8/15/2022

若者の感染確率の高い行動が解禁になって感染者が増えた

新型コロナ感染が始まって2年半が経過した。この間、公的な防疫部門はよくその仕事を遂行してきたが、国民との間に感染症対策の基本に誤解が残ったままだ。

それは公衆衛生の観点と臨床医療との考え方の違いだ。

個々の国民が重病にかかる、そしてそれが死に至る病の場合はとくに、臨床医は個別にその救命医療に全力をあげるのは当然だ。しかし、それと公衆衛生の観点は違う。感染症などの社会全体に広まる病の場合、その拡大防止を社会的に強制実施しないと、いずれ医療の崩壊状態に陥ってしまう。だから、公的機関が感染の拡大を防ぐ、あるいは、拡大のスピードを遅らせることが不可欠だ。個々の患者の救命の観点とは違う。

個人がその感染症にかかりたくないのは当然で、そのためには当該病気への知識が必要だ。二年前の流行開始時には新型コロナの特性がよく分かっていなかった。その探究の時間稼ぎにも社会的な行動規制が行われた。いまはその変異株である、順次、デルタ、オミクロン(BA.5まで)の感染力、病原性(重症化率、後遺症など)がほぼわかってきている。各人はその知識を元に感染のリスクと行動制限のリスクを比較してその人にとって最適な行動をとることができる(リスク管理)。現在はこのような状態にまでなった。

個人にとって、感染のリスクを図るにはマスク、手指消毒、三密を避けるなどいろいろ手段があるが、いずれで(併せて)も感染確率ゼロにはならない。感染確率を大幅に低下させるだけだ。ゼロにするには絶海の孤島にひとり暮らしするしかないだろう。いずれにせよ感染対策は感染確率との関連で選択されるべきものだ。若者はそれが本能的に分かっているから、病原性が低いと言われるオミクロン株になって感染確率のより高い行動まで解禁することになった。オミクロン感染者が桁違いに多くなったのはそのような理由もある(感染力も高い)。

もちろんだが、この先更なる変異あるいは新新型ウイルスが出現するかもしれない。そのときは当然だが、公的防疫部門が以上のプロセスを最初から繰り返すことになる。「出現が心配」だからとずっと行動規制を繰り返すには及ばない。

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