3/02/2022

ウクライナ危機にコロナが相対化された

ウクライナ戦争でロシアが核戦争も辞さないとかの大きなリスクの前にο株の大感染リスクは影を潜めてしまった。これは日本人のリスク比較の感覚が正常になったひとつの証拠だ。

おかげで世界から「鎖国の日本」として揶揄されてきた入国管理の厳しさも徐々に解除されつつある。正常なリスク感覚から言えば、鎖国のリスクとο株のリスクが比較できるようになった。

核戦争も、ο株の病状も、世界からの入国拒否もそのリスクはゼロにはならなく有限確率比較の対象だ。それらの確率を観察して冷静に比較し、どのリスクをどの程度甘受するかを決めることはいつでも必要だ。感染症の場合、重症率とか後遺症率とかの疫学統計をとる仕事は保健所の最大の役割だ。それがいまだにエピソード的にこれこれの重症者と死亡例があった、後遺症で苦しんでいる人がいる、だけではリスク判断ができない。結果として、国民はお上の発表数字でなく、ο株は感染率は高いが概して軽症以下ですむ、という健全なリスク評価を(無意識にでも)するようになった。だから、若者の人出は減らず、三回目接種は一二回目ほど進捗しない。

これらもプーチン氏の功績だ、といったら叱られるか?

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