8/31/2022

国葬への反対とっかかりは予算しかないから

9月に開かれる安倍元総理大臣の「国葬」をめぐり、岸田総理大臣は、国会の閉会中審査に出席し、実施の意義などを説明する意向を明らかにしました。(NHK)

 国葬には反対の国民もいるが、それだけで実施不可となるわけがない。国葬は行政権に属する。実施費用には予算の範囲内での支出は任されているし、不当不正な支出があれば後日の会計検査の対象だ。もちろん国会などでの実施意義の説明はあったほうがよい。一部の野党は国葬反対なら、実施の意義に反対すればよい。日本は死者を敵味方なく弔うという社会なので、反対まではできない。だから(国会の権限でもある)予算に注文をつけているに過ぎない。国葬反対の支持者にも、それだけやったならと、納得させることになる。

 アベノマスクのときもそうだった。緊急用マスクは不必要なわけがない。しかし、反安倍の人たちは予算が多すぎるとケチをつけた。しかし全国民への数では巨額だが、1枚1枚は妥当な額だったので、結局は黙るようになった。

8/26/2022

沖縄戦は米軍が選択した

今年は沖縄返還50周年だ。沖縄ものが種々放送されているが、いずれも旧日本軍に巻き添えになった県民の悲劇だ。ただし、攻めてきたのは米軍で日本軍の守備隊が応戦したに過ぎない。米軍はマッカーサー指揮で、蛙跳び作戦をしていた。跳ばされて安寧だったのはラバウル、台湾。攻められたのはフィリピン、これはマッカーサーの個人的執着の故だ。

沖縄に執着したのは戦後の米国のアジア支配のことを考えてだろう。日本を降伏させるには九州に直接上陸作戦したほうが速い。九十九里浜でもよい。サイパン、硫黄島を激戦で攻略したので本土上陸が筋だ。

結果として沖縄は戦後返還が遅れて、返還後も基地は残った。これが米軍の最初からの沖縄上陸作戦の目的だった。

恨むなら米軍のほうにだ。広島の原爆碑のように主語があいまいなのも困るし、目的語が間違っているのも混乱の元だ。 

8/15/2022

若者の感染確率の高い行動が解禁になって感染者が増えた

新型コロナ感染が始まって2年半が経過した。この間、公的な防疫部門はよくその仕事を遂行してきたが、国民との間に感染症対策の基本に誤解が残ったままだ。

それは公衆衛生の観点と臨床医療との考え方の違いだ。

個々の国民が重病にかかる、そしてそれが死に至る病の場合はとくに、臨床医は個別にその救命医療に全力をあげるのは当然だ。しかし、それと公衆衛生の観点は違う。感染症などの社会全体に広まる病の場合、その拡大防止を社会的に強制実施しないと、いずれ医療の崩壊状態に陥ってしまう。だから、公的機関が感染の拡大を防ぐ、あるいは、拡大のスピードを遅らせることが不可欠だ。個々の患者の救命の観点とは違う。

個人がその感染症にかかりたくないのは当然で、そのためには当該病気への知識が必要だ。二年前の流行開始時には新型コロナの特性がよく分かっていなかった。その探究の時間稼ぎにも社会的な行動規制が行われた。いまはその変異株である、順次、デルタ、オミクロン(BA.5まで)の感染力、病原性(重症化率、後遺症など)がほぼわかってきている。各人はその知識を元に感染のリスクと行動制限のリスクを比較してその人にとって最適な行動をとることができる(リスク管理)。現在はこのような状態にまでなった。

個人にとって、感染のリスクを図るにはマスク、手指消毒、三密を避けるなどいろいろ手段があるが、いずれで(併せて)も感染確率ゼロにはならない。感染確率を大幅に低下させるだけだ。ゼロにするには絶海の孤島にひとり暮らしするしかないだろう。いずれにせよ感染対策は感染確率との関連で選択されるべきものだ。若者はそれが本能的に分かっているから、病原性が低いと言われるオミクロン株になって感染確率のより高い行動まで解禁することになった。オミクロン感染者が桁違いに多くなったのはそのような理由もある(感染力も高い)。

もちろんだが、この先更なる変異あるいは新新型ウイルスが出現するかもしれない。そのときは当然だが、公的防疫部門が以上のプロセスを最初から繰り返すことになる。「出現が心配」だからとずっと行動規制を繰り返すには及ばない。

8/05/2022

統一教会が名称変更したから欺されたのではない

「世界基督教統一神霊協会」(略称:統一教会)が名称変更して「世界平和統一家庭連合」になった。韓国では1994年、日本で改名が認証されたのが2015年のことだ。違いは「基督教」「神霊」がなくなり、「平和」と「家庭」が入った。「世界」と「統一」が残っているので、偽装の目的だけではなさそうだ。「勝共連合」で名をはせた時代は「統一」「教会」だけでだれもが怪しい団体だと認識していた。いまの「家庭連合」だけで取り違えるのは旧統一教会も知らない世代だ。

 「平和」、「家庭」とかの麗句だけで判断できない。名は体を表さないことが多い世の中だ。

 それにしてもオウム真理教改めアレフは衆人の知るところで、その活動には公安調査庁はじめ引き続き注意している。家庭連合もそうなっていなかったのはマスコミが何かに遠慮して報道していなかったことが大きい。改名を阻止することなど監督官庁にできるわけがないからだ。