通る施策でないと実現しない(大臣の説得が必要)。教育への熱意がすべて通らないことを「面従腹背」と表現するのでは、他省の役人に馬鹿にされるだけだ。総理の指示で動き全体調整の任に当たる内閣府との折衝に最初から負けている。

わたしは国土交通省の旧建設省分野と環境省(旧環境庁)を経験しているので、少しは「統治者の目」は持っているつもりだ。中央官庁のキャリア官僚はすべからくそうだと信ずる。

May 19, 2002 :日韓高校生の良識  


昨土曜日のNHKスペシャル日本の選択・日韓友好特集を見ました。
 
なかで日韓両国の高校生の交流の話があった。大人達で問題になっている両国間の対立について、自分たちの目で見て考える運動だ。
 
日本の高校生が実際に韓国に行って、見て、考えたのと同様、韓国の高校生も、日本に来て、靖国神社も見た。もちろん、不戦の誓いをたてるために犠牲になった戦没者に祈るという説明に疑問は呈していた。
 
実際に見て、自分の頭で考えることは是非必要だ。謝罪世代の大人にとっても。大事なのは、事実を明らかにすること。これは両国で一致するはずだ。
 
従軍慰安婦の「連行」に国家の関与があったかどうかは、「事実」の問題だ。慰安婦が何人客を取ったかとは関係ない。そういう悲惨な話に若い人と女性はショックを受けるが、それと国の関与とは別の話だ。
 
靖国神社社頭で不戦の誓いをたてるのは、小泉さんの信条の問題。ウソだろうと言ったって、本人がそう言っているから。黙って突然戦争を仕掛けるヒトラーもいた。だから、指導者が何を言っているかは重要だ。
 
もうひとつは、歴史認識の問題。事実以外にその事実に対する考え方によるから、万人一致することはあり得ない。国が違えばなおさらだ。高校生はそこのところが分かって、冷静だ。かっか来るのは、謝罪世代。若い人に見習うと良い。

5/05/2018

May 11, 2002 :卑屈な日本人  


在中国瀋陽日本国総領事館への北朝鮮難民駆け込み事件の真相は現時点ですべては明らかになっていない。
 
今日5/11昼のニュースでは、中国政府の声明として、日本国領事から武装警官に領事館内へ入境の要請があり、5人の拘束に対しては、事後、武装警官への感謝の言葉もあったという。
 
事実関係はさらに調べる必要があるが、以上の中国政府の「強弁」による「事実」は、ひょっとしたらあり得ない話ではないように思う。
 
日本外交の中国に対する「土下座的」態度というか、それよりもそもそも日本人の精神構造が問題だ。相手との友好を継続するためには、できるだけ相手の言うことに耳を傾け、ぎりぎりまで譲歩する。これが友好だと信じている。武装警官には日ごろ領事館を警護してもらっている、身近な中国の当局者だから、波風を立てずに、そこでも「友好」を継続したい。その日ごろの気持ちが、突然の危機に際して、外交官として選択すべき当然の判断を間違えさせたのではないか。
 
もし、仮に中国政府の言うことが正しいとしたら(そうでないと思うが)原因は以上のことからではないかと思う。
 
一般化して、日本国ばかりでなく、日本人個人としても、他人との友好の在り方におなじ事が言える。時には相手の耳にさわることも直言するのが、真の友人関係には必要だ。なあなあにしていては、いつか破局を迎える。当面の友好を無理して継続し、結局の破局を待つのは賢明でないし、第一相手に失礼だ。

5/03/2018

May 8, 2002 :一番近い東南アジア大陸  


タイのバンコクから成田行きの便に乗ると、最初はインドシナ半島の陸地のうえだが、しばらくすると南シナ海の海上ルートとなる。ベトナムのダナンの海岸で海に抜けるのだ。
 
秀吉時代の御朱印船貿易の時も海上は同じルートで、平戸を出た船は台湾海峡膨湖諸島を通過し、海南島の東を直航すると、大陸インドシナにたどり着くのが、ダナンの地になる。トンキン湾には海南島を回り込まなければならないので、ダナンが一番近い。貿易船はダナンの少し南のトゥボン川をさかのぼり、川港ホイアンに荷揚げする。
 
そこには今も日本人町の遺構がある。日本橋と別称される屋根付き橋・来遠橋は観光名所だ。ベトナムの地、それも中部ダナン付近は昔から日本人の一番身近な東南アジアだった。
 
今回、4月に運用開始になった成田新・短滑走路を飛び立ったB767飛行機は、3時間後台湾島最南端ガランピ岬を右真下に見ながら、巡航すると、ダナンの南、旧サイゴン、ホーチミン市タンソニュット空港に出発5時間あまりで到着する。一番近い東南アジア大陸にたどりつき、空港連絡バスに乗るまでの外熱気35度を実感する。
 
それにしても、ダナン、サイゴン、タンソニュットなどはベトナム戦争世代には懐かしい地名だ。