9/30/2022

弔意を呼びかけ、は言葉の意味に矛盾する

「国葬というからには、全国民が弔意を示すべき」とした上で「強制はダメだが、呼びかけをするくらいのことをしなくてはいけない。しかし呼びかけは内閣の決定だけではできません。(略)」(橋下氏)

 弔意、というのは心の中のことで、要請とか呼びかけをする性質のものではない。呼びかけしないと弔意が全国民に徹底しないというなら、全国民まで弔意を示してもらわなくてよい。国葬はそうあるべきだ、ととらえることに無理がある。これは天皇の国葬(大喪の礼)にも当てはまる。吉田元総理の国葬は昭和42年だったそうだが、全く記憶がない。当然、弔意も示していない。国葬というのはむしろそれでよい。

 似たようなのに「謝罪を要求」がある。謝罪は心からしてもらうものなので、要求しても意味はない。そのような日本人だから、「とりあえず謝っておけばなんとかなる」となる。(隣国に対してとくにそうだ)

9/24/2022

国葬反対は呉越同舟

国葬に「反対」との回答が62%(毎日、9/17,18)

 この記事にもあるが、反対理由は様々だ。

①安倍氏は国葬に値しない ②国葬の根拠がない ③国葬にカネがかかりすぎる

 このうち②③には岸田内閣として反論ができていると考えている。①についてはモリカケサクラと死後問題にされた旧統一教会関与のいずれもが一方的なスキャンダル化で、安倍氏は田中角栄氏が刑事訴追されていたなど法的に問題になっているわけではない。大政治家であるほど政敵は多く、政治対立案件に切り込んでいるので、反対する国民は多くなるだろう。反対62%のうち何ポイントが①の理由なのだろうか?八年間も政権を担ったので、それが過半数を超えることは考えられない。

 むしろ①②③が呉越同舟になっているので、それらをまとめて「反対が多い」とする作戦がそもそも失敗している。

9/16/2022

国葬は法的に妥当だが政治的には?

安倍元首相国葬の是非は法的側面と政治的側面からとに分けて考える必要がある。いま法的には内閣の権限で国葬ができるし、裁判所の判断もそれが定着している。

 問題は政治的な効果だ。政治家の国葬はその功績を否定する政治的勢力にとって国葬にも値しないと考えるのは当然だ。法的に整っていてもこちらの政治的妥当性が問われる。国民の大多数が妥当と見做せば国葬になって当然だが、その「多数」を確認するのは国葬を主催する岸田内閣への国葬後の評価になるだろう。その指標の一つとなるのが世論調査だが、他の政策評価も含んだ全体評価を正確に反映できるのは次回の国政選挙だろう。

 なお、わたしはいかなる(国民の義務を伴う)国葬にも反対だが、内閣が(国民の義務を伴わないかたちで)判断したのなら、それはそれで見守るしかないと考える。その前提で故安倍晋三氏が国葬に値するかと言えば、長期にわたる政権運営にあたり、その間、安倍内閣のもとで国政選挙を何回も勝った(支持された)ことから、国民の長期間の支持を得ていたことになり、その期間の長さは判断基準となるのだろう。

9/07/2022

デフレは日本人が選んだ

消費者にとって、モノの値段が上がっても給料がそのぶん上がれば同じではないか、とはならない。

物価は直線的に毎日上がるが、給料はその分を見て一年に1回程度階段状に上昇するだけだから、差の三角形分損する。また、そのインフレ時には収入が上がる人と少ししか上がらない人に格差が生じてくるので、等しく豊かになろうとする日本人には耐えられない。

その日本人の「物価上昇ゼロ」社会へのマインドが経済の方向を決めてきたと言って過言ではない。日銀がインフレ目標を掲げてマインド誘導するのも同じメカニズムからだ。

バブル崩壊以来30年、日本はデフレ社会が続いたが、それは日本の消費者が選択したからだ。値札が上がったものが売れないのなら、消費者物価は上がらない。いま、コロナ後の世界でインフレの猛威が襲っている。日本にまではそれが襲来していなく、資源高、円安輸入物価高によるコストプッシュの物価高のみにとどまっている。日銀景気対策が目指すデマンドプルインフレにはなりそうにない。経済浮揚策は別途考える必要があるのではないか?