4/30/2021

地方分権の意味

 県によりますと制度について4月21日までに都道府県レベルで30を超える問い合わせが寄せられているということです。(ニュースより)

 飲食店への規制は時短が主流となっているが、この山梨方式も名案だ。長崎幸太郎知事は菅首相に申し入れたが、他の都道府県知事は山梨県にこのように問い合わせて自県に参考にすべきだ。

 ほかにも医療提供体制の神奈川県モデルもある。47の知事の工夫の出しどころとなっている。これが法律で知事に権限を委譲している(機関委任)意味だろう。

 話は世界に及ぶが、欧州は国が多い。それで過去から戦争が多発したが、それに至る前でも、切磋琢磨して近代文明を作り上げたということだ。中国は最近では全域を統一国家が支配するようになった。これだと地域間の競争が全く期待できず、逆に中央政府の目を盗んでの地方官僚支配を許すことになる。これではいずれ世界に劣後することになる。共産党政府もそのことは理解して苦慮しているに違いない。

長崎・山梨県知事 新型コロナ感染症対策のグリーン・ゾーン認証の全国展開を菅首相に提案へ(UTYテレビ山梨) - Yahoo!ニュース

4/23/2021

「ゼロコロナ」は「非武装中立」と同じ心性

新型コロナとの「戦争」になっているが、本物の戦争と似たところがある。戦死者を1人も出してはいけない、となると戦争はできなくなる。戦争というものは兵隊の損耗をある程度覚悟して、対戦国とどちらが勝つかが決まる。もし戦死者を出すのが一切ダメなら、非武装中立(非同盟)で、相手国が攻めてきたときにはすぐに降参するしかない。そして占領・支配されて「カエルの平和」(百田尚樹氏)の隷属状態に。

新型コロナウイルスに感染すると、ふつうのかぜとは違って、2%程度は重症化した後、死に至ることがある。だから、感染者をゼロにしよう、そうすれば死ぬ人はいなくなる、というのが「ゼロコロナ」の考えだ。ゼロにするには全国をロックダウンして人と人との接触を断ち、ウイルスが皆無になるまで待たなくてはならない(それだけでは皆無にならないが)。これもウイルスへの隷属だ。

感染症対策はそのゼロの考えはとらず、如何に感染の拡大を防ぎ最終的に亡くなる人を少なくするかにある。そして厳密な対策では経済社会が持たないから、ある程度の死者は許容せざるを得ない。新型コロナでは感染しても80%程度は重症化せずに快癒する。医療体制もこの8割はかぜと同様とみなして無症状あるいは軽症の陽性者・患者対応の自宅あるいはホテル療養、軽症病床での治療に仕分けせざるを得ない。戦争でも大災害でも傷病者が多数の時はトリアージをせざるを得ない。その結果、軽症者でその後重症化して死に至る場合があるが、それはある程度許容せざるを得ない。要は確率の問題なのだ。若者で基礎疾患がなければ重症化する確率は低い。それがトリアージ(選択)の考えだろう。

個々の患者に向き合う医療関係者はその回復に献身的に尽力する。そのことに感謝の念は必要だ。人の命はなによりも重い。戦争でも個々の兵士には「君死にたまふことなかれ」の気持ちは大切だ。しかし、この個々への献身と感染症対策では命の選択をせざるを得ないこと、これらを取り違える人がいる。


4/20/2021

水害死ゼロ目標から堤内治水へ

  我が国の治水事業は戦後素晴らしい成果をあげてきた。洪水での死者・行方不明者数は六十年前の狩野川台風(1958.9)での1,269からその規模を超えた令和元年台風19号(2019.10)では108にまで減っている。堤防、ダムなどの治水施設がこの間に飛躍的に整備されたからだ。

 それでも死者はゼロにはならない。今後さらに治水施設整備の努力が強靱化予算などで鋭意なされるだろうが、人命被害をさらに少なくするには避難などによりそれら損失を最少化することにもかかっている。生命・財産の被害と一括するが、財産被害のほうは「カネさえかければ」被災後に再建回復が可能だ。今後さらに公的な治水施設を整備するに当たってはこの被害回避額(便益)と治水投資額(費用)との比較が必要であるし、経済的損失だけであれば、整備にカネを事前にかけるか復旧費として事後にかけるか(個別損害には水害保険で充当できる)選択できる段階になりつつある。

 その避難で主務を担うのは市町村で、災害対策基本法が根拠法だ。同法にはそれら災害として「暴風、竜巻、豪雨、豪雪、洪水、崖崩れ、土石流、高潮、地震、津波、噴火、地滑りその他」とある。水に関連する災害はこれらのうち半数に過ぎないことと、さらには最後の防災手段としての避難は、これら災害のすべてに共通することとして、住民行政を司る市町村の主務となっている。近年の人命被災防止で不備不足を感じるのはこの市町村の体制だ。河川管理部局としては気象庁などと連携して避難に資する情報を適時的確に市町村に提供することが責務だ(水防法に規定)。司司がそれぞれの責務を果たしてこそ日本全体がうまく動く、ということからは市町村責務の分野にまで過剰に介入するのは悪い結果を招くだろう。なお、災害対策基本法は内閣府と消防庁が主管している。それらの官庁での市町村への全般的な指導が待たれる。岡目八目で言うと、それは避難体制運用のデジタル化だろう。

 河川管理部局としては自己の管理するハード施設を人命救助の観点からもさらに改善運用していくこと、これが今後求められるのではないか?


土堤防補強で破堤を防げ

 洪水水位が上昇し耐えきれずに破堤すると、甚大な被害をもたらす。破堤する箇所をすべて予測することは困難で、突然であることがほとんどなので、逃げ遅れた人々の生命は危機に瀕する。その堤防は過去から長年の拡大築造経緯を経ている土の構造物だが、近代的調査手段を駆使してでも内部・基礎地盤の構造弱点を発見のうえ、重点水防箇所に指定し、さらに補強などしていくべきだ。

 一方でこの補強をすれば洪水計画上の水位(計画高水位)を上げることができ、他の例えばダムなどの治水手段は不要になる、とする論がある。この論に水位の余裕確保の考え方は無視されているが、それを仮に捨象して、理屈は合っているかもしれないが、堤防補強が一連区間ですべて完了するには莫大な費用と増して長期間を要するので、それまではその区間の計画水位を上げることができない。だからダムに反対するための理屈にしか見えない。

 遅破壊堤防(工法)というのがあればそれも避難のための時間稼ぎになる。これからは長大延長になった堤防という構造物を如何に改良し管理するかが重点となる時代だ。


堤内地での施設治水

 堤内地が低平地の場合は、避難所も浸水の危険がある。また、避難高台が見つからないか遠い場合も困る。その解決で、河川管理施設である堤防上(スーパー堤防ならなおよし)を避難地に利用する。堤内に残った旧堤は用途廃止せずに、二線堤として破堤時の氾濫拡大防止と避難路として利用。道路管理者と協議して、バイパスなど新設道路を建設する場合、二線堤利用を兼ねさせる(東日本大震災津波では仙台東部道路が期せずしてその役割を担った)。これらが水害に強いまちづくりだ。

 氾濫水を短期間で排除することも不可欠だ。内水河川がその役割を担えるが、その河川にまで排水する水路拡充が必要。また、内水河川から本川に戻す排水機場も危機管理もかねて規模とか配置を決める。

 津波浸水の場合は特別だ。東北地方太平洋沖地震津波(2011.3、貞観地震津波869.7も)クラスの大津波で防波堤計画を超過する津波襲来高さになると、改修済みの海岸堤防であっても、それを越えて浸水被害が想定される。想定外ではなかったが、計画を超過する場合があったと理解したい。そのときには避難だけが人命救助の策となる。この場合にも堤防が転倒などして一気に破壊しない構造が求められる。津波からの避難は、地震発生から若干時分の余裕が見込めるが、問題なのは身障者、高齢者などの避難弱者だ。もし浸水予想地区に住むなら、高層ビルの高層階に住居を確保する必要がある。日常生活にはエレベーターなどの設備が必要だ。地方都市であっても、そのような高層建築を推奨する地区計画が求められる。

 以上、避難インフラの整備がこれからは公的な責務の主たるものになるだろう。


 最後にそもそも論だが、浸水危険地域に住まないことだ。都市計画法(施行令、通達)に「溢水、湛水、津波、高潮等による災害の発生のおそれのある土地の区域」は市街化を図るべき土地に含めない、とある。各種都市施設(道路、駅など)の開発に伴い新規に市街化区域を定める場合でも治水上の観点からも厳格なチェックが必要だろう。

 さらに言えば、「治水機能」は河川法の河川構造物だけに必要なものではない。この都市計画法、あるいは都市に配置される道路、公園、さらには建築物にまで「治水の配慮」が必要だ。公共物設置には「環境上の配慮」(緑化なども)、「耐震の配慮」(耐震設計)が必要なのと同様だ。

4/11/2021

飲料容器はアルミ缶に限る

 ペットボトルは容器リサイクル法で自治体の回収ルートが確立しているが、それでもポイ捨てが目につく。有価物でないので捨てる方にメリットがあるからだ。

 一方、アルミ缶は有価物で、回収すればアルミを酸化アルミから精錬する電気代が省けるので、資源ごみとして引っ張りだこだ。だから、飲料用ペットボトルはすべてアルミ缶で代替したらよい。間違えても紙パックなどにしないことだ。コーティング剤が必要など、リサイクルには向かず、資源としての利用はできずに焼却するだけになる。それではプラボトルと同じことになってしまう。アルミ缶は高価なので、飲料はその分値上げされるだろうが、家庭ごみで資源回収時に料金をバックできるように(デポジットと同じになる)すればポイ捨てはなくなる。
【Vlog】ペットボトルは分別しないで燃やせばいい

4/05/2021

新型コロナ対策は社会実験で改良

感染症対策の基本は入院・隔離だ。伝染のもとを離せば感染症は拡大しない。しかし、無症状感染者が多い新型コロナではその隔離が完ぺきにはならない。そして、隔離が大規模になるロックダウンを長くは続けられない。そうであればハンマー&ダンスのダンスの期間に行動変容のための規制を色々試してみる「社会実験」が重要となる。

社会実験のつもりではなかったろうが、パチンコは無罪だった。ライブハウスは有罪、野球とかの大人数の観戦は微罪だ。いま、飲食店の夜間営業時短が唯一の対策となっているが、社会実験としてのデータはとっているのだろうか?日々の感染者数の増減と時短の状況とを関連付けて観察するのだ。年末からの感染者急増と年始からの急減は時短とは必ずしも相関していない。緊急事態というメッセージの(驚かし)効果が大きかった、という説もある。時短が始まる前から感染者数は減少始めていた。それでも効果があるなら立派な施策だ(何回も驚かすことはできないが)。

感染者数増減の波形だけで将来を推計する人がいる。増加するときは急激で、ある日を境に急減すること、株価バブルと崩壊に似ている。感染者数波形だけで推計できる人は株でも大もうけできる。ここは疫学の専門家に増加減少の施策要因からの分析をお願いしたい(いまの人出を仮定しての計算は未来予測とは言えない)。

4/03/2021

マスク会食をしなかったらどうなる

 この一年間で50万人近くが新型コロナウイルス感染検査で陽性になった。この「感染者」のデータは保存されているが、そのうちの感染経路がわかっている事例で、飲食店でのケースを調べる。飲食店の換気とかの室内環境の違いもあると思うが、マスク着用の有無も聞き取るのである。

もちろん、以前は飲食店での会話時でもマスク着用する人は少なかったが、最近はマスク会食を奨めているのできちんとマスクをしている人もいるだろう。マスク会食をしての陽性者との濃厚接触者(会食参加者)のうち陰性判明した人の事例も加える。そして、その感染有無事例をマスク着用との関連で統計として公表するのである。マスク会食にもし効果があれば相関結果となる。

高性能コンピューターの富岳での飛沫シミュレーションをみても従わない(信用しない)人が多くなっている。だったら、実例で示せばもっと説得的だ。そしてこれが疫学という科学の方法だと思う。知事が「マスク会食を」と何回もスローガンを飛沫とともに飛ばすことでは限界があることをそろそろ知るべきだ。